6.由希視点*僕の知らない律くん
遅刻ギリギリだった時とは違い、バスから降りてもゆっくりと歩けるから気持ちにもゆとりができた。
律くんと一緒に通学できるようになったのは、数日前の会話がきっかけだった。
*
花の苗を買った時にもらったモンキーバナナがなくなってからも律くんは買い足していて、常に律くんの部屋にバナナがある状況になっていた。僕もバナナを食べるという口実があったから、律くんの部屋に気軽に遊びに行けるようになっていた。無彩色を基本とした部屋の中にある黄色だからか、僕たちを繋げてくれている食べ物だからか分からないけれど、黒いローテーブルの上にあるバナナはいつも柔らかい光に囲まれ、輝いて見えていた。
平日の、自分の家で夜ご飯を食べたあとにデザートとしてバナナを律くんの家で食べていた時だった。
「もしかして、由希くんがギリギリの時間に登校してるのって、俺が始発のバスに乗ってるから?」と、律くんはバナナを一緒に食べながら単刀直入に聞いてきた。
「ち、違うよ」
「気まずかったら俺、自転車で行くから由希くんだけ始発のバスに乗りな?」
「でも、律くんも自転車が疲れるからバスで通ってるんでしょ?」
「いや、俺はそういうわけではなくて――」
律くんの瞳が揺れる。
続きを何か言いたげな雰囲気だったけれど、途中で律くんは言葉を止めた。律くんはなかなか本音を教えてくれない。でもそれは、僕も同じか……。本当の気持ちを少しずつでもいいから伝えた方が、仲良くいられるのかな。
誤解ですれ違うのは、もう嫌だな――。
「始発の時間のバスに、い、一緒に乗りたいです」
顔を合わせて言うとドキドキが増しちゃうから僕は目をギュッと閉じながら気持ちを伝えた。律くんは今、どんな顔をしているんだろうと、薄目で確認した。
ぽかんとしているような、呆気にとられているような。何とも言えない表情だ。
「じゃあ、一緒に行こう? 一緒の時間に乗ったら由希くんは朝、急がなくてもいいよな」
表情は曖昧だったけど、声はいつもよりも弾んでいた。そうだった、律くんは昔から表情や気持ちを表面に出すのが苦手で、クールに見られている。それでいて王子と呼ばれるぐらいに外見も整っていたから、中学生の頃に律くんが上級生に生意気だと喧嘩を売られたという噂も聞いていた。多分それは嫉妬で、華やかで目立つのも大変なんだなと、律くんをそっと心配していた。
ふと、思う。律くんに嫌われたと思って離れていた期間も、律くんの僕に対する視線とか態度とかが冷たいと全てを悪い方向に感じてしまっていたなと。だから、良い方向に考えるのも大事なのかな。
――もしかしたら、一緒に行くこと喜んでくれている?
期待しすぎもあれだけど。
*
と、そういうやりとりがあり、一緒に登校できることになった。朝はいつもぼやけていたけれど、律くんと一緒に学校に通えるようになってからは朝の世界が綺麗に見え、明るくなった。
教室に入るといつものように、クラスメイトたちは騒がしい。僕たちは自ら周りと戯れるタイプではないからクラスメイトたちに挨拶をされたら返し、静かに席に着いた。
今日は起きた時から、緊張していることがある。
それは、遠足の班決めのくじ引きだ。好きな人同士で固まればいいのにそうしないのは、話したことない人たちとも仲良くなるためだから、らしい。律くん以外は、誰が一緒になっても気を使って疲れてしまいそうだけど。
そしてとうとう、班を決める時間がきてしまった。
クラスは二十六人いるから、五~六人のグループを五つ作る。出席番号順にくじを引き、同じ色の人たちと同じ班に。僕は最後だから余りものだ。律くんと一緒になりますようにと、ずっと一回も途切れることなくくじ引きタイムの時は心の中で唱えていた。
そして、結果は――。
...
赤色の丸が描かれたくじを引いたのは、誰とでも仲良くなれるヤンキーっぽい袴田くん、静かだけど自己主張が強いタイプのメガネが似合う杉山くん、優しいけど怒ると怖い委員長の安倍くん、そして律くんだった。
いつも願いを唱えすぎても叶うことはあまりないのだけれど、その分、今まとめて運のようなものが放出されたのかな?とも思う。
律くんと同じ班になれたことが嬉しすぎて、声に出したかったけれど、ここは学校だ。静かに心の中でいっぱいバンザイをした。
「では、各班ごとに公園でやりたいことについて話し合って、その後にクラス全体でやりたいこともあれば、委員長が中心になってそれも考えてください」と、担任の叶 智也先生が言うと、クラスメイトたちは班ごとに分かれてすぐに盛り上がりだした。僕たちの班は委員長の安部くんの周りに集まり、安倍くん以外のメンバーは立ったまま話し合いが始まった。
「俺、焼肉してーな」
ヤンキーっぽい袴田くんが第一声を上げた。
「焼肉いいね。他に何か意見はある?」
委員長の安倍くんが他のメンバーに聞いてみたけれど、誰も意見を言わない。
「焼肉でいい人は挙手を」
安倍くんがそう言うと僕を含めた意見を述べていない三人が手を挙げた。
「はい、じゃあ焼肉で決定だね! 午前中は一年生の五クラス対抗でレクリエーションゲームをやるから、うちのクラスはその後昼ごはん含め全部自由でいいかな……」と言いながら安倍くんは公園のパンフレットを机の上に開いて見始めた。
僕も一緒にパンフレットを見る。貸切バスで四十五分ほどで着く芝山公園は、初めて行く場所だった。パンフレットには、炊事場の他に広々とした芝生広場や、色とりどりの花壇が並ぶ遊歩道、キラキラ光る湖が映っていて、なんだかワクワクする。
自由時間があるのなら、律くんとのんびり散歩をするのもいいな。律くんはなにかしたいことあるのかな――。
ちらっと律くんを見ると、律くんも腕を組みながら無表情でパンフレットを眺めていた。律くんは今何を考えているのかな。
「よし、うちはオールシーズン焼肉してるから、道具と肉は任せろ。後で金集めるぞ!」と、袴田くんがニヤッと笑った。
「でも、俺、肉あんまり好きじゃないんだよな……」と、杉山くんがメガネの奥で目を細め、ぼそっと呟いた。
袴田くんが眉を上げて、「は? じゃあ何で手を挙げたんだよ?」と少しイラついた声で返す。
杉山くんは肩をすくめて、「別に、思いつかなかっただけ」と、そっけなく答えた。
えっ――?
なんかふたりが険悪なムードになってきている? 喧嘩になったらどうしよう……だけど僕には喧嘩を止める能力はない。律くんはこういうのあんまり気にしなさそうだし、そしたら唯一止めることができるのは安倍くん?
下を向いてパンフレットを見ている安倍くんの表情は眉間に皺を寄せて……曇ってる。そしてさらに「じゃあ、意見言えばいいのに」と、普段の優しそうな雰囲気とはかけ離れた声の低さで呟いていた。
――この傾向は、良くない。
「じゃあさ、僕、料理が得意だから、野菜の料理を一品作ろうか?」
僕がそう言うと、会話に全く興味を示さないままパンフレットを覗いていた律くんは勢いよく顔を上げてこっちを見てきた。その動きに驚く僕。
「おっ、いいなそれ。っていうか、料理が得意ってことは、もしかして綿谷の弁当って、自分で作ってるの?」
袴田くんが質問してきた。
「うん、そうだよ」
「いつも豪華で美味そうだよな。こないだ話題にもなってたわ。綿谷の料理、食べたいな。何作るんだ?」
怒りの顔からコロッと表情を変え、笑顔になる袴田くんを筆頭に、ピリッとした空気は収まった。というか、話題になっていたって……。知らないところで噂になるの、ちょっと嫌だな。でも悪口ではなさそうだからいいのかな。でも嫌だな。袴田くんたちと一緒にお昼ご飯食べているわけではないのに、いつの間にお弁当覗かれていたんだろ。
とりあえず、何を作ろうか考えるかな。みんなが好きそうで、野菜が入っているものが良いよね。
「野菜カレーで、いい?」
「カレーは、好きだ」
様子を伺うように尋ねると、杉山くんがそう言った。
「カレー、好きな人は挙手を」と安倍くんが言うと、僕を含めた全員が手を上げた。律くんも――。
変な空気が収まって良かった。そして遠足で料理するのも楽しみだな!
僕はそっと細いため息を吐き、安堵した。
*
遠足の日が来た。天気を確認するためにリビングの窓から外を眺める。今は夏休み前でしかも今日は日差しも輝いているから、暖かい。
今日はいつも通りの時間に学校に集合し、それから貸切バスに乗る。忘れ物がないか心配で、持っていく大きいベージュのリュックの中を何度も確認した。水筒、敷物、箱ティッシュ、ウェットティッシュ、汗ふきタオル、ビニール袋、おやつ、食べたい人は各自持参のご飯、ジャージ……そして大事なのが、カレーを作る材料だ。とても小さいナイフとカセットコンロとガスボンベ、玉ねぎ、人参、ジャガイモ、そしてカレールーを二箱。たくさん食べる人もいるかもしれないから、一応多めに材料を持っていく。ちなみに野菜は全部農家の人からもらった美味しい野菜たちだ。鍋はパンパンになっているリュックに入りきらないからお母さんが使っているピンク色の花柄模様がついているエコバッグに入れて手で持った。
外に出ると、すでに律くんが畑のところにいた。しかも水をあげてくれている。
「おはよう、律くん」
「おはよう」
お揃いの白いTシャツに、紺色のハーフパンツ。律くんは袖の部分をまくり上げている。その姿もとても似合っていて今日もかっこいい。
「お水、ありがとう。律くんの荷物はそれだけ?」
律くんが持っているのはシンプルで小さい黒いボディバッグだけだ。
律くんは僕の全体をじっと見た。そして「それ、貸して?」と、鍋が入っているエコバッグを指さしてきた。渡そうか迷っていると、優しく奪っていった。
「あ、ありがとう……」
「俺、荷物少ないから。リュックは、重くない? 大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
正直、重たくて背負っていたらすぐに疲れそうだなぁとは思っていたけれど。重いって言うと律くんが持ってくれそうな予感がしたから、平気なフリをした。
律くんの優しさに、今日も朝から胸の辺りがぎゅっと締め付けられる。目が合ったままで恥ずかしくなってきたから、視線をトマトに移した。
「あ、トマト赤くなってる! 赤いミニトマト、うちの班の人数分あるけど、みんな食べるかな?」
「……持っていくのか?」
「うん、お昼ご飯の時にみんなにあげる。律くんの分もあるからね」
「ありがとう」
僕は赤くなったミニトマトをもぎ取ると、リュックに入っていた小さなビニール袋に入れた。
「リュックに入れたら潰れないかなぁ」
「大丈夫だとは思うけど……いや、心配だったらリュックじゃなくて鍋に入れといたら?」
「そうだね」
僕は律くんが持っていた空の鍋にミニトマトが入ったビニール袋を入れた。
*
芝山公園に着くとすぐに一年生、五クラス全員が運動のできる広場に集まり、クラス対抗のレクリエーションゲームが始まった。クラスの各班ごとに分かれて大縄跳びをし、クラスごとの合計回数を競ったり、声を出さずにやる伝言ゲームをしたり、腕立て伏せをプラスしたリレーをしたり。そして最後は公園内数字カード探しゲームをした。途中までうちのクラス、C組が六百二十点でトップだったけど、最後は見つけたカードがそのまま点数にプラスされる大逆転ゲームだったから、千点を見つけたB組が優勝した。
ゲームが終わると、班ごとに何かをやる時間だ。同じクラスの他の班の人たちはお弁当を持ってきているようで、まだ少しお昼ご飯までの時間があるから、それぞれボールで遊んだりさまよったりして、自由に過ごしていた。うちの班と、ほかのクラスの一部の班だけが焼肉や何か料理をする様子。
僕たちのグループは袴田くんと安倍くんの焼肉担当、僕と律くんと杉山くんのカレー担当の二手に分かれて焼肉とカレーの準備を始めた。
「綿谷、切るの上手だな」と、他のメンバーたちに玉ねぎを切るのをじっと見つめられた。ただでさえいつも使っている包丁よりも小さなナイフだから切りずらいのに、見つめられて緊張もししたから切るのがゆっくりになってしまった。だけど平和な感じで無事に準備は終わった。
元々公園に備え付けられているテーブルにお皿や水筒、ご飯など色々並べると席に着いた。先に座っていると隣に律くんが座った。安倍くんと杉山くんは向かいに座る。袴田くんは肉焼き担当だからすぐ近くの焼き網の前でしゃがんでいる。紙皿にそれぞれ各自で持参したご飯を乗せると僕はその上にカレーをかけた。
そして落ち着いたタイミングでみんなに「うちで採れたミニトマトだよ」と説明してミニトマトを配った。みんなはすぐに食べてくれた。その時だった。
「あれ? 律、トマト食べれるようになったの?」と、袴田くんが律くんに尋ねた。袴田くんの言葉に僕は全身がビクッと反応した。
「えっ? もしかして律くんトマト苦手?」
「あっ、いや……」
律くんの手元にはもうミニトマトはない。食べたあとだった。そして僕の質問に戸惑っている様子だ。
「中学のサッカー部合宿の時、泊まったところでトマト出てきて、律、苦手って言ってて、俺食べてあげたじゃん」
「袴田、少し黙れ」
「別に言ってもいいじゃ~ん」
袴田くんは肉を焼き、ははっと笑いながら言った。
律くんと一緒に植えたミニトマト。僕にとっては甘くて美味しくて。でも律くんにとっては苦手で、でも我慢して食べてくれたのか。
僕の頭の中が真っ白になってきた。
「律くん、ミニトマト、ごめんね」
「由希くんが謝ることではないから」
――嫌いじゃないよって、否定はしないんだね。
じゃあ、やっぱり律くんはトマトのことが……。
――何でトマトが嫌いって教えてくれなかったの? どうして秘密にしてたの?
一緒に育てていたものだから、一緒に喜んで食べてくれると完全に思っていた。だけど袴田くんの言葉を聞いて、無理して食べてもらっていたのだと知った。申し訳ない気持ちになってきた。
律くんは中学時代、怪我をする時までサッカーをずっとやっていた。袴田くんも一緒に。その頃は、僕と律くんは離れてしまっていた時期だし、僕がその頃の律くんを知らないのは仕方がない。
学校での律くんは、僕よりも袴田くんとの方が仲が良い。律くんを〝律〟って呼び捨てで親しそうに呼んでいるし、休み時間に律くんは袴田くんたちの運動部に誘われて外でサッカーもしているし。
トマトのことが引き金になり、黒くてモヤモヤした気持ちがどんどん込み上げてくる。
心臓がぐいっと強く掴まれるように痛い。
袴田くんが悪いわけではないし、律くんが悪いわけでもない。この気持ちをどこにぶつければいいのか分からない。
泣きたい気持ちだけど今は遠足中だ。
楽しまないと。
楽しむふりをしないと――。
「カレー作りすぎちゃったから、他の班の人たちにも食べるか聞いてみようかな?」
普段はしないような行動。
だって、今すぐに律くんから離れたかったから。
僕は笑顔を無理やり作り立ち上がる。そして鍋を持つと他の班のところへ行った。