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第96章:不穏な影

ラウ老師は街の中心にある一軒のパン屋へと立ち寄っていた。

昼食を買おうとすると、店番の娘が顔見知りのラウ老師を見つけ、焼きたてのパンを一つ、追加で包みの中にそっと忍ばせた。


「ラウさんが久々に来たからびっくりしたわ。はい、これはおまけね!」


「あぁ、ありがとう。また来るよ」

ラウ老師は店員の心遣いに感謝の意を伝え、温かいパンの入った包みを手に店を出た。


「…さて、次はドナイタウンにでも行ってみるか。その前に」

ラウ老師は、誰にともなく言葉を漏らすと、その身を軽やかに宙へと躍らせた。

一瞬にして空高く舞い上がり、ギンシャサの街並みを見下ろすことのできる、古びた建物の上層階に位置するテラスへと音もなく着地した。


「うむ。ここはいつ来てもいい」

そう独りごちると、彼はテラスに置かれた年季の入った木製の椅子に腰を下ろした。

そして、包みからパンを取り出し、ゆっくりと食べ始めた。


「さすがは、パリツォの焼いたパンだ。毎日でも食べられる…」

ラウ老師は、その香ばしさと優しい甘さを噛みしめながら、満足げにパンを味わった。

しかし、その至福の瞬間は、突如として破られた。


「ヒュン!!」

鋭い風切り音が響き、ラウ老師の顔めがけて何かが猛烈な速度で飛来した。


「むっ!!」

ラウ老師は、その速さに驚きながらも、咄嗟に手に持っていたパンで顔を覆い、飛来物を受け止めた。

パンの柔らかい生地には、金属製の六角手裏剣が深々と突き刺さっているのが見て取れた。


「…誰じゃ」

ラウ老師は六角手裏剣が飛んできた方向に視線を向けた。

だが、そこには誰もいなかった。


「(敵襲。ワシに気配を悟らせぬとは…)」

ラウ老師は、警戒を強めながら、冷静に周囲の建物の屋根や影を鋭く見渡した。

そして、自身の背後に注意を向けた。


「ふんっ!!」

次の刹那、彼の背後から、風を切り裂くような激しい横薙ぎの一閃が襲いかかった。


「…もらったか」

ラウ老師は紙一重でそれを回避したが、左腕の皮が薄く斬れ、鮮血が滲んだ。

彼は即座に襲撃者から距離を取った。


「久々だなラウ。こうして貴様とまた戦うことになるとはな…」

ラウ老師が大きく距離を取ると、彼の目の前に一人のドラゴニアが姿を現した。

紺色の着流しに身を包み、腰に差した長大な刀の柄を握りしめている。

その視線は、まるで凍てつく氷のように冷徹な光を宿していた。


「…お前はカーンか?」

ラウ老師は、その男の顔を認めると、素早く懐から紙を取り出し、瞬く間に鋭利な刀へと形成させた。


「いかにも。お前は相変わらずのようだなラウ」

カーンは、静かにラウ老師の姿をじっと見つめ返した。


「後継戦争の後、隠遁したと聞いたぞ?」

ラウ老師がカーンを睨みつける。


「色々と思うことがあってな。今は客人として龍心会に手を貸している」


「龍心会?じゃあ、お前が新しい幹部ってことか?」


「ま、幹部というより客人だがな」

カーンは刀を握りしめながら、ラウ老師を鋭い眼差しで見つめた。


「で、ワシを狙ってきたと。アルタイルの命令か?」

ラウ老師もまた、紙で形成した刀を低く構え、カーンの出方を伺った。


「そうだ。貴様を監視しろと。そして、変な動きがあれば怪我を負ってもらうと…」


「アルタイルよ…かつての師まで狙うか…」

かつての愛弟子に敵意を向けられている状況に、ラウ老師の顔にはどこか寂しげな色が浮かんだ。


「さ、おしゃべりはこの辺に…貴様には少し入院してもらうとしよう!!」

カーンが素早い踏み込みを見せた。


「お前こそ相変わらずじゃな…!!」

ラウ老師は、カーンの素早い踏み込みに、口元に微かな笑みを浮かべ、紙の刀をしっかりと握りしめて迎撃の姿勢を取った。


「キンキンキンキン!!!」

金属がぶつかり合う甲高い音が、乾いたテラスに激しく響き渡る。

二人の間に、目にも留まらぬ速さの剣戟の応酬が巻き起こり、まるで剣の竜巻が生まれたかのようだった。


「隠遁していたという割に剣筋が昔のままではないか」


「貴様こそ…老いても「軍神」は顕在か」

剣術の実力は互角だった。

互いの刃は紙一重で肉を掠め、皮膚が薄く斬れ、微かな血が飛び散る。


「だが、剣術だけならワシの方に分があろう」

その瞬間、カーンは刀を握る両腕に、一段と強い力を込めた。


「(あれがくるのか!?)」

ラウ老師はガードの体勢に入った。


「比良鳥流奥義・紗蛾利(さがり)!!」

カーンは、両手で刀をしっかりと握りしめると、矢継ぎ早に上段から強力な打ち込みを繰り出し始めた。


「ぐぅぅぅっ!!」

ラウ老師は、その猛攻を必死に凌いでいたが、カーンの刀から伝わる衝撃で、握っていた手が徐々に痺れ始めていた。


「ラウ!!力が抜けているぞ!」

だが、カーンが振るう刀は、打ち込むたびに剣圧が増していくように感じられた。


「(昔より力が増しているだと!?)」

ラウ老師はカーンの実力が昔よりも増していることに驚愕した。


「どうした!?力が弱くなっているぞ!」

カーンが猛然と打ち続ける。


「ふっ…まだ余裕…じゃよ!!」

次の瞬間、ラウ老師は、手に持っていた紙の刀を、柔軟な鞭状へと変化させた。

そして、カーンの刀にそのまま絡みつかせた。


「むっ!」

予期せぬラウ老師の戦法に、カーンは一瞬、目を見開いた。


「そらっ!!」

ラウ老師は、鞭状になった紙でカーンの刀に絡みつかせると、そのまま後方へと勢いよくグイっと引っ張った。

その勢いに乗せられ、カーンは刀を握ったまま宙へと大きく舞い上がった。


「相変わらず狡猾な奴だ…」

しかし、カーンは冷静だった。空中で体勢を整えると、懐から予備の刀を素早く抜き放ち、絡みついた鞭を切り裂いた。

そして、両手に刀を握りしめたまま、軽やかに地面へと着地した。


「ほう。脳筋だったお前が随分と成長したものだ」

ラウ老師は、カーンの対応に感心したように、わずかに口元を緩めた。


「確かに、小生は後継戦争に敗れてから隠遁した。だが、ただボケーっと余生を過ごしていたわけではない。山に篭り、ただひたすらに剣を振り、体力を極限まで高めてきたのだ。いずれ、ザクトゥス第一王子の崇高な思想を継ぐ者が現れることを信じて、その日のために準備を怠らなかった…」

カーンは刀を構えなおす。


「それで龍心会に手を貸したというわけか…」

ラウ老師は、カーンの言葉に納得したように頷くと、手に握っていた鞭を、今度は巨大な戦斧の形へと変化させた。


「そういう貴様こそ弟子を適当に育てて悠々自適な余生を送っていると聞いた。何故、今更表舞台に立とうとした?」


「これはワシの罪滅ぼしでもある…」

ラウ老師の表情には、どこか遠い過去を懐かしむような寂しげな色が浮かんだ。


「…アルタイル国王は正しい道を示そうとしている。それを邪魔する者は…斬る」

カーンは、ラウ老師の言葉に一切の迷いを見せず、殺気を込めて大斧を構えるラウ老師に斬りかかろうと体勢を低くした。

その時だった。


「ラウ老師だ!!」


「誰かと戦っているぞ!」


「俺らも加勢するぞ!」

二人が声のした方向に目を向けると、そこには旧ドラゴニア王国の軍服に身を包んだドラゴニアの兵士たちが数人、こちらへ向かって駆けてくるのが見えた。


「まぁよかろう。今日のところは挨拶だ。貴様が下らぬことを考えるのを止めぬ限り、小生はいつでもどこでも現れる…覚悟しておくことだな」

カーンは、追手が来たことを察知すると、鞘に刀を静かに収めた。そして、音もなくその場を飛び立ち、空へと消えていった。


「…まったく。面倒なのが現れた」

ラウ老師はそう呟くと手にした紙の斧を解除し、元の紙へと戻した。


「ラウ老師!大丈夫ですか?」


「ラジアンさんから念のため遠くから護衛するように言われてまして」

駆けつけたドラゴニアの兵士たちが、心配そうな顔でラウ老師の元へと駆け寄ってきた。


「ラジアンめ…ワシを年寄り扱いしおって…やれやれじゃ…」

ラウ老師は、兵士たちの心配そうな視線を感じながら、ふっと息を吐き、安堵の表情で肩をなでおろした。


一方、ほぼ同時刻、シュリツァの議事堂、その最奥にある議長室では、アルタイルが重厚な執務机に面した椅子に深く腰掛け、思案にふけっていた。

そして、彼女の傍らには、控えるようにベガの姿があった。


「アルタイル様。カベルタウンにて遺跡が発見された模様です」

ベガが椅子に座っているアルタイルに報告する。


「ほう。遺跡の中に魔具がある可能性も否定できないな…」

アルタイルは、その報告に、顎に手を当てながら深く考え込んだ。


「いかがいたしましょうか?」

ベガがアルタイルに尋ねる。


「よし。他国の冒険者達に荒らされる前に内部の調査を行う。ユーとリンチーを派遣する」

アルタイルはある龍心会のメンバーを指名する。


「あの二人ですか?しかし、万が一他の冒険者と、はちあったら彼らが何をするか…」

ベガは、アルタイルの言葉にわずかに眉をひそめ、懸念を顔に露わにした。


「他国の冒険者に財宝を奪われるよりいい。それに、ドラゴニア王国の財宝を狙う者への見せしめにもなるだろう。今は多少過激であっても、ドラゴニア王国を第一に考えた行動をせねばならない」

アルタイルは、自らの覚悟を示すように、執務机の上で拳を強く握りしめた。


「承知しました。では、彼らに任務を伝えて参ります」

ベガは、一礼すると静かに議長室を後にした。


「あぁ、頼んだぞ」

部屋を出るベガの様子をアルタイルは見送った。


ほぼ同時刻。

赤鎧峠とシュリツァを結ぶ脇道は、人里離れた静かな場所のはずだった。

しかし、そこには血生臭い光景が広がっていた。


一人の人間の冒険者が、一人のドラゴニアに胸倉を掴まれ、何度も顔面を殴りつけられている。

その周りには、冒険者の仲間と思われるドワーフ族の戦士と人間の魔導師が、すでに瀕死の状態で地面に横たわっていた。


「か、勘弁してくれ…俺たちが悪かった。入国料なら払うから…」

一人の冒険者が、恐怖に顔を歪ませながら、必死に命乞いをする。


「ユー。こいつ入国料払うってさ」

金髪に白い翼の男性が、無関心な様子で赤髪に黒い翼の女性に話しかける。


「んー、どうしようか?」

ユーと呼ばれたドラゴニアは、興味なさそうに、だるそうに返事をした。


「けど、今更謝っても遅いよね」


「そうだね。最初から入国料を支払えば、こんな痛い目を見ずに済んだのにね」


「とりあえず、こいつら全員、峠の入口に(はりつけ)にしとく?」


「それ、名案だね」

そう話すのは、赤みがかった髪と漆黒の翼を持つ女性、ユー。

そして、金色の髪と純白の翼を持つ男性がリンチーだった。

彼らの腕には、龍心会の紋章が刻まれた腕章が、はっきりと着けられていた。


「そういうわだから、お前達は入国料未納の罪で(はりつけ)の刑ね」

リンチーは、冒険者の顔を無表情に見下ろすと、何の躊躇もなく拳を大きく振り上げた。


「ひぃっ!!」

その瞬間、冒険者は恐怖に顔を歪め、思わずぎゅっと目をつぶった。

その時、彼らのすぐ近くに、一人のドラゴニアが舞い降りてきた。


「ユー、リンチー。仕事だ」

そこにはベガが立っていた。


「えー、ベガさん。今からこいつらを(はりつけ)の刑にしようとしていたのに」

リンチーは、楽しみにしていた邪魔をされたことに、残念そうな表情を浮かべた。


「そうだよぉ。いいところなんだから邪魔しないで」

ユーもまた、不満げな声でベガに訴えかけた。


「お前ら!!アルタイル様からの命令であるぞ!こいつらのことは俺がなんとかするから、さっさと議事堂に行け!!」

そのあまりにものんきな二人の態度に、ベガは顔を険しくさせ、鬼の形相で二人に怒鳴りつけた。


「アルタイル姉ちゃんからの命令なら仕方ないや。ユー、行こうか」


「はーい」

そう言うと、ユーとリンチーは、まるで子供のように軽やかに空へと勢いよく飛び立ち、あっという間に視界から消え去った。


「た、助かった?」

冒険者は、突然の介入と二人の去っていく姿に呆然としながら、涙と泥にまみれた顔で安堵の言葉を漏らした。


「おいお前ら。入国料は払ったのか?」

ベガは、冒険者のすぐ目の前にしゃがみ込み、冷徹な視線で彼を睨みつけた。


「あ…えっとその…これから払おうかなと…ハハハ…」

冒険者は、その圧力に怯えながらも、必死で作り笑いを浮かべ、その場をごまかそうとした。


「…三人で9万ゴールドだ。払えないなら今すぐ来た道を引き返すんだな。さ、どうする?」

ベガは、有無を言わせぬ強い圧力を冒険者へと向けた。


「は、払いましゅ…」

冒険者は、怯えながらも震える手で懐から金貨を9枚取り出し、ベガに差し出した。


「…確かに。ようこそドラゴニア王国へ。くれぐれも変な真似はするな」

ベガは金貨を冷静に受け取ると、満足げに頷いた。

そして、冒険者たちに警告の言葉を残し、そのまま空へと飛び立ち、その場を後にした。


「た、助かった?」

冒険者は、その場に取り残された仲間たちの前で、涙ぐんだ顔でただ空を見上げるしかできなかった。


ドラゴニア王国 議事堂 議長室。

先ほどベガに促され、空を駆け抜けてきたユーとリンチーが、既にアルタイルの前に姿を見せていた。


「ユー、そしてリンチー、ご苦労」

アルタイルは、議長室に入ってきたユーとリンチーの顔を見上げ、ねぎらいの言葉をかけた。


「いいよ、アルタイル姉ちゃんのためだもん」

リンチーは、満面の笑みを浮かべて答えた。


「して、次はどんなお仕事?」

ユーは、まるで次に何が起こるのかと、いたずらっぽくアルタイルに問いかけた。


「お前達にはカベルタウンで発見された遺跡の調査をしてほしい」

アルタイルは、その表情を改めて神妙なものとし、二人へと新たな任務を伝えた。


「遺跡の調査?」


「いいよ」


「うむ。お前達ならそう言ってくれると思った。仕事の内容は内部の調査。そして、財宝があれば持ち帰ってきてほしい。他の冒険者がいれば必要に応じて交戦、窃盗罪で逮捕しても構わない」

アルタイルは、二人の反応に満足げに頷きながら、任務の詳細を告げた。


「はーい」


「最悪、殺しちゃってもいいんだよね?」

ユーは、無邪気な様子でアルタイルに確認を求めた。


「…やむを得ない時はな」

アルタイルは、一瞬の間を置いて、静かにその言葉を口にした。


「やったー!」

ユーとリンチーは、まるで子供が玩具をもらったかのように、目を輝かせ、喜びの声を上げた。


「さっそく今から頼めるか?」


「はい」


「僕たちに」


「「任せてよ」」

二人は息の合った様子で答える。


「頼りにしている…」

アルタイルは二人の目をじっと見つめ呟く。


「はーい」


「適当にやっておくね」

リンチーが即座に返事をし、ユーも笑顔で応じた。

そして二人は、息の合った様子で議長室を後にした。


「(ユーとリンチー。私が軍人だった頃に彼らを逮捕するまで、荒らした遺跡の数。そして、そこで鉢合わせになった冒険者や国の関係者を瀕死にした数は数えきれないほどだと聞く。彼らを私の権限で釈放したが…果たして吉と出るか凶と出るか…)」

アルタイルは、彼らの行動がもたらすであろう影響に対し、わずかな懸念を抱きながらも、ドラゴニア王国のため、二人が無事に任務をこなすことを期待せずにはいられなかった。


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