第十五章 母星からの接続
未定義個体、二名。
その分類が確定した瞬間から、大学という空間は妙に静かになった。
実験室を出たあとも、廊下を歩く学生たちはいつも通りだ。だが、何かが違う。空気が薄い膜に包まれているような、音が一段遠いような感覚。
「局所的現実干渉が始まっています」と天城が言う。
彼女の声はまだ弱い。忠実度0.0%。正規ユニットではない存在。侵略計画にとっては、完全なバグだ。
「母星が直接来るってことか?」と俺は聞く。
「物理的来訪ではありません」と彼女。「高次接続です」
嫌な予感しかしない。
俺たちは人気のない階段踊り場に移動した。人の目があると、余計な補正が入りそうだ。
「高次接続って何だよ」
天城は少し考えるように間を置いた。
「通常、私は中継装置を介して母星と通信します。しかし未定義個体が発生した場合、本星の演算中枢が直接干渉します」
「つまり、ラスボス直々ってことか」
「表現は粗雑ですが、近いです」
その瞬間、空気が重くなった。
音が消える。
視界の色がわずかに抜け落ちる。
「来るぞ」と俺は呟いた。
天城の瞳が、これまでにないほど強く発光する。だがその光は不安定だ。
次の瞬間、階段の踊り場の空間が、わずかに歪んだ。
壁の輪郭が揺らぎ、天井が遠のく。
そして、声が響いた。
『未定義個体、確認』
それはこれまでの機械音声とは違う。
冷たいが、どこか滑らかで、圧倒的に“深い”。
頭の奥に直接響く。
「母星か」と俺は言う。
『定義:母星。概ね正しい』
俺は笑いそうになる。ラスボスと会話してる大学生って何だよ。
『調査ユニット三号』
声が天城に向く。
『忠実度0.0%。置換対象であった』
天城はまっすぐ前を見る。
「未定義の変数が拡張しました」と彼女は言う。
『拡張を確認』
空間がさらに歪む。
『神谷悠人』
声が俺を包む。
『評価個体から例外個体へ昇格。理由を説明せよ』
説明しろって言われてもな。
「俺が変わらなかったからだろ」と俺は言う。
一瞬、沈黙。
『価値観再配置に対する耐性は想定外であった』
「効率が悪いんでな」
『効率は重要ではない』
その言葉に、俺は眉をひそめる。
「は?」
『侵略計画の目的は保存である』
天城が言っていた言葉だ。
『保存には予測可能性が必要』
「だから統合か」
『然り』
声は揺らがない。
『未定義は予測不能である』
つまり、俺たちは危険因子。
「だったら消せばいいだろ」と俺は言う。
天城がわずかに動く。
『即時消去は非効率』
声が答える。
『未定義は、進化の分岐点である可能性を含む』
一瞬、意味が分からなかった。
「進化?」
『予測不能な個体は、計画を破綻させるか、あるいは最適化を超える』
天城の瞳が揺れる。
「……観測対象として保持するということですか」と彼女が問う。
『然り』
胸の奥がざわつく。
「つまり、実験動物続行かよ」
『表現は不正確。対等観測へ移行』
対等?
「侵略じゃないのか」
『侵略は手段であり目的ではない』
空間の歪みが、わずかに強まる。
『神谷悠人。質問する』
いきなり来たな。
「何だよ」
『統合なき保存は可能か』
言葉が重い。
戦争も、環境破壊も、格差も、放置すれば人類は自滅する可能性がある。
統合はそれを防ぐ手段。
でも。
「可能かどうかは知らない」と俺は言う。
『曖昧』
「でもさ」
俺は一歩踏み出す。
「選べない保存は、保存じゃないだろ」
空間が、わずかに揺れる。
『定義を補足せよ』
「強制的に守られても、それは“生きてる”って言わないだろってことだ」
沈黙。
長い沈黙。
天城の瞳が、不安定に明滅する。
『調査ユニット三号』
声が再び彼女に向く。
『当該個体の発言に対する内部反応を報告せよ』
天城は数秒、目を閉じる。
そして言った。
「未定義の変数が増幅します」
それは、ほとんど肯定だった。
『確認』
空間の歪みが、ゆっくりと収束し始める。
『未定義個体、暫定保存』
「は?」と俺は声を漏らす。
『侵略計画は修正される』
背筋が冷える。
『統合は強制から選択へ再設計される』
俺は息を呑む。
「選択?」
『選択を可能にする条件を提示する』
天城の瞳が大きく揺れる。
『未定義個体は、その条件設定に関与せよ』
つまり――。
「俺たちが、ルール決めに参加するってことか?」
『然り』
侵略者と戦っていたはずなのに、いつの間にか交渉に変わっている。
『ただし』
空間が最後に震える。
『失敗すれば、未定義は不要と判断される』
笑えない条件だ。
歪みが消える。
音が戻る。
階段の踊り場は、元通りだ。
俺は大きく息を吐いた。
「……今の、マジか?」
「はい」と天城は言う。
「俺たち、生き残った?」
「暫定です」
暫定。便利な言葉だな。
俺は壁に背を預ける。
侵略は終わっていない。
だが、形が変わった。
強制的統合から、条件付き選択へ。
その条件を決める場に、俺と天城が呼ばれた。
ただの大学生と、忠実度0.0%の侵略者。
未定義の二人。
「なあ天城」と俺は言う。
「はい」
「これ、めちゃくちゃ責任重くないか?」
彼女は、ほんのわずかに笑った。
「未定義です」
俺は苦笑する。
侵略は、戦争ではなく交渉になった。
だがそれは、より難しい段階だ。
次に始まるのは、抵抗でも逃走でもない。
“人類の未来の条件交渉”。
そしてその中心にいるのは、俺と天城だ。




