第七章 観察対象、格上げ
次の修正命令が“俺に向けられる可能性”を考えた瞬間から、世界の輪郭が少しだけ鋭くなった。
誰かに見られている気がする、というのは人類共通の妄想だ。だが俺の場合、それは妄想で済ませられない。なにせ隣の席に、母星と通信できる侵略者がいるのだ。
翌朝、目覚ましが鳴る直前に目が覚めた。嫌な予感というやつだ。スマホを手に取る。通知はない。だが、画面のロックを解除した瞬間、見慣れないアイコンが一瞬だけ表示され、すぐに消えた。
見間違いか?
履歴を探るが何も残っていない。
「気のせいだ」と言い聞かせるが、胸のざわつきは消えない。
大学へ向かう途中、改札でICカードをかざした瞬間、端末が一瞬フリーズした。ほんのコンマ数秒。だが後ろに並んでいた人が舌打ちする程度には目立った。
そのとき、頭の奥がチリ、と痛んだ。
本当に一瞬だ。だが確実に、何かが“触れた”感覚。
教室に入ると、天城はすでに席にいた。いつも通りの完璧な姿勢。だが俺を見るなり、ほんのわずかに眉が動いた。
「神谷悠人」と彼女は言う。「昨夜、異常はありませんでしたか」
「それ、俺が聞きたい」
俺は席に座り、声を落とす。「なんかさ、スマホとか改札とか、微妙に変なんだよ」
彼女は沈黙する。その瞳の奥で青が微かに明滅する。
「観察レベルが引き上げられています」と彼女は言った。
「誰の?」
「あなたの」
背中が冷える。
「理由は?」
「ノイズ拡大行為の継続。内部評価が更新されました」
つまり、俺はただの“協力者候補”からランクアップしたわけだ。
「格上げってことか」
「はい。観察対象レベル2に分類されました」
嬉しくない昇進だ。
「レベル2って何されるんだ」
「行動ログの詳細取得。思考傾向の推定。必要に応じて、軽度の介入」
軽度の介入。
「さっきの頭の痛み、あれか?」
「可能性は高いです」
俺は思わず机を握りしめた。「勝手に触るなよ」
「あなたは重要な分岐点にいます」と彼女は言う。「排除対象にはまだ分類されていません」
“まだ”。
講義が始まるが、内容はほとんど頭に入らない。俺の思考は別のところにある。
侵略者に観察される。
思考傾向を推定される。
軽度の介入を受ける。
それって、ほぼ実験動物じゃないか。
講義後、俺は天城を人気のない資料室に連れ込んだ。古い本の匂いが充満する静かな空間。
「介入って具体的に何だ」
「あなたの選択肢を微調整します」
「アルゴリズムと同じか」
「個人版です」
ぞっとする。
「例えば?」
「あなたが投稿しようとする内容に、躊躇を生じさせる。怒りの強度を0.5%低減する。睡眠時間を調整する」
「洗脳じゃねえか」
「強制ではありません。最適化です」
またその言葉。
俺は一歩近づく。「じゃあさ、俺が今から全力で逆らったらどうなる?」
彼女は静かに俺を見る。「介入強度が上がります」
「それでもやる」
「危険です」
「分かってる」
俺はスマホを取り出し、その場でSNSを開いた。昨日より踏み込んだ内容を書く。
『最近の“進化”や“統合”って言葉、やたら増えてない? 誰が得してる? 考えたことある?』
送信ボタンを押す。
その瞬間、頭に鋭い痛みが走った。
視界がぶれる。スマホを落としそうになる。
「介入が強化されています」と天城が言う。声は冷静だが、その目は揺れている。
「やっぱりな……」
俺は歯を食いしばる。痛みは数秒で収まったが、明らかにさっきより強い。
「お前ら、俺の脳に直接触ってるのか?」
「正確には、神経活動への微弱干渉です」
さらっと恐ろしいことを言うな。
「やめさせろ」
「私は全権を持ちません」
「でもお前、排除対象への昇格は推奨しないって言ったよな」
彼女は黙る。
「だったら、介入も弱めろ」
「……権限が不足しています」
俺は机を叩いた。「じゃあどうすればいい」
長い沈黙。
資料室の時計の音だけが響く。
やがて彼女は言った。「あなたの影響値を上げる必要があります」
「は?」
「単なる学生ではなく、社会的接続点を持つ存在になれば、強度の高い介入はコストが増大します」
つまり――。
「俺が目立てってことか?」
「はい。監視対象が公的影響力を持つ場合、露骨な介入はリスクを伴います」
侵略者に対抗するために、目立て?
「無茶言うな」
「合理的です」
だが、理屈は通っている。今の俺は“ただの大学生”だから、いくらでも触れられる。だがもし、ある程度発信力を持てば? 介入が露見するリスクが上がる。
「炎上系になれってか」
「表現は不適切ですが、近いです」
俺は苦笑した。侵略者に戦略アドバイスを受けるとか、意味が分からない。
「なんでそこまで教える」
彼女はほんのわずかに視線を逸らす。「未定義の内部変数が増加しています」
またそれだ。
「それ、俺のせいか?」
「はい」
即答だが、声は小さい。
そのとき、俺のスマホが震えた。通知が大量に来ている。さっきの投稿が思った以上に拡散している。
賛成、否定、嘲笑、共感。
ノイズが広がっている。
同時に、頭の奥がまたチリ、と痛む。
「介入が追いついていません」と天城が呟く。
俺は深呼吸した。
怖い。正直、めちゃくちゃ怖い。頭を直接触られる感覚なんて、まともじゃない。
だが同時に、確かな手応えがある。
「なあ天城」と俺は言う。「俺、観察対象レベル2なんだよな」
「はい」
「じゃあさ、レベル3にしてやるよ」
彼女の瞳が揺れる。「推奨しません」
「でもさ」
俺はスマホを握りしめる。
「侵略者に触られて黙るより、騒いで触りづらくなる方がマシだ」
沈黙。
そして、ほんの一瞬。
彼女は、笑ったように見えた。
本当に微かだ。だが確実に、口元が動いた。
「……観察を継続します、神谷悠人」と彼女は言う。
侵略は進んでいる。
俺への介入も始まった。
だが同時に、俺はただの大学生から“分岐点”へと格上げされたらしい。
ならば、利用する。
世界規模の侵略に対抗する武器はない。だが、ノイズはある。
そして侵略者の内部にも、未定義の変数が増え続けている。
次に修正されるのは、彼女か。
それとも――俺の記憶か。




