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5.由希視点*ふたりの思い出

 ふたりで律くんの家に入っていった。リビングを通る時、ふと目に入った窓辺の鉢植えに胸がドキッとして一瞬立ち止まる。僕が母の日に選んだのと同じピンク色のカーネーションの鉢植えが、外から差し込む光に照らされていた。ラッピングとピックの色までお揃いだ。


――律くんも、いつの間にか同じ花を選んで、買っていたんだ。しかもうちと同じ場所に飾ってある。


 あの日、律くんは別のものを買っていたのかな?って思っていたけれど。同じものを選んで、お揃いの鉢植えが隣の家同士で置いてあることを知ると、嬉しさが込み上げてくる。


 そのまま律くんの部屋へ向かっていった。律くんは飲み物を準備してくれるために、すぐ部屋から出ていった。律くんのこういうさりげない気遣い、昔から変わってないなって思うとなんだか胸が温かくなる。僕にだけ優しくて、優越感に浸ったことも、実はある。


 律くんの部屋に入ったのは、何年ぶりだろう。ソワソワした気持ちがおさまらない。モンキーバナナを全て黒いローテーブルのど真ん中に置くと、辺りを見渡した。相変わらず僕の部屋と違って無駄なものがなくて、とても綺麗。


見渡していると本棚にある教科書に紛れて、僕の好きな小説『キミと手をつなぎたい』が目に入ってきた。律くんも、読むのかがすごく気になる。いや、読むからここにあるのか。ドラマの歌も知っていたし、共通点が見つかり気持ちが高まる。


他にも律くんは今、どんなものに興味を持っているのか気になる。再び全体を眺めていると、開いていたクローゼットの中に、見覚えがあるものがたくさん入っている箱が見えた。勝手に覗いてはいけないと思いつつも覗いてしまう。


 僕が作ったぬいぐるみに、僕が書いた絵や手紙……僕に関わるものばかり?


 箱の中に手を伸ばそうとした時、背後に気配がした。振り向くと律くんがいちごミルクのパックとコーラのペットボトルを持ちながら立ち止まっていた。


「か、勝手に覗いて、ごめん」


 そう言いながら慌てて僕は箱から離れる。


 心臓がドクドクと波を打つ。どうして僕と関わったものばかりが入っているのだろう――。


 律くんは静かに僕を見つめ、飲み物を持ったまま、微動だにしない。部屋の中はさっきから小さく聞こえている鳥のさえずりだけが響く。気まずさが胸を締め付ける。


 勝手に覗いたこと、謝らなきゃ。でも何て言えばいい――?


「由希くん……それ、俺の大切なものが入っている箱」


 律くんの声は、いつもより少し柔らかかった。律くんは少しだけ目を細めて、口の端をほんの少し上げている。


――笑ってる?


いや、いつものクールな律くんと変わらないかな。でも、どこか温かい雰囲気が漂っていて、僕の緊張が少しだけほぐれる。


「これ、まだ好き?」


 律くんはそう言うと、いちごミルクのパックを僕に差し出してきた。パックの表面には小さな水滴がついていて、冷蔵庫から出したばかりのひんやりした感触が手に伝わる。律くんが僕の好みを覚えていてくれたことに、胸がじんわり温かくなる。


「うん、好き。ありがとう……」


 僕はパックを受け取り、ストローを刺す。甘酸っぱいいちごの香りが鼻をくすぐり、ひと口飲むと、甘い味が口いっぱいに広がる。小さい頃、律くんと一緒に駄菓子屋で買ったいちごミルクを飲みながら、公園で笑い合った記憶がふっとよみがえる。僕はその頃、いつもいちごミルクを手に取っていた。


 あの頃は仲がよくて、気まずい空気なんてひとつもなかったのに。いちごミルクのようにパステルピンクのような思い出だ。


 律くんはコーラを持って、僕の隣に腰を下ろす。


「モンキーバナナ、たくさん貰ったな」

「ね、すごいよね。小さいバナナ、可愛い……」

「俺、こんなに食べきれないから持って帰りな? バナナ、好きだろ?」

「好きだけど……でも色々してもらったのに何もお返し出来てないし」


 律くんはコーラのペットボトルの蓋を開けた。それからは二人とも無言で飲み物を飲む。


「じゃあ、ここにバナナ置いとくから、いつでも食べに来て?……いや、嘘、ごめん」


 その言葉に反応して律くんの顔を覗き込むと、目が一瞬合ったけれど、ぷいとそらされた。 


「また来て、いいの?」


 僕が尋ねると、律くんは静かに頷いた。また来てもいいんだ。律くんの部屋に。


 嬉しい――。

 嬉しい以外の言葉が見つからない。


 それから無言で僕たちは飲み物を飲み干した。窓から差し込む光が、部屋の木の床に柔らかい模様を描いている。緊張もまだ少しするけれど、なんだか落ち着く時間。


「由希くん、あの箱……」


 律くんが口を開き、僕はハッとしてパックからストローを離す。箱を勝手に覗いて、しかも触れようとしてしまった。嫌だったよね? でも、律くんの声は穏やかなままだ。


「見ても、いいよ。全部、由希くんに関係するものだから」

「で、でも、なんで僕のものが、こんなに……?」


 律くんは少しだけ視線を下げ、持っていたコーラをテーブルに置く。そっと息を吐いてから、僕の方を向く。そして真剣な眼差しで僕を見つめた。


「由希くんとの思い出は、ずっと大切なものだったから」


 その一言に、頭の中が真っ白になる。律くんの声は静かだけど、丁寧で。ずしんと心に重く響く。


――僕との思い出が大事? 


 きゅうりの事件では酷いことを言ってしまって、あの日以来気まずくて、嫌われたと思っていたのに。


「律くん、僕も律くんとの思い出は大切だよ。あの時、嫌いってひどいこと言っちゃったけど律くんのことは一度も嫌いになったことはなかった。言ったこと、毎日後悔してた。本当にずっと、また仲良くしたいと思ってた」


 律くんの言葉を聞くとあらためて僕の思いを伝えたくなった。この想いは何度でも伝えたい。言葉が溢れ出すと、再び涙も溢れそうになる。目が熱くなり、視界がぼやける。涙がこぼれないように、ぎゅっと唇を噛む。律くんは静かに僕の話を聞き、じっと僕を見つめてくれていた。


「由希くん、何回も泣かせてしまって、本当にごめん。俺も本当に嫌われたと思っていて、話しかけられなかった。俺もずっと、本当に、こうやって話したかった」


 律くんの声も少し震えている。いつもクールで無表情な律くんが、こんなふうに本音を話してくれるなんて。心の奥にずっとあった黒いモヤモヤが、ゆっくりとほどけて溶けて、消えていく気がする。


 僕はいちごミルクのパックを握りしめ、勇気を振り絞って口を開いた。


「律くん、あの箱……じっくり見ても、いい?」


 律くんは小さく頷き、クローゼットの方に視線をやった。僕はそっと立ち上がり、箱の前にしゃがむ。白い箱は、小さな傷や色あせた部分があるけれども、律くんが大切に保管していたことが伝わってくる。


――本当に、懐かしい。


 僕が小学二年生の時に作った、ちょっと不格好なうさぎのフェルトのぬいぐるみ。これは初めて手芸に挑戦した時に、一番好きな人にあげたいと気合いを入れて縫ったものだ。律くんに「これ、律くんのために頑張って作ったからあげるね」って渡した時、律くんが珍しく照れながら、でも嬉しそうに「大事にするよ」って言ってくれたっけ。律くんの似顔絵を描いた画用紙もある。当時は交換日記もしていて、僕の丸っこい字と律くんの几帳面な字が並んでいる。昔書いた手紙も、こないだ書いたばかりの手紙もこの中に入れてくれている。


 そして、枯れたきゅうりの葉が挟まれた、しおり?


「これは?」


 この箱の中にあるのは全て僕に関係のあるものだよね?


「……これは、俺が抜いてしまった、由希くんのきゅうりの葉」

「こんなものも、とっておいたの?」 


 あの日の記憶が、再び鮮明によみがえる。捨てられたものだと思っていたけれど……。


「僕たちが気まずくなった後に、こうやってしおりに?」

「うん、由希くんが大切にしていたものだから捨てられなくて」


「これもあれも、全部、取っといてくれたんだ? もう何も残っていないのかと思っていたよ」


 声が震える。律くんがこんなに僕との思い出を大切にしてくれていたなんて、知らなかった。涙がぽろっと頬を伝う。慌てて袖で拭うけど、どんどん勝手に涙が流れてくる。


律くんは箱ティッシュを持ってきて、静かに近づいてきた。そして僕の隣に座り、涙を拭いてくれた。


「由希くんとの思い出は本当に大切で。由希くんも大切で……気持ちが離れてしまってからも、由希くんの隣に、いつもいたいと思っていた。もっと話をしたかった――」


 律くんの言葉に、胸がぎゅっと締め付けられる。顔を上げると、律くんの目も少し赤くなっている。こんな律くんは初めて見た。クールで、いつも遠くにいると思っていた律くんが、こんな近くで、こんなふうに僕を見てくれるなんて。


「律くん……僕も、律くんとまた、昔みたいに仲良くしたい」


 言葉を絞り出すと、律くんは柔らかい笑顔を見せてくれた。心臓がドキドキして、顔が熱くなるけど、目をそらさなかった。律くんも、じっと僕を見つめる。


「じゃあ、これから、また仲良くしよう」


 律くんの提案に、僕は大きく頷いた。


「うん! 仲良くしたい。そして、畑も……ミニトマトも、きゅうりも、アリッサムも、ビオラも、ペチュニアも……一緒に育てたい! 夏になったらふたりでトマトを収穫して、一緒に食べるんだ!」


 興奮して早口になると律くんは、ははっと声を出して笑った。こんなに律くんが笑うのは久しぶりだ。心がふわっと軽くなる。僕も一緒にふふっと笑った。


「由希くんのこと、抱きしめたい。抱きしめていい?」

「うん」


 律くんは「なんか照れる」と言いながら、僕を優しく抱きしめてくれた。苗に囲まれている時よりも土をいじっている時よりも、小説を読んでいる時よりももっと僕の全てが、浄化される。


「律くんと仲直り出来て、嬉しい」

「俺も」


 部屋の中に差し込む明るい光が僕たちを優しく包みこみ、キラキラと輝いていた。まるで僕たちを祝福してくれるみたいに。


 本当は野菜や花を育てるだけではなく、小説の話もしたいし、また一緒に遊びたい。でも、これ以上仲良くなりたいなんて欲張りはしないから、もう喧嘩をして離れるなんてことはしたくない。


 どうかこれからはずっと、律くんと気まずくならないように、いられますように――。

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