偽物王女は死にたくない
……宮中には口にしてはならないことがある。
「王女様は、本当に王の子なのか」
灰色の髪、マリンブルーの瞳を持つセシリア・オルレアン王女。
国王陛下は黒髪赤眼、王妃様は金髪に淡い桃色の瞳。王太子殿下も金髪赤眼。それどころか、歴代王族の誰にも、灰色の髪やマリンブルーの瞳だったものはいない。
亡くなった王妃様の不貞ではと囁いた者は処刑された。しかし、育っていくにつれて、王女が誰にも似ていないことは浮き彫りになっていった。
王妃様を溺愛し、心から信頼していた陛下は、王女を憎んだ。目障りで仕方がなくて、目に入れようともしなかった。
なぜ王女は似ていないのか、それは闇の中である。と、誰もが思っていた。
王女本人……そう、私一人を除いて。
*
自分が本物の王女ではないと知ったのは七歳の時だった。城内の奥の部屋に閉じ込められて、必要最低限のこと以外は放置される日々。誰一人味方はいなくて、物を壊したり、嫌がったり、色々な悪行を繰り返して人を引き留めようとしていた。先生から怒られるのも、乳母の折檻すらも嬉しかった。
『悲惨だなー。これならオレが勝てそう』
そんな日々の中で、突然妖精が現れた。何かいると言っても何も見えないと言われ、使用人たちはついに狂ったのだと囁いた。でも、私には見えていた。彼は宙を自由自在に舞いながら笑っていた。
これはいたずらなのだと。平民の子と王族を取り替え、どちらが幸せになるかで賭けをしているのだと。
妖精はそれだけ告げて消えた。
言われて私が思ったことはただ一つ。
どうして私なの!!
だった。これまでの冷たい感情が溢れ出て、変に冷静になった。妙に大人びたとも言う。
まず悪行をやめた。本当に王女じゃないなら、愛されなくても、世話をされなくても当然だと人を頼らなくなった。誰にも何も求めなくなった。今までのハンデを取り戻すように真面目に勉強した。先生や乳母は自分の評価が上がると喜んだ。
次に部屋から脱走した。放置されすぎていたことが幸いして、ちゃんと次の予定までに戻っていれば、部屋にいなくても気づかれなかった。色々なところに忍び込み、情報を集めた。妖精とは魔法を使い、時には人を弄び、時には栄えさせる存在らしい。地域によっては妖精信仰まであるのだとか。けれど、前回の観測から数百年が経っており、今や童話のような存在になっている。だから、誰も妖精のいたずらだとは気づかず、王妃様の不義として囁かれてしまったのだと。そして、陛下は……。私の置かれている状況を、改めて理解した。
そうしていくうちに気づいた。もし私が偽物だとバレたらどうなるか。私は内情を知りすぎている。目障りな私を存在ごと消せる大義名分を得て、陛下は喜んで私を処刑するだろう。
そんなの絶対にごめんだ。勝手に取り違えられて、嫌われて、最後は殺されるなんて私はなんのために生まれてきたのかわからない。
どうすればいいのか考えた。考えた末に思いついた。
……殺したら困るようにしてしまえばいいのだ。
真実を知った三年後、偽物王女が政治について学び始めた。先生は冷笑し、乳母ははしたないからやめろと言った。しょうがないから人目を忍んでこっそり学んだ。
けれどいくら学んだとて十歳は十歳。執念にも限界がある。ひとつにつまずけば、あとはもう駄目だった。どれだけ頑張っても頭に入らず、焦って、また詰め込もうとして余計わからなくなって。
「……っ!」
しまいには知恵熱を出して寝込むことになった。
────そして、夢を見た。
私と取り換えられた本当の王女様。王妃様にそっくりな見た目のアンナ。彼女はのどかな村で、子供らしくのびのびと育っていた。友達と喧嘩しても、お母さんに涙を拭いてもらって、お父さんに頭を撫でてもらって、二人に抱きしめられてから仲直りをしに行く。
私を生んだお母さんは金に近い茶髪で、私と同じ青色の瞳を持っていた。お父さんは、同じグレーの髪と、ピンクに近い赤い目だった。アンナは二人から生まれてきてもおかしくない見た目だし、両親は自分の子供だと信じ愛していた。
同じく取り違えられたのに、なんでこんなに差があるんだろう。
どうして、私だけこんな目に遭っているんだろう。
目が覚めて、涙が止まらなかった。妖精のいたずらで、これは現実なのだとわかってしまった。
無表情のまま涙を垂れ流しているからか、お医者様が呼ばれた。今まで泣き叫んでも散々侮蔑の目で見てきたくせに。お医者様は呪いかもしれないと言った。よく水分を取って経過をみることになった。私はそんなことではないと知っていたから、勉強を続けた。
涙は何の役にも立たない。私は彼女のように拭ってくれる人なんていない。
しばらくは書物が濡れて最悪だった。
ある夜にノックもせずに人が入ってきた。手元の電気を消し、急いで本を隠す。そこにはお兄様……いや、目を見開いて驚いているジルベール王太子殿下がいた。
窓から落ちる月光に照らされて、王妃様譲りの金髪が煌めいていた。
「……君が、僕の妹かい?」
「はい、セシリアと申します。殿下」
慌てて起き上がって、カーテシーをする。ちゃんと、王族らしくできているだろうか。先生には文句なしの出来だと言われているけれど、人にしたことはないからわからない。顔を上げるように言われた。
「……随分と頑張って勉学に励んでいるようだね」
殿下の視線の先を振り返ると、めくれあがった布団から本が見えてしまっていた。
自分の立場を脅かそうとしているように見えただろうか。殿下が私をどう思っているかの情報はなかった。でも本当は私を殺したいくらい憎んでいたならば……。
「大変申し訳ございませんっ! 王国の太陽であられます次期国王陛下、私は必ずや貴方様のお役に立って見せましょう。ですからどうか……」
伏して反応を窺う。赤い瞳には、怯えた私が映っていた。殿下が手を少し上げて、それで……。
「……ごめんね」
ふわっと、私の頭の上に置いた。そうして優しく撫でた。人から撫でられたことなんて記憶になくて、じんわりとした温かさと感覚に驚いて言葉が詰まった。
「いえ、殿下が謝るようなことは何ひとつ……」
「ううん。僕が、悪いんだ。初めて会ったようなものだけど、僕の話を聞いてくれるかい?」
殿下は私に立つように促して、一緒にベッドに腰かけた。そして仰った。
自分が妹を欲しがったせいで、王妃様が死んだのだと。生きていればきっと家族の形は変わっていたのだろうと。それを直視するのが恐ろしくて、私を見て見ぬふりをしていたのだと。
「でも、涙が流れ続けていると聞いてね。今更、重い腰を上げた臆病者だ。……もう大丈夫なのかい?」
「お気遣いありがとうございます、殿下。ご安心ください、やっと枯れてくれたようなの、で……?」
殿下は顔を歪ませて、私を抱きしめた。人に包まれるって、こんなに温かいのかと思った。
「こんな兄だけど、殿下じゃなくてお兄様と呼んでほしい。これからは、僕が守るから。涙が枯れることを喜ばせなんてしないと誓うよ」
「セシリアは、母上の娘で、僕の妹だ。母上も、月明かりで本を読んでいらっしゃった」
なんて言えばいいのかわからなかった。今まで一番欲しい言葉だったはずなのに、王妃様と同じことをしていたのは偶然で、私は取り替えられただけの、偽物だと知っていたから。
お兄様はまた明日と言って部屋を出て行った。私はおやすみなさいと言って、勉強を続けた。
次の日の昼過ぎのことだっただろうか。乳母が血相を変えて入ってきて、食堂での夕食に呼ばれたことを伝えてきた。昨日の今日で驚いている間に、風呂に入れられた。私に着せられるものがなくて、乳母はとても焦っていた。なんと言ってもドレスを盗んで売り捌いていた張本人だったから。
「面を上げろ」
それでもどうにか身なりを整えて、食堂で首を垂れたものの、陛下は私を見て、眉を顰めた。王妃様に似ていないのを再確認して嫌な気分になったのだろう。
「おい、そこではない」
なるべく息を殺してやり過ごすしかないと、末席に座ろうとしたところで呼び止められる。長いテーブルの前の方……お父様の横、お兄様の目の前に座らされて、血の気が引いた。
「セシリア、勉強は順調かい?」
肉を切る幅を間違えるだけでも、不敬罪で死ぬのではないかと気が気じゃなかったところに、お兄様がにこやかに笑って話しかけてくる。
「え、ええ。その、概ね順調です」
「わからないところがあったら、教えるから教科書を持っておいで」
教えると言われても、部屋を出てはいけないわけで……とまたも曖昧な笑みを返すことしかできない。人生で一番気まずい食事の中、陛下は私を見ては何かを考えているようだった。
「……おい」
「は、はいっ」
食後の紅茶が出されたところで今まで黙っていた陛下が口を開く。背筋が伸びた。
「なぜそんな服を着ている。金は十分割り当てているはずだが」
よりにもよって一番聞かれたくないことを聞かれる。
乳母たちが盗んで着るものがないからです、と正直に言えば責任を取らされて私の首が飛ぶだろう。
「……申し訳ございません、陛下。できる限り良い物を選んできたのですが」
審美眼がないということで誤魔化した。実際できる限り良い物を選んできたのだし、嘘ではない。
顔色を窺っていると、お父様はまた苦い顔をしていた。
「その、なぜ、俺は陛下で、ジルベールは兄なんだ」
「え……。そうお呼びするよう言われましたので」
予想外なことを言われ、つい驚いた声が出てしまった。てっきり、王族として恥ずかしいとでも言われるかと思っていたのに。
「服の件は調べさせてもらう。……あと、俺も父と呼べ」
「わ、わかりました。お父様」
結局誤魔化せていなかったことを悟り、数日間殺されないか怯えて生きていたのだけれど、なぜか乳母やメイドが解雇された。食事の時にそのことを告げられて、そこまでしなくてもと言ったけれど、お父様は「殺さないだけマシだ。そういうところがあいつに似てどうする」とため息をついていた。違います、私が本当の王族じゃないからです、と言えないのが歯痒かった。
「……お父様は急にどうなさったのでしょうか」
「うーん、まあ色々と話したからね。でもねセシリア、父上は確かに容赦がないけれど身内には優しいんだ」
食事後に勉強を教えてもらっていた時、お兄様はそう教えてくださった。でも、私は身内でないのだから、示しがつかなかったからだろうと思った。
「……セシリア、すまなかった」
数か月経ったある日、お父様がそう仰った。奥の部屋に閉じ込めているものの、割り当てたお金でいい暮らしをしているのだと思っていたらしい。
「何か欲しいものはあるか?」
滅相もないと返したけれど、お父様は何でもいいと仰る。なんでもいいのなら……。
「王族として相応しい教育を受けたく存じます」
私は正しく王女として扱われるようになった。その立場を有効活用し、学んで、社交界に出て、とにかく王女としての立場を確かとした。私の名が書かれた書類は数知れず、偽物だと知られたとしても、殺してしまっては困るように。
「セシリア、おいで。努力家なのはセシリアの良いところだけど、そんなに根を詰めていては疲れてしまうよ」
「兄様、しかし……」
「僕がセシリアとお茶がしたいんだ。手伝ってくれるかい?」
兄様は私をよく褒めた。私の血統を疑う侯爵令嬢を学力テストで黙らせた時も、他国との会食で毒を見抜いた時も、私の不正を疑わず、真っ先に賞賛した。うまくいかなくて辛いときにはなぜか側にいて、励ましてくれた。あの日から、ずっと私の味方だった。蔑まれるグレーの髪を綺麗だと言って、青い瞳を海のようだと微笑んだ。兄様が私を妹として気をかけてくれるたびに、嬉しくて、偽物である罪悪感で胸が痛かった。私のものじゃなくて、本当の王女様に向けられるはずだった愛だから。
それからもずっと、努力して、お父様と兄様と食事をして、王族として年中行事にも出席して、それで……。
「十八歳の誕生日おめでとう、セシリア」
「兄様……ありがとうございます」
気が付けば、奥の部屋に閉じ込められていた生活は遠い昔の事になっていた。
「この間の草案はよかった」
「勿体なきお言葉です、お父様」
今や宮中での私を疑う声は少なくなり、兄様を支える聡明な王女、他国に嫁に出せば寵妃になるだろうと支持する声の方が多い。それもこれも、お父様が私を認めてくださって、兄様が私の兄様でいてくださるおかげだ。
「……帝国との交流についての話はどうなさるのでしょうか?」
「セシリアを嫁にとかいう失礼な話の事かい? 渡さないに決まってるだろう?」
「心配しなくとも、やらんと送り返してある」
他国に嫁に行ってしまえばよりバレにくくなるのだし、私としては受けても構わなかったのに……。お父様と兄様のあまりに恐ろしい顔に何も言えない。近頃、やっと兄様の妹愛が少々過激なことに気づいた。これを本物の王女様……アンナはどう受け取るのだろう。
「セシリアよりもジルベールの方が先だ」
「セシリアのような令嬢がいれば考えますよ。……セシリア、生誕祭のお祭りを見に行こう」
「いえ兄様、私は仕事を……」
「これも仕事だ。行くぞ」
いくら名声を高めたところで、髪も目も色は変わらない。けれど、そう言われてしまえば行くしかなかった。民との交流は王族の責務。馬車の中から手を振って、時折広場に降りる。そうしてお祝いの言葉や花束をもらって、私も民の幸せを祈る。
「王女様、おめでとうございます」
「ええ、ありが……」
目の前の彼女の淡い金糸と桃色の瞳が揺れた。彼女の後ろから現れた本当の両親は、私の顔を見て絶句する。
ああ、嘘。なんで……王都のお祭りになんて来ているのよ。
「セシリア、どうかしたのかい……っ!」
隣の兄様の声が少し、遠い。
時が来たのだろう。いたずらの、種明かしだ。
「これは……どういうことだ」
お父様の戸惑った声なんて初めて聞いた。
大丈夫、今まで頑張ってきたんだもの。お父様は、兄様は、私を殺しはしないはず。でも……。
このまま、幸せになれるかもしれないと思った私が馬鹿だった。
目の前が真っ暗になって、そのまま意識を失った。
次に目を覚ました時、父は憔悴し、兄はおかしくなっていた。
「目が覚めたか……」
「セシリア、よかった。本当によかった」
二人してベッドを囲むように側にいた。そんなに絶望したような顔をして、どうしたのだろう。やっと本当の娘や妹に会えたはずなのに。
私は死刑ではありませんか。私の処罰はどうなっておりますか。
そう聞きたくても、頭がぼんやりして、瞼が落ちてくる。
「セシリア、何も心配しなくていいよ。ゆっくりおやすみ」
兄様の優しい声にそのまま目を閉じた。
しばらくは起きて少し動いては倒れて休むことを繰り返していた。国一番のお医者様が言うには、酷いショックと長年の心労によるものらしかった。
でも、起きるたびに兄様が飛んでくるものだから、状況についてはよく知れた。
本物のアンナは王族の一員としてもう王女の教育を受けているらしい。家族も使用人として召し上げられ、今もなお仲良くやっているのだと。
「セシリア、一緒にお茶でもどうだい?」
「兄様……殿下がよろしいのでしたら……」
「他人行儀な呼び方はやめてくれと言っているだろう? セシリアが家族であることは何も変わらないんだから」
最近は眠ってしまうことも少なくなって、これで偽物の私は幽閉されればハッピーエンド、なはずなのに。私はいまだに王宮にいて、兄様とお父様は頻繁に私の部屋に来ては、お茶や食事に誘ってくれる。
私が寝ている間に、兄様は色々なことをしてくださっていた。
妖精のいたずらによって、取り違えられた王女のことは国中に知れ渡り、私を主人公とした小説まで出されていた。容姿が異なることで蔑まれながらも、宮中を必死に生き、立派な王女になったヒロインとして描かれていて、民衆は私を褒め称えているらしい。随分と美化された内容だ。幼い私は悪行の限りを尽していたし、妖精のせいで取り違えられ、妖精のおかげでそのことに気づけただけの、偽物なのに。
「むしろ血が繋がっていなくて好都合だよ」
なぜか上機嫌な様子の兄様に手を引かれ、部屋から出る。兄様と一緒なら、怖いはずの王宮でも息ができる。昔から、そうだった。
でも、他人でいいなんて、どうして。
「いっそ名前で呼んでもらうのもいいな……って何故そんな不思議そうな顔をしているんだい。僕はセシリアとずっと一緒にいたかったんだ。妹だったらお嫁に行ってしまうけれど、血がつながっていないのなら、それもないだろう?」
兄様は私を見て、あまりにも眩しい笑顔でそう仰る。
真正面からその光を受けた私は、思考が止まってしまう。
「正式に家族になれるし、そうすればセシリアは王族のままだよ。もちろん強制はしないけど……僕と結婚してくれないかい?」
すでにガゼボにいらっしゃった陛下はそれを見て複雑そうな、でも納得したような顔をしていた。
……私だけ、理解が追いついていないようだった。
「好きだよ、セシリア。初めて会ったあの日、月に照らされた意思の強い瞳に魅入られてから、ずっと。君は努力家で美しくて、優しい人だ」
それでも、兄様……ジルベール様が、偽物だと気付かれる前から変わらない、あまりにも愛おしそうな顔でそう言うから。
私は懲りずに、偽物な私でも幸せになれるかもしれないと思ってしまった。
読んで下さりありがとうございました。
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