第46章:底力と忠誠
パナンの北西に位置する門へと続く堂々とした石造りの大橋。
その広々とした橋の中央で、アリアとフェネックは静かに向かい合っていた。
「で?本気でこの私に勝てるとでも思っているわけ?」
フェネックは、挑発的な笑みを浮かべてアリアに言い放った。
「それはさ、実際にやってみないと分からないよ。だけど…」
アリアは、フェネックの言葉に動じることなく、弓を持つ手に力を込め、狙いを定める。
「最初から諦めるなんて、僕は絶対に嫌だ!!」
アリアの指が弦を離れた瞬間、矢は力強く放たれた。
矢は、風を切る鋭い音を立てながら、一直線にフェネックへと向かっていく。
「やれやれ…理解できないや」
フェネックは、その真っ直ぐな矢を見て、僅かに苛立ちを滲ませた表情を見せた。
「ヒュンッ!」
フェネックは水銀の双剣を交差させ、飛来する矢を弾き飛ばした。
そして、体勢を崩すことなく、そのままの勢いでアリアに向かって走り出した。
「鎖魔法-チェーンウォール-!」
フェネックが迫る中、アリアは魔法を唱える。
すると、アリアの足元の石畳が僅かに震え、地中から無数の鎖が、絡み合いながら瞬く間にアリアの周囲を取り囲んだ。
「ちっ…だったら、水銀魔法-千銀鞭-!」
フェネックは、鎖の壁の出現に足を止めると、魔法を唱えると、
目の前に、銀色の塊がヌルリと浮かび上がった。
次の瞬間、それはまるで生きているかのように変形し、放射状に無数の細い鞭へと分裂、拡散していく。
そして、鎖の壁の隙間を器用に縫うように、入り込んでいく。
「そんな!」
鎖の壁を突破し、アリアがいる空間へと侵入した無数の水銀の鞭は、アリアに向かって襲いかかる。
「うわぁ!」
迫りくる無数の鞭に対し、アリアは咄嗟に身を翻し回避すると同時に、魔法を解除した。
鎖の壁は、力を失い、バラバラとなって石畳の上に崩れ落ち、アリアの姿が露わになる。
「アンタ、かくれんぼ弱いでしょ?」
フェネックは、再び水銀の双剣を構え、アリアに迫る。
「くっ!」
フェネックの急接近に、アリアは咄嗟に弓を水平に構え、防御の姿勢を取った。
「ガキィィン!」
フェネックの振るう水銀の双剣が、アリアの構えた弓に激しく叩きつけられた。
鈍い金属音と共に、衝撃がアリアの両腕に伝わり、思わず顔を歪める。
「あらら、随分と防戦一方じゃないか」
フェネックは、優勢な状況を楽しみながら、ニヤリと意地の悪い笑みをアリアに向けた。
「うるさい!僕だって…」
そう呟くと、アリアは両腕に力を込め、フェネックの押し込む力に対抗しようと踏ん張った。
「へぇ、押し返してくるんだ?…けどさ」
次の瞬間、フェネックは、弓に意識を集中させているアリアの隙を突き、素早い前蹴りを繰り出した。
「ぐあっ!」
アリアは、フェネックの強烈な前蹴りを腹部にまともに受けてしまい、まるで吹き飛ばされたように後方へと倒れ込んだ。
衝撃で肺の空気が押し出され、息苦しさに顔を歪める。
「まだまだ、終わりじゃないよ!」
フェネックは、倒れたアリアに追い打ちをかけるように魔法を唱える。
「水銀魔法-千銀鞭-!」
再び液体金属の鞭がアリアを襲う。
「ベシッ!ベシッ!」
水銀の鞭は、倒れて身動きの取れないアリアに向けて、容赦なく叩きつけられる。
「ううっ…」
アリアは、両腕を顔の前で交差させ、必死に鞭による打撃をガードするが、激しい衝撃に体は跳ね上がり、痛みに顔を歪める。
やがて、アリアは体をピクピクさせ動かなくなった。
「あーあ、本当に呆気ないな…」
フェネックは、水銀の双剣を構え、倒れたままのアリアに近づいてくる。
そして、フェネックがアリアのすぐ横で立ち止まった。
「全然、面白くなかったよ。さようなら…」
フェネックは、つまらなそうにそう呟くと、水銀の双剣をアリアに向けて突き刺そうとした。
その時だった。
「鎖魔法-チェーンバインド-!」
アリアは、咄嗟に魔法を詠唱した。
すると、フェネックの足元が激しく震え、無数の鎖が、地中から出現する。
「なっ!」
完全に油断していたフェネックは、予期せぬ反撃に虚を突かれ、抵抗する間もなく、両手足を太い鎖でグルグル巻きにされていく。
「かかったね!」
アリアは、全身に受けた鞭の打撃による傷で痛む体をゆっくりと起こした。
「くっ!離せ!」
フェネックは、拘束された体をもがき動かそうとするが、太い鎖はびくともしない。
そして、アリアはフェネックから安全な距離まで後退すると、矢筒から一本の矢を慎重に取り出した。
その矢の先端には爆薬が仕込まれていた。
「…僕の、勝ちだよ」
アリアは、その爆薬を仕込んだ矢を弓につがえ、しっかりと狙いをフェネックに定める。
「…」
深く呼吸をし、ゆっくりと息を吐いた。張り詰めていた空気が、僅かに緩んだように感じられた。
そして、アリアの指が弦を離れ、矢は空気を激しく震わせながら、フェネックに向けて一直線に放たれた。
「…ったく、めんどくさいな」
フェネックが、拘束されたまま、何かを悟ったような、小さな声で呟く。
「ドカーン!!!」
放たれた矢は、フェネックの体に寸分の狂いもなく直撃し、強烈な爆発を引き起こした。
爆発音は周囲の空気を震わせ、砂煙と爆風が辺りを包み込む。
「…やったかな?」
アリアは、心臓をドキドキさせながら、砂煙が晴れるのを待った。
そして、爆発の余韻が残る中、砂煙の中に、一つの人影がぼんやりと浮かび上がった。
「まったく…これがなかったら、死んでいたよ」
砂煙の中から現れたフェネックは、右手の義手から、巨大な青白い半透明のバリアを展開していた。
そのバリアが盾となり、爆発の衝撃を防ぎきったようで、フェネック自身は、顔や服に煤が付いた程度の、ごく僅かなダメージで済んでいた。
しかし、右手の義手は、爆発の衝撃に耐えきれず、関節部分から大きく歪んでいた。
「え?」
アリアは、信じられない光景を目の当たりにし、驚愕の表情を隠せないでいた。
「ねぇ、どんな気持ち?悔しい?悔しいよね?…アハハハハハハ!」
フェネックは、呆然と立ち尽くすアリアを、嘲笑い、高らかに笑い出した。
「(挑発に乗っちゃダメだ。落ち着いて、冷静に状況を見極めるんだ)」
アリアは、フェネックの嘲笑で我に返り、深呼吸をして冷静さを取り戻そうと努めた。
「それじゃあ、準備運動も済んだことだし、こっちもそろそろ、本気で行こうかな!」
フェネックは、展開していた青白いバリアを消すと同時に、魔法を唱え始めた。
「水銀魔法-銀色の弓使い-!」
フェネックの言葉に応じるように、無数の銀色の光が凝縮し、みるみるうちに矢の形を成していく。
その数は、数百本にも及ぼうとしていた。
そして、それらは一斉に、アリア目掛けて放たれた。
「(回避は無理かも…それなら、一か八か!)」
迫りくる無数の銀色の矢を前に、アリアは瞬時に判断を下した。
「鎖魔法-チェーンメイル-!」
アリアは、魔法を唱える。
すると、鎖が体を覆い、まるで全身を覆う鎖の甲冑のようになった。
「ギンギンギンギン!」
次の瞬間、無数の銀色の矢が、雨のようにアリアの体に降り注いだ。
矢が鎖に激しくぶつかり合い、けたたましい金属音が連続して響き渡る。
衝撃が全身を貫き、アリアは思わず息を呑んだ。
「(うっ…鎖の鎧を身につけていても、これほどの衝撃と痛みを受けるなんて…!)」
鎖のおかげで、矢は辛うじて防げているものの、矢の勢いは凄まじく、鎖の連結部分が少しずつ剥がれ、アリアの肉体が僅かに露出していく。
「さて、いつまでその鎖がもつのかな?」
フェネックは、雨のように降り注ぐ矢の嵐の中で、鎖に覆われたアリアを興味深そうに見つめていた。
「(もう少しだけ…耐えるんだ…!)」
アリアは、激しい痛みに耐える。
その時、鎖が剥がれた右肩の僅かな隙間を縫って、一本の銀色の矢がアリアの肩に深々と突き刺さった。
「ぐっ!」
鋭い痛みが、アリアの全身を駆け巡る。
さらに、追い打ちをかけるように、太腿の鎖が剥がれた部分にも、
もう一本の矢が容赦なく突き刺さった。
「うっ!!」
二本の矢が命中した直後、まるで雨が止むかのように、銀色の矢の雨は突如として止んだ。
「(あちゃ…耐えきられちゃったか。まあ、あれだけの数を放ったんだ。魔力量的にも、これ以上は無理かな)」
フェネックは、再び両手に水銀の双剣を形成する。
「あらら、痛そうだね。それ」
フェネックは、肩と太腿に矢が刺さり、辛うじて立っているアリアを見て、ニヤリと嘲笑った。
「はぁ…はぁ…」
アリアは、激しい痛みに耐えながら、肩で荒い呼吸を繰り返していた。
「知っていると思うけど、私の水銀には、毒を付与する効果もあるわけ。そろそろ、その効果が出てくる頃だと思うよ」
フェネックがそう言った次の瞬間、アリアの視界が歪み始めた。
地面が揺れ、平衡感覚が失われていく。
「うわっ…」
アリアは、体がフラフラと大きく揺らぐと、地面にうつ伏せに倒れ込んだ。
「あーあ、そりゃあ、二本も矢を受けたんだし、そうなるよね」
フェネックは、ゆっくりとした足取りで、倒れたアリアに近づいてくる。
「(この状況的に、ないとは思うけど、さっきみたいに、油断して鎖魔法で拘束されたら嫌だし…念のため、警戒しておこうと)」
フェネックは、慎重な足取りでアリアに近づき、その様子を観察する。
アリアは、地面に伏せたまま、苦しそうに汗を流し、激しく呼吸を繰り返している。
「苦しそうだね。でも、もうすぐ楽にしてあげるから」
フェネックは、倒れたアリアを狙い、水銀の双剣をゆっくりと持ち上げ、今度こそ確実に突き刺そうとした。
「よっと!」
その時、アリアは、信じられないほどの素早さで身を回転させ、フェネックが突き出した双剣を紙一重で回避した。
水銀の刃は、勢いそのままに石畳に深々と突き刺さった。
「え!?どうして!?」
フェネックは、完全に意表を突かれ、驚愕の表情を露わにした。
次の瞬間、体勢を立て直したアリアは、素早く矢筒から二本の矢を取り出し、弓に番えた。
「ヒュン!」
放たれた二本の矢は、狙いを違えることなく、真っ直ぐにフェネックへと飛んでいく。
「ザクッ!!」
二本の矢は、フェネックの体を正確に捉えた。一本は彼の右肩を、そしてもう一本は右顎を貫通した。
「うわああああ!!!」
フェネックは、予期せぬ激痛に悶絶し、悲鳴を上げた。
「あらら、痛そうだね!!」
アリアは、先ほどフェネックに言われた挑発的なセリフを、そのまま返した。
「くっ…なんで、動けているんだ!?」
フェネックは、顎と肩から流れ出す血を手で押さえながら、苦痛に歪んだ表情でアリアに問いかけた。
「それはね…」
アリアは、空になった金属製のシリンジを、フェネックに向けて放り投げた。
それは、カラン、と乾いた音を立てて石畳の上に転がる。
「…なに?それ」
フェネックは、転がったシリンジを訝しげに見つめ、問いかけた。
その表面には、僅かに液体が付着しているのが見える。
「これは、血清だよ。前回、水銀中毒にかかった時に、その毒を分析して、作ってもらったんだ」
先日、狩猟道具専門店に行く前に、アリアは念のためと、デュークから水銀毒に対する血清を一本もらっていたのだった。
そして、倒れ込む寸前に、最後の力を振り絞って、自身の太腿にそれを注射していたのだ。
「だから…動けるというわけね…」
フェネックは、顎と肩から流れ続ける血を感じながら、ようやく合点がいったように呟いた。
「そういうこと!」
そう呟くと、アリアは再び魔法を唱え始めた。
「鎖魔法-チェーンバインド-!」
再び、アリアの足元の石畳が震え、鎖が地中から勢いよく飛び出し、今度こそ完全にフェネックを拘束しようと、フェネックに向かって伸びていく。
「何度も、同じ手は食らわないよ!」
フェネックは、迫りくる鎖を冷静に回避しながら、アリアに向かって走り出した。
そして、走りながら、魔法を唱える。
「水銀魔法-星空を翔ける龍-」
フェネックが魔法を唱えると、その頭上に、巨大な液体金属の龍が出現した。
それは、まるで生きているかのようにうねり、鋭い爪や牙を剥き出しにして、アリア目掛けて襲いかかってくる。
「いくら水銀でできた龍でも…!これなら、どう!?」
アリアは、矢筒から先端が鮮やかな青色に染まった矢を三本取り出し、しっかりと弓に構えた。
そして、彼女は狙いを定め、迫りくる巨大な水銀の龍目掛けて、その矢を同時に放った。
「ザクッ!」
放たれた青い矢は、狙い違わず巨大な水銀の龍の頭部、胴体、尻尾に突き刺さった。
次の瞬間、矢の先端から強烈な冷気が放出され、龍の液体金属の体がみるみるうちに凍りつき、白い霜が広がっていく。
そして、脆くなった龍の体は、まるで氷の彫刻が崩れるかのように、バラバラになって空中で砕け散った。
「嘘!?」
フェネックは、自身の作り出した強力な魔法が一瞬にして打ち破られた光景を目の当たりにし、信じられないといった表情で驚愕の声を上げた。
「(効いた!狩猟道具専門店で、色々な種類の属性矢を買っておいて、本当に良かったよ!)」
アリアは、狩猟道具専門店で、変わった効果を持つ矢を念のため購入していた。
その中の一つが、氷の属性を矢の先端に宿した「氷結矢」だった。
「許せない!アンタは、絶対に殺すんだから!」
フェネックは、魔法での攻撃を諦め、両手に水銀の双剣を再び構え、怒りに燃える表情でアリアに向かって突進してきた。
「動きが、直線的すぎるよ!」
アリアは、冷静にフェネックの突進を見据え、矢筒から二本の矢を取り出し、素早く弓に番えると、それをフェネックに向けて放った。
「ハッ!!」
フェネックは、迫りくる二本の矢を、水銀の双剣で難なく弾き飛ばした。
しかし、そのうちの一本の矢が、彼女の剣と接触した際に、僅かに火花を散らした。
それを見たフェネックの顔色が変わる。
「しまった…!」
次の瞬間、矢が強烈な爆発を引き起こした。
アリアは普通の矢と爆薬付きの矢を放っていたのだった。
「オババ様が言ってた『感情的になった人間は、隙だらけで脆い』って、本当だったんだね」
アリアは、爆発によって発生した砂煙を見つめる。
そして、砂嵐が晴れる。
「…ハァ…ハァ…」
そこには、フェネックが辛うじて立っていた。
しかし、彼の右手の義手は、爆発の衝撃で完全に破壊され、地面に落ちている。
代わりに、左手の義手には、ヒビが入った青白いバリアが、まるで最後の力を振り絞るように展開されていた。
「まだ…終わってない」
フェネックは、既に満身創痍だった。
肩と顎からは血が流れ続け、全身は爆傷だらけで、利き腕である右手も失っている状況だった。
「水銀魔法…」
フェネックは、最後の力を振り絞り、水銀魔法を唱えようとした。
しかし、それよりも早く、アリアの放った矢が、フェネックの膝と腹部に正確に突き刺さった。
「ザクッ!」
矢は、フェネックの膝を貫く。
フェネックは激痛に顔を歪め、その場に膝をついた。
「うぐっ…!」
フェネックは、膝に突き刺さった矢を掴み、強引に抜く。
「ねぇ?もう、降参して欲しいんだよ。これ以上、無理をしたら、本当に死んじゃうよ?」
アリアは、膝をつき、もはや抵抗する力も失いつつあるフェネックに、真剣な眼差しでそう呟いた。
「降参?…そんなの…そんなの…」
その時、フェネックの脳裏に、遠い記憶が鮮明に蘇った。
それは、彼が初めてベンガルと出会った時の光景だった。
4年前 サージャス公国のとある屋敷にて。
ベンガルは、サージャス公国のとある一画にひっそりと佇む、飾り気のない屋敷を訪れていた。
屋敷はレンガ造りで周囲には木々が生え、大自然の中にひそかに佇む隠れ家のようだった。
「この子が、例の子か…」
ベンガルは、老兵と少女を交互に見つめ、低い声で確認した。
「はい。12歳にして、数々の暗殺ミッションを成功させてきた、隠密行動と近接戦闘の手練れでございます。それに、両腕はバリアを展開できる義手に改造されております」
サングラスをかけた老兵は、少女の能力を誇らしげに語った。
少女は、老兵の言葉に特に反応を示すことなく、静かにベンガルを見つめていた。
「ねぇ、あなたは誰?」
フェネックは、ベンガルを真っ直ぐに見つめ、何の感情も読み取れない声で尋ねた。
「俺はベンガル。単刀直入に言う。その力、俺の元で振るってみないか?」
ベンガルは、フェネックの問いに臆することなく、彼女の才能を直接的に評価する言葉を投げかけた。
「ベンガルさん!この子は、我がギルドの秘蔵っ子ですよ!いくらベンガルさんだからといって、そう簡単に…」
老兵は、ベンガルの突然の申し出に慌てた様子を見せ、言葉を濁した。
その時、ベンガルは、ずしりと重い革袋を音もなく次々とテーブルの上に置いた。
袋の中からは、鈍い金属の光が漏れ出ている。
「100万ゴールド、ここに用意してある。これでどうだ?彼女の衣食住は全て保証する」
ベンガルは、老兵の目を射抜くように見つめながら、囁いた。
「…ったく、ベンガルさんには、本当に敵いませんね。分かりました、分かりました」
老兵は、喉元まで出かかった言葉を飲み込み、諦めたように大きく息を吐いた。
そして、ベンガルが差し出した金貨の詰まった袋を、複雑な表情で受け取った。
「というわけだ、君は今日から、このベンガルさんの元で働くことになる。いいね?」
老兵は、フェネックに向き直り、諭すように言った。
「うん。分かった!」
意外にも、フェネックは老兵の言葉に何の異議も唱えず、素直に従順な態度を示した。
「感謝する」
ベンガルは、老兵に向かって深く頭を下げ、礼を述べた。
「リーダー!よろしく!」
少女は、ベンガルに向き直ると、先ほどまでの物憂げな表情から一転、眩しいほどの笑顔を見せた。
「その力、頼りにしている。そして、お前の名は今日から…」
ベンガルは、フェネックの笑顔を静かに見つめ、確かな言葉で告げた。
「フェネックだ」
そして、現在。
「私は…認め…ない」
膝をつき、満身創痍のフェネックは、消えかけた意識を繋ぎ止め、最後の力を振り絞って魔法を唱えた。
「水銀魔法-水銀葬々-!!」
すると、彼女の頭上に、巨大な、禍々しい輝きを放つ水銀の塊が、ヌルリと姿を現した。
それは、まるで生きているかのように脈打ち、周囲の空気を重く歪ませる。
「(この雰囲気!この前の戦いの時と同じ…!)」
アリアは、頭上に現れた巨大な水銀の塊から、先日のケープが最期を迎えた時の、あの異様な雰囲気を鮮明に思い出した。
「この心、魂、全て…リーダーのもの…」
フェネックは、まるで魂を吸い取られるかのように、全身が内側から銀色の光を放ち始めた。
「そんなこと…絶対に許さないよ!」
アリアは、フェネックの自爆を阻止しようと、最後の力を振り絞り、全身の魔力を一点に集中させて魔法を唱えた。
「鎖魔法-メガ・チェーンバインド-」
アリアの足元の石畳が再び激しく震え、今まで以上に太く、銀色の鎖が、地中から無数伸び、銀色に輝いているフェネックの全身を、強烈な勢いで締め付け始めた。
「ガハッ……!」
鎖の強烈な締め付けにより、フェネックの体内の骨が悲鳴を上げ、口から鮮血が溢れ出した。
全身を覆っていた銀色の輝きは、徐々にその光を失い、頭上に浮かんでいた巨大な水銀の塊も、力を失ったかのように、形を保てずに消滅していった。
「…(リーダー…ごめん)」
フェネックは、力を失い、まるで糸の切れた人形のように、力なくうつむいた。
限界を超えた反動によるものか、彼女の意識は、やがて深い闇へと沈んだ。
「はぁ…はぁ…もう、僕も…限界だよ」
アリアもまた、全身の力を使い果たし、激しい疲労感と痛みに襲われ、その場に力なく崩れ落ちる。
こうして、パナン北西の門へと続く石造りの大橋の上での、激しい戦いは、辛くもアリアの勝利という形で、静かに幕を閉じたのだった。




