ソル登場
境界の窯の朝は、いつもより少し静かだった。
焼き上がったパンの香りの中、
店の裏口で木槌の音が軽く響く。
カン、カン。
タツゾウが棚のぐらつきを直していた。
フワン
「ありがとうございます、タツさん」
タツゾウ
「気にすんな。これくらい朝飯前だ」
そう言いながらも、ふと手が止まる。
――あの鍋のことが、頭をよぎった。
弟子たちの腹を壊してしまった。
自分のせいなのに、嬉しそうだった弟子たちの顔。
タツゾウ
「……ちっ」
フワンは気づいているのかいないのか、
のんびりと声をかける。
フワン
「タツさん、このあとお時間ありますか?」
タツゾウ
「ん?」
フワン
「ちょっと、お料理教室に行くんですけど」
タツゾウ
「てやんでぇ!!そんなもん行くか!!」
即答だった。
フワン
「ふふ、ですよね」
タツゾウ
「大工が包丁なんざ握ってどうするってんだ」
言い切って、また釘を打つ。
カン、カン。
――だが、音が少しだけ乱れる。
(……あいつら、また腹壊したらどうすんだ)
頭に浮かぶのは、弟子たちの顔だった。
弟子たち
「棟梁の料理、楽しみです!」
そう言っていた顔。
タツゾウ
「……」
手が止まる。
フワン
「無理には言いませんけど」
やわらかい声。
フワン
「“ちゃんと作れる人”のところですよ」
その一言で、タツゾウの眉がわずかに動いた。
タツゾウ
「……ちゃんと、だぁ?」
フワン
「はい」
しばらくの沈黙。
カン……と、最後の釘を打ち終えて。
タツゾウ
「……ちっ」
工具をまとめながら、ぶっきらぼうに言う。
タツゾウ
「……場所、どこだ」
フワン
「行きましょう」
―――
そこは、店でも家でもない場所だった。
白い。
やけに、白い。
余計なものが一切ない調理場。
フワン
「こんにちは〜」
タツゾウ
「邪魔するぜ⋯」
モフリオン
「もふ!」
少し遅れて、奥から気配がする。
音はほとんどない。
ただ、何かを刻む、規則的なリズムだけ。
トントン、トントン。
やがて、その手が止まる。
???
「⋯どうも」
フワン
「ソルさん、今日はタツさんも連れてきました」
タツゾウ
「よろしく頼む」
一拍。
ほんのわずかな間のあと。
ソル
「⋯よろしく」
初めて目が合う。
やる気のなさそうな目。
だが、その視線は妙に鋭かった。
タツゾウ
「……」
ソルはそれ以上何も言わず、
作業台の上に置かれた鍋を見る。
そして、フワンの方へ。
ソル
「……今日は?」
フワン
「基礎、お願いします〜」
ソル
「……わかった」
そのまま、タツゾウに視線が向く。
ほんの一瞬。
それだけで、なにかを見られた気がした。
ソル
「……何、作ったことある?」
タツゾウ
「おう。鍋くらいはな」
ソル
「……そう」
間。
ソルは、静かに言った。
ソル
「……食べた人、どうだった?」
「……全員、無事だった?」
タツゾウ
「……」
言葉が詰まる。
弟子たちの顔が、また浮かぶ。
ソル
「……まあ、いいや」
まな板の上に材料を並べながら、
淡々と続ける。
ソル
「……とりあえず、作って」
タツゾウ
「は?」
ソル
「……いつも通りでいい」
フワンは、にこにこと見ている。
逃げ場は、ない。
タツゾウ
「……上等だ」
腕をまくる。
包丁を握る。
トン、とまな板に刃を置く。
その瞬間。
ソルの声が、落ちた。
ソル
「……あ、それ」
タツゾウ
「あ?」
ソル
「……持ち方、違う」
タツゾウ
「なにぃ?」
ソルは近づきもせず、ただ見ている。
ソル
「……そのままだと、切れない」
タツゾウ
「切れるわ!!」
強く振り下ろす。
ゴン、と鈍い音。
食材は、潰れただけだった。
一瞬の沈黙。
ソル
「……ほら」
タツゾウ
「……っ」
ソルは潰れた食材をしばらく見ている。
指先で少しだけ触れる。
ソル
「……それ、料理じゃない」
空気が、止まる。
タツゾウ
「……なんだと?」
怒鳴るでもなく。
ただ、静かに。
ソルは言った。
ソル
「……成立してない」
その言葉は、やけに重かった。
タツゾウの手が、わずかに震える。
ソル
「……もう一回」
短い指示。
逃げ道はない。
タツゾウは、包丁を握り直した。
その動きを、ソルは無言で見ている。




