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生きてゐるタワーマンション  作者: 葉方萌生
第一話 おひとりさま満喫

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12

 それから、二週間が経った。

 幸い、俺はまだ「調整」されていない。でも、1403号室の前を通り過ぎる際、圭介が言っていたように、部屋から底知れぬ気配を感じるようになった。

 部屋が、笑っている。

 いや、怒っている。

 そうかと思えば、泣いている。

 しかも、以前1403号室に住んでいた渡辺さんと、三十代ぐらいの男女の声、さらに男の子の声が混ざり合っているように聞こえて、背筋に悪寒が駆け抜けた。


 1403号室に住んでいた住人たちが、部屋にいろんな感情を残しているとでも言うのだろうか。

 それとも、本当はまだ1403号室の中に、引っ越した人たちが潜んでいる——なんて、馬鹿馬鹿しい妄想が頭の中で繰り広げられる。


「馬鹿なことを」

 

 そんな非現実的なことが、起こるはずない。

 頭では全力で否定しているのに、心は「そうではないか」と肯定するほうへと傾いてしまう。それもこれも、エントランスで見た「調整完了のお知らせ」の貼り紙のせいかもしれなかった。



 そして、六月三十日の今日。

 俺は、毎日のようにドンドンッと上下左右の部屋から聞こえてくる音に、耳を塞いで閉じこもっていた。

 いつからだろうか。

 耳鳴りのように響く音は、360°どこからでも聞こえてくる。もはや、上下左右の部屋から発せられている音なのかも、判別がつかない。それはまるで、建物の怒りという渦の中に放り込まれているような感覚だった。次第に息苦しさが増して、思わず窓を開けようとする。


 でも、どういうわけか窓が開かない。

 単純にクレセント錠が閉まっていただけなのだが、騒音に頭が鈍っている俺は、そんな簡単な答えにさえたどり着かない。


「クソッ!」


 ついむしゃくしゃして窓を殴る。拳が真っ赤に腫れたけれど、痛みは感じない。

 

「もう、開けてくれよっ! うるさいんだよ」


 今日も朝早くから仕事をして疲れて帰ってきたのに、安らげるはずの部屋でどうしてこんなに精神を蝕まれなくてはいけないのか。

 理不尽な想いに身体が粉々になりそうな感覚に襲われつつ、窓をバンバンッと叩き続ける。


 ドンドンドンドンドンドン


 止まらない騒音。重たいもので床を殴っているような音だ。いや、床じゃない、壁か。分からない。天井から、床の下から、左右の壁から、音が止まらない。


 ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン


「んああっ」


 両手で両耳を塞がなければ耐えられそうになかった。

 俺はこのまま一生耳を塞いでここで過ごすのだろうか——馬鹿げた考えだとは分かっていても、恐怖心が止まらない。三角座りをして部屋の隅に座り込む。手にはスマホを握りしめて、ガクガクと震えながら。


 やがて恐怖で耳が音を“音”として認識しなくなったころ、ふっと突然、騒音が途切れた。


「終わったのか……」

 

 バクバクと鳴っていた心臓が一気に萎んでいくような感覚がした。が、次の瞬間、再び心臓が縮み上がった。


 ピンポーン


「な、なんだよ……」

 

 今度はなんだ。また1403号室の人が引っ越しの挨拶にでも来たというのか。いやでも、そんなのおかしい。だって、前回男性が挨拶に来てから、まだ二週間しか経っていないじゃないか。さすがにちがうはずだ。

 じゃあ、一体誰が——。


 三角座りを解いて、おそるおそる立ち上がる。足は信じられないぐらい震えていて、モニターまで行くのに震えが止まらない。

 嫌な予感がする。

 全身が拒否反応を示す中、再びインターホンが鳴った。


 ピンポーン


 たまらなくなって、身体を掻き抱く。息を殺してモニターの前まで進むと、そこには——誰も映っていなかった。


「……いたずらか」


 なんとか頭の中で、一番まともな想像を“正解”にしようと試みる。普通なら、いたずらされたら嫌な気分になるものだが、今は“それ”が人為的なものだと思いたかった。

 だが、そんな俺の努力も虚しく、再びピンポーンという不気味な音が鳴り響く。


「だ、誰なんだよ……!」


 モニターには誰も映っていないのに。どうしてインターホンが鳴るんだっ。

 とてもじゃないが、玄関まで行く勇気がない。


 俺はただ、タワマンでの新生活を謳歌したいだけなのに、なぜこんなことが起こっているんだ——。

 頭の中で、ふとこのマンションに住む前に目にした広告の一文が浮かんできた。


“このマンションは住民を学習します”


「住民を……学習……」


 あの時はよく考えもしなかった一文だが、考えてみればおかしな一文だ。


「学習ってどういう……」


 モニターの前から一歩、二歩、と後退りながら、スマホに視線を移した。以前、新居祝いで遊びに来てくれた友達の顔を思い浮かべながら、彼とのトーク画面を開く。

 震える指で、メッセージを打ち始めた。

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