第88章:変革
カリカリの森
カリカリの森の内部は、昼間だというのに鬱蒼と茂り、木々の葉が陽光を遮り、薄暗い影を落としていた。
そして、まるでこの森の全てを知り尽くしているかのように、サシャたちがかつて通った道とは異なる、まさに獣道と呼ぶべき場所を、迷いなく猛然と疾走していた。
「うわー!すごい早いよぉ」
アリアは、風に飛ばされそうになるポンチョのフードを必死に抑えながら、驚きの声を上げた。
「なんて脚力なんだ…しっかり捕まっていないと吹き飛ばされそうだ…」
リュウは、その驚異的な速度と振動に耐えるように、必死にシリウスの手綱を握りしめた。
「一体、シュリツァで何が起きているんだろう…」
サシャは、シリウスの背中で揺られながら、遠くで起こっているであろう異変に思いを馳せていた。
そして、サシャたちを乗せたシリウスは、その巨体からは想像もつかないほどの速さで、森の中を風のように駆け抜けていった 。
彼らの目的地であるシュリッツアが、刻一刻と近づいてくる。
一方、首都シュリッツアの王宮内部では、燃え盛る炎が全てを焼き尽くそうと猛威を振るい、熱気が周囲を満たしていた。
その中でも、炎に照らされた謁見の間の中央で、アルタイルとベクティアル国王が、互いに命を賭けて対峙していた。
「国賊に成り下がったお前を生かすわけにはいかぬ…!いくぞ!」
ベクティアルは、怒りの声を張り上げると、その手に持つ巨大な剣を構え、アルタイルに向かって猛然と斬りかかった。
「まずは手合わせというわけだな…」
アルタイルは、迫り来るベクティアルの剣を冷静に見据えながら、刀を構え、迎え撃つ姿勢を見せた。
「ガキィィィン!!」
王宮内に、剣と剣が激しくぶつかり合う甲高い金属音が響き渡った。
「さすがは、ホープと呼ばれただけはあるな…お前が軍に入った頃が懐かしい…」
ベクティアルは、巨大な剣にさらに力を込め、アルタイルを押し込んだ。
「ふん。昔話なら聞くつもりはないぞ」
アルタイルも、負けじと剣に力を込め、ベクティアルの力を押し返した。
同時に、彼女の口元が微かに動き、魔法の詠唱が始まる。
「空間魔法-虚空からの手招き-」
アルタイルが魔法を唱えると、ベクティアルの真横の空間が歪み、不気味なほど青白い手が、虚空から現れ、ベクティアルの体を掴もうと伸びてきた。
「ふんっ!」
ベクティアルは、迫り来る青白い手を冷静に見切り、焦ることなく力強く翼を羽ばたかせ、距離を取る。
だが、青白い手は、まるで意思を持っているかのように、ベクティアルを追うように執拗に伸びてきた。
「業火魔法-鬼多嵯火刃-!」
ベクティアルは、冷静な声で魔法を唱えた。
その言葉と共に、彼の手に持つ剣に、眩い黄金色の炎が瞬時に纏わりつく。
「はぁぁぁぁっ!!」
そして、黄金色の炎を纏った剣が、唸りを上げて青白い手を切り裂いた。
青白い手は、切り刻まれると同時に床に落ち、青い粒子となって儚く消散した。
それと同時に、ベクティアルの横に開いていた空間の穴も、音もなく閉じていった。
「老害でもこれくらはできるって訳か…」
アルタイルは、不敵な笑みを浮かべ、再び魔法を唱えようと口を開いた。
「そうはいかん!業火魔法-乃於載弩-!」
だが、その一瞬早く、ベクティアルが次なる魔法を放っていた。
眩い黄金の火矢が、アルタイルに向けて無数に放たれる。
その速度は、目を凝らさなければ捉えきれないほどだ。
「(早いな…)ふん…」
アルタイルは、迫り来る無数の火矢を、素早い身のこなしで次々と回避していく。
しかし、火矢は地面に着弾すると、小規模な爆発を引き起こし、熱波を巻き起こした。
「ちっ!!(魔法を唱える暇がないな)」
爆発による熱波がアルタイルの肌を軽く焼き、彼女の表情にわずかな焦りが浮かんだ。
「お前の空間魔法のことはよく知っている…だからこそ、使われる前に潰しておかねばらなん…」
ベクティアルは、魔力を放出し続け、間断なく無数の火矢をアルタイルに向けて撃ち続けた。
「ふっ…この程度の火矢で私の魔法を…阻止したと思うな!」
アルタイルは、挑発的な笑みを浮かべると、手にした剣を構え、反撃の体勢に入った。
「ドラゴニア流剣術奥義・彼岸花!!」
アルタイルは、剣を構えると同時に、竜巻が巻き起こるかのような凄まじい連撃を繰り出した。
その動きは残像を残すほどの神速であり、アルタイルは次々と迫り来る火矢を正確に撃ち落としていく。
「むぅ!!ならば…業火魔法-磨津倭-!!」
アルタイルの驚異的な剣技に、ベクティアルは大きく目を見開いた。
それでも彼は、冷静に火の矢を放ち続けながら、頭上に巨大な火球を形成し始めた。
火球は、見る見るうちに膨れ上がり、周囲の炎を取り込みながら、黄金色の輝きを増していく。
「これなら防げまい!」
すると、形成された火球から、一本の巨大な炎の矢が放たれた。
それは、アルタイルを確実に捉えようと、凄まじい速度で飛来する。
その大きさと速さは、回避するのが困難なほどだった。
「(これはかわせないな。仕方ない…)空間魔法…」
アルタイルは、回避不能と判断したかのように、小さく魔法名を口にした。
次の瞬間、謁見の間が全てを飲み込むかのような巨大な爆炎に包まれた。
「ドゴーン!!」
その爆炎の威力は凄まじく、激しい爆風は王座を粉々に砕き、床を大きく焦がした。
さらに、頑丈な壁までも破壊し尽くし、その衝撃と光は、王宮の外、街中にいた人々にもはっきりと伝わるほどだった。
「きゃぁぁっ!」
「王宮の方からだ!」
「黄金の炎…もしかして国王様が戦っているのか?」
街の人々は、突如の爆発に混乱する者、王宮の方向を見上げてその様子を案じる者と、反応は様々だった。
「っ!国王様が!?」
王宮からの爆炎は、遠く離れた街の東側で、レグルスと激しい戦闘を繰り広げていたラジアンの目にも届いた。
「よそ見とは余裕じゃないか…引力魔法-天蓋磔罰 -!」
レグルスは、その隙を突き、容赦なくラジアンに魔法を放った。
引力魔法がラジアンに直撃し、彼の体を強力な力で引っ張った。
「しま…!!」
引力魔法がラジアンに直撃する。
ラジアンは、抗う間もなくそのまま民家の壁に激しく叩きつけられた。
「ぐっ…」
ラジアンは、壁に張り付いたまま、苦悶の表情を浮かべた。
彼の体は、引力によって壁に縫い付けられたかのように、ピクリとも動かせない。
「ラジアン様!」
周囲で戦っていたドラゴニア王国軍の兵士たちが、隊長の危機に駆け寄ろうと身を乗り出した。
「雑兵は、そこで張り付いてろ!引力魔法-五寸鋲縛 」
レグルスは、彼らを阻むかのように、透明な苦無を数本、地面と兵士たちに向けて放った。
苦無は、音もなく地面と兵士に突き刺さる。
「なんだこれ…!?」
「う、動けない!」
苦無が刺さった兵士たちは、その瞬間、強力な引力によって地面に吸い寄せられるように張り付いた。
「ほらよ」
レグルスは、追い打ちをかけるかのように、地面に張り付いて動けない兵士たちに向けて、大鎌を飛ばす。
それはブーメランのように回転しながら、地面に張り付いた兵士らを斬り裂いていく。
「あぐっ…」
「ぐえっ…」
彼らは短い悲鳴を上げて次々と絶命した。
「レグルス…かつての同胞になんてことを!」
ラジアンの表情は、部下たちの命を奪われたことへの激しい怒りに満たされた。
「同胞?俺の同胞は龍心会の者達だけだ。祖国を踏み荒らすことを、ただ指をくわえて見ているだけの連中は、ただの腑抜けだ」
そう語るレグルスの視線は、冷たいまでに無感情だった。
「貴様…」
ラジアンの全身から、凄まじい魔力が一気に噴き出した。
彼の体は、レグルスの引力魔法に抗うように、少しずつ、しかし確実に動き始めた。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」
ラジアンは、魂の底からの叫びにも似た、天をも揺るがすような咆哮を上げた。
彼の体から放たれる魔力は、さらに強まっていく。
「まだやる気か…やはり、俺とアルタイルと共に肩を並べただけはある!」
そのラジアンの様子を、レグルスはどこか愉しそうに、そして満足げな表情で見つめていた。
「レグルス…もう容赦はしない」
ラジアンは、静かに、しかし確固たる決意を秘めて、その手に持つ得物であるクピンガを構えた。
彼の瞳には、全ての迷いを捨て去った強い光が宿っている。
「そうこなくてはな。さ、続きをしようか」
レグルスは、にやりと口元を歪めると、愛用の大鎌を構え、ラジアンへと向き直った。
崩壊した謁見の間は、凄まじい爆炎の痕跡を色濃く残していた。
床には黒焦げた瓦礫が散乱し、壁は煤と熱で変色している。
辺りは、未だくすぶる金色の炎と、天井から降り注ぐ白煙に包まれている。
「…はぁ…はぁ(ワシも年じゃな。この程度の魔法で体力を消耗するとは)」
ベクティアルは、自嘲するようにそう言葉を漏らした。
「だが、この一撃はいくら空間魔法を使えど凌げまい…」
金色に燃え盛る炎の向こうを、ベクティアルはじっと見据え、勝利を確信めいた口調で告げた。
「誰が消し炭になるだって?」
すると、炎の中から、ベクティアルの問いかけに応じるかのような声が響いた。
「なにっ…」
その声に、ベクティアルは驚愕の表情を見せた。
次の瞬間、彼の目の前で猛然と燃え盛っていた金色の炎が、何かに吸い込まれるかのように急速に収束し、消え去っていった。
「残念だが老いた貴様では私には敵わん」
炎が完全に消え去った後には、アルタイルが堂々と立っていた。
彼女の姿は、ところどころが煤で黒く汚れているものの、致命傷を負っているようには全く見えない。
「馬鹿な…爆風までも空間魔法で対処したというのか!?」
ベクティアルは、アルタイルの想像を遥かに超える実力に、自らの目を疑った。
「ふん…教える訳がなかろう。さ、そろそろ引導を渡してやろう」
アルタイルは、嘲笑うかのようにそう言い放つと、手にした剣を構え、地を蹴る。
「まだ終わらぬ!この国を…ワシは守らねばならん!」
ベクティアルは、その言葉に覚悟を宿らせると、握りしめた大剣を大きく振り上げ、アルタイルに応戦の構えを見せた。
「ギンギンギンギン!!」
謁見の間の中央で、再び激しい剣戟の嵐が巻き起こった。
「アルタイルよ…今からでも遅くない。考えを改めることはできぬか?」
剣戟の最中、ベクティアルが、一瞬の隙を突くようにアルタイルに問いかけた。
「命乞いか?くだらぬ。今更嘆いても遅い!!」
アルタイルは、ベクティアルの言葉を一蹴した。
同時に、彼女は半歩後ろに引き、魔法を唱える。
「空間魔法-虚空斬-!」
アルタイルが剣を振り抜くと、魔力を纏った一太刀が、空間を切り裂くようにベクティアルを襲った。
「くっ!!」
ベクティアルは、その一撃を回避しようと身を翻した。
しかし、距離が近すぎたために、完全に回避しきれなかった。
「ズバッ」
ベクティアルの左腕が肩から切り裂かれ、宙を舞った。
「ちっ…外したか」
アルタイルは舌打ちを一つすると、ベクティアルの出方を冷静に窺った。
「アルタイルよ。詰めが甘いな。腕の一本くらい痛くも痒くもない」
ベクティアルは、そう言葉を発すると、切断された左腕の付け根に魔力を集中させた。
瞬く間に、そこには黄金色の炎でできた腕が形成されていく。
「ほざけ。この様子だと相当疲労がたまっている様子だな」
アルタイルは、ベクティアルの強がりを見透かすように、彼の疲労困憊の状態を正確に見抜いていた。
「なんの…まだだ」
ベクティアルは、黄金の炎でできた腕で大剣を再び構え、アルタイルと対峙する。
その時、崩壊した壁の向こうから、複数のドラゴニアが降り立つ。
「国王様!!」
「お前がアルタイルだな!」
「国王様から離れろ!」
崩壊した壁から、王国軍の兵士が10人ほど、我先にと雪崩れ込んできた。
「お前たち、来るな!」
ベクティアルは、その兵士たちの無謀な行動に、慌てた様子で制止の声を上げた。
アルタイルの力を知る彼にとって、彼らの介入は自殺行為に等しい。
「邪魔をするな…空間魔法-虚空斬- !」
アルタイルは、ベクティアルの制止を無視し、冷徹な視線を兵士たちに向けた。
そして、手にした剣を鋭く閃かせると、空間そのものを断ち切るかのような斬撃を放った。
その斬撃は横一文字、直線に兵士達に飛んでいく。
「国王…様?」
次の刹那、アルタイルに近づいていた兵士たちの肉体が、斬撃を境に上下に分断された。
彼らは、何が起こったのか理解できないまま、絶命する。
「ひ、ひぃ…」
僅かに生き残った兵士たちは、目の前で繰り広げられた惨劇と、アルタイルの圧倒的な魔法の前に、恐怖に支配され、その場に立ち尽くした。
「この程度に腰を抜かしているようでは兵士失格だ。死ぬといい…」
アルタイルは、そう冷酷な言葉を放つと、一瞬で兵士の元へ高速で移動した。
そして、容赦なく剣で斬りつける。
「ぐぁぁっ!」
「がぁっ…」
その一撃は的確に急所を捉え、一撃で命を絶つ。
あっという間に、そこにいた兵士たちは全滅した。
「ベクティアルよ…これが現実だ。兵士達は平和にうつつを抜かし、このように何かが起きた時に何もできずに死ぬ…」
アルタイルは、血に塗れた刀を携え、冷酷な目でベクティアルの方へとゆっくりと振り向いた。
その瞳には、狂気にも似た光が宿っている。
「貴様…よくも同胞らを…」
ベクティアルは、部下たちの無残な姿に、激しい怒りに満ちた表情を見せた。
「同胞?こんな国も守れぬ輩を同胞とは呼べぬな」
アルタイルは、吐き捨てるように言い放つと、再びベクティアルに剣を向けた。
「…だとしても。同胞は同胞だ…貴様はそれを殺めた。その罪は償ってもらう」
ベクティアルは、自らの信念を貫くようにそう告げると、体から発する魔力を更に増大させた。
「ほう。まだそれだけの魔力が残っているとは…」
アルタイルは、その魔力の高まりに、わずかに興味を抱いたように鋭い視線をベクティアルに向けた。
「…業火魔法-裂羅威-!」
次の瞬間、ベクティアルの背後に、謁見の間の天井に届くほどの巨大な炎の化身が、燃え盛る業火の中から現れ出た。
その肉体は金色の炎で燃えあがり、右手にはベクティアル同様に巨大な大剣を携えている。
「これが…ワシの一撃だ!!」
ベクティアルが、その言葉に決意を込めて右手の大剣を振るった。
同時に、背後の炎の化身も、ベクティアルの動きに呼応するかのように、同じく右手の大剣を振り下ろす。
そのリーチと威力は、ベクティアルの持つ大剣とはくらべものにならないほどだ。
「くっ…!(ここは場所が悪い。多少の犠牲が出るかもしれんがやむを得ないか…)」
アルタイルは、化身の巨大な一撃を、ギリギリのところで後方に跳び退いて回避した。
しかし、その斬撃は彼女の胸元を浅く掠め、火傷の痕を残した。
「来い!老害!」
アルタイルは、そう挑発するように言い放つと、謁見の間の崩れた壁から勢いよく飛び上がり、夕焼けの空へと舞い上がった。
「待たんか!」
ベクティアルも、怒りを露わに、アルタイルを追うように空へと飛び立ち、シュリッツアの上空で、再び対峙する。
二人の姿は、街のあちこちから見上げられていた。
「あれは…国王様?」
「隣にいる女は何者だ?」
「二人ともとんでもない魔力を放っているぞ…」
地上では、その様子を目の当たりにした国民たちが、不安と驚きでざわめいていた。
「よかったな。大好きな国民に見送られて死ねるぞ?国葬いらずだな…」
アルタイルは、嘲るような言葉を投げかけながら、剣を構えた。
「ふん…」
それに対してベクティアルは、アルタイルの言葉には何も返さず、ただ静かに大剣を構え直した。
そして、彼の背後に呼応するように、巨大な炎の化身も大剣を構え、威圧感を放つ。
次の刹那、まるで申し合わせたかのように、二人は同時に相手へと斬りこんだ。
だが、圧倒的にベクティアルの炎の化身の方が巨大でリーチも長かった。
化身が振り下ろす大剣は、アルタイルの肉体ごと焼き尽くさんとするほどの破壊力を伴っていた。
「…(思ったよりも範囲が広いな)」
アルタイルは、化身の攻撃範囲の広さに、わずかに目を丸くした。
「さらばだ…アルタイルよ」
ベクティアルは、化身の一撃がアルタイルを捉えたと確信し、勝利を確信した。
だが、それに対してアルタイルは、不敵な笑みを浮かべる。
「何を勝ち誇った顔をしている…空間魔法-虚空の聖域-!」
アルタイルが魔法名を唱えた次の瞬間、彼女の周囲の空間がグニャグニャと音もなく捻じ曲がり始めた。
そして、その空間に化身の大剣が振り下ろされたと同時だった。
「スゥ…」
空間のねじれに巻き込まれた炎の化身は、力を失い、徐々に小さくなっていった。
その巨体は、まるで霧のように虚空へと吸い込まれ、やがて完全に無となって消え去った。
「なに…そんなバカな…そんな魔法見たことがない…」
ベクティアルの顔に、驚愕と冷や汗が浮かんだ。
「切り札は最後まで温存しておく主義なのでな。さ、今度こそ終いだ」
アルタイルは、勝利を確信したかのようにそう告げると、一瞬でベクティアルへと高速で肉薄した。
「まだ…まだだ。まだ燃え尽きておらぬ!」
それに対してベクティアルも、最後の力を振り絞るように大剣を構え、アルタイルを迎え撃った。
「ギンギンギンギン!!」
シュリッツアの上空で、竜巻が巻き起こるかのような激しい剣戟の応酬が繰り広げられた。
互いの肉体から鮮血が飛び散り、空中に赤い軌跡を描いた。
「老害のくせに粘るな!」
「ワシにはまだやらねばならんことがある…死ねぬな」
そして、二人はほぼ同時に距離を取り、魔法の詠唱を開始した。
「受けよ!業火魔法-斧錬子-!」
ベクティアルが剣を振り下ろすと、彼の刃から、まるで炎の嵐のように無数の巨大な斧が、唸りを上げてアルタイルに向けて飛来した。
「空間魔法-虚空の抹消者-!」
次の刹那、アルタイルが剣を閃かせると、空間そのものを切り裂くような黒い斬撃を放った。
それは、空を斬り裂き、ベクティアルが放った巨大な炎の斧を次々と飲み込みながら、瞬く間にベクティアルへと迫った。
その速度はあまりに早く、回避は不可能だった。
「くそっ…無念」
その一撃は、ベクティアルの強靭な肉体に、致命的な傷を深く刻み込んだ。
彼の体は、空間ごと斬り裂かれたかのように、内側から破壊される。
「(ぐあっ…)」
ベクティアルは鮮血を噴き出しながら、力を失い、重力に従い地上へと落ちていく。
「ドシャッ!!」
ベクティアルは、制御を失ったかのように、街の中央に立つ初代ドラゴニア国王の巨大な銅像がある広場に、轟音と共に落下した。
「きゃあ!」
「こ、国王様?」
近くで二人の戦闘の様子を見上げていた住人たちが、突如目の前に落ちてきたベクティアルの姿に驚愕し、悲鳴を上げた。
「がはっ…」
ベクティアルは、地面に強く叩きつけられ、口から大量の鮮血を吐き出した。
その衝撃で全身の骨は砕け散り、内臓も深刻なダメージを受けている。
もはや息をしているのがやっとの状態だった。
「…私の勝ちだ」
勝利を確信したアルタイルが、静かにベクティアルの傍へと降り立った。
彼女は、血に塗れた刀を掲げ、ベクティアルの首元にその切っ先を突きつけた。
「ちょっと、あなた!国王様になにをするの?」
すると、近くにいた一人の女性ドラゴニアが、勇気を振り絞るようにアルタイルに抗議の声を上げた。
「なんだ?私の邪魔をするというのか?」
アルタイルは、女性の言葉にわずかに顔を向け、全身から威嚇するように強大な魔力を放った。
その魔力は、周囲の空気を震わせるほどだ。
「うっ…」
その圧倒的な魔力の前に、抗議をしたドラゴニアはそれ以上何も言えなかった。
「さすが…グホッ…王国のホープと呼ばれた…戦士だ」
ベクティアルは、無念そうな表情を浮かべながら、最後の力を振り絞るようにそう言葉を絞り出した。
「情けだ。遺言くらいは聞いてやる」
アルタイルは、冷淡な口調でベクティアルに遺言を尋ねた。
「…ドラゴニアの…未来を…悪いようには…するな」
ベクティアルは、途切れ途切れに、しかし確かな願いを込めて、力のない声でそう言葉を紡いだ。
「…当然だ」
アルタイルは、その言葉に微かに頷くと、迷いなくベクティアルの首元めがけて剣を振り下ろした。
「そんな、国王様…」
「なんてことだ」
周りにいた人々は、その場で繰り広げられた惨劇と、国王の最期を、ただ見つめているしかなかった。
「…さ、新しい時代の幕開けだ」
アルタイルは、返り血を浴びたまま、全てを成し遂げたかのような表情を浮かべた。
そして、ゆっくりと天を仰ぎ、その手に形成した黒い球体を空へと放った。
その球体は、不気味な輝きを放ちながら上昇していく。
黒い球体は、シュリッツアの遙か上空で静止すると、閃光と共に大爆発した。
それは、漆黒の輝きを放ち、ドラゴニア王国の、そして龍心会が目指す新しい時代の幕開けを告げるかのように、空を漆黒に染め上げた。




