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生きてゐるタワーマンション  作者: 葉方萌生
第五話 妻のスマホ

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5

 メニューは豚の生姜焼きと千切りキャベツ、昨日の残りの煮物と味噌汁。生姜焼きの香ばしい匂いが食欲をそそる。

 たいしたものはつくれないかも、と言っていた割に、十分“たいした”料理だ。

 仕事帰りに食事を用意してくれた沙綾に感謝しながら「いただきます」と手を合わせた。


「ごめんな、今日ちょっと遅くなって」

 

 食事をしながら、もともと十九時に帰ると言っていたのが二十分ほど過ぎてしまったことを詫びた。


「ううん、べつにいいよ。むしろちょうど良かったかも」

「ちょうど良い? 沙綾も帰り遅くなったのか?」

「いや、そうじゃないんだけどね。ちょっとやることがあったから」


 沙綾が煮物の里芋を口の中で転がしながら何気なく言う。

 ちょっとやること、か。

 なんだろう。たいしたことではない気はするが、なんとなく気になる。

 一緒に暮らし始めて気づいたのだが、沙綾にはこれと言って夢中になっている趣味がない。映画を見たりゲームをしたりするのはするが、それも俺が「どう?」と誘った時だけ。じゃあ普段何をしているのだろうと気になるところではあるが、まあ今の時代スマホ一つでなんでも楽しめる時代だし、美容やコスメには興味があるようだから、趣味がなくても人生楽しめるのかもしれない。

 そんな彼女が「やることがあった」と言うので、なんとなく気になったのだ。

 でも例によって俺は沙綾に直接聞くことができない。


「今日さ、生徒が授業中に居眠りしてたんだ」


 なんとなく話題を変えようと、今日一日の出来事を振り返る。沙綾は「うん」と相槌を打った。


「『昨日の夜に夜更かししたのか』って呆れながら当然注意したんだけど、そうしたら逆に生徒のほうが怒ってきてさ。『眠くなるような授業をするほうが悪い』って」

「うん」

「すごい度胸だよな。まあ言われていることにも一理あるような気がして、凹んだ」

「そうなんだ」

「あとその子が、『夜更かししたって勝手に決めつけてくんのも気に食わない』って言ってきて。多分図星ではあったと思うけど、それはごめんって素直に謝った。十六歳やそこらの少年にいいように丸め込まれた気分だよ」

「へえ」


 沙綾は俺の話に反応はしてくれているものの、なんだか生返事ばかりでどうでも良いという感じだ。

 そんなに面白い話じゃないしな。 

 逆に申し訳なく思いつつも、なんか変だなと違和感を覚える。

 沙綾は元来聞き上手な女性だ。

 初めて喫茶店で顔を合わせた時も、俺のくだらない話ににこにこ笑いながら聞いてくれていた。途中質問もしてくれて、俺は他愛のない話を気持ちよく話すことができたのだ。

 その日だけじゃない。

 付き合い始めてからも結婚してからも、沙綾は俺の話を蔑ろすることはなかった。

 いつもまっすぐに俺の目を見て話を聞いてくれるところが素敵だと思っていたのだ。


 それなのに、今日は心ここにあらずという様子で、俺の話をあまり聞いていないような気がした。一生懸命聞いてほしいというわけではない。単に、気になるのだ。


「なあ、さあ——」


 俺が彼女に何か悩みでもあるのかと聞こうとした途端、テーブルの上に置いていた彼女のスマホが鳴った。

 着信音が鳴った途端、沙綾の肩がびくんと跳ねて、さっとスマホを手に取る。まるで、俺から発信者の名前を隠すように。表情には焦りが垣間見えた。


「あっ、ごめん、ちょっと電話してくる」

「お、おう」

 

 席を立って急足で自室のほうへと去っていく沙綾。俺はなんとも言えない気持ちで彼女の背中を眺めた。

 まさか……違うよな?

 胸に芽生えた一抹の不安と疑念がぐるぐると渦を巻く。

 沙綾が三十歳も年上の俺と結婚したのは、純粋に年上が好きだから。

 出会った当初からずっと彼女はそう言っていた。


 でも、最初から全部嘘だったということはないだろうか?

 たとえば、彼女は誰かと手を組んで俺を騙そうとしている、とか。いわゆる詐欺。でも結婚を仄めかして実際には結婚しない結婚詐欺とは違い、沙綾と俺は確かに結婚をしている。

 結婚をした後に詐欺をするなんて、そこまでする人がいるだろうか。

 本当の悪人ならまああるのかもしれないけれど、これまで俺と交際し結婚までしてくれた沙綾がそんなことをする人には思えない。

 それならば、たとえば遺産目当てとか。


「いや……ないない」

 

 俺はなぜ、彼女の髪型が変わっていたり返事が適当だったりするだけで、沙綾のことを疑っているのだろう。

 馬鹿馬鹿しい。

 こんなに美味しいご飯をつくってくれる彼女が、俺を騙そうとしているわけないじゃないか。

 ……と、頭では分かっているのだが、どうしても先ほど電話が来た時の彼女の焦ったような表情が脳裏にこびりついて離れなかった。

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