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生きてゐるタワーマンション  作者: 葉方萌生
第二話 エレベーター

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6

「今日のごはんは、なに?」


 宿題の話は終えて、光莉はくるりと私のほうを振り返って訊いてきた。


「酢豚だけど」

「分かった」


 あれ?

 まただ。

 酢豚は光莉が苦手な料理だ。周平が好きだから、こうして時々メニューにして出すのだけれど。普段なら、「えー! 酢豚かぁ」と唇を尖らせていたに違いない。


 不思議に思いつつ光莉を眺めていると、彼女はランドセルを丁寧におろして、中から作文用紙を取り出した。宿題をするつもりなのだ。文句も言わずにダイニングテーブル席に座り、黙々と鉛筆を走らせ始める。


「光莉」


 思わず、声をかけてしまった。光莉はぴたりと手を止めて、私に「なに?」と聞き返す。その声がどこか機械じみていて、背中に嫌な汗が流れた。


「作文、手伝おうか? てかお父さんに聞かないとダメなんでしょ」

「いいです。適当に書くので」

「はあ……」


 淡々と、しかも「いいです」だなんて不自然な敬語で答える娘に、なんだか気味の悪ささえ覚えた。


 学校で何か教育でもされたんだろうか。宿題は文句を言わずにちゃんとやりましょう、的な。

 いや、そんな注意を受けたところで、もう六年生の娘が素直に従うかしら。

 不思議に思いつつ料理をしていると、今度は中二の息子である周平が帰ってきた。


「ただいま」

「おかえり、今日部活は?」

「休みです」

「え、休み?」


 休みだとは聞いていなかったし、「休みです」というこれまた不自然な敬語にも違和感を覚えた。


「今日の夕飯、酢豚よ」

「そうですか」


 え、なにこのあっさりとした反応は。

 いつもなら小さな子どもみたいに「よっしゃー」と喜ぶところなのに。

 光莉も周平も、なんだか変だわ……。

 

 周平はすぐに自室へと行き、光莉も作文を書き終えたのか、ランドセルに作文用紙を入れて部屋へと戻っていく。私は、光莉に声をかけようか迷ったが、すっと伸びる背中を見ていると、なんだか怖くてできなかった。



 その日の二十時、仕事から帰ってきた夫に、今日のエレベーターでの出来事を伝えてみた。


「……ということがあったんだけど、なんでだと思う?」


 ネクタイを緩めている最中の夫は、「ん?」と話の要領が掴めない様子で「どういうことだ?」と再び尋ねてきた。


「だから、エレベーターの電気が突然チカチカってなって、なんか人の声みたいな音? が聞こえたの」

「ええっ、なにそれ、気のせいじゃないのか」

「気のせい」

 

 そう言われたら、もうそうとしか頷けなくなってしまう。でもあれは決して気のせいなんかじゃなかった。深く考えると沼にはまりそうだったので、気のせいということにしておいたほうが無難なことは、頭では分かっている。


 でも……と、頭の中でもう一人の自分が問いかける。

 あれは本当に気のせいだったの?

 違う。気のせいなんかじゃない——はずなのに、夫はこの件でこれ以上議論しようとは思っていない様子で「飯は?」とキッチンのほうを見つめていた。


「ああ、あるわよ。酢豚。周平の好物なのにいつもみたいに全然テンション上がってなかったし、光莉なんて淡々と食べ始めてびっくりしたわ」

「ふうん。そんなこともあるんだな」


 夫は、さも関心がなさそうに相槌を打つ。仕事で疲れているのはよく分かるのだが、もう少し真剣に話を聞いてほしいものだ——と口から文句が出そうになるのを堪えた。


「美雪、さっきの話だけどさ」


 ジャケットをハンガーにかけた夫が、彼の夕飯の準備に取り掛かる私に声をかけた。


「ちょっと家事で滅入ってるんじゃないか? たまには外に出かけてみたら?」

「外に? まあ、そうねえ」


 夫の言う「外に」というのは、普段のスーパーでの買い物なんかは含まれていない。きっと、友達とお茶をしたり好きなものを買い物したりすることを指しているのだろう。


「考えてみるわ」


 夫は、「とりあえず悩める妻にリフレッシュを提案する良い夫」を演じたいだけなんだろう、と彼の魂胆が分かってしまった。

 まあそれでも、まったく心配してくれないよりは全然ましだし、外で毎日大変な仕事をして稼いでくれる夫には本当に感謝している。

 あまり卑屈になりすぎずに素直に言葉を受け取ろう……と、私は外出について考え始めていた。

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