第三章 バグの兆し
侵略者と学食に行った翌日、俺は完全に寝不足だった。理由は単純だ。ネットで「地球外生命体 侵略 前兆」とか「記憶改ざん 方法」とか、どう考えても検索履歴として最悪なワードを片っ端から調べていたせいである。もちろん有力な情報は何も出てこない。出てくるのは映画の感想か陰謀論フォーラムばかりだ。もし天城の言うことが本当なら、彼女たちは完璧に痕跡を消している。
つまり、証拠は俺の体験しかない。
二限の講義前、俺は教室の後ろで天城を観察していた。彼女は今日も同じ姿勢、同じ角度、同じ速度でノートを広げる。その再現性の高さが逆に不自然だ。人間なら日によって微妙に癖が出る。だが彼女にはそれがない。
俺は思い切って隣に座ると、開口一番に言った。「お前、昨日“保存するために統合する”って言ったよな」
「はい」と彼女は即答する。
「それってさ、人類の意思はどうなるんだ?」
「意思の定義を提示してください」
またそれか。
「自分で決めるってことだよ。自由とかさ」
彼女は一瞬だけ視線を伏せた。「自由は非効率です。しかし、価値がある概念であることは認識しています」
「じゃあ奪うなよ」
「奪うという表現は不正確です。最適化です」
最適化。便利な言葉だな。
講義が始まると、教授は今日は人工知能について語り始めた。タイミングが良すぎる。俺はわざと天城のノートを覗き込む。相変わらず完璧な文字列だが、今日は端に小さな数式が書かれている。地球の大学一年が扱うレベルじゃない。
俺はペンを走らせるふりをしながら、小声で言った。「なあ、正直に答えろ。お前、感情あるのか?」
彼女のペンが止まった。
昨日と同じ、ほんの一瞬の停止。
「感情は機能として搭載されています」と彼女は言う。「ただし優先度は低い」
「じゃあ、昨日空見て“美しい”って言ったのは何だ?」
沈黙。
ペンが動かない。
その間が、明らかに長い。三秒、いや五秒近い。
周囲から見ればただの無言だが、俺には確信があった。これは処理に時間がかかっている。
「……観察結果の共有です」と彼女はようやく答えた。
嘘だ、と直感した。
彼女は嘘をついた。侵略者が、だ。
講義後、俺は彼女を人気のない階段踊り場に連れ出した。「処理落ちしてたぞ」
「意味が不明です」
「さっき、止まった。考えてたろ」
彼女は俺を見つめる。瞳の奥で、青い光が微かに揺れた。「内部演算に負荷がかかりました」
「何の負荷だよ」
「……未定義の感覚です」
俺は息を呑んだ。未定義?
「それって、感情じゃないのか?」
彼女はしばらく答えなかった。階段の窓から差し込む光が、彼女の横顔を照らす。その表情は相変わらず整っているのに、どこか迷いの影があるように見えた。
「神谷悠人」と彼女は言う。「あなたと接触してから、内部ログに異常値が増加しています」
「俺のせいかよ」
「はい。原因として有力です」
なんて理不尽な告発だ。
「でもそれ、悪いことなのか?」
「現時点では判断不能です。しかし、ミッション効率は0.3%低下しています」
0.3%かよ。微妙だな。
「それってさ」と俺は一歩踏み込む。「侵略に支障出てるってことだよな?」
「可能性はあります」
その瞬間、俺の中で何かが繋がった。
もし彼女に“バグ”が生じているなら、それは侵略計画の弱点になり得る。しかもその原因は俺との接触だという。つまり俺は、ただの協力者候補じゃない。侵略を乱すノイズだ。
「なあ天城」と俺は言う。「俺といると困るのか?」
彼女はわずかに眉を寄せた。それも初めて見る仕草だ。「困る、という感覚は理解します。近い状態かもしれません」
俺は思わず笑った。「それ、もう人間じゃね?」
「否定します」
即答だが、声が少し小さい。
そのとき、彼女のポケットから微かな電子音が鳴った。俺のスマホとは違う、金属的な音だ。彼女は動きを止め、視線を遠くに向ける。
「通信です」と彼女は言った。
「どこから?」
「母星の中継装置」
さらっととんでもないことを言うな。
彼女の瞳が強く青く光る。俺は思わず後ずさった。空気がまた、あのときのように静まり返る。外の雑音が遠のく。
「……はい。報告します」と彼女は誰もいない空間に向かって言う。「対象・神谷悠人との接触継続中。観察データ取得中。問題はありません」
問題はありません?
俺は眉をひそめた。さっき“異常値が増加している”って言ってなかったか?
「了解しました」と彼女は続ける。「次段階への移行準備を開始します」
次段階。
通信が終わると、青い光は消え、周囲の音が戻った。
「今の何だよ」と俺は詰め寄る。
「定期報告です」
「次段階って何だ」
彼女は数秒、俺を見つめた。そして静かに言う。
「あなたの周囲への接触拡大です」
嫌な予感しかしない。
「具体的には?」
「あなたの友人、家族、交友関係を観察対象に含めます」
背筋が冷えた。
「待て。それはやめろ」
「なぜですか?」
「俺だけにしろよ!」
思わず声が荒くなる。階段に俺の声が反響する。
彼女は驚いたように目を見開いた。ほんの僅かだが、確かに。
「感情の強度が上昇しています」と彼女は呟く。
「当たり前だろ。巻き込むな」
沈黙。
そして彼女は、これまでで一番小さな声で言った。
「……検討します」
検討。
それは、彼女が初めて即断しなかった瞬間だった。
俺は気づく。侵略者は絶対じゃない。完璧でもない。少なくとも目の前の“調査ユニット三号”は揺らいでいる。
その揺らぎを広げられれば――。
「なあ天城」と俺は言う。「俺といる間は、勝手に次段階とかやるな」
彼女はしばらく俺を見つめ、やがて小さく頷いた。「……一時的に保留します」
それがどれほどの意味を持つのかは分からない。だが確実に、何かが変わり始めている。
侵略者にバグが生じている。
その原因が俺だというなら、利用するしかない。
俺はただの大学生だ。世界を救うヒーローじゃない。だが、隣の席の侵略者が揺らいでいるなら、その揺らぎを大きくすることくらいはできるかもしれない。
そしてそのとき、俺はまだ知らなかった。
彼女の言う“次段階”が、俺の想像よりずっと早く、ずっと危険な形で始まろうとしていることを。




