第50章:相反する想い
翌朝、サシャ達の姿は、朝日がレンガ造りの宿屋を淡いオレンジ色に染め上げる中、その前に立っていた。
ひんやりとした清々しい空気が流れ、深呼吸をすると、肺の奥まで澄み渡るようだった。
「ふぁぁ…よく寝た」
サシャは、大きく口を開けて欠伸をし、全身を伸ばすように背伸びをした。
あの後、アリアがくれた胃薬のおかげで、昨晩の食べ過ぎによる胃の不快感はすっかりと消え去り、体調は万全に戻っていた。
「まったく、これで体調を崩したら笑えんぞ」
リュウが、呆れたような視線をサシャに向けながら、小さく呟いた。
「けど胃薬が効いてよかったよ!!」
アリアは、満面の笑みを浮かべて嬉しそうに言った。
「で、トルティヤは…」
サシャが、精神世界でトルティヤの様子を覗いてみると、
「すやすや…」
昨日、あれほど大量のそばを平らげた張本人は、心地よさそうに深い眠りに落ちていた。
「ま、いつものことだね…」
サシャは、特に驚くこともなく、いつもの光景だと理解して呟いた。
「して、今日はどうするんだ?」
リュウは、冷静な声でサシャに問いかけた。
「今日はカザに向かって進もうと思うんだ。カザは確か、シュリッアを南下してカリカリの森を抜けて、草原を進んだ先にあるね。それと、アフォガードさんの手紙にあったラウ老師という人を尋ねてみよう!」
サシャは、取り出した地図を広げ、指でなぞりながら、改めてルートを確認した。
「結構、距離があるんだね!」
アリアは、地図に示された移動距離の長さに目を丸くした。
「そうだね。タタラ峠の時みたいに、道中で予期せぬ出来事が起こるかもしれないし、念のため、日用品を少し調達しておこうか」
サシャは、飲み水や保存の効く食料、応急処置用の回復薬などを買い足すことを提案した。
「そうだな。そういえば、俺も丁度、刀を研ぐ砥石が残り一つになっていたところだった」
リュウは、何かを思い出したように呟いた。
「じゃあ、先に買い物だね!」
アリアは、明るい笑顔を見せた。
こうしてサシャ達は、日用品を買い揃えるために街へと繰り出した。
石畳の道には、大きく翼を広げて悠々と歩くドラゴニアの人々や、涼やかな顔立ちのエルフ族と思われる冒険者、そして様々な荷物を積んだ人間の商人など、多くの種族が朝早くから行き交い、活気に満ちた様子だった。
「それにしても、朝から賑わっているな」
リュウは、周囲の喧騒を眺めながら静かに呟いた。
「首都だってのもあるけど、大陸の中央に位置する国だから、色々な地方から人の往来も多いんだろうね」
サシャが、周囲の店を見ながらそんなことを話していると、趣のある一軒の雑貨屋の前に着いた。
外観は、他の建物と同様に赤いレンガ造りで統一されており、落ち着いた上品な雰囲気が漂っていた。
「ここだね」
サシャ達は、店先に吊るされた様々な道具を見ながら、雑貨屋の中に足を踏み入れた。
店内は、多くの冒険者や、街の住民と思われるドラゴニア達が、冒険や日常生活に必要な物資を熱心に品定めしていた。
商品棚には、保存食の干肉や瓶詰、竹筒に入った飲み水や、様々な種類の回復薬などが、所狭しと並べられていた。
「さすが、首都の雑貨店だ。品揃えが豊富だね」
サシャは、陳列された商品を一つ一つ丁寧に眺めていった。
「お、砥石もしっかりと置いてあるな」
リュウは、近くの棚に並べられた砥石を手に取って吟味した。
「これも買っておこうよ!」
アリアは、美味しそうな骨付きの干し肉を手に取り、嬉しそうにサシャに見せた。
「そうだね。この先に、安心して休憩できる宿があるという保証もないし」
サシャは、棚からいくつかの回復薬と、飲み水が入った竹筒を手にした。
そして、買い物を終えたサシャ達は、店の奥にあるレジに向かった。
そして、小柄な体格のドラゴニアの店員が、購入した商品を一つ一つ丁寧に確認していく。
「全部で6000ゴールドですね!」
店員は、にこやかな笑顔でそう言った。
「はい!これで!」
サシャは、腰のポーチから銅貨を6枚取り出し、店員に手渡した。
「確かに受け取りました!」
店員が、購入した商品を丁寧に革袋に詰め、サシャに渡そうとした時だった。
「我々『龍心会』は、この国を強大で、誇りのある国を目指し…!」
店の外から、男性の力強い声で、何かの演説が聞こえてきた。
「なんだろう?」
アリアは、何事かと店の外の方に顔を向けた。
「あー…気にしないでください。あんなことばかり言っている変な集団ですよ。はい、こちらお品物です」
店員は、少し困惑したような表情を浮かべつつ、サシャに購入した物資を手渡した。
そして、サシャ達は雑貨屋を後にした。
すると、すぐ近くの広場で、黄色の翼を持つ女性と、赤色の翼を持つ男性のドラゴニアが、聴衆もいない中で、熱のこもった声で演説を続けていた。
黄色の翼の女性は、眉を吊り上げ、やや興奮した口調で叫んだ。
「今、ドラゴニア王国は、弱腰な他種族との融和政策を推し進めている!だが、我々『龍心会』は、そのような政策に断固として反対する!この危機的な状況に賛同する、誇り高きドラゴニアの同志よ。今こそ、我々と共に立ち上がろうではないか!!」
しかし、広場を行き交う周囲の通行人は、誰一人として彼女の話に耳を傾けることなく、まるでそこにいないかのように素通りしていく。
同胞であるはずのドラゴニアですら、冷ややかな視線を向け、無視する有り様だった。
赤色の翼をした男性は、顔を紅潮させ、やや焦ったような口調で叫んだ。
「この国には、真の誇りを取り戻す新たな指導者が必要だ!現体制のままでは、狡猾な他国に利権を貪られ、我々、誇り高きドラゴニアは地に堕ち、二度と立ち上がれなくなってしまう!同志たちよ、声をあげろ!」
彼は、「龍心会」と大きく書かれた、風になびく巨大な旗を掲げていたが、それでも、彼らに賛同する者は一人も現れなかった。
「…どの国にも、今の体制に対して不満を持ち、反対の声を上げる民はいるのだな」
リュウは、広場の一角で熱弁を振るう二人を静かに眺めながら呟いた。
「えー!みんなで仲良くすればいいのに…」
アリアは、その光景を不思議そうに見つめながら首を傾げた。
「アリアは、キャラバンにいた時、キャラバンの掟とか、やり方に反対する人はいなかった?」
サシャは、アリアの純粋な疑問に答えるように優しく尋ねた。
「うん!皆、キャラバンの掟は守るし、必要なものがあれば皆で分け合うし、長老だったオババ様には皆従っていたよ!」
アリアは、あっけらかんとした様子で答えた。
「…そっか」
サシャは、アリアの世間知らずな一面に、内心で少し苦笑した。
「けどね、アリア。この世界には、自分の考え方を絶対に譲れない人もいるし、皆が完全に納得できる国を作るのは、とても難しいんだ。この前戦った、野狐部隊だって、自分たちの譲れない志があったから、俺達と必死に戦ったんだよ」
サシャは、アリアの澄んだ瞳をじっと見つめながら、諭すように話した。
「確かに、あの子も、すごい信念を持っていた。だから、最後は自爆してまで、リーダーに忠誠を尽くそうとしていたよ」
アリアは、遠い記憶を辿るように呟いた。
「サシャの言うとおりだ。アリアのキャラバンでは皆仲良しだったのかもしれないが、この世界は広い。全ての人が皆仲良くするのは難しい…いや、ほぼ不可能と言っても過言じゃないだろう」
リュウが、サシャの言葉に同意するように付け加えた。
「…そうなんだね」
アリアは、少し寂しそうな表情を見せたが、すぐにいつもの明るい笑顔を取り戻した。
「だけど、世界って面白いね!僕、二人と旅に出て本当に正解だったよ!」
アリアは、サシャとリュウに向かって満面の笑みを浮かべた。
「それなら、よかった…」
サシャは、自分の言葉がアリアにしっかりと伝わっていることを感じて、心の中で安堵した。
そして、サシャ達は、賑やかな広場を後にして、街の南側へと向かって歩を進めた。
その途中、道の中央に、巨大な赤い石造りの塔が堂々とそびえ立っていた。
「この建物はなんだろう?」
サシャは、その威圧的な塔に視線を向け、疑問を口にした。
塔の入口には、精緻な装飾が施された巨大な扉が、大きな口を開けているように見えた。
扉の両脇には、屈強な体格のドラゴニアの兵士が、刃こぼれ一つない巨大な斧を肩に担ぎ、仁王立ちで周囲を警戒していた。
周りは、深々と水を湛えた堀で囲まれており、高く積み上げられた赤いレンガ造りの塀が、威圧感と共にそびえ立っていた。
そして、塀の入口にも、屈強な鎧を身につけたドラゴニアの兵士が、鋭い眼光で周囲を警戒しながら立っていた。
「すごい立派な建物だね!」
アリアは、首を高く伸ばして塔を眺めながら、感嘆の息を漏らした。
その時、周囲にいた人々が、ざわめき始めた。
「ベクティアル国王陛下のお通りです!皆さま、道をお開けください!」
全身を光沢のある鎧で包んだ、屈強なドラゴニアの兵士が、周囲に鋭い声で叫び、通行人に道の両脇へ移動するように促した。
その声を受けると、塔を見物していた人々は、慌てた様子で道の端に身を寄せた。
「なんだろう?」
サシャ達も、何事かと道の端へと移動し、様子を窺った。
すると、道に数人の人影が見えてきた。
先頭には、巨大な斧を肩に担いだ、屈強そうな体格のドラゴニアの兵士が、威圧感を放ちながら歩いている。
そして、道の真ん中には、陽光を浴びて深紅に輝く鱗と、巨大な赤い翼をもったドラゴニアの男性が、ゆっくりとした足取りで歩いていた。
その全身から発せられる威圧感は、明らかに他のドラゴニアとは一線を画しており、遠くから見ても、ただならぬ覇気が伝わってくるほどだった。
「おお!あれはベクティアル国王陛下だ!」
「国王陛下、今日もお姿が凛々しい!」
「いつ見ても、あの凄まじい覇気には圧倒される!」
周囲は、興奮した民衆の声で一気に喧騒に包まれた。
道の真ん中を歩いている、その威風堂々としたドラゴニアの男性は、間違いなくドラゴニア王国の国王、ベクティアルであった。
国王は、沿道に集まった人々に向かって、優しい笑顔を見せながら手を振り返した。
そして、ゆっくりと、しかし威風堂々とした立ち姿で、重厚な扉の向こうへと塔の中に入っていった。
「あれが国王…」
サシャは、その威風堂々とした佇まいに、思わず息を呑んでいた。
全身から溢れ出る威圧感に、ただただ圧倒されていた。
「覇気がヒシヒシと伝わってきた。あれが、ドラゴニアの頂点に立つ王の力なのか」
リュウも、国王の威厳に、ただの王ではない、特別な存在であることを感じ取っていた。
「すごかったね!あれが王様なんだ!」
アリアも、その圧倒的な威厳と覇気に、目を丸くして感動していた。
特に、真紅に輝く鱗が、まるで宝石のように美しかったと話した。
「すごいものも見れたし、そろそろカリカリの森に向かおう!」
サシャは、国王の余韻に浸りつつも、気を取り直して二人に声をかけた。
「そうだな。カザまでは、まだ長い道のりだ」
リュウとアリアも頷き、サシャ達は、シュリッアの街の南門へと歩みを進めた。
しばらく歩くと、鉄製の南門が、その巨大な姿を現した。
「着いた!この先が、いよいよカリカリの森へと続く道だね」
サシャは、南門の脇に建てられている、古びた木彫りの看板に目を留めた。
そこには、『←シュリッア市街、カリカリの森→』と、簡潔に刻まれていた。
「珍しい生き物はいるのかな!」
アリアは、目を輝かせ、期待に胸を膨らませたような表情を見せた。
「アリアはいつもそればかりだね!」
サシャ達は笑いながら道を進む。
そして、サシャ達は、いよいよカリカリの森へと続く道へと足を踏み出した。
一方、シュリッアの街を見下ろす郊外にひっそりと佇む、古びた洋館の一室にて。
「残念ながら、我々の正当な訴えに耳を傾ける者は、誰一人としておりませんでした…」
その部屋の中で、先程、街の中心部で熱弁を振るっていた、赤い翼を持つドラゴニアの男性が、誰かに現状を報告していた。
「王国に、民の声を代弁する嘆願書を提出しましたが、残念ながら返答は一切ございません…」
丸縁の眼鏡をかけた、どこか気弱そうな印象の女性ドラゴニアが、不安げな表情で呟いた。
「まったく…どいつもこいつも、現状に何の疑問も持たずに受け入れおって!」
豪華な装飾が施されたソファに、尖った耳と鮮やかな緑色の翼を持つ女性のドラゴニアが、深く腰掛け、露骨に不満そうな顔をして周囲を睨みつけていた。
その鋭い眼光は、部屋の空気をピリつかせていた。
「アルタイル様の仰るとおりです。今のドラゴニアの民は、危機が迫っているというのに、何一つとして危機感を抱いていないのです」
頭を丸刈りにした、落ち着いた雰囲気を持つ銀色の翼をしたドラゴニアが、静かに、しかし強い口調でそう言った。
「特に、人間共に対して、今の国王や首脳陣は、必要以上にへりくだっている。私は、その現状に到底納得できないのだ!」
アルタイルと呼ばれた、緑色の翼をしたドラゴニアは、そう言い放つと、勢いよく立ち上がった。
その動きには、抑えきれない怒りが感じられた。
「私はもう一度、ベクティアル国王に直接掛け合いに行く。もしも、これで直談判が成功しなかったら…」
アルタイルの握られた拳は、怒りと決意で小さく震えていた。
その表情は、悲壮な覚悟を物語っていた。
「お覚悟はお決まりのようですね。我々は、どこまでもアルタイル様にお供いたします」
坊主頭のドラゴニアは、力強い眼差しでそう言い、
周囲にいた他のドラゴニアたちも、固い決意を込めて頷いた。
「私達は、武器と爆薬の調達に向かいます。以前から取引のあるワンダムの商人から、上質なものが手に入りそうですから」
眼鏡をかけたドラゴニアが、冷静な声でそう言った。
「あぁ…頼んだぞ」
アルタイルは、眼鏡をかけたドラゴニアに短くそう告げると、部屋にいる他のドラゴニアたちをゆっくりと見渡した。
その瞳には、仲間への信頼と感謝の光が宿っていた。
「皆…私の志を理解し、こうして最後までついてきてくれて、心から感謝する」
アルタイルは、同志たちに、わずかに微笑みかけた。
その笑顔は、普段の険しい表情とは異なり、どこか寂しげにも見えた。
「行くぞ…ベクティアル国王に、我々『龍心会』が本気であることを、しかと伝えに…」
こうして、坊主頭のドラゴニアとアルタイルは、重い足取りで洋館を後にした。
「ドラゴニア特産のワイン!安いよ!」
「今日も平和だ!ワハハハハ!」
「それでさ、新しい彼女がさぁ」
街は、相変わらず多くの種族が行き交い、雑談を交わし、平和な雰囲気に包まれている。
「人間どもめ…我らの聖地を、のうのうと歩きおって…」
アルタイルは、深い憎悪を込めた瞳で、楽しそうに談笑しながら歩く人間の通行人たちを、鋭く見つめた。
「この平和な光景も、もうすぐ終わるだろう。国王が、我々の正当な直談判を聞き入れてくれれば良いのだが…ただ、それがなされない時は…」
坊主頭のドラゴニアが続きを呟こうとするが、アルタイルはそれを制止した。
「これ以上は言うな。私だって、不要な戦いは避けたいのだ」
アルタイルの瞳には、自らの行動がもたらすであろう未来を憂う、真剣な光が宿っていた。
その時、一人の幼いドラゴニアの少年が、慌てて走ってきた拍子に、アルタイルに勢いよくぶつかってきた。
「いたた…」
ドラゴニアの少年は、その衝撃でよろめき、尻もちをついてしまった。
それに対してアルタイルは、すぐに膝をついてしゃがみ込み、心配そうな表情で少年に手を差し伸べた。
「大丈夫か?少年。怪我はないか?」
「お、お姉さん、ごめんなさい!」
少年は、大きな瞳に涙を浮かべ、今にも泣き出しそうな表情をした。
アルタイルは、優しく少年の頭を撫でた。
その手つきは、普段の彼女からは想像もできないほど温かかった。
「大丈夫だ。子供は、元気いっぱいに走り回るのが仕事だ」
アルタイルは、先程までの険しい表情から一転、穏やかな笑顔で少年に優しく呟いた。
それを見た少年は、不安げな表情から一転して、ぱっと笑顔になった。
「うん!これからは気を付けるよ!お姉さん、ありがとう!」
そう元気よく呟くと、少年はすぐに立ち上がり、どこかへ走り去っていった。
「相変わらず、お優しい」
坊主頭のドラゴニアが、アルタイルの優しい一面を見て、感慨深げに呟いた。
「未来を担う子供たちのために、我々は行動を起こさねばならないのだ…」
こうして、しばらくの間、静かに市街を歩いた後、アルタイルは、荘厳な雰囲気を漂わせる王宮の前に、毅然とした態度で立ち止まった。
「さて、この決死の直談判に、果たして国王は応じてくれるだろうか…」
アルタイルは、固く決意を秘めた表情をすると、王宮の堀の近くに立っている兵士に向かって、ゆっくりと歩き出した。
だが、この時、誰も予想だにしていなかった。
アルタイルのこの行動が、後にドラゴニア王国全体を、深い混乱と悲劇の渦へと巻き込んでいくことになることに。




