第37章:近づく足音
「…っと、到着じゃ。アフォガードのアジトじゃ」
トルティヤの転送魔法により、サシャ達は、アフォガードのアジトの一室へと一瞬で移動していた。
室内は、暖炉の火が心地よく燃え、オレンジ色の光が部屋を照らし、アンティーク調の家具が落ち着いた雰囲気を醸し出している。
それは、温かく居心地の良い空間だ。
壁には、アフォガードが集めた珍しい酒瓶や魔術に使うグッズが、ずらりと並び、埃一つなく磨かれており、彼の趣味の良さと几帳面さを物語っていた。
「便利な魔法だな。転送魔法…瞬時に移動できるなんて」
リュウが、感心したようにトルティヤに呟いた。
「そうじゃろ?ワシに感謝するんじゃな」
トルティヤは、得意げに胸を張った。
「じゃあ、交代じゃ。後は任せるぞ」
そう呟くと、トルティヤは再びサシャの肩を叩く。
すると、サシャの髪と瞳の色が、トルティヤの銀色と赤色からサシャの本来の色に戻った。
「ふぅ…それにしても疲れたな…」
意識を取り戻したサシャは、近くのソファにどっかりと腰を下ろした。
体が鉛のように重かった。
その時、部屋の扉をノックする音が響いた。
「アフォガードさんかな?」
アリアが、扉を開けに立ち上がった。
扉を開けると、そこにはアフォガードの息子であるカタラーナが立っていた。
「皆さん、おかえりなさいませ。無事に戻られたようで何よりです。父は今、所用で外出しておりますので、私が報告を聞きます。それと…」
カタラーナは、そう言って少し横にずれた。
どうやらサシャ達のために何かを用意したようだ。
「…?」
すると、カタラーナの背後から、50センチほどの藁人形が、よちよちと可愛らしく歩いて現れた。
見慣れない魔法に皆が注目する。
藁人形は、バランスを取りながら、紅茶のポットとカップを乗せた銀のトレイを、短い手で慎重に運んでいた。
「わぁ!可愛い!何これ!」
アリアが、藁人形の可愛らしさに目を奪われる。
藁人形は、短い足で、よちよちと歩き、テーブルにトレイを置いた。
そして、カタラーナに深々と頭を下げると、ポンと音を立てて黒い煙になり、跡形もなく消えた。
「よくやった。ありがとう。ご苦労だったね」
カタラーナは、藁人形が消えた場所に微笑みかけた。
「さ、紅茶でも飲みながら話しましょうか」
カタラーナは、そう言って椅子に腰を掛けると、話を聞く体勢に入る。
サシャ達も、テーブルを囲むようにソファに座り、カタラーナが淹れてくれた温かい紅茶を飲みながら、遺跡での出来事を語り始めた。
緊迫した状況から解放され、落ち着いた時間が流れる。
「なるほど…まさか、本当に勝利者の矛が存在したとは…。父から聞いてはおりましたが…よろしければ、拝見しても?」
カタラーナは、遺跡での出来事、特に魔具の存在に身を乗り出してサシャに尋ねた。
「ええ、どうぞ。これがその柄です」
サシャは、亜空袋から勝利者の矛の柄を取り出した。
柄は、ずっしりとした重みのある鉄製で、黒光りしており、下部には石突が見える。
「おお…これが本物の魔具…勝利者の矛…」
カタラーナは、目を丸くして柄に見入った。
魔具の存在に改めて感動しているようだった。
「でも、残念なことに、刃の部分はサージャス公国側の手に渡ってしまって…これだけでは、勝利者の矛は完全じゃないんです」
サシャは、カタラーナに勝利者の矛が分割されていること、そして刃の部分を失ったことについて説明した。
「なるほど…まさか二つに分かれているとは。その刃は、父が話していた、野狐部隊という連中が持っている…のですよね?彼らが遺跡に現れたと聞きましたが」
カタラーナはサシャに尋ねる。
アフォガードからの情報を確認する。
「はい。ですから、これからどうやって刃の部分を取り返そうかなと…」
サシャが、少し不安そうな表情で呟いた。
その時、精神世界からトルティヤがサシャに告げる。
「実は、遺跡で転送魔法を使った時、入口の方からワシら以外の魔力を感じたのぉ。それも二つじゃ。強い魔力じゃった」
「え?遺跡に、誰かいたってこと?俺たち以外に?」
サシャが、トルティヤに問い返した。
その言葉に、リュウとアリアも反応した。
「嘘?私たち以外に誰もいなかったような…。全く気配がなかったけど…」
アリアは、首を傾げた。全くそのような雰囲気がなかったからだ。
「野狐部隊…。勝利者の矛を狙って来ていたか」
リュウは、腕を組み、トルティヤの話を聞いて納得したように呟いた。
「じゃが、逆にあちらから来てくれるなら好都合じゃ。連中の情報力なら、ほぼ間違いなく、ワシらを追ってくるじゃろう。それを、返り討ちにして、勝利者の矛の刃部分を奪取する。もし持っていなくても、捕らえて尋問すれば何かわかるじゃろう。連中の目的もな」
トルティヤは、大胆な作戦を自信たっぷりに言った。
「となると、ここアジトも襲撃される可能性があるってことか。危険じゃないか?」
リュウが、冷静に状況を分析した。
「そこは安心してください。皆さんご存知の通り、ここは強力な結界に守られています。エルフ族に伝わる秘術で作られた結界です。ここにいる限り、そう簡単には襲われることはないでしょう」
カタラーナは、落ち着いた口調で、アジトの防御力について説明する。
バーの地下にあるアジトは、アフォガードがエルフ特有の術式で築いた、特殊な結界に守られており、アフォガードが認識した魔力を持った人間以外は入れないようになっている。
その防御力も並大抵の魔法攻撃を跳ね返すほど頑丈で、物理的な侵入も難しい。
「なるほど…それなら、多少は時間稼ぎができるかな?」
サシャが、少し安心したように呟いた。
しかし、トルティヤは首を横に振った。
「いや、ここでの戦いは狭すぎる。アジトの中じゃ動きが制限される上に、奴のアジトを壊させるわけにはいかん。どこか広いところに奴らを誘導して一網打尽じゃ。その方が色々と便利じゃ」
トルティヤの作戦は、自らが囮となり、敵を迎え撃つという大胆なものだった。
「かなり危険な賭けになるけど…。本当に大丈夫なの?」
サシャは、トルティヤの作戦に不安そうな表情を隠せなかった。
魔力が減っていたとはいえ、敵のリーダーは、一度トルティヤを退けている実力者だったからだ。
それに、万が一勝利者の矛の柄を奪われれば、戦争に発展する危険性もある。
それは、すなわち、大きな賭けでもあった。
全員、リスクが高いことを理解していた。
しかし、サシャの気持ちを察したのか、トルティヤは精神世界からサシャの肩を優しく叩いた。
「安心せい。お主はワシを信じてればそれで良い。前に言ったじゃろう?ワシがいれば無敵じゃと」
トルティヤの瞳は、自信に満ちていた。
「…そうだったね!トルティヤがそう言うなら、きっと大丈夫だ!」
サシャは、トルティヤの言葉に勇気づけられ、明るい笑顔を見せた。
そして、サシャはトルティヤの作戦をリュウとアリアに伝えた。
「迎撃か…確かに危険だが、こちらから動くよりは合理的だ。試す価値はあるだろう」
リュウは腕を組み、頷く。
こちらから動いて相手を探すよりも、相手の出方を伺い、有利な場所で迎え撃つ方が得策だと考えたのだ。
「僕もトルティヤの言う通りにする!トルティヤが一緒なら大丈夫だよ!」
アリアは、迷いのない瞳で言った。トルティヤの力を信じていたが故だった。
「ですが、やはり危険では…?皆さんの身が心配です」
カタラーナは、サシャ達の身を案じ、心配そうな表情を浮かべた。
「大丈夫です。僕たちのことは心配しないでください。それに、ここアジトを危険に巻き込むわけにはいきませんから」
サシャは、カタラーナに微笑みかけた。
「…わかりました。皆さんの覚悟、しかと受け止めました。では、私たちもできることをさせてもらいます。部下に命じて、街に不審な人物がいないか逐次、調査させます。最大限の協力をしましょう。それと、父上から皆さんへ、こちらを預かっています」
カタラーナは、サシャ達の覚悟を認め、協力を申し出る。
そして、テーブルの上に三つの金属製のイヤーカフを置いた。
「これは?装飾品か?」
リュウが、手に取って尋ねた。
見たことのない形状に興味を示す。
「変わった装飾品だね!」
アリアも、興味津々でイヤーカフを手に取った。
「これは、魔導念波増幅機です。離れた場所にいても、装着者同士で会話ができる優れものです。仕組みとしては、念波を変換して音として伝える…といったところです。サシャさんの中にいるトルティヤさんの言葉も、皆さんに直接伝えられます」
カタラーナは、魔導念波増幅機について丁寧に説明した。
魔導念波増幅機。
大陸一の発明家である馬妙が、とある魔具を参考に開発したとされる疑似魔具の一つ。
装着者の思考念波を読み取り、一定範囲内にいる装着者に、念波として言葉を伝えられる画期的な道具だった。
「ありがとうございます。こんな便利な物が…」
サシャは、魔導念波増幅機の便利さに感心し、左耳にイヤーカフを装着した。
「こうかな?」
アリアも、右耳に装着した。
「…ふむ。こうか?使い方がよく分からないが…」
リュウは、イヤーカフを手に取り、じっくりと観察すると、左耳に装着した。
「皆さん装着されましたね。では、私が今から念波で話しかけてみます。聞こえるかどうか教えてください」
カタラーナは、そう言って微笑みかけた。
「私の父はアフォガードである」
カタラーナは、口を動かすことなく、そう念じた。
その瞬間、サシャ達の脳内に、カタラーナの声が直接響いた。
頭の中に声が響く不思議な感覚が一同に伝わる。
「!!」
サシャ達は、その不思議な感覚と性能に驚きで目を見開いた。
「…すごい!直接声が聞こえる!」
サシャは、その性能に思わず声を上げた。
「俺も聞こえた。頭の中に声が響く。まるで脳に直接話しかけられてるみたいだ」
リュウの表情は驚きに満ちている。
「ね!すごい便利な道具だね!」
アリアは、満面の笑みを浮かべた。
魔導念波増幅機の便利さに喜んでいるようだった。
「うむ。ワシがいない間に、こんな便利な物ができたのか…。よし、それじゃワシも試してみるとしようかの」
精神世界からトルティヤは、魔導念波増幅機に感心したように呟いた。
そして、送りたい言葉を念じた。
「ワシは豚そば派じゃ!」
トルティヤの声が、サシャ達の脳内に響いた。
「わ!トルティヤの声も聞こえる!すごい!」
アリアは、嬉しそうに言った。
「俺も聞こえたぞ」
リュウが静かに頷いた。
「どうやら、問題なく使えるようですね。これで連携も取りやすくなるかと」
カタラーナは、満足そうに微笑んだ。
「助かるのぉ。アフォガードの息子にしてはやるではないか。見どころがあるな」
トルティヤが精神世界からカタラーナをからかうように呟く。
「いえいえ、父上にはまだまだ…恐縮です」
カタラーナは謙遜した態度を見せる。
「では、便利な道具も手に入れたし、早速作戦を開始するとしようかのぉ。休んでいる暇はないぞ」
トルティヤは精神世界からサシャ達とカタラーナに呟く。
「もう少し、ゆっくりされても…。傷もまだ癒えていないですし」
カタラーナは、サシャ達の体調を気遣い、心配そうに言った。
「いや、連中はもうすぐそこまで来ているかもしれん。休んでいる暇はないのじゃ。それに…」
トルティヤは、力を込めて呟く。
「このワシが負けっぱなしなど、断じて納得ができぬ!借りは返すぞ!」
その言葉にサシャ達は笑みを浮かべる。
全員トルティヤの負けず嫌いな性格を知っているようだった。
「トルティヤらしいや!」
「そうだな。やられっぱなしは癪だな…」
「うん!勝利者の矛は渡さない!」
サシャ達はソファから立ち上がる。
その瞳には決意の炎が宿っていた。
こうして、サシャ達は野狐部隊を迎え撃つという大胆な作戦を遂行するべく、アジトを後にした。
-サージャス公国 首都ザイカの北にあるガク城のとある一室-
ガク城の周辺には、黒々とした雲が垂れ込め、不気味な雰囲気が漂い、稲妻が幾重にも空を切り裂いていた。
城の尖塔には、避雷針が設置されていたが、それでもなお、雷の光が城壁を這い、不気味な影を落としていた。
そんな中、とある一室にベンガルの姿があった。
「回復に思ったよりも時間がかかった。あの魔導師の魔力、只者ではなかったな」
ベンガルは、タオルで濡れた体を拭きながら、静かに呟いた。
その表情は、僅かに苛立ちを滲ませていた。
前回の戦いのダメージが大きかったことを示している。
「リーダー!遅いよ!待たせすぎ!」
フェネックが、不満げな口調で、まるで子供のように頬を膨らませて文句を言った。
「…こら。少女が裸の男の前に軽々しく居座るんじゃない」
ベンガルは、フェネックを軽く窘める。
そして、近くのテーブルに置いてあった、水が入った瓶を手に取る。
「べ、別に変な意味はないよ!リーダーのこと心配してたんだから!…そんで、リーダー。コサックとケープから報告があったよ!」
フェネックは、近くの椅子に腰を下ろすと、本題に入る。
「ほう、聞こう」
ベンガルは、水の瓶の蓋を開け、一口飲んだ。
「勝利者の矛のパーツは、何者かに先取りされたって。で、ケープが「粒子眼」で見たら、ゴボ遺跡にいた連中で間違いないってさ」
フェネックが、ベンガルに報告した。
「なるほど…奴らとは、もう一戦交えねばならぬようだな。して、コサックとケープはどこにいる?」
ベンガルは、水を飲みながら尋ねた。
「もう少しでパナンに着くってさ。到着次第、連中を追跡して、パーツを奪取してくるって!」
フェネックが、コサックとケープの状況を、机に頬杖をつきながら伝える。
「ケープはともかく、コサックが心配だ。奴は正直に言うと馬鹿だ。勢いで柄を壊してしまったりしないだろうかな」
ベンガルは、空になった水の瓶を置くと、椅子にかけてあった銀色の戦闘服を手に取ると、それを身に着けていく。
「ま、ケープがいるから多分大丈夫だよ」
フェネックは、ニヤニヤしながら言った。
その時、部屋にグレイが入ってきた。
「失礼します、隊長殿。こちらを公爵から預かって参りました」
グレイは、透明なケースに収められた勝利者の矛の刃部分を、ベンガルに差し出した。
「これは…一体どういうことだ?メンテナンスに入る前、公爵にそれを渡していたはずだったが…」
ベンガルは、予想外のことに戸惑う。
「はっ。公爵が、国の金庫より隊長殿に預ける方が、何十倍も信頼できると仰ってまして」
ラムダ公爵こと、カルビン・ラムダ公爵。
2年前のサージャス紛争において、多大な戦果をあげ、公爵に取り立てられた武人である。
勇猛果敢な武闘派であるが、同時に慎重かつ用心深い性格である。
そして、野狐部隊の主でもある。
彼は勝利者の矛、そして、とあるもう一つの魔具を手に入れ、サージャス公国での権力拡大、そして、サージャス共和国への侵攻を企んでいた。
「なるほど…公爵らしい考えだ。理解できた。そういうことならわかった。俺が責任を持って預かろう」
ベンガルは、刃が入ったケースを受け取った。
「さて、我々もパナンに向かうとしよう。連中を追う。だが、その前にスイフトを…」
ベンガルは、グレーにスイフトを呼んでくれるよう頼もうとしたが、その前にスイフトが姿を現した。
「お呼びですか?隊長殿」
スイフトが、静かに尋ねた。
「ちょうどいいところに来た。お前はここに残れ。公爵の身に万が一があっては困る。クルペオが療養中の今、水晶魔法で防衛もできるお前を、留守番に命じる」
ベンガルは、そう言うと、白いマントを羽織った。
「…承知しました」
スイフトは、静かに頷いた。
「では、グレイ、フェネック、行くぞ…。奴らから勝利者の矛を奪い取る。公爵のために…任務を完遂する」
ベンガルは、二人に冷酷な声で告げた。
「はっ…」
グレイが、静かに答えた。
「あの魔導師に、借りを返さないとね!私を凍らせるなんて酷いことするんだから!」
フェネックの口調は、トルティヤにやられた怒りで、僅かに苛立ちを帯びていた。
そして、ベンガル達は、雷鳴の中を、まるで嵐を従えるかのように、堂々とガク城を発った。




