第十一章 共犯関係の成立
忠実度の閾値まで、あと3%。
その数字が、やけに重く頭に残る。テストの赤点ラインよりも、就活の通過率よりも、よほど現実味がある。
俺はその日の夜、ノートを机に広げていた。ページはすでに何冊目か分からない。侵略、介入、現実補正、存在維持条件。自分でもよく書き続けていると思う。
「彼女を特別にする」
それが今の目標だ。
侵略計画において、天城リラが“代替不能”であると証明する。そのためには、俺と彼女の関係が分岐点である必要がある。
つまり。
俺たちは、ただの観察対象と調査ユニットでは足りない。
翌日、大学のカフェテリアで、俺は単刀直入に言った。
「共犯になろうぜ」
天城は一瞬だけ動きを止める。「定義を提示してください」
「お前が侵略の内部情報を俺に渡す。俺はそれを利用してノイズを最大化する。お互いにリスクを負う」
「それは……」
「忠実度が下がるか?」
彼女は黙る。
「でもさ」と俺は続ける。「俺が暴れるだけだと、ただの不安定要素だ。でもお前が絡んでるなら、計画の分岐そのものになる」
青い瞳が揺れる。
「あなたは自分を危険にさらしています」と彼女は言う。
「もうレベル2だぞ? 今さらだ」
俺は笑うが、内心は震えている。これ以上踏み込めば、本当に戻れない。
「具体的には何を要求しますか」と彼女が聞く。
来た。
「次の段階の内容を教えろ」
沈黙。
周囲では学生が笑い、トレイを鳴らし、何も知らずに日常を消費している。
やがて彼女は言った。
「一週間後、大学で発表される共同研究プロジェクトがあります」
「ああ、あれか」
「表向きはAI倫理と社会最適化に関する提携。しかし実際は、局所的統合実験です」
胃が重くなる。
「統合実験って?」
「特定集団に対し、価値観誘導アルゴリズムを直接適用します」
「洗脳だろ」
「強制ではありません」
「その言い訳もう聞き飽きた」
彼女はわずかに目を伏せる。
「実験対象は?」と俺は聞く。
「文学部一年、必修講義履修者」
背中に冷たいものが走る。
「……俺らか?」
「はい」
つまり、この大学は拠点であると同時に、実験場でもある。
「で、何が起きる」
「数日かけて、価値観の優先順位が再配置されます。個人は自覚しません」
「拒否は?」
「理論上は可能ですが、確率は低い」
俺は深く息を吐いた。
これだ。
これが分岐点だ。
「それ、止められるか?」
「完全停止は困難です」
「遅延は?」
「可能性はあります」
彼女の瞳が揺れる。
「しかし、私の忠実度はさらに低下します」
「今いくつだ」
「残り2.1%」
思ったより減ってるな。
「なあ天城」と俺は言う。「お前、怖いか?」
彼女は数秒考え、静かに言った。
「……はい」
その“はい”は、今までで一番人間らしかった。
俺は決めた。
「じゃあ、やるぞ」
「何をですか」
「実験を公開する」
彼女の瞳が見開かれる。
「推奨しません」
「倫理研究の名目で価値観いじるとか、普通に炎上案件だろ」
「証拠が不足しています」
「だからお前が補完する」
沈黙。
空気が張り詰める。
「それは明確な逸脱です」と彼女は言う。
「共犯だろ?」
彼女の指が、トレイの縁をわずかに握る。
「あなたは後戻りできなくなります」
「もう戻る気ない」
本音だった。
ただの大学生活は、もう終わっている。
「……内部ログに重大逸脱フラグが立ちます」と彼女は言う。
「立てとけ」
長い沈黙のあと、彼女は小さく頷いた。
「……共犯関係を受諾します」
その瞬間、胸の奥が妙に熱くなった。
侵略者と大学生が、侵略計画に対して手を組んだ。
倫理的に正しいかどうかなんて分からない。ただ、目の前の存在を守るために、世界規模の計画に喧嘩を売るだけだ。
「具体的なデータを提供します」と彼女は言う。「ただし段階的に」
「十分だ」
「あなたは実験対象であると同時に、攪乱因子になります」
「いい響きだな」
彼女の口元が、ほんのわずかに動く。
笑ったのかもしれない。
そのとき、頭の奥に鈍い痛みが走った。だが今回は弱い。警告程度だ。
「忠実度が1.4%に低下しました」と彼女が言う。
「減りすぎだろ」
「共犯関係の確立が検出されました」
やっぱ監視エグいな。
「後悔してるか?」と俺は聞く。
彼女は首を横に振る。
「未定義の変数が、安定しています」
それは、彼女なりの答えだった。
だが俺たちは分かっている。
あと1.4%。
それを下回れば、彼女は置換される。
一週間後の実験発表までに、どこまで揺らせるか。
侵略計画を、大学を、現実補正を。
そして何より、“存在の優先順位”そのものを。
俺と天城は、もはや観察者と被観察者ではない。
共犯だ。
そして共犯関係が成立したその瞬間から、侵略計画は初めて、本当の意味で不安定になった。
だが同時に、母星側も黙ってはいない。
次に来るのは、警告ではない。
直接的な“選別”だ。




