第108章:後継戦争
「小僧…お主の体、少し借り受けるとするぞ。一気に片付けてくれるわ」
トルティヤは、精神世界にいるサシャに静かに語りかける。
「分かった!けど無理はしないで!」
サシャは、トルティヤの提案に同意する。
「天に泣きて天を憎め。滅びの歌を奏で全てを無に帰せ」
重々しい詠唱が響き渡ると同時に、トルティヤの全身から漆黒の、禍々しいオーラが噴き出した。
それはまるで、闇そのものが具現化したかのようだった。
「アルタイル様…お気を付けください!」
ベガは、その異様な気配に、アルタイルに注意を促す。
「…異能の力だ。実に興味深い。興味深いぞ」
しかし、アルタイルは動じることなく、むしろ好奇心に満ちた眼差しでその光景を見つめていた。
「…さて、お遊びはこの辺にするかのぉ」
トルティヤは、完全にサシャの肉体に憑依した。
その背中には、漆黒の翼が開かれ、その姿はまさに堕天使そのものであった。
「堕天使族…本物か?」
ベガは、トルティヤの姿に驚きを隠せず、目を丸くする。
「ほう。文献にその名だけが残っていた堕天使。まさか生き残りがいるとは…」
アルタイルは、興味深そうにトルティヤを見つめる。
「さて、まずは一発お見舞いしてやるとするかのぉ」
トルティヤが、不敵な笑みを浮かべ、魔法を唱える。
「無限魔法-羅刹の業炎-!!」
通常の羅刹の炎よりも黒く、そして高熱を帯びた炎が、アルタイルとベガを襲う。
「むう!!(はやい!)」
ベガは、それを間一髪で回避する。
だが、あまりの熱気に、ベガの全身を覆う鱗の一部が溶けた。
「大した炎だ…!!」
アルタイルは、依然として余裕の表情を崩さず、炎を回避した。
「今のはウォーミングアップ程度じゃ。降参するなら今のうちじゃぞ?」
トルティヤが、警告するように呟く。
「そんな大口を叩けるのも今のうちだ…それよりも、堕天使よ。ここは同胞らが眠っている。場所を変えぬか?お前も無関係の人を巻き込みたくはないだろう?」
すると、アルタイルから、意外な提案が出た。
「見た目によらず優しいのじゃな。ワシにとっては関係のない話じゃが…まぁ、よかろう。その話乗ってやろう」
トルティヤは、あえてアルタイルの提案に乗ることにした。
「ではこっちだ。ついてこい。堕天使」
アルタイルが空を飛ぶ。
「…アルタイル様。お供します」
ベガも同時に空を飛んだ。
「ふん」
トルティヤもそれに続き、空を飛ぶ。
そのまま三人は、人里離れた山の方へと向かっていった。
一方で、アリアは森の中で、とある人物と対峙していた。
「なんかあるんじゃないかなって森の中に潜んでいたら。あの時の冒険者の一人じゃない」
アリアの目の前に立っていたのは、龍心会の幹部の一人であるスピカだった。
「あなたはあの時の!」
アリアも、スピカの姿に驚き、目を丸くする。
「私はスピカ。龍心会の幹部よ。さて、あなた方がアルちゃんをどうして襲ったのか、教えてもらっていいかな?」
スピカは、敵意を出すことなく、柔らかな口調でアリアに尋ねる。
「簡単だよ!龍心会が極天のランプを僕たちから強奪したから取り戻しにきたんだよぉ!」
アリアは、スピカの威圧感に動じることなく、はっきりとそう言い放つ。
「極天のランプね…だけど、それは必要なことだった。アルちゃんがこの国を守るために必要だって言っていたからね」
スピカは、どこか悲しそうな目で呟く。
「それにね。アルちゃんは誰よりもこの国のことを想っている。一人で国王殺しという罪を背負いながら…それでも、国のために頑張っている。私はね。そんなアルちゃんを応援したい。だから、龍心会に入ったの」
スピカは続けてそう呟くと、手元にゲル状の液体を貯め始めた。
「だからって…」
アリアが、反論しようと口を開く。
「さ、おしゃべりはおしまいにしよ。大丈夫。あなたを殺したりはしない。ただ、少し痛い目にあってもらうだけだから…」
スピカは、不気味な笑みを浮かべながら呟く。
「嫌だよ!僕は負けないよ!」
そう呟くと、アリアは先端が螺旋状になった矢を放つ。
「へぇ…変わった矢を使うんだ。だけどね…」
矢の様子を見ながら、スピカが魔法を唱えた。
「蜜魔法-八芒蜜壁-」
すると、スピカの目の前に、八角形の蜜でできた分厚い壁が形成される。
「ずぶっ!」
それは、アリアが放った矢を、いとも簡単に受け止めた。
矢は蜜に突き刺さったまま、身動きが取れない。
「(普通の矢は無理…それなら火で溶かす!)これなら!!」
アリアは、すぐに次の手を考え、今度は先端が赤くなった矢を三本放つ。
「へぇ…属性矢も使うんだね。確かに蜜魔法は火に弱いけど…」
しかし、スピカはそれを見ても、表情一つ変えずに冷静に魔法を唱える。
「その程度の火なら質量で抑え込めるわね。蜜魔法-三首蜜竜-!」
すると、スピカの目の前に、蜜でできた巨大な三つ首の竜が現れた。
それは、アリアの放った属性矢を、いとも簡単に受け止めた。
「うそ!?」
アリアは、その圧倒的な力に目を丸くする。
「さ、今度はこっちの番だね…やりなさい」
スピカが魔力を込めると、三つ首の竜はまるでゴムのように首を伸ばし、アリアに迫る。
「それなら…鎖魔法-チェーンバインド-!」
アリアは、咄嗟に鎖魔法を発動する。
そして、鎖が三つ首の竜の動きを止める。
かのように思えた。
「甘いね…そんなんじゃ私の攻撃は止まらないよ」
すると、三つ首の竜はドロドロと溶け、鎖からの拘束を解いた。
そして再び、三つ首の竜へと変貌し、アリアに襲い掛かる。
「そんな!!」
アリアは、その常識外れの能力に驚きを隠せない。
そして。
「ぶにゅっ!」
アリアは、三つ首の竜に捕まってしまう。
そして、粘度の高い蜜の中に囚われてしまった。
「うぐぐぐぐ!」
蜜の中でアリアは、もがくが、それは無意味な抵抗だった。
そして、アリアはそのまま気を失った。
「…相性が悪かったわね」
スピカは、そう呟くと魔法を解除する。
「どさっ…」
アリアが地面に倒れる。
そして、スピカはアリアに近づき脈をとる。
「…息はあるわね。少し眠っててね」
そう呟くとスピカは、アリアの手首と足首に、蜜でできた縄を着ける。
「…アルちゃん。無事に戻ってきてね」
そして、スピカはその場を去った。
その頃、ラウ老師は、因縁の相手であるカーンと打ち合っていた。
「綿津見流体術奥義・海翔掌!」
ラウ老師が、鋭い掌底をカーンに打ち込む。
「むっ!!」
だが、カーンは、それを刀で受け止める。
「まだまだ行くぞ!」
ラウ老師が、再び鋭い体術を放つ。
それは、一挙手一投足が致命になりうる、重く鋭い攻撃だった。
だが、カーンは、それを全て回避するか、あるいは刀で受け切っていく。
「さすがだ!この血が沸騰するような感覚…戦いとはこうでなくてはな!」
カーンは、悦びに満ちた表情を見せる。
「いい加減にしろ。お主は同胞を斬りすぎた。あの戦争の時だって…」
対峙しながら、ラウ老師は、遠い昔の記憶を思い出していた。
-80年前 ドラゴニア王国 シュリツァにて-
当時、ドラゴニア王国では後継戦争が勃発していた。
それは、先々代の国王である、シャガ国王が第一王子であるザクトゥスを後継者に指名せず、第二王子であるベクティアルを指名したことから始まった。
その理由は諸説あるが、ザクトゥスは素行が悪かったという説、あるいはあくまでも庶子の子という立場だったからという説があった。
だが、実際は度を越したドラゴニア主義の主張が激しかったためだった。
ザクトゥスは、ドラゴニアこそが一番優れている種族だと主張し、隣国の要人に襲撃を仕掛けたり、強盗まがいの行為に及んだりしていた。
一部のドラゴニアには、彼の行動を称賛し、共感し、英雄視する者もいた。
ところが、その思想はトリア帝国や黎英との間で何度か戦争の危機を招いた。
しかし、シャガ国王の必死な交渉と謝罪によって、全て事なきを得ていた。
「…このままザクトゥスが国を継いだら大変なことに」
シャガは、他国との戦争を回避するため、苦悩の末、第二王子であるベクティアルを次期国王に指名した後、老衰でこの世を去った。
「何故!順位的には俺が次期国王のはずだ!!」
ザクトゥスは、父の決定に激しく怒り、自分を国王と認めさせるべく行動を開始した。
「父上の遺言は守らねば」
ベクティアルもまた、兄と戦う決意を固め、同様に行動を開始した。
こうして、王国内は「ザクトゥス派」と「ベクティアル派」に分かれ、大規模な内乱が発生した。
これが後の世に伝わる「後継戦争」であった。
そんな戦いは2年が続き、ドラゴニア全土で一進一退の攻防が繰り広げられた。
そして、ついに首都シュリツァを巡る最終決戦が勃発した。
街は炎に包まれ、悲痛な叫び声が響き渡っていた。
「聞け!シュリツァを制した者が国王だ!皆!気張れ!!」
第二王子として前線に立っていたベクティアルが、部隊を鼓舞する。
彼の言葉は、兵士たちの心に熱い炎を灯した。
「うぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
「総大将を討ち取れ!!」
ベクティアルの部隊が一気呵成に迫る。
「奴らに負けるな!!」
「ザクトゥス王子の御前だ!皆、奮闘せよ!!」
一方で、ザクトゥス王子の部隊も、劣勢をはね返すべく激しく戦っていた。
そんな戦いの最中、一つの家屋の屋根の上で、若き日のラウ老師とカーンが対峙していた。
燃え盛る街を背景に、二人の間に張り詰めた空気が漂う。
当時、カーンは「竜斬り将軍」として、ベクティアル陣営から恐れられていた。
彼が斬った兵士の数は、優に百を超えるほどの実力者であった。
そのため、ベクティアル陣営で彼に勝てるのはラウくらいだと言われていた。
同時に、ラウに勝てるのはカーンくらいだと、ザクトゥス陣営では言われていた。
そして、お互い、既に戦場で何度か刃を交わした仲だった。
そんな二人が、雌雄を決する時が来た。
「ラウよ…今日こそ終わりにしてやる。お前を倒してベクティアルの首を取ってやる」
カーンが、刀を構える。
その瞳には、強い殺気が宿り、全身から沸き立つ闘気が、周囲の空気を震わせた。
「あぁ。俺を倒せたらの話だがな、だが、お前が倒れれば…」
ラウは、紙魔法で一本の大剣を形成した。
「問題ない。俺がいるからな。ザクトゥス王子には手を出させない」
カーンは、自信ありげに答える。
「そうか…ならば、参るぞ!!」
こうして、両者は一騎打ちを始めた。
屋根の上を舞台に、剣と紙の刃が激しく交錯する。
戦いの中心に、激しい剣戟の嵐が吹き荒れる。
火花が散り、剣がぶつかる度に鋭い音が響き渡る。
互いの体が、徐々に削られていく。
「さすが軍神と呼ばれた男だ!敵にまわったのが惜しいぞ!」
カーンは、そう叫びながら、剣を振るう。
「お前こそな。さすがは、比良鳥流の免許皆伝の腕前を持つだけある」
お互いに譲らない、激しい戦いが続く。
そして、決着の時は訪れた。
「ガキン!!!」
カーンの刀が、鋭い音を立てて宙を舞う。
その一瞬の隙を見逃さず、ラウが動いた 。
「しま…!!」
「もらったぁぁあぁ!!」
ラウは一刀のもと、カーンを斬りつけた。
「ぐぁぁぁぁっ!!」
カーンは、激痛に顔を歪ませ、胸から血を噴き出しながら地面に倒れた。
「はぁ…はぁ…手ごわかったよ」
ラウも体中傷だらけだった。
それでも、息を切らしながら、ザクトゥス王子がいる陣へ向かおうとする。
「待て…ザクトゥス王子を殺す前に…俺を…殺せ…」
カーンは震える声でそう呟く。
その瞳には、敗北の悔しさと、武人としての最後の意地が宿っていた。
だが、ラウは冷静だった。
「俺の目的はザクトゥス王子を討つこと。お前を討つことじゃない…」
ラウはそう言い放つと、迷うことなくその場を去っていった。
「くっ…なんという…屈辱…」
その時、カーンが流したのは、敗北の悔し涙ではなかった。
それは、武人としての誇りを否定され、存在意義を失った故の、屈辱の涙だった。
それから、数十分後、カーンは仲間によって救助され、手当てを受けていた。
「カーン将軍!大丈夫ですか?」
衛生兵が治癒魔法を使いながら、カーンの体に包帯を巻き、止血する。
「大丈夫だ…それよりも…ザクトゥス王子をお守りせねば…」
カーンは、負傷した体に鞭を打ち、立ち上がろうとした。
その時、ザクトゥス王子がいる拠点から、勝利の雄叫びがあがる。
「…まさか!!」
カーンは、嫌な予感に居ても立っても居られず、ザクトゥス王子がいる拠点へと走り出した。
「ベクティアル側の兵士…どうしてこんなに?」
そして、物陰から拠点の様子を伺った。
しかし、現実は残酷だった。
「皆の者!!ラウがザクトゥス王子を討ち取った!!この戦争は我々の勝利だ!!」
そこには、壇上に横たわるザクトゥス王子の亡骸と、ラウ、そして、ベクティアル王子の姿があった。
「…あぁ、なんてことだ」
カーンは、目の前が真っ暗になった。
「カーン将軍!一人では危ないです!逃げましょう!」
追ってきた部下がカーンに近づく。
彼の肩を揺すり、危険を知らせた。
「…」
それからのことはよく覚えていない。
部下と共、に無我夢中でシュリツァを脱出した。
そして、カーンは忽然と姿を消した。
兵士達の間で、カーンは、ドラゴニア王国から去ったとも、ザクトゥス王子の後を追って自害したとも言われていた。
彼を探し出し、直属の部下にしようとする者もいたが、彼の姿はどこにもいなかった。
「俺はもう。だが、この力だけは衰えさせる訳には…」
カーンの姿は、ズイの北側にある山中にあった。
彼は、目的を失ったが、培った剣術だけは、唯一の誇りとして手放せなかった。
彼は80年の間、ただひたすらに剣を振るった。
来る日も来る日も、風を斬り、岩を斬り、自らの技を磨き続けた。
そのおかげで、100歳を越えても衰えぬ肉体と技を手に入れたのだった。
そんなある日、ズイに買い出しに出た時だった。
「ベクティアル国王が討たれたってよ」
「なんでも、アルタイルとかという若者がやったそうだ」
「この国はどうなるんだろうか…」
「なんでも、明日、議事堂で決起集会をするとか言っていたな」
人々が首都でのクーデターを話題にしていたのだった。
そのざわめきに、カーンは足を止めた。
「(ベクティアルが死んだ?そして、アルタイルとは一体?)」
カーンの中に、ほんの少しの好奇心が沸き起こった。
そして、その好奇心に突き動かされ、決起集会にこっそりと参加した。
「ベクティアル前国王は、他種族に参政権を与え、軍への入隊まで許可しようと企んでいた!もし、そのような事態になっていれば、ドラゴニア王国はもはやドラゴニアのための国家ではなくなっていたであろう! それでも、この国の民は平和に溺れ、我々の再三にわたる訴えも、活動も、一切合切無視し続けた。私自らベクティアル前国王に直談判しても、彼は最後まで我々の声に耳を傾けることはなかった…。だからこそ、私は…、我々は、立ち上がったのだ!」
壇上から響く、アルタイルの力強い演説。
その言葉の一つ一つが、80年前に聞いたザクトゥス王子の声と重なる。
「…(王子。あなたの思想を継ぐ者が現れましたぞ)」
カーンの心に、再び使命感が芽生えた。
そして、彼はアルタイルへの協力を決断するのだった。
そして、現在。
再びラウとカーンは剣を交えていた。
「あの時、貴様に受けた屈辱。今日こそ晴らしてくれよう…」
カーンがラウを睨みつける。
「カーン…何故そんなに死に急ぐ?」
ラウ老師はどこか悲しそうな目をしながら、紙でできた刀を構える。
こうして、二人は再び向かい合った。




