第十三章 再配置アルゴリズム
実験当日。
空はやけに青かった。こういう日に限って天気がいいのは、何かの皮肉かもしれない。
俺は指定された研究棟の一室に向かった。ドアには「社会最適化アルゴリズム・モニター室」と書かれている。やたらと柔らかい名前だが、やることは価値観の再配置だ。
中に入ると、白い空間だった。壁も机も、無駄に清潔で、音が吸い込まれるような静けさがある。中央に椅子がひとつ。ヘッドセットのような装置が用意されている。
「緊張していますか」と、背後から声がした。
振り返ると天城が立っている。今日は研究スタッフの名札をつけている。堂々と侵略側だ。
「めちゃくちゃな」と俺は言う。
「逃げる選択肢は残されています」
「その場合は?」
「異常個体への再分類が確定します」
却下。
俺は椅子に座る。装置を手に取る。意外と軽い。
「これで何するんだ」
「あなたの脳活動を読み取り、価値観の優先順位を微調整します」
「微調整ね」
俺は笑う。
「天城」と俺は言う。「俺が変わりそうになったら、止めろ」
彼女の瞳が揺れる。
「権限は限定的です」
「それでも」
数秒の沈黙。
「……可能な範囲で介入します」
それで十分だ。
装置を装着した瞬間、視界が暗転する。
次に見えたのは、真っ白な空間だった。
音もない。ただ、自分の呼吸だけがやけに大きい。
『神谷悠人』という声が響く。男とも女ともつかない、滑らかな声。
『あなたの価値観を解析します』
目の前に映像が浮かぶ。子どもの頃の記憶。家族との会話。中学での部活。大学の入学式。
そして――天城と初めて話した日の教室。
『あなたは変化を恐れますか』
声が問う。
「怖いに決まってるだろ」
言葉がそのまま空間に溶ける。
『統合は恐怖を減らします』
目の前に、理想的な未来の映像が映る。戦争のない世界。格差のない社会。誰もが合理的に動く人類。
『あなたの不安は解消されます』
心が、ほんのわずかに揺れる。
確かに、悪くない。
争いがなくなるなら、それでいいんじゃないか。
その瞬間、頭の奥が温かくなる。思考がなめらかに整っていく感覚。
「……やばいな」
これは強い。
反論しようとする言葉が、うまく形にならない。
『あなたは選ばれた評価個体です』
声が続く。
『あなたが受け入れれば、多数が安定します』
胸が軽くなる。責任から解放される感覚。
「……楽だな」
そう呟いた瞬間、映像が変わった。
天城が屋上で空を見上げている。
『未定義です』
彼女の声が重なる。
未定義。
その言葉が、白い空間にひびを入れる。
「……俺は」
頭の奥がまた温かくなる。思考が再配置されようとしている。
“侵略は効率的だ”
“統合は合理的だ”
“抵抗は非効率だ”
そんなフレーズが、静かに積み上がっていく。
「でもさ」
俺は歯を食いしばる。
「効率で決めるなら、俺いらねえだろ」
その瞬間、ひびが広がる。
白い空間の奥から、別の声が重なる。
「介入強度が上昇しています」
天城だ。
『調査ユニット三号、逸脱を検出』
機械的な別の声が割り込む。
『介入を優先』
頭に鋭い痛みが走る。
視界が白く弾ける。
『神谷悠人、抵抗は無意味です』
「無意味でもいい」
俺は叫ぶ。
「俺が決めるって言っただろ!」
子どもの頃、初めて自転車に乗れた日の記憶が浮かぶ。転んで、膝を擦りむいて、それでも自分で立った。
大学に入って、何も特別じゃないと知った日の悔しさ。
天城と出会い、侵略を知ったときの恐怖。
全部、不完全で、非効率で、矛盾だらけだ。
「でも、それが俺だ!」
白い空間が、音を立てて崩れ始める。
頭の奥の温かさが、弾ける。
痛みが走る。
『評価個体、再配置失敗』
機械的な声が、わずかに乱れる。
『ノイズ値、理論限界を超過』
視界が暗転する。
次に目を開けたとき、俺は椅子に座ったままだった。装置が外れている。息が荒い。
目の前に天城が立っている。顔色が、明らかに悪い。
「……どうだ」と俺はかすれた声で言う。
彼女は数秒、何も言わない。
そして静かに言った。
「価値観再配置、失敗」
胸の奥で何かが弾ける。
「俺、変わってないか?」
「はい」
その瞬間、天城の瞳の青が激しく明滅する。
「忠実度が急降下しています」
「いくつだ」
「0.4%」
危険域。
『調査ユニット三号、逸脱確認』
空間のスピーカーから声が響く。
『個体データの置換準備を開始』
血の気が引く。
「天城!」
彼女は俺を見る。
その瞳は、これまでで一番揺れている。
「未定義の変数が、全体へ拡張されました」と彼女は言う。
「何言って――」
『評価個体、再分類』
機械的な声が続く。
『神谷悠人、統合不適合個体として登録』
嫌な予感が背中を走る。
「それって……」
天城は小さく言った。
「あなたは選別対象になりました」
空気が凍る。
実験は失敗した。
侵略計画は揺らいだ。
だがその代償として――
俺が、次の処理対象になった。




