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第18章:レスタ王国

サシャ達は、どこまでも続く緑の高原を歩いていた。

空には雲一つなく、強い太陽が照りつける。

遠くには、霞んだ山々が淡い青色に見えた。


「それにしても、サージャス共和国か。どんなところなんだろうな」

サシャは、これから訪れる国に思いを馳せ呟く。


「さてな…俺も行ったことはない。ただ、2年前に内紛が起きて国が二つになったことは知っている」

リュウは、サシャの隣を歩きながら答える。


「元はサージャス公国という一つの国だったが、政府の圧政に耐えかねた国民の一部が、解放軍と名乗って政府軍と激しい戦いになったらしい。トリア帝国の仲裁で解放軍側の国がサージャス共和国として領土割譲されたという話だ」


「なるほど…ということは、今から向かうのは「解放軍」側の国だってことだね」

サシャは、リュウの説明で内紛の背景を理解したような表情をする。


「そういうことだ。まあ、どんな場所でも、見てみる価値はあるさ」

リュウが、僅かに口角を上げ、笑みを返す。


「ねぇねぇ!あれ見てよ!」

アリアが、興奮した様子で指差す。

遠くの木々に、首が長い水玉模様のモンスターがいた。


そのモンスターは、木に首を伸ばし、生えている葉を丁寧に噛み砕きながら食べていた。

水玉模様の皮膚は滑らかに見える。


「なんだあれ?キリン…にしては首が細いな?」

サシャが、珍しいモンスターを見て、首を傾げる。


「あれは「ナガクビガビラ」だよ!草食の大人しいモンスターで、この辺りの高原によくいるの!首の肉は珍味として有名なんだよ!」

アリアが、詳しい知識を披露した。


「ふむ。確かにアレは美味しいからのぉ。臭みもなくて食べやすい。火を通しても硬くならず、上質な赤身じゃったわい」

精神世界にいるトルティヤも、その味を知っているようだった。


「そうなのか。もし肉屋で手に入るなら、一度試してみたいものだな」

リュウが、顎に手を当て、腕組みをしながら呟く。


そんな話をしながら、サシャ達は高原を進む。


1時間ほど歩いた時だろうか。

前方にレンガ造りの大きな関所が見えてきた。

石造りの関所は苔むして古びている。


「どうやら、あの関所の先がレスタ王国みたいだね!いよいよ国境か!」

サシャ達は歩みを進め、関所に近づく。

関所の前には、重厚な甲冑をつけた兵士が立ち、道行く人々を検問していた。厳重なのか、人々の長い列ができていた。


「随分と厳しく確認するんだね。何を見てるんだろう?」

サシャは、待つことに少し不満そうだった。


「レスタ王国は、厳格な身分制度で知られる国だ。貴族や王族の権力が強く、規則も多いと聞く。だから、関所の検問も厳しいのだろう…」

リュウが、知っている情報を話す。


「まぁまぁ。時間はたくさんあるんだし、ゆっくり行こうよ!!」

アリアが、そんな緊張をよそに、笑顔で呟く。


列は少しずつ前へ進む。前の番の商人が検問に引っかかったようだ。


「この毛皮はレスタ王国では禁輸品だ。持ち込みは禁止されている。通すことはできない」

兵士は、無表情で、きっぱりとした口調で商人に告げる。


「そんなぁ…!サージャス共和国へ通過するだけなんですよ!どうか通してください!」

商人は、顔色を失い必死に懇願する。


「駄目だ。規則は規則。禁輸品を持ち込もうとした時点で通過は許可できない。直ちに引き返せ」

兵士は、表情を変えず、冷たい口調で促す。


「…は、はい…」

商人は、肩を落とした顔で力なく返事をした。

彼は踵を返すと、トボトボと来た道を帰っていった。


「(お気の毒に…せっかく来たのに…)」

サシャは、商人の小さな背を見送った。

この国の厳しさを肌で感じる。


「さ、次だ。持っている荷物をすべて見せろ」

兵士が、サシャ達に声をかける。


「…はい」

サシャは、兵士の言葉に従い、双剣と腰に帯びていた亜空袋(ポータルバッグ)を、ゆっくりと石造りの台の上に置いた。剣が金属音を立てる。


「俺はこれだ」

リュウは、ポーチと背中の一本の刀を、鞘ごと置く。


「私はこれ!見て見て!かっこいいでしょ!」

アリアは、笑顔でポーチ、そして弓と矢筒を置く。


「…ふむ。貴様ら冒険者か。その袋には何が入ってる?詳しく見せてもらうぞ」

兵士が、サシャの亜空袋(ポータルバッグ)を指差す。彼は亜空袋をただの布袋だと思っているようだ。


「はい。中身は銀貨です。どうぞ、ご確認ください」

サシャは、内心の動揺を悟られないよう、表情を変えず、冷静に答えた。

そして、慣れた手つきで袋から銀貨を数枚取り出す。


「ふむ…銀貨か。偽物ではなさそうだな」

兵士は、銀貨をまじまじと見つめる。


「よし、お前ら。通ってもいいぞ」

通行許可が降りた。


「ありがとうございます。失礼します」

サシャ達は、兵士に礼を言うと、ホッと一息つき、関所を通過した。


「…ふぅ…まさか、あんなに緊張するとはな…」

関所を通過して少し歩くと、サシャは緊張の糸が解け、大きく息を吐いた。


「たかが関所だろ?なにをそんなに緊張していたんだ?」

リュウは、サシャの様子を見て、不思議そうな顔をした。


「ほら、あの袋の中には、例の魔具が入ってるからさ。亜空袋(ポータルバッグ)だってバレない自信はあったけど、やっぱりこういう厳重な検問を通る時は緊張するよ…特に魔具に関しては、どんな扱いをされるか分からないからな」

サシャは、眉をひそめ、苦い顔をした。


リュウとそんな会話をしていると、前方から声が響く。


「おーい!道を開けろー!パルチザン卿のお通りだ!」

黒い服を着た従者らしき男らしき声が叫ぶ。


「なんだ?また何かあったのか?」

リュウは、声の方を向く。


「あの…一体何が?どうして皆慌てているんですか?」

サシャは、近くにいた、少し焦った表情の女性に尋ねる。


「王国貴族が通るんだよ…!このレスタ王国では、貴族が道を通る時、平民や通行人は、道を開けて、通り過ぎるまで頭を下げなきゃならないんだよ…知らなかったのかい?早くしないと大変なことになるよ!」

女性は、顔を青ざめさせながら説明する。


「ふーん、変なの。どうして頭を下げなきゃいけないんだろう?」

アリアは、レスタ王国の奇妙な習慣を聞いて、どこ吹く風といった表情をしていた。


「アンタ!馬鹿いっちゃいけないよ!貴族への不敬罪は重いんだ!下手したら捕まったり、処刑されちゃうんだから!」

女性は、アリアの呑気な様子にさらに驚き、顔を真っ青にさせながら強く忠告した。


すると、奥から馬車の音が聞こえ始め、徐々に大きくなってきた。

砂塵を巻き上げながら、豪華な馬車が近づいてくる。


「ほら!あんたらも早く!頭を下げないと!」

女性は、サシャ達に促す。

そして、周囲の人々も慌てて道の端に寄り、頭を下げ始めている。


「あ…あぁ…分かった」

サシャ達は、突然の事に戸惑いながらも、言われるがまま道の端に移動し、深く頭を下げる。


馬車の音がさらに近づき、そして彼らの横で止まった。


「控えよー!パルチザン卿のお通りである!」

先導をする従者が、傲慢な声で叫んだ。


「…」

サシャとアリアは、頭を下げ続ける。


「(まったく…こんな理不尽がまかり通るなんて、信じられない)」

リュウは頭を下げつつも、眉をひそめつつ、内心で苛ついていた。


その時だった。


「わぁ!お馬さんだ!!」

幼い子どもが、馬車の前に、弾かれたように駆け出したのだった。


「あっ!」

母親が、子どもに気づき、悲鳴のような声を上げ、顔を真っ青にして、急いで子どもを抱きかかえる。

従者は、子どもが飛び出したことに気づき、急ぎ馬車を止めた。


「…貴様ら!パルチザン卿の道を妨害するなど!万死に値するぞ!」

従者が、顔を真っ赤にして怒りに満ちた顔で母子に叫ぶ。


「も、申し訳ありません…!許してください…!トリア帝国へ行くだけだったのです…どうか…!命だけは…!」

母親は、子どもを強く抱きしめ、顔を真っ青にして震えながら、掠れた声で許しを乞う。

その顔は恐怖に満ち、涙が流れる。


「レスタ王国の憲法には、貴族に対する不敬罪が定められており、通行を妨害した者は処してもよいとなっている!貴様らの行為はこれに当たる!よって、貴様らを処断する!」

従者は、刀を抜き、母子に近づく。


「ひっ…!」

母親は、従者の冷たい目と抜かれた刀を見て、恐怖で息を呑んだ。


「ええい。胸糞が悪い…!見ておれんわ!小僧!代わるのじゃ!」

その様子を見ていたトルティヤが、怒りに眉を釣り上げ、サシャに代わって止めに入ろうとした、その時だった。


「おい。無辜の民に、何してんだよ」

どこからともなく現れた、青色のコートを羽織った男が、従者の刀を持つ手首を掴んだ。

銀髪が風に揺れ、腰にはナイフがぶら下がっていた。


「…貴様ぁ!何者だ!?」

従者は、突然現れた男に驚き、顔を真っ赤にして怒鳴り、手を振り払い、後ろに下がる。


「名乗るほどの者でもないさ。ま、通りすがりのおせっかい焼きとでも思ってくれ。てか、子どもってのは無垢なもんだろ?それを、たかが目の前を通っただけで処刑とか。お前らの頭のネジが緩んでいるなら、締めなおしてやろうか?」

男は、皮肉な笑みを浮かべ、挑発するような声で従者に呟く。


「あんたら。ここは危ない。早くここを去れ」

男は、母子に視線を向け、落ち着いた声でそう呟く。


「ありがとうございます…!」

母親は掠れた声で礼を言うと、子どもを強く抱きしめ、足早に去った。


「何を勝手なことを!貴様は不敬罪中の不敬罪だ!こいつを捕らえろ!斬り捨てても構わん!」

従者が、男に向かって怒鳴り、兵士に指示を出す。


男はたちまち兵士に囲まれる。

その数、ざっと6人。皆、手練れに見える。


「へぇ。面白いじゃないか。いいぜ。やれるもんならやってみろよ。俺が勝ったら、今日の飯代よこせよな」

男は、面白がるような表情で、挑発するように兵士達を睨みつけた。


「こいつ…生意気な!かかれ!」

従者が、怒鳴り、兵士たちに突撃を命じる。

兵士が一斉に男に飛びかかる。


「どうした?剣筋が遅せぇぞ?ちゃんと飯食ってるのか?」

男は、兵士の剣戟を紙一重でかわした。動きは驚くほど滑らかで速い。


「あぁ、多分疲れてんだろ。ゆっくり休めよ」

一瞬のうちに一人の兵士の背後に回り込み、手刀を首筋に叩き込む。

兵士は意識を失い、地面に崩れ落ちた。


「そらよっと。足元に気をつけな」

男は、別の兵士の足元に素早く足を出し、引っ掛ける。

兵士はあっさりと転ぶ。


「このっ!小癪な!」

別の兵士が、怒りに顔を歪ませ、男に刀を振るう。


「鍛錬が足りてねぇ…な!そんな速度じゃ、俺には当たらねぇよ!」

男の足の筋肉が隆起し、地面を踏み抜く。

拳に力を込め、兵士の腹部に鋭い刺突を放つ。

それは、鎧に深く食い込み、亀裂を入れるほどの破壊力だった。


「ごはっ…!」

兵士は苦悶の表情を浮かべ、膝から崩れ落ちた。


「あれは…黎英のショウリンジか…あの突き…あの足さばき…間違いない…!」

リュウは、男の動きと刺突を見て、目を見開いた。


「ほらほら!骨がないなぁ!?こんなんで俺を捕らえるなんて十年早いぜ!」

そう呟きながら男は、残りの兵士も流れるような動きで次々と一蹴していく。

攻撃は一切当たらず、隙を突き、関節を決めたり、手刀を入れたりして、的確に無力化していく。

数分のうちに、全ての兵士が地面に伏した。


「さてと。兵隊さんは終わりか。あとはお前だけだが…どうする?降参するか?それとも、一発芸でも見せてくれるのかい?」

男は、震えている従者を冷たい瞳で睨みつける。


「貴様っ!!パルチザン卿の御前で無礼な!ここで斬り捨ててくれる!」

従者は、恐怖に顔を歪ませながらも、震える手で刀を振りかざした。


「馬鹿だな。お前」

男は、従者の剣を避け、一瞬で懐に入り込んだ。


「(え?はやっ!?)」

従者が男を認識した時にはもう遅かった。

男の鋭い拳が、お腹を深く穿つ。


「ごへっ!」

従者はお腹を抱えて、苦痛に顔を歪めながら、倒れる。


「なんだ、その一発芸は?つまらないぞ」

男は、倒れた従者を見下ろして呟いた。


「うるさい…!まだ終わってない…!」

従者が、震える手で地面に手をつき、血を吐きながら、立ち上がろうとする。

その時。


「もうよい。下がれ」

馬車の中から、透き通るような女性の声が響いた。

静かだが、有無を言わせぬ威圧感があった。


「…ははっ!」

従者は、声を聞くと、刀を手放し、力なく地面に崩れ落ち、跪いた。


すると、馬車から、きらびやかな黒いドレスに身を包んだ女性が、ゆっくりと降りてきた。

高貴で冷たい雰囲気が漂い、顔は圧倒するような美しさと威厳を兼ね備えている。


「パルチザン卿だ!」


「馬鹿!見るな!頭を下げろ!何をされるか分からんぞ!」

頭を下げていた民衆が、パルチザン卿の姿を見て、ざわめき始めた。


「(これが…レスタ王国の貴族?)」

サシャは、好奇心と恐怖心から、わずかに頭を上げ、貴族の方をちらりと見た。

姿は高嶺の花といった雰囲気だが、どこか冷たさを感じた。


パルチザン卿と呼ばれた女性は、表情を変えず、ゆっくりと男の方に近づく。


「貴様か。(わらわ)の道を妨害し、このような場所で騒ぎを起こしている痴れ者は?」

パルチザン卿は、男をじっと見つめ、低い、響く声で問いかけた。


「妨害?笑わせるな。この道はお前らだけのものじゃねぇだろう。誰だって通る権利がある。それに、無辜の母子を通行の邪魔をしただけで処刑するだなんて狂ってやがるぜ」

男は、威圧にも全く動じず、堂々とした態度を崩さない。


「…ほう。(わらわ)を前に、大した口を叩きおるのぉ」

パルチザン卿は、男をじっと見つめながら、口元に冷たい笑みを浮かべた。


「俺は貴族だろうと王族だろうと関係がないのでな。理不尽なことには従うつもりはない。あんたが俺をどう評価しようが、正直どうでも良い」

男は、冷たい視線にも臆することなく、まっすぐに彼女を睨みつける。


「ふむ…」

その様子を見たパルチザン卿は、男の態度にわずかに興味を示したか、笑みを見せた。


「…ま、良かろう。面白いものを見せてもらった。貴様の果敢な戦いぶりに免じて、今回だけは特別に無礼を許そうぞ。(わらわ)の寛大さに感謝するが良い」

パルチザン卿は、そう言うと、男から視線を外し、踵を返し、馬車に戻っていった。


「…やれやれ」

男は、去るのを見て、そっと道を譲る。表情には皮肉と安堵の色が混じる。


そして、馬車は再び動き出し、トリア帝国の方へ向かっていった。


「(あの身のこなし…あの男。相当できる)」

リュウは、男の立ち回りや身のこなし、兵士たちを一蹴した技を見て、相当な手練れだと推測した。


「ふぅ…やれやれ。どえらいものを見てしまった…まさか、貴族様があんなところで足止めされるなんてな…」


「一体、何者だったんだ、あの人は…」

馬車が去ったのを見て、頭を下げていた民衆は安堵のため息をつき、顔を上げた。


「さて…行くか。あ、飯代もらうの忘れてた…ま、いいか」

男は、そう呟くと、関所の方向へと向かっていった。

その足取りは軽く、迷いがないようだった。


「なんだったんだ、あの人…?」

サシャ達は、一連の出来事に呆然とし、男の正体に首を傾げた。


「すごい強い人だったね!」

アリアは、目の前で繰り広げられた戦闘を見て、興奮冷めやらぬ様子で感想を呟いた。


「あぁ。動きからして並の戦闘者ではなかった。あの足さばきや回避術は、相当な実戦経験を積んでいる者にしかできない。間違いなく猛者だ」

剣術を収めているリュウには、男の実力が正確に分かっていた。


そして、関所からしばらく歩くと、小さな街に着いた。


「うっ…」

街に足を踏み入れた瞬間、強烈な異臭がサシャの鼻腔を突き刺した。

生ゴミの腐敗臭と下水の淀んだ匂い、さらに埃っぽさと黴臭さが混ざり合った空気が肺を満たす。


家屋は壁の漆喰が剥がれ落ちて木材がむき出しになっていたり、屋根瓦が落ちて穴が開いていたり、窓ガラスが割れて破片が残っていたりと、まるで人が住む場所ではないような廃墟のようだった。


そして、街を歩く人々は皆、薄汚れたボロ布を纏い、飢えと疲労で生気を失ったような表情をしていた。

瞳には一切の光がなく、顔色は土気色で、皆、痩せ細り、骨が浮き出ている。


「これは…ひどいな…まさか、レスタ王国の街が、こんな場所だったなんて…」

街のあまりのひどさに、サシャは息を飲み、目を丸くした。


「あぁ…相当荒れてるな」

リュウは、眉をひそめ、警戒するように周囲を見渡した。

いつ何が起きてもおかしくないような、殺伐とした雰囲気だ。


「宿屋っぽい建物もないよ!」

アリアも、不安げな表情で首を左右に振り、周囲を見渡した。


「…全く。この国は名前を変えても相変わらずじゃ。民の苦しみなど、一切顧みぬ…全く進歩しておらん」

精神世界で、トルティヤが腕を組み、呆れた表情をしながら呟いた。


「国の名前が変わったの?」

サシャは、トルティヤの言葉に興味を持ち、尋ねた。


「昔、ここはヴァンサン皇国という国じゃった。だが、ある事件で滅んでのぉ。その後に創られた国がレスタ王国(ここ)じゃ」

トルティヤは、遠い過去を懐かしむような、あるいは悼むような、少し掠れた声で説明した。


「事件?どんな事件だったの?」

サシャは、トルティヤの表情から、何か非常に辛い過去があることを感じ取り、さらに尋ねた。


「ま、昔の話じゃ。お主が知る必要もなかろう…」

トルティヤは、それ以上は語ろうとせず、そう言いながら、遠い過去を思い出すかのように目を細めた。


「…そっか…分かった…」

トルティヤの表情の裏には、何か非常に辛い過去がありそうだったが、それ以上詮索することはできず、サシャは何も言い返せなかった。


石畳の道は、埃とゴミで汚れており、足元で、靴底がザリザリと音を立てる。

やはり、どの建物もボロボロで、街のあちこちには、痩せこけた浮浪者や、土で汚れ、生気のない瞳をした孤児たちが、力なく地面に座り込んでいた。


「お腹空いた…お兄ちゃん、何か食べるもの…ほしい。お願い…」

歩いていると、幼い孤児が、サシャの服の裾を、骨が浮き出た細い腕で弱々しく掴み、今にも泣き出しそうな掠れた声で呟いた。


「…何か食べ物を」

サシャは、その孤児の悲痛な声に、胸が締め付けられるのを感じた。

思わず足を止め、迷うことなく亜空袋に手を伸ばし、何か食べ物でも渡せないか漁ろうとした。

しかし、トルティヤが声で制止した。


「お主。お人好しも大概にするのじゃ。このような場所で、無闇に情けをかけるのは危険じゃぞ」

トルティヤの声には、警告の色が含まれていた。


「けど…トルティヤ、さすがにかわいそうだよ…何か少しでも…」

サシャは、目の前の孤児を見捨てることができず、困ったような表情で訴えた。


「この子ひとりに施しをしてみろ。そうすれば、街中にいる他の連中も、お主たちが何かを持っていると知って、蜘蛛の子を散らすようにお主たちにたかりにくるぞ?多勢に無勢じゃ。抵抗もできまい。何もかも奪われるかもしれんのだぞ?」

トルティヤの言葉を受け、サシャは、ハッとしたように周囲を見渡した。


「あっ…!」

そこには、街のあちこちから、飢えにギラギラと光る瞳が一斉にサシャ達に向けられている光景があった。

痩せこけた体を引きずりながら、じっと動かずにこちらを見つめている浮浪者や孤児たち。

彼らの瞳は、飢えた獣のような光を宿しており、サシャ達を獲物と見定めているかのようだ。


「な?救いたい気持ちはワシも全く分からんでもない。じゃが、まずは自分たちの安全を優先するのじゃ。全てを救うことはできん。何もかも失ってしまえば、誰も救えなくなるのじゃぞ」

トルティヤは、珍しく冷静な声でサシャを諭した。


「そうだね…分かった…」

サシャは、トルティヤの言葉の重みを理解し、深く頷いた。


「(ごめんよ…何もしてあげられなくて、本当にごめん…)」

心の中で、サシャは何度も謝罪の言葉を繰り返した。

振り切るように、彼は重い足取りで街の反対側へと向かった。


「この街を更に東に進むと、サージャス共和国に入れるよ!この街の出口はすぐそこだから、あと少しだよ!」

アリアは、この重苦しい空気を変えようとするように、地図を片手に、無理にでも明るい声で言った。


「そうだね…行こう…」

サシャは、アリアの言葉力強く答え街の出口へと向かった。

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