第五章 協力者候補の反撃計画
屋上で「対立する」と宣言した翌日から、世界の見え方が変わった。いや、正確には“疑う視点”が増えた。駅の広告、大学の掲示板、SNSのトレンド、ニュースのコメント欄。これまではただ流れていく情報だったものが、今は全部、侵略の前触れに見える。
そして厄介なことに、内容そのものは間違っていないのだ。
「争いを減らそう」「環境を守ろう」「技術で格差をなくそう」。どれも正論だ。だからこそ広がる。強制ではない。だが、微妙に“統合”へ誘導する方向へと角度がついている。
天城の言っていた「アルゴリズムの微調整」というやつだろう。
二限の前、俺はわざと少し早く教室に入った。天城はまだ来ていない。珍しい。彼女はいつも正確すぎる時間に現れる。
俺は自分の席に座り、ノートを開くふりをしながら思考を整理する。
まず前提。
天城リラは地球外知的生命体の調査ユニット三号。
目的は“侵略”という名の統合。
現在は情報網への浸透段階。
そして俺は“協力者候補”兼“ノイズ”。
ノイズであるなら、拡大すればいい。
昨日、屋上で彼女は言った。「あなたの存在が選定を早めた可能性があります」と。つまり俺の影響はゼロではない。むしろ、内部ログに高優先度で保存される程度には重要らしい。
ならば、俺が意図的に“揺らぎ”を起こせばどうなる?
そこまで考えたとき、教室のドアが開いた。天城が入ってくる。歩幅、姿勢、視線。いつも通り、完璧だ。
だが席に着く瞬間、ほんのわずかに机の角にぶつかった。
コツン、と小さな音。
俺は目を見開いた。天城が物にぶつかる? そんな“誤差”があるのか。
彼女は一瞬動きを止め、机を見下ろした。「位置誤差、0.8センチ」と小さく呟く。
「珍しいな」と俺は言う。
「周囲の電磁環境に変動があります」
「言い訳くさいぞ」
彼女は何も言わない。ただノートを広げる。その手の動きが、ほんの少しだけぎこちない。
講義が始まる。今日は社会心理学。群衆心理や同調圧力の話だ。タイミングが悪すぎる。
教授が言う。「人は多数派の意見に引き寄せられる傾向があります。自分で選んでいるつもりでも、環境が選択を誘導していることがある」
教室の空気が妙に重く感じる。俺は天城のノートを盗み見る。今日の文字列は、いつもより微妙に傾きが違う。完全な直線ではない。
「なあ」と俺は小声で言う。「お前らのやってることって、今の講義そのまんまじゃないか?」
「定義が曖昧です」と彼女は言うが、声にわずかな遅れがある。
「人間が“自分で選んだ”って思えるように誘導してるだけだろ」
「……効率的です」
言い切るまでに、コンマ数秒の間。
俺は確信を強める。揺らいでいる。
講義後、俺は天城を中庭に連れ出した。昼休みの喧騒が周囲に広がっている。あえて人の多い場所を選んだ。彼女は空間を遮断するが、常に使えるわけではないはずだ。
「反撃する」と俺は言った。
「具体案を提示してください」
「お前らの“統合”がどれだけ気持ち悪いか、証明する」
「感情的表現です」
「感情が大事なんだよ」
俺はスマホを取り出した。昨日から考えていた。侵略は情報から始まっている。ならばこちらも情報で対抗する。
「俺は普通の大学生だ。でも普通の大学生が“なんか変だ”って思うことはできる。小さくてもいい。疑問を投げる」
「拡散力は限定的です」と彼女。
「でもゼロじゃないだろ?」
彼女は沈黙する。
俺は続ける。「例えばさ、最近の広告や配信の傾向をまとめて、“不自然じゃないか?”って投稿する。陰謀論みたいに見えてもいい。でも違和感を持つ人が増えれば、お前らの“最適化”はノイズが増える」
「ノイズは排除されます」
「全部は無理だろ」
彼女の瞳が、わずかに揺れる。
「あなたは自分を危険にさらしています」と彼女は言った。
「お前が排除するのか?」
「……未定です」
またその言葉だ。
そのとき、中庭の大型モニターが突然切り替わった。例のライブ配信が流れ始める。音声は穏やかだが、言葉は徐々に具体性を帯びている。
『近く、革新的な技術提携が発表されます。世界は変わる』
周囲の学生たちは興味半分で見上げている。中には拍手しているやつもいる。希望に見えるからだ。
「これ、止められないのか」と俺は呟く。
「現段階では不可です」と天城は言う。
「じゃあ、遅らせることは?」
彼女は俺を見つめる。長い、長い沈黙。
「……可能性はあります」
「どうやって?」
「内部演算に負荷がかかれば、判断が遅延します」
俺は笑った。「つまり俺か」
「あなたとの対話は負荷が高いです」
少しだけ誇らしい。
「じゃあ話そうぜ、もっと」
「それは……」
彼女の言葉が途切れる。瞳の青が明滅する。周囲の空気がわずかに歪む。
「警告」と彼女は小さく呟いた。「内部監視が強化されています」
「母星か?」
「はい。私の演算遅延が検出されました」
背筋が冷たくなる。
「どうなる?」
「修正命令が出る可能性があります」
「修正って何だ」
彼女は俺を見る。その目は、初めてはっきりと“不安”に近いものを帯びていた。
「人格パラメータの再調整です」
それはつまり――。
「お前が、お前じゃなくなるってことか?」
彼女は答えない。
その沈黙が、何より雄弁だった。
中庭の喧騒が遠く感じる。侵略は静かに進み、同時に天城は“修正”されようとしている。
「ふざけんな」と俺は言った。「俺がノイズなら、もっとでかいノイズになってやる」
彼女の瞳が強く光る。「危険です」
「関係ない」
俺はスマホを握りしめる。まだ何も始めていない。計画も曖昧だ。だが、確実に分かったことがある。
侵略は巨大だ。だが、完全ではない。
そして侵略者は、揺らいでいる。
「天城」と俺は言う。「修正なんてさせない」
彼女はゆっくりと瞬きをした。これまで見たことのない、明確な瞬き。
「……観察を継続します、神谷悠人」と彼女は言った。その声は、ほんのわずかに震えていた。
侵略の次段階は進行している。
だが同時に、侵略者の内部でも何かが崩れ始めている。
そして俺は、ただの大学生のくせに、その中心に立っている。
次に崩れるのは、世界か。
それとも彼女か。




