悪妹を殴ったらストーリーが変わってしまった
私が、小説『かわいそうなお嬢様』のシャルロッテ・ルチアに転生したと気づいたのは、十歳の誕生日に父が再婚したことによって血の繋がらない妹ができた時だった。
シャルロッテは、よくあるシンデレラストーリーを貫く主人公だった。本の題名どおり、かわいそうな人生を歩んできたお嬢様のシャルロッテに与えられるハッピーエンドの物語。
幸い、物語の中でも良いキャラに転生できた私は、血の繋がらない妹からの嫌がらせに数年間耐え、与えられるハッピーエンドを待てば良いだけだった。
いや……数年間もそんな屈辱に耐えれるわけないでしょ?
『エレニカにちょうだいっ、エレニカのものだもん! うああああっ!』
『いい加減にしろ! この癇癪娘!』
わたあめみたいなピンク色の頭を殴ったこと、目を丸くさせてピタッと泣き止んだエレニカのマヌケな顔は、今でもすぐに思い出すことができる。
今思えば、あの時からだったと思う。
私とあの子の関係が歪み始めたのは……。
「シャルロッテ様は、妹君ととても仲がよろしいのですね」
学園の中庭。柔らかな風に茶色の髪を揺らしながら、マリアローズは穏やかに微笑んだ。
「うーん、特別仲が良いわけではありませんよ。どちらかと言えば悪い方ですし」
「そうなんですの? では、先ほどからあちらで熱心にこちらを見つめていらっしゃるのは一体……」
「えっ?」
マリアローズ嬢が指さす方向に目を向けると、そこには大きな樹木があった。
その陰から覗く、わたあめみたいなピンク色の髪。
「確かに、あれは妹のエレニカですね……」
「シャルロッテ嬢に何か御用があるのでは? わたくしのことはどうぞお気になさらず、行ってあげてください」
「ごめんなさい、マリアローズ嬢。ちょっと行ってきますね」
そう言って私はベンチから立ち上がると、バレていないとでも思っているのか木の陰で隠れる愚かな妹を睨みつけた。
ビクッと身体を震わせたエレニカは慌てた様子だったが、逃げ出すことはなかった。それどころか、遅いとでも言いたげな目で私を見つめてくる。
「一人で何してるのよ、エレニカ。友人はできたの?」
「……いらないもん」
「いらないって、どうして。せっかく学園に入学して来たんだったら、ちゃんと……」
「いらないったらいらないの!」
エレニカが学園に入学してから約一ヶ月。
小説の中のエレニカは、その愛らしさと甘い言葉で数多くの取り巻きに囲まれていた。しかし、今のエレニカは、学園でいつ見かけても一人で居ることが多かった。
「そう、それじゃあ勝手にやってなさいよ。私に付き纏ったりしないで、鬱陶しい」
「…………」
「友人を待たせてるから、私はもう行くわ」
「あっ……」
最後、エレニカが何かを言いかけていたような気がするが、私は構わず足を進めた。
私を地獄に突き落とすはずの子。
今更、この世界の主人公が自分だとは思わないけど、私の人生に何らかの影を落とす存在に変わりはないから。
できる限り、関わりたくないというのが本音だ。
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「今夜開かれる学園創立記念パーティーで、よければ僕のパートナーになってくれないか?」
「喜んで! 貴方以外に私を誘ってくれる相手が思い当たらなかったから助かったわ」
「君は本当にお世辞が上手だな、シャルロッテ」
まあ、本当は貴方が誘ってくれることを分かっていたから他の人からの誘いには断りを入れていたんだけどね……。
小説のシャルロッテと結ばれた男主人公ユリウス王子。
物語に従って生きるつもりがさらさらなかった私にとって、関わることはないと思っていた相手だったが、さすがは主人公とでもいうべきか。聡明な彼と話すのは実に楽しくて、物語通りとはいかなくとも、異性で最も親しき相手となっていた。
しかし、ここで一つ、問題が浮かび上がってくる。
学園創立記念パーティーにユリウスと参加すること自体が問題なのではない。問題なのは、今年から学園に入学してきたエレニカが本当に面倒なことを仕掛けてくるということ。
さてと、あの面倒な小娘をどうしたものか……。
「はあ……」
「あら、どうされましたの? そんなに大きな溜息をつかれて」
向かいの席から、心配そうに声をかけてきたマリアローズ嬢。
「ごめんなさい、ちょっと嫌なことを思い出して……」
「そうだったんですのね。ところで、シャルロッテ嬢は学園創立記念パーティーのパートナーはお決めになりましたか?」
「ええ、ユリウス王子と一緒に行くことになりました」
「まあ……それは良いお相手をお見つけになりましたね。当日、お二人のお姿を拝見できることをとても楽しみにしていますわ」
「私もマリアローズ嬢に会えるのを楽しみにしています」
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学生たちがパートナー同士手を取り合い、楽しそうに会話を交わしたり、ダンスを踊ったり、美味しい食べ物を食べたりしている中。私とユリウスも、皆に揃ってダンスを踊った。
軽やかな音楽に身を委ねながら、視線を巡らせたその時。ふと目に入ったのは、会場を一人で歩くエレニカの姿だった。
華やかな装いの学生たちの間を縫うように、ぽつりと浮いたその姿。誰かと談笑するでもなく、手を取る相手もいない。ただ周囲を見回しながら、あてもなく歩いているように見えた。
まさか、パートナーを決めずに来たの? 一人ぼっちで? 近くに友達も見当たらないし。まったく、あの子ったら本当に……。
「シャルロッテ?」
「え? あっ、ごめんなさい。ちょっとボーッとしちゃって……」
「人混みで疲れたのだろう。飲み物を持ってくるから、ここで待っていてくれ」
ユリウスはそう言うと、人混みの中へと姿を消していった。
残された私は、音楽と喧騒の中心に立ちながら世界から切り離されたような感覚を覚えた。
胸の奥に言葉にできない違和感が浮かぶ。なぜか、嫌な予感がゆっくりと形を持ちはじめていた。
「ごきげんよう、シャルロッテ嬢」
不意に掛けられた声に振り返ると、そこにいたのはローズマリー嬢だった。
「ローズマリー嬢。挨拶に行こうと思っていたのですが見当たらなくて、こちらにいらしたのですね」
「たった今到着しましたの。それで、入り口でシャルロッテ嬢の妹君とお会いして、こちらをお預かりしましたわ」
「エレニカからですか? 一体何かし……キャッ!」
「な、なによ、これっ!」
私とローズマリー嬢の悲鳴が会場に響き渡る。
あまりの突然の出来事に、私の頭は真っ白になった。
ローズマリー嬢が差し出したそれを受け取ろうと反射的に手を伸ばしたその瞬間、私の指先が触れるよりも早く、ビリリッと乾いた音とともに青白い閃光が弾けた。
小説でのシャルロッテは、エレニカから食事に薬を仕込まれていた。
生死を彷徨うようなものではなく、くしゃみが止まらなくなるという悪戯じみた嫌がらせだったが、小説の内容を知っていた私はそれに備えて私に害意を向けるモノすべてに反応するよう知人の魔法使いに頼み込んで魔法具を用意した。
『この水色の石が赤になったら警戒なさってください』
『そんなに簡単な方法なの?』
『クシャミが止まらなくなる薬なんて一時的なものですから。ただ、身体的障害を及ぼすものが接近した場合は石がはじけ飛ぶようになっております』
「石が……」
ブレスレットの破片が私の足元で光を放っている。
水色だったはずの石は赤黒く変色し、粉々に割れていた。
その後、突如起きた騒動は、教師たちが総出で対応することで何とか収拾がついた。
会場は騒然とした空気を残したまま、早々にお開きとなり、学生たちは半ば強制的に解散させられた。
私とマリアローズ嬢、そしてエレニカの三人は、学園長室へと呼び出された。
豪奢な応接室。重厚な机と、壁一面に並ぶ歴代学園長の肖像画が無言の圧を放っている。
「それでは、マリアローズさん。貴女からお話を伺いましょうか」
学園長の淡々とした声に、マリアローズ嬢は姿勢を正し、すぐに口を開いた。
「はい、学園長。わたくしは皆様より少し遅れてパーティー会場に到着いたしましたの。そこでわたくしを出迎えたのがエレニカ嬢でしたわ」
「わ、わたしは……!」
「エレニカさん、貴女の発言を許可した覚えはありませんよ」
「……申し訳ございません」
教師の冷たい一言に、エレニカは怯えたように肩をすくめて視線を床に落とした。
「会場で会ったエレニカ嬢に、姉上であるシャルロッテ嬢に渡して欲しいものがあると頼まれましたの。それをそのままお渡ししたら、突如あのような光が……。学園長、わたくしはただエレニカ嬢から預かったものをシャルロッテ嬢に渡しただけです。それより、そろそろ自室に戻ってもいいですか? 夜も遅いことですし」
そう言って、わざとらしく一つ欠伸をする。
それから、心配そうな表情を作って、私に視線を向けた。
完璧だ。彼女の証言に、矛盾は一切ない。
実際に、二人が会話していたという証言もある。
「エレニカ」
私は静かに名を呼び、彼女の前へと進み出た。
「わたしは、わたしは何もやってません……」
マリアローズ嬢は学園内でも評判の良い令嬢で、私の友人。
一方でエレニカは、血の繋がらない妹で、以前から不仲が知られている存在。
状況だけ見れば、疑われるのは――どう考えても、エレニカだ。
……でも、私くらい信じてあげなくちゃね。
「マリアローズ嬢、左腕の袖を捲って頂けますか?」
「……はい?」
「私が着けていた魔法具には、悪意を向けた対象者に印が付くようになっているんです。もちろん、一時的なものにはなりますが」
「何を仰るのですか、シャルロッテ嬢。わたくしたちは、お友達でしょう?」
「もちろんエレニカから先に確認しても構いませんが、自分が無実だと仰るのなら見せていただけますわよね? 私たち、お友達ですから」
ごく普通に、落ち着いて笑みを浮かべたまま私がそう言うと、マリアローズ嬢の顔色がみるみるうちに血の気を失っていった。そして彼女は力なく膝を折り、その場に座り込んだ。
「学園長? もうこれで十分ですわよね。後の始末は任せますが、処分が足りないと判断した場合は私もそれなりに動かせていただきますので」
「もちろんです。ふう……全く、我が学園でこんなことが起きるなんて前代未聞です。マリアローズさん、分かっていますね?」
「わたくしはただ、ユリウス王子の気を引くシャルロッテ嬢が羨ましかっただけで……! ただの気の迷いなんです!」
「マリアローズ嬢、そういうのは別にどうだっていいんですよ。恐らく、もう二度と私たちが顔を合わせることはないと思うので、最後に挨拶しておきますね。今まで友人として仲良くしてくれてありがとうございました」
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「お姉さまには見せないようにしてたみたいだけど、彼女のお姉さまを見る目、いつも怖かったの」
それじゃああの時、エレニカが見つめていたのは私ではなく……その隣に居たマリアローズだったのね。
「それにしても、お姉さまったら甘すぎるわ。昔、わたしにしたようにマリアローズのことも殴ってやればよかったのに……」
「手を出すほど怒るってのは悪い部分を直して欲しいからなのよ、バカなエレニカ。彼女のことはどうだっていいのよ」
腕を組み、早足のまま庭園へ続く小道を進む。エレニカは、私と歩みを合わせるように足を進め始めた。
「どうして付いてくるの? 離れて」
「お姉さま、寮に戻らないの?」
「疲れたから、少し庭園で風に当たりたいの」
「じゃあエレニカも一緒に行く」
「嫌よ、付いてこないで。大体、どうしたのよ? 最近いつも付きまとってきて、何がしたい………エレニカ?」
「だって、エレニカにはお姉さましか居ないんだもん」
足を止めて振り向くと、エレニカが下唇を強く噛みしめて大きな瞳から涙を溢れさせていた。
「何……泣いてるのよ」
「わたしとお姉さまは、血が繋がってないから」
ぽろぽろと、言葉と一緒に涙が零れる。
「いつかお姉さまが結婚して家を出ていったら、もしお母様がお父様の関心を得れなくなって離婚しちゃったら、わたしとお姉さまを繋ぐものは無くなっちゃうでしょ」
誰に吹き込まれたのか。
あるいは、誰も否定してくれなかったのか。
「そうしたら、お姉さまはわたしのお姉さまじゃなくなっちゃうんでしょ?」
誰がこの子を、ここまで幼い不安に縛り付けたのか。
誰がこの子をこんなにも幼く変貌させてしまったのか。
たった一回の私の殴りがそんなに効果的だったのかは分からないけど、私たち姉妹の未来に強い影響を与えたのは確かなことだった。
「バカな私の妹。あんたに私しか姉が居ないように、私にもあんたしか妹は居ないのよ。たとえ、愚かなお父様が新しい妻を迎えて連れ子が来たとしても、あんたが私の妹だってことに変わりはないの」
私はふと、長年思い返していなかった前世の記憶を思い出した。『かわいそうなお嬢様』を読んで、とても不可解な気持ちになった時のことを。
異母姉妹。ルチアの血が一滴たりとも入っていないエレニカにとって、ルチアの名を背負って生きることはとても困難なことだったんだろう。
実の娘、正しきルチア家の血を引くシャルロッテよりも自分に関心を引くために必死だった。
もちろん、他に正しい選択があっただろうけど、エレニカは幼くておバカな少女だったから、分からなくても当然だったのかもしれない。
自分のことに精一杯で運が良かったシャルロッテも、不安定な地面に必死に立とうとしていた愚かなエレニカも。二人とも、幼い子供に過ぎなかったから。
「そろそろ風が冷たくなってきたわね。帰るわよ、エレニカ」
「ま、まって! お姉さま!」
そして、少しだけ大人な私には分かるの。あんたがまだ不安定なままの子供だってこと。
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2.3時間で書き上げたのでミスがあればすみません!妹新鮮で書いてて楽しかった




