第109章:因果の果てに
「いくぞ!ラウ!!」
先に斬りかかったのはカーンだった。
その刀は、まるで風を切り裂くかのように、猛烈な速さでラウ老師に迫る。
「ぬう!!」
ラウ老師は、紙魔法で双剣を作り出すと、流れるような動作で迎撃の姿勢に入った。
「キィン!!」
速さと重さを兼ね備えた斬撃が、ラウ老師の双剣と激しくぶつかり合う。
「あの頃の小生とは思わないことだ」
刀を抑えながら、カーンが冷ややかに言い放つ。
彼の表情には、80年間の研鑽に対する確固たる自信が満ちていた。
「動作を見れば分かる。確かにあの頃と同じようにはいかんな」
ラウ老師は、その言葉に静かに応じ、そのまま嵐のような乱撃をいなしていく。
実力者同士の激しい戦いは、まさに伯仲之勢であった。
「そりゃそうだ。小生は貴様に負けてから、山にこもり、来る日も来る日も剣を振るい続けた。貴様が、のうのうと後進を育てているうちに、小生は更に強くなった…」
次の瞬間、カーンの姿が目の前からかき消えた。
それは、常識では考えられないほどの速度であった。
「むっ!!」
ラウ老師は、肌で危険を察知し、咄嗟に体を左に傾ける。
しかし、その判断が一瞬遅れた。
「シュパッ!」
カーンの刀が、ラウ老師の腹部を浅く斬り裂く。
痛みが走るが、ラウ老師は顔色一つ変えなかった。
「もらったか…」
ラウ老師が辺りを見渡す。
そこには、ラウ老師の周りを円を描いて移動する、無数のカーンの姿だった。
「比良鳥流奥義・偉智簿…比良鳥流の奥義を極めた者のみが辿り着ける極地。貴様に捉えられるか?」
カーンの声が、無数の残像から響き渡る。
次の瞬間、無数のカーンが一斉にラウ老師に向かって斬りかかる。
「ならば、迎撃する人数を増やすのみ…紙魔法・式人演舞!」
ラウ老師が魔法を詠唱すると、彼の周囲に紙でできた分身体が複数現れた。
分身体も、刀や斧、槍といった武器を構え、迎撃の態勢を取る。
「その程度の紙切れ…真っ二つに引き裂いてくれようぞ」
カーンが、まるで津波のような勢いでラウ老師と分身体に襲い掛かる。
「シュパッ!!」
「ガキン!!」
紙が斬られる音と、武器がぶつかる音が山間にこだまする。
「ほれっ!!」
ラウ老師は、分身体と共に、襲いかかる攻撃を次々と受け流していく。
しかし、斬っても斬っても手ごたえは全くなかった。
「(なるほど…あくまでもカーンが高速移動をして複数の分身体で攻撃しているように見せかけているだけというわけか…)」
ラウ老師は、カーンの技の仕組みを見抜いた。
だが、カーンの攻撃の勢いは止まらない。
「どうしたラウ?攻撃の勢いが弱まっているぞ?」
その言葉と同時に、強烈な突きが飛んできた。
「ザシュ!!」
その一撃は、ラウ老師の腹部を貫く。
「ぐっ…」
ラウ老師の腹部から、赤い血が滴り落ちる。
「体をずらして急所を外したか…ならば、更に奥の手を使うとしよう…」
カーンは、不敵な笑みを浮かべ、魔法を唱える。
「霧魔法-眩雲霧界-!」
すると、周囲は一瞬にして深い霧に包まれ、視界が完全に遮られる。
「…(まずいのぉ。カーンの十八番が出るか)」
ラウ老師は、五感を研ぎ澄まし、気配を察知しようと集中する。
「ラウよ…聞こえているだろう。この技の恐ろしさは貴様もよく知っているはずだ…」
霧の中から、カーンの声だけが響く。
その声は、どこから聞こえてくるのか判別がつかない。
「知っているとも。その技でワシの同胞を何十人…いや、それ以上か。斬った技であろう?」
ラウ老師が冷静に応じる。
「貴様には一度見破られているが、年老いて、手負いの貴様を屠るには十分な技だ」
次の瞬間、霧の中から、ラウ老師を挟み込むようにしてカーンが奇襲してきた。
「見えておる!!」
ラウ老師は、分身体を操り、カーンの奇襲を無力化する。
だが、攻撃をした途端、カーンの姿は霧のように掻き消えて行った。
「今のはほんの小手調べ…次は本気で行くぞ…」
カーンはそう宣言する。
「(奴は元々魔力量が少ない。故に魔力で探知するのは難しい。となると、頼れるのはやはり…)」
ラウ老師は目を閉じ、聴力に意識を集中させた。
風の音、木の葉のざわめき、そして、わずかに聞こえる足音。
「(全方位…!これは…!!)」
ラウ老師は目を開く。
そして、双剣で独特の構えを取った。
「死ね!ラウ!これが貴様の最期だ!!」
霧の中から声が響く。
だが、ラウ老師はそこから一歩も動かない。
「ふん…観念したか。それもまたよかろう…!」
カーンは、霧の中に紛れた分身体と共に、ラウ老師の背後から鋭い突きを放とうとした。
だが…
「むぅ!!」
カーンは、咄嗟に後ろに身を引く。
「…饒速日流奥義・阿僧祇」
なんと、ラウ老師は前を見たまま、双剣を背後に向けて振るったのだ。
その一撃は、カーンの動きを正確に捉えていた。さらに…
「くっ…」
なぜか、カーンの胸に鋭い痛みが走る。
それは、決して浅い傷ではなかった。
「(何故だ?制空圏から逃げたはずなのに、これほどの傷を負うとは)」
その時、カーンはラウ老師が握っていた双剣を見る。
「(なるほど…ラウめ。やりおる)」
ラウ老師が握っていた双剣は、先ほどのものよりリーチが長くなっていた。
彼は先ほどの技の最中、コンマ数秒のうちに双剣へ魔力を送り込み、リーチを伸ばしていたのだった。
「やっと…捕まってくれたか…」
ラウ老師がカーンに向けて静かに語りかける。
「ふん…これで勝ったつもりだと思うな!」
カーンは、血が滲む胸元を押さえながら、刀を向けると、ラウ老師に向けて突撃する。
その動きは、深傷を負っているとは思えないほど速い。
「しぶとい奴じゃ…」
ラウ老師は、双剣を解除し、紙で一振りの巨大な斧を形成する。
「ガキンガキンガキン!」
双方、激しい打ち合いが炸裂する。
剣と斧がぶつかり合い、火花と轟音が飛び散る。
「ぐっ!!」
「やりおるわい…」
互いの肉体は削られ、血まみれになっていく。
「(先ほどの技で体力をだいぶ持っていかれた…本当の奥の手を使えるのは一回限りといったところか…)」
剣戟をしながら、カーンは最後の策を練っていた。
「(ワシも年を取った…あまり長くは戦えぬのぉ。仕方ない…アレを使うか)」
ラウ老師も己の体力の限界を感じ始めていた。
同時に、最後の技を発動する算段を立てていた。
「ガキンガキンガキン!」
双方が斬りあいを続けて数分。
お互い、血まみれになり体力の限界も近い。
そんな中、その時がついに訪れた。
「いくぞ!!ラウ!!これが小生の最期の技じゃ!!!!!!」
カーンが独特の構えを取る。
全身の魔力を刀に集中させ、最後の一撃を放つ準備をしていた。
「来い!カーン…その技。お主ごと打ち破ってくれようぞ!!」
ラウ老師も斧を構え、迎撃の姿勢を見せる。
「…比良鳥流奥義・紗十武璃餡!!」
次の瞬間、カーンが目にも見えない速さで鋭い突きを放つ。
その一撃は、喰らえばまさに致命になりえる、神速の一撃だった。
「ドラゴニア流体術究極奥義…」
ラウ老師は、カーンの突きを迎え撃つべく、斧を大きく振りかぶった。
「(振りが大きい!)もらったぁぁあ!!!!!」
カーンは、自身の勝利を確信した。
彼の刃が、寸分違わずラウ老師の喉元に近づく。
「ザシュ!!」
血しぶきが宙を舞った。
「ぐはっ!!」
だが、血しぶきをあげたのはラウ老師ではなく、カーンだった。
その胸には、斧が2本深々と突き刺さっている。
傷口は大きく、それは、明らかな致命傷だった。
「はぁ…はぁ…紙魔法…旋斧嵐技。ワシの手にした斧や技の叫びは囮。本命は、魔力で小型の斧を2本投擲して…お主の胸を狙った」
ラウ老師は、その技に相当体力と魔力を使ったらしく、手にした斧は紙切れとなり宙に舞い、その場に膝を着いた。
「ふっ。まさか最後の最後で不意打ちをかますとはな」
カーンは、胸に突き刺さった斧を見つめ、そのまま地面に倒れる。
「貴様の勝ちだ…ラウ…勝者が地面に膝を着けてどうする?」
カーンは、震える声でラウ老師に語りかける。
「ワシも年を取った…久々に全力を出したが故、昔のようにはいかんよ」
ラウ老師が、荒い息を吐きながら答える。
「ふっ…軍神も老いには勝てないという訳か…」
カーンは、皮肉交じりに微笑んだ。
「勝手に言ってるがいい…それとな。あの時、お主にとどめを刺さなかったのは、哀れみなどではなかった…」
「…どういうことだ?」
カーンが、問いかける。
「実はワシも、お主との戦いを楽しんでおったからな。お主が生きておれば、もう一度、戦うことができる。お主も内心では、そう思っていただろうし、あの時、立場が逆だったとしても、お主はワシにとどめを刺さなかったじゃろう」
ラウ老師が、カーンの心を見透かしたかのように言い放つ。
「…全てお見通しって訳か。やはり、貴様には…敵わないな…」
カーンは、満足そうに微笑むと、静かに目を閉じた。
「ラウよ…アルタイル国王は手ごわい。もはや、この国で一番強いと言っても過言ではない。お主の仲間では敵わぬやもしれぬぞ…それでも…アルタイル国王に立ち向かうと?」
カーンは、最後の力を振り絞り、ラウ老師に尋ねた。
「…大丈夫じゃ。ワシは彼らの可能性を信じておる。若い芽を信じるのもまた、先達の務めというやつじゃからな」
そう呟くと、ラウ老師は空を見上げた。
その瞳には、未来を信じる強い光が宿っていた。
「…全く。大した奴だ」
カーンは、その言葉を聞くとニヤリと笑った。
「さ、時間だ…ゆっくり休むのじゃ。あの世で会った時はまた…」
ラウ老師の瞳には、微かに涙が流れる。
「あぁ。そうさせて…もらおう…さらばだ…我がライバル…(ザクトゥス王子。小生も今そちらに参ります)」
こうして、カーンは永久に目を閉じた。
彼の表情は満足そうで、穏やかなものであった。
「カーン…安らかに眠るといい」
ラウ老師は、カーンの亡骸に向けて静かに合掌をする。
そして、自らの傷に耐えながら、ゆっくりと立ち上がった。
「…トルティヤ。本来は師であるワシがやらねばならぬことを…すまぬな。どうか無事であってくれ」
ラウ老師は、そう呟くと、トルティヤたちが飛んでいった山の方を見つめた。
すると、同時だった。
「パサッ…」
近くにあった糸で作られた繭が解け、中からリュウの姿が現れる。
「ううっ…」
そこには痛みを堪えているリュウの姿があった。
「リュウ!!」
ラウ老師は、自らの傷をおして、リュウの元に駆け寄る。
「すみません…ラウ老師…」
苦痛に表情を歪めながら、リュウが話す。
「(骨が内臓に突き刺さっておる…早く手当てせねば危険じゃ)手当てをしに行くぞ」
ラウ老師は、リュウの怪我の状況をいち早く察知する。
「…俺は大丈夫です…それよりもラウ老師こそひどい怪我をして…あと、アリアと合流しない…と」
リュウは、自身の身より、アリアやラウ老師の身を案じた。
「馬鹿を言うな。師の目の前で弟子を死なせるなどありえん。あの娘なら大丈夫じゃ。それよりも自身の身を案じるのじゃ」
そう言い放つと、ラウ老師はリュウを抱え、一気に空を飛んだ。
「…(もってくれよ。ワシの体よ)」
ラウ老師は、ふらふらとしながらも、懸命に空を飛ぶ。
その顔からは、汗が流れ落ちていた。
「…確か、この辺じゃったな」
そして、シュリツァの南側にある一軒の建物の前にゆっくりと降り立った。
「…ここじゃな」
ラウ老師の目の前には「ガロ診療所」と書かれた木製の看板が掲げられていた。
彼は、ためらうことなく診療所の扉を開けた。
中には誰もいなかった。
「おーい!ガロ!いるんじゃろ!!」
ラウ老師は大きな声をあげる。
すると、奥から物音がした。
「なんじゃ…気持ちよく寝ていたところを…って、ラウ老師ではないですか!どうしたんです?その傷は?あと、この連れの方も…」
奥から白衣を着込み、髪に白髪が混じっている壮年のドラゴニアが、慌てたように駆け寄った。
「ガロ。ワシは後でいい。この子の治療を頼む。内臓に骨が突き刺さって危険な状況じゃ」
ラウ老師は、冷静な声でガロに伝える。
「分かりました…!とりあえず、奥の診療室に運んでくれますか?」
そう言うと、ラウ老師はリュウを奥の診療室へと運んだ。
「そこの台に寝かせて…」
ラウ老師は、リュウを診療台に寝かせる。
「うっ…」
リュウは、苦痛に顔を歪める。
口からは吐血もしていた。
「まずは、麻酔ですね」
ガロは、そう言うと、手際よく麻酔を注射する。
「…うっ」
そのまま、リュウは眠りについた。
「…大体この辺」
そして、ガロは手際よくメスを差し込み、傷口を切開する。
「よかった。そこまで深く刺さっていない。これなら…」
傷口の状況を見て、ガロは魔法を発動する。
「氷魔法-氷塞栓-」
すると、ガロが触れた傷口部分が凍り付く。
そしてそのまま、ゆっくりと刺さった骨を引っ張り、元の場所に戻す。
「…これで骨を抜いても出血することはない」
傷口を氷魔法で塞いでいるおかげで、出血をすることなく、処置は順調に進んだ。
「あとはこれを…氷魔法-銀柔ノ糸-」
ガロが更に魔法を唱える。
すると、今度は氷でできた細い糸がリュウの傷口を縫合していく。
「…」
ガロは、極限まで集中力を高め、正確に糸を操った。
やがて、リュウの傷は完全に塞がれた。
「…終わりましたよ。あとは、この子の気力と治癒力次第です」
ガロは、額の汗をぬぐった。
「ありがとう…さすがは、ベクティアル国王の主治医だっただけはある」
ラウ老師が、ガロに感謝の言葉を述べる。
「お世辞はいいですよ。それよりも…普通、内臓に骨に刺さったら、発狂するような痛み。そして、大量出血から死に至る者が多いが…この子は強靭な精神力と肉体を持っているようですね…措置も早かったから死なずに済んだのです」
ガロは、眠っているリュウを見つめ、感心したように話す。
「ふふふ。ワシの弟子じゃからな。気合と根性は一流じゃよ」
ラウ老師は、自慢げにガロに語りかける。
「弟子の自慢も結構ですが、次はあなたです。やせ我慢しているようですが、割と洒落にならない傷も何か所か見られますからね」
ガロは、呆れたようにラウ老師の体を見つめる。
「分かっておる…だが、注射は勘弁してくれよ」
ラウ老師は、そう釘を刺すと、ガロの治療を受けることになった。
こうして、カーンとラウ老師の戦いは接戦の末にラウ老師が勝利を収めた。
だが、リュウは重傷を負ってしまい、ラウ老師も治療を受けている状況となった。




