第33章:寄り道
-サージャス公国 首都ザイカの北にあるガク城 その一室にて-
「…」
ベンガルは、巨大な水槽の中で、静かに漂っていた。
その体には、無数のチューブが接続され、複雑な機械が彼の生命維持を担っていた。
彼の目は閉じられ、意識があるのかないのか、その表情からは何も読み取れなかった。
水槽の中には、微弱な電流が流れ、ベンガルの体を刺激しており、時折ピクリと痙攣し、生命の息吹を感じさせた。
「隊長殿をここまで消耗させるとは…」
黒いマントを羽織り、背中に大太刀を背負った男が、静かに呟いた。
「ほんとねー。言うて、グレイも結構危なかったでしょ?」
義手の少女は、自身の右の義手を取り外し、複雑な機構を覗き込み、手慣れたように修理していた。
「ふっ…荒覇吐流の少年。中々に面白かった」
グレーと呼ばれた男は、昨日の戦いを回想していた。
「ま、私も人のこと言えないけどね」
少女は、苦笑いを浮かべながら呟いた。
その表情は、自身の戦いもまた、苦戦を強いられたことを物語っていた。
「フェネック。お前ほどの魔導師が押されるとは思わなかったぞ」
グレーは、少女の名前を呼んだ。
「まぁ、私も初めて見た魔法だったし?仕方ないよね」
二人が話していると、水色の髪の少女が静かな足取りで部屋に入ってきた。
「スイフトか。首尾の方は?」
グレイが、水色の髪の少女に尋ねる。
その声は、冷静で、任務の報告を促していた。
「残念だが、アフォガードは殺し損ねた。さすがは、伝説の賞金稼ぎだけある」
スイフトと呼ばれた女は、静かに報告した。
「えー。それじゃあ、私達の存在が暴かれるのも時間の問題じゃないの?」
フェネックの声は、焦りを滲ませていた。
「その心配には及ばない。奴も馬鹿ではない。襲撃があった以上、より慎重に動かざるを得ないだろう。時間が稼げただけでも御の字だ」
スイフトは、冷静に分析した。
「とはいえ、時間は有限だ。して、公爵は例のブツを探しているのか?」
グレイが、スイフトに尋ねる。
「あぁ。冒険者を多数雇い、国内の遺跡や墓地の探索、先住民族への聞き込みをしているようだ。だから、我々は残りの勝利者の矛のパーツの捜索に専念できる」
スイフトは、ラムダ公爵の意向を伝える。
勝利者の矛は、魔具のひとつであり、強大な力を秘めていると伝えられていた。
過去に数多の戦争で、所持者に勝利を導き、天下無双の力を与えてきた。
そのうちの一つのパーツ。
刃の部分がラムダ公爵の手に渡ったのだ。
「それと、かねてから情報にあがっていた、共和国にある未開の遺跡だが、先行してコサックとケープが調査をしている」
スイフトは、新たな情報を提示した。
「あの、二人組か…ケープはともかく、コサックに遺跡を探し出せる頭があるのか?」
グレイが、ため息混じりに呟いた。
「そんなこと言われても、知らないわ…」
スイフトは首を横に振った。
「で、私達もリーダーが回復したら、向かうんだよね?」
フェネックが、スイフトに尋ねた。
「その予定だ。だから、それまでの間、我々はコサック達の定期連絡を待ちつつ待機だ」
スイフトは、今後の予定を説明した。
「それなら…俺は刀でも振ってくる」
グレイは、そう言うと大太刀を背負い、部屋を出ていった。
フェネックとスイフトはグレイの背中を見送った。
「そういえば、クルペオたんの様子はどうだったの?」
フェネックは、スイフトに尋ねた。
クルペオとは、彼らの同僚である魔導師で、コボ遺跡の戦いで意識を失うほどの重症を負っていたのだ。
「医療部隊から治療を受けて療養中だ。ただ、今回の作戦に参加するのは難しいだろうな」
スイフトは、苦い顔をしながら呟いた。
「それは残念だね」
フェネックは、残念そうな表情を浮かべた。
「ま、我々も色々と消耗している…少し休息するべきだな」
そう言うとスイフトは、黒い長椅子にゆっくりと腰を下ろした。
-サージャス共和国の南方の草原-
サシャ達は、パナンを発ち、サージャス共和国の南へと向かっていた。
空は晴れ渡り、太陽の光が草原を黄金色に染めていた。
柔らかな風が吹き、草原の草木を揺らしていた。
小動物たちが草むらを駆け回り、鳥たちが空を舞っていた。
「にしても、本当に二人とも大丈夫なの?」
サシャは、リュウとアリアに尋ねた。
その声は、二人の体調を気遣っていた。
「大丈夫だってば!もうすっかり元気!」
アリアは、にこやかな笑みを見せ、元気な声で答えた。
「俺も平気だ。この程度の傷、あの時に斬られた傷に比べたら…」
リュウは、ハギスの倉庫でイゾウに斬られた時のことを思い出していた。
あの時の傷は、リュウにとって死を覚悟するほどのものだった。
それに比べれば、今回の傷はかすり傷同然だと思っていた。
「それならいいけど…無理しないでね?」
サシャは、優しい声で二人に呟いた。
それに対して、二人は笑顔で頷いた。
「それにしても、アフォガードの奴、やけに気前がよかったのぉ。野狐部隊の情報をタダで持ってきてくれるとは。何も裏がなければ良いが…」
トルティヤは、アフォガードの気前の良さを警戒していた。
「大丈夫だよ。アフォガードさんはそんな悪い人には見えないし」
サシャは、笑顔で答えた。
「…ったく、お主はとことんお人好しじゃ。だが、間違っておらぬな。嫌な奴じゃがのぉ」
トルティヤは、呆れ顔で呟いた。
その声は、サシャへの呆れと、アフォガードへの複雑な感情を滲ませていた。
そんな会話をしながら、サシャ達は道を歩き続けた。
道中には、巨大な川が流れ、山々からは鳥類の鳴き声がこだましていた。
川の水は澄み切っており、魚たちが気持ちよさそうに泳いでいた。
山々は緑に覆われ、美しい景色を作り出していた。
そして、サシャ達は一つの看板を見つけた。
「お!これじゃないかな?」
サシャは、看板を見つめる。
看板には、手書きで「コバトの湯」と書かれていた。
「これがアフォガードさんが話していた秘湯?」
リュウの首を傾げ、看板の先にある深い森を見つめる。
森は、薄暗く、静寂に包まれていた。
「とりあえず…進んでみようか」
サシャが、提案する。
その声は、少しの不安と、大きな期待を滲ませていた。
「わーい!久々の森の中だ!!」
アリアの瞳は、キラキラと輝き、森への期待で胸を膨らませていた。
こうして三人は森の中を進む。
森の中は、ひんやりとしており、木漏れ日が地面を照らしていた。
ざわざわと葉がこすれる音が響き、鳥たちのさえずりが聞こえてきた。
木の根が地面から顔を出し、苔が生えた岩が点在していた。
「本当にこっちで合ってるのかな?」
サシャは、森の奥へ進むにつれて、不安を募らせていた。
「秘湯…だからな。合ってると信じよう」
リュウは自分自身を励ますように呟く。
「あたた…ポンチョが枝に引っかかったよぉ」
アリアは、ポンチョが枝に引っかかり、嘆いていた。
四苦八苦しながらも、三人は更に森の奥を進む。
すると、突然道が開ける。
目の前に、開けた空間が広がっていた。
「わっ!」
突然、道が開けたことに驚いたため、バランスを崩し、よろめいていた。
「わぁ!危ないよ!」
アリアは素早く、サシャの手を掴む。
「あ、ありがとう」
サシャが、アリアに礼を言う。
そして、サシャ達は目の前の光景に目を向けた。
その瞳は、驚きと期待で輝いていた。
「…これが温泉?」
サシャ達の目の前には、巨大な池が広がっていた。
池の水は、エメラルドグリーンに輝き、湯気が立ち上っていた。
その上や周りには、いくつかの土と藁でできた建物と、葉で作られた巨大な橋がかかっていた。
建物は、素朴で、自然と調和していた。
橋は、葉で編み込まれ、自然の温もりを感じさせた。
そして、中央には巨大で荘厳な神秘的な建物があり、そこから湯気が空に向かってモクモクと煙がたっていた。
「思っていたのと違うな」
リュウが、首を傾げる。
「え?温泉ってこんなんじゃないの?」
アリアが、リュウに尋ねる。
「魏膳の温泉は渓谷や山奥にあって、瓦の屋根でできた旅籠が中心だった。温泉も岩で囲まれたものが多かった」
リュウが、魏膳の温泉について語る。
「そうなんだ!僕、温泉って来たことがないからさ」
アリアの表情は、初めての温泉への期待で輝いていた。
「俺も初めてだよ。楽しみだ!」
サシャは、温泉への期待でキラキラと輝いていた。
「全く…どいつもこいつもお気楽すぎじゃ。いいか?あくまで目的は湯治だってことを忘れるんじゃないぞ?」
トルティヤは、口を酸っぱくして呟く。
「分かってるって。トルティヤは温泉に興味はないの?」
サシャが、トルティヤに尋ねる。
「な、ないわけではないぞ。じゃが、温泉にはワシはうるさいぞ」
トルティヤは、強気に呟く。
「じゃあ、少しのんびりしよう。遺跡を探している時に敵と戦うことになるかもしれないしさ」
サシャは、今後の戦いに備えて、休息の必要性を訴えていた。
「うむ…確かにそうじゃな…」
サシャの言葉に、トルティヤが頷く。
「早く行こうよ!」
アリアは、一足先に温泉に向かって歩き出す。
「あ!待って!」
その後を、サシャとリュウが早足で 追いかける。
三人は、葉でできた橋を渡り、中央の巨大な建物へと入った。
「…うーん、いい香りがする」
サシャの鼻に建物の匂いが漂ってくる。
建物内は、様々な木の香りが混ざり合い、心地よい温かさが体を包んだ。
しかし、サシャは、僅かながらも違和感を覚えていた。
「あれ?人がいない…?」
サシャが辺りを見渡す。
人間が一人もいないのだ。
その代わりにいたのは、緑色の鱗に鋭い爪、そして、ずんぐりむっくりした体型の異種族だった。
彼らは、ゆったりとした動作で建物内を歩いていたり、座敷に座ってくつろいでいる様子だった。
「あ!リザードだ!」
アリアが、周りを見渡した後に呟いた。
「聞いたことがある。確か、森の中で生活する種族だって」
サシャは、ロイ叔父さんから昔聞いた話を思い出して呟いた。
リザード族。
トカゲに近しい種族で、森や渓谷に住んでいることが多い。
脚力が強靭であるのが特徴的で、配送業や傭兵をしている者が多いと言われている。
「…確かに。人間らしき人は誰もいないな」
リュウが、周りを見渡すが、周囲はリザード族ばかりで、いてもドラゴニア族が数人いる程度だった。
すると、受付の男性リザードが、ニコニコとした笑みを浮かべ、サシャ達に声をかけた。
「らっしゃい。人間が来るなんて珍しいでげすね」
リザードは、親しげに話しかけた。
その声は、温かく、歓迎の意を示していた。
「あ、あの、ここって「コバトの湯」で…合ってますよね?」
サシャは、不安げな口調で尋ねる。
「合ってるでげすよ。魔力回復や傷によく効くお湯でげす。入っていくでげすか?」
リザードがサシャ達に尋ねる。
「…はい!ぜひ!」
サシャは、リザードに答えた。
その表情は、温泉への期待で輝いていた。
「それなら、人間は…三人で2100ゴールドでげすね」
リザードは、手慣れた手つきで、器用にそろばんを弾き、三人に料金を請求した。
「これでいいかな?」
サシャは、銅貨2枚と白貨1枚を渡した。
「まいどありでげす!では、これを」
リザードは、後ろの棚を開けてゴソゴソと何かを取り出すと、三人に手渡した。
それは、白い絹と布で作られた湯浴み着とタオルであった。
その生地は、柔らかく、肌触りが良さそうだった。
「ここは混浴なので、温泉内ではこれを着るのがルールでげす。ご協力をお願いするでげす」
リザードは、丁寧に頭を下げる。
「ありがとう。これを着ればいいんだね?」
サシャ達は、湯浴み着を受け取った。
その手は、湯浴み着の感触を確かめていた。
「え!?混浴?混浴ってなに?」
アリアは、純粋な疑問をリュウにぶつける。
「まー、その…アレだ」
リュウは顔を赤くし、恥ずかしそうに呟いた。
リュウは、アリアの純粋さに、どう答えていいか分からず困惑していた。
すると、代わりにと言わんばかりに受付のリザードが説明する。
「ここの温泉は男と女が一緒に入る温泉でなんでげす。昔は特に何も定めてなかったのですが、共和国が管轄するようになってから、これを着るようにと、お達しがでたんでげす」
リザードは、温泉について説明した。
「へー!じゃあ、みんなと一緒に入れるんだ!やったね!」
アリアの表情は嬉しさに満ちていた。
「あ、まぁ、アリアが気にしないなら……なんか俺が馬鹿みたいだ」
リュウは、顔を赤くして顔をしかめた。
「そんなに変なの?温泉ってそういうものなんじゃないの?」
サシャは、リュウに尋ねた。
「いや…そのだな…。もういい。行くぞ」
リュウは、湯浴み着をリザードから受け取ると、早足で歩き出した。
「あ、待ってよ!」
サシャとアリアはリュウを追う。
リュウの背中は、少しだけ丸まっていた。
「ではでは、ごゆっくり〜」
リザードは、丁寧にサシャ達を見送った。
「どうやら、温泉はこっちらしいな」
リュウが、案内札を見つけた。
そこには、「温泉、こちら」と手書きで書かれていた。
サシャ達は、それに従い温泉を目指す。
「本当に人間が一人もいないね!」
道中で行き交う人も皆リザードばかりだった。
「アフォガードさんは「秘湯」と話してたけど、それは人間だけであって、リザード族にはよく知れた温泉なのかもしれないね」
サシャは納得したように呟く。
「いずれにせよ、楽しみだ…」
リュウの表情は、温泉への期待で和らいでいた。
そして、三人は温泉の前に来た。
入口には、「男」「女」と書かれた暖簾がたてかけてあった。
暖簾は、湯気を吸い込み、少しだけ湿っていた。
「どうやら、着替える場所は別れているらしいな」
リュウが、少し安心した声で呟いた。
「へぇ!じゃあ僕はこっちだね!」
アリアが、「女」と書かれた暖簾をくぐった。
その足取りは、軽く、楽しそうだった。
「俺達も行こう!」
サシャとリュウは、「男」と書かれた暖簾をくぐった。
「うわぁ…こうなってるんだ」
脱衣所の中は、多くのリザードがいた。
ある者は、長椅子に座り雑談をし、ある者は、瓶に入った飲み物を腰に手を当てて飲んでいたりしていた。
彼らは、リラックスした様子で、思い思いに過ごしていた。
「完全にアウェイな気がするが…気にしてる場合ではないな」
リュウは、周りを見渡しつつ、荷物を置けそうなところを探した。
「あ!あそこ空いてるよ!」
サシャが、空いている荷物台に指をさした。
そして、二人は荷物を起き服を脱ぎ始めた。
「トルティヤ!見ないでね!」
サシャは、精神世界のトルティヤに呟いた。
その顔は、少しだけ赤くなっていた。
「ば、馬鹿者!お主の裸なんて好き好んで見るものか!!」
トルティヤは、サシャに背を向けて呟いた。
その声は、いつもより少しだけ高かった。
「(ふふっ、トルティヤも照れることがあるんだね)」
サシャは心の中で呟く。
「これを着て…っと」
サシャは、湯浴み着を着た。
湯浴み着の柔らかい着心地がサシャを包む。
「これは…動きやすそうだ」
リュウも、湯浴み着に着替えたようだった。
「じゃあ、行こう!」
そして、二人は温泉へ続く扉へ手をかけた。




