第二章 侵略者、学食に現る
翌朝、目覚ましの音で目を覚ました俺は、まず天井を見つめた。侵略者。調査ユニット三号。協力者候補。昨日起きた出来事を、夢だったということにしたかったが、残念ながら脳ははっきりと覚えている。むしろやけに鮮明だ。青く光る瞳、無機質な声、そしてあの通知。履歴に残っていないのが逆に現実味を増している。
「落ち着け」と自分に言い聞かせる。きっと何かのドッキリだ。最近はリアル志向の動画配信者も多いし、大学を舞台にした企画かもしれない。そう思い込もうとしたが、昨日の“空間が遮断された感覚”がどうしても説明できない。あれは演出でどうにかなるレベルじゃなかった。
とはいえ、行かないわけにもいかない。今日は二限から例の「宇宙と人類」だ。休めば単位が危うい。侵略者より単位の方が、現実的な脅威である。
教室に入ると、すでに天城リラは席に座っていた。姿勢は正しく、視線は前方固定。昨日と寸分違わない位置にノートが置かれている。まるで前日のデータを保存して再起動したかのようだ。
俺は一瞬立ち止まったが、周囲の視線が気になって結局いつもの隣に座った。逃げるのは簡単だが、それで状況が好転するとも思えない。むしろ監視対象として怪しまれそうだ。
「おはよう」と俺は言った。
「おはようございます、神谷悠人」と彼女は即座に返す。その発音は完璧で、抑揚も自然だが、どこかテンプレート的だ。
「昨日の話さ」と俺は小声で切り出す。「あれ、本気?」
「本気の定義を提示してください」と彼女は言う。
めんどくさい。
「冗談じゃないのかってこと」
「冗談という概念は理解していますが、私は使用していません」
つまり本気かよ。
教授が入ってきて講義が始まる。今日は地球外文明との接触シナリオについてらしい。偶然にしては出来すぎている。俺は内容よりも、隣の存在の方が気になって仕方がなかった。
「侵略ってさ」と俺はノートに視線を落としたまま囁く。「具体的に何する気なんだよ」
「段階的浸透」と彼女は答える。「文化、経済、情報網への接続。抵抗が最小になる形で統合します」
「統合って、支配ってことか?」
「あなた方の語彙では近いですが、より効率的です」
さらっと恐ろしいことを言うな。
そのとき、教授が言った。「もし異星人が本当に来たら、我々は気づけるでしょうか?」
教室が静まる。俺は思わず天城を見る。
彼女は微動だにせず書き続けている。そのノートの端に、小さく数字が並んでいるのが見えた。0101のような二進数らしき列。講義内容とは明らかに無関係だ。
講義後、俺は決意した。逃げるのではなく、情報を集める。相手が本当に侵略者なら、無知でいる方が危険だ。知っていれば対策も立てられる。たぶん。
「昼、空いてる?」と俺は聞いた。
「昼食時間は確保されています」と彼女。
「じゃあ学食行こうぜ」
彼女は一瞬考えるような間を置いた。「人類の食文化の観察は有益です。同行します」
こうして俺は、地球外生命体(自称)と学食に向かうことになった。
学食はいつも通り騒がしい。カレーの匂いと揚げ物の音、笑い声。あまりに日常的な光景に、隣に侵略者がいる事実が浮いている。
「何食べる?」と俺が聞くと、彼女はメニュー表を凝視した。「エネルギー効率を考慮すると、定食Bが最適です」
「そこは味で選ばないのかよ」
「味覚データは取得済みです」
取得済み?
俺がカツ丼を頼み、彼女が定食Bを受け取る。席に座り、俺は様子を観察した。
彼女は箸を正確に持ち、一定間隔で口に運ぶ。咀嚼回数も均等。水を飲むタイミングまで規則的だ。まるでプログラムされた動作。
「うまい?」と聞くと、「塩分はやや過多ですが、許容範囲です」と返ってくる。
人間っぽい感想を少しは混ぜろ。
そのとき、隣のテーブルの男子がジュースをこぼした。グラスが倒れ、液体がこちらに向かって流れてくる。
普通なら避けるか、焦るかだ。
だが天城は違った。
彼女はほとんど反射の速度で手を伸ばし、トレイを正確な角度で傾け、ジュースの流れを遮断した。こぼれた量は最小限。しかも動きが速すぎて、ほとんど残像に見えた。
周囲の学生は「すごっ」と笑っただけだったが、俺は見逃さなかった。あれは人間の反応速度じゃない。
男子が「ありがとう!」と笑うと、彼女はわずかに頷いた。「問題ありません」
俺は小声で言う。「今の、やばかったぞ」
「身体能力は平均より上に設定しています」
設定って言うな。
「なあ」と俺は声を落とす。「俺を協力者候補にしたって言ったよな。何させる気だ」
彼女は箸を止め、俺を見る。「あなたには人類社会の内部情報を提供してもらいます」
「そんなのネットに山ほどあるだろ」
「生の感情データは希少です」
感情データ?
「あなたは恐怖と好奇心を同時に抱いています。それは有益です」
言い当てられて、俺は黙った。
確かに怖い。だが同時に、知りたいと思っている自分がいる。この存在が何なのか、本当に地球をどうする気なのか。
「拒否したら?」と俺は聞く。
「その場合、あなたの記憶を部分的に修正します」
さらっと言うな怖い。
「でも昨日、排除対象じゃないって言ったよな」
「はい。現時点では」
現時点では、って付け足すな。
食事を終え、学食を出るとき、彼女は空を見上げた。青空に白い雲。ごく普通の春の日だ。
「この惑星は美しい」と彼女は言った。
初めて、感情のような響きを感じた。
「侵略するのに?」と俺は皮肉を言う。
「だからこそです」と彼女は答える。「保存するために統合するのです」
保存。統合。侵略。
言葉は物騒なのに、どこか理屈は通っている気がしてしまうのが怖い。
「なあ天城」と俺は立ち止まる。「お前ら、本当に敵なのか?」
彼女はしばらく沈黙した。そして静かに言う。
「それを判断するのは、あなたです。神谷悠人」
その言葉が、やけに重く胸に落ちた。
俺はただの大学生だ。世界の命運を決める器じゃない。だが、どうやら侵略者は俺を巻き込む気満々らしい。
そして俺は気づき始めていた。
彼女の言動は完璧すぎる。だが、ときどきほんの僅かな“揺らぎ”がある。昨日のペンの停止、さっきの空を見上げたときの声色。
もしあれがバグなら――。
俺はそのバグを見つけたいと思っている自分に気づいた。
侵略を止めるためか、それとも彼女を知るためか。
まだ分からない。
だが確実に言えるのは、俺の大学生活はもう平凡には戻らないということだ。
そしてこれは、まだ侵略のほんの序章にすぎない。




