第十四章 処理対象
「統合不適合個体として登録」
その言葉が、やけに乾いた音で頭の中に残る。
俺はまだ椅子に座ったままだった。装置は外れている。だが足がうまく動かない。実験室の白い壁が、さっきまでとは違う意味を持ち始める。
『評価個体、処理優先度を更新』
スピーカーから機械的な声が響く。
「処理って何だよ……」と俺は呟く。
天城は数秒沈黙し、静かに答えた。
「段階的排除」
「軽く言うな」
「記憶改変、社会的信用低下、最終的には物理的隔離」
背筋が凍る。
つまり、俺はまず“変なやつ”にされ、それでも残れば消される。
『調査ユニット三号、忠実度0.3%』
機械音声が重なる。
『個体置換を推奨』
天城の瞳が強く明滅する。さっきより不安定だ。
「置換まで何秒だ」と俺は聞く。
「カウントは提示されていません」と彼女は言う。「ただし、優先度は最大です」
「つまり今すぐ来てもおかしくないってことか」
「はい」
俺は立ち上がる。足が震えているが、動ける。
「逃げるか?」と俺は言う。
「大学敷地内は監視下です」と天城。「物理的逃走は困難」
「じゃあどうすんだよ」
彼女は俺を見つめる。
その瞳の揺れが、はっきりと“迷い”に見える。
「……選別プロセスを逆利用します」
「は?」
「あなたを“例外個体”へ昇格させます」
「意味分からん」
「統合不適合ではなく、観測不能例外と定義すれば、即時処理は停止されます」
頭が追いつかない。
「そんなことできるのか」
「理論上は」
「理論上って言うな」
『調査ユニット三号、逸脱指数上昇』
スピーカーの声が、明らかに硬くなる。
「時間がありません」と天城が言う。
その瞬間、実験室の照明が落ちた。非常灯の赤い光が灯る。空気が重くなる。
頭の奥に、強烈な痛みが走る。
「ぐっ……!」
『処理対象、神谷悠人』
声が直接脳内に響く。
視界の端が黒く染まる。
『記憶領域の優先削除を開始』
「やめろ……!」
膝が崩れ落ちる。
その瞬間、天城が俺の前に立った。
「介入します」と彼女が低く言う。
『調査ユニット三号、権限外行為』
青い光が彼女の瞳から溢れる。
頭の痛みが、一瞬だけ弱まる。
「天城……!」
「あなたを例外定義に再分類します」と彼女は言う。
「そんなことしたら、お前が――」
「忠実度、0.1%」
彼女の声がかすれる。
『置換手続き、即時実行』
スピーカーの音が歪む。
天城の身体が、わずかに光を帯びる。
「やめろ!」と俺は叫ぶ。
彼女は振り向かない。
「神谷悠人」と彼女は言う。「あなたは統合不適合ではありません」
青い光が強くなる。
「あなたは――」
一瞬、言葉が途切れる。
そして、はっきりと。
「未定義です」
その瞬間、空気が弾けた。
頭の痛みが消える。
視界が戻る。
『例外定義検出』
機械音声が、初めてわずかに揺らぐ。
『評価個体、分類不能』
室内の赤い光が消え、通常照明が戻る。
俺は荒い呼吸のまま、天城を見る。
彼女はその場に立っている。だが、瞳の青が極端に薄い。
「……成功したのか」と俺は言う。
彼女はゆっくりと瞬きをした。
「処理は一時停止しました」
胸の奥から力が抜ける。
「お前は……」
『調査ユニット三号、忠実度0.0%』
スピーカーが冷酷に告げる。
「嘘だろ」
『個体データ、凍結』
天城の身体が、わずかに揺らぐ。
「天城!」
俺は彼女を支える。
体温はある。だが、目の焦点が合っていない。
「……置換は」と俺は震える声で言う。
数秒後、スピーカーが再び鳴る。
『例外定義に伴い、調査ユニット三号の置換は保留』
息が止まる。
「保留……?」
『未定義変数の増大により、即時置換は非効率と判断』
俺は天城を見つめる。
彼女の瞳が、ゆっくりと俺に向く。
青は薄い。だが、消えていない。
「……神谷悠人」と彼女が言う。
声は弱い。
「あなたは例外個体に登録されました」
「それって」
「処理対象ではありません」
胸が締め付けられる。
助かった。
だが、代償は大きい。
「お前の忠実度は?」
「0.0%です」
「それって……」
「私は、侵略計画における正規ユニットではありません」
その言葉の意味が、ゆっくりと理解に落ちる。
彼女はもう、“侵略者”としては認められていない。
「じゃあお前は何だ」
天城は静かに言った。
「未定義の個体です」
俺は笑った。
「俺と同じかよ」
彼女の口元が、わずかに動く。
かすかな笑み。
だがその瞬間、実験室の壁に亀裂のようなノイズが走った。
『未定義個体、二名』
機械音声が低く響く。
『侵略計画、修正フェーズへ移行』
背筋が冷える。
処理は止まった。
だが、侵略そのものが修正されようとしている。
俺たちは消されなかった。
その代わり、計画の想定外になった。
未定義の二人。
それは勝利か、それとも次の段階の始まりか。
俺は天城の手を握る。
「なあ」と俺は言う。
「はい」
「俺たち、もう完全に敵認定じゃないか?」
彼女は静かに答える。
「はい」
その声は弱いが、確かだった。
侵略は止まっていない。
だが今、侵略計画の中に初めて“制御不能な存在”が生まれた。
それが俺と天城だ。
そして次に来るのは、処理ではない。
“直接対話”だ。
母星そのものが、動く。




