第106章:帰還
サシャたちは、夜のカベルタウンを脱出し、カリカリの森へと逃げ込んだ。
「はぁ…はぁ…」
深い森の中、三人は一本の大きな木の下で荒い息を整えた。
「心臓が飛び出るかと思ったよぉ」
アリアはぐったりと木の根元に腰を掛け、肩で息をしていた。
「この森に逃げ込んだ以上、奴らも簡単には見つけられまい」
リュウは周囲を警戒しながら、冷静に呟いた。
「けど、夜の森を進むのはさすがに危険じゃないかな。このままこの木の下で朝が来るのを待とう」
サシャは疲労困憊の二人を見渡し、慎重に提案する。
「そうだな。夜の森はモンスターが凶暴化している可能性が高い。迂闊に動くのは危ないな」
リュウもサシャの意見に賛同するように呟くと、近くの木にゆっくりともたれかかった。
基本的には旅をする際には、夜の森や高原は避けた方がよいと言われる。
その理由は、夜はモンスターが凶暴化しやすい傾向にあるからだ。
もちろん、眠っているモンスターもいるが、凶暴化したモンスターを相手にするのは、かなり危険であるのだ。
「さすがに疲れた…」
サシャもまた、安堵と疲労がない交ぜになった表情で、リュウの隣の木にもたれかかる。
「龍心会の連中に俺たちのことが知れ渡ってしまった以上、今の服装で出歩くのは危ないかもしれない。アジトに行ったら新しい服装に着替えた方がよさげかもな」
リュウが、今後の身の安全を考慮して提案した。
「そうだね…少なくても龍心会との戦いが終わるまでの間は、そうした方がいいね」
サシャも同意するように深く頷き、ふとアリアに目を向ける。
「むにゃむにゃ…」
アリアは、木にもたれかかったまま、既に夢の中に落ちていた。
「僕たちも休もう…」
サシャは、アリアの寝顔を見て、そっと目を閉じた。
森の静寂が、三人を優しく包み込んだ。
明け方。
カリカリの森には、やわらかな朝陽が差し込んできた。
うっすらと周囲が明るくなり始め、鳥たちが楽しげにさえずり始めている。
「んっ…」
サシャは、ゆっくりと目を開けた。
「…」
リュウは、よほど疲れがたまっていたのか、未だ深い眠りについている様子だった。
「むにゃむにゃ」
アリアは、地面に横になったまま、小さく寝言を呟いていた。
「ふぁぁぁぁ…」
サシャが大きなあくびをし、凝り固まった体を伸ばした。
「なんじゃ。随分と早起きじゃのぉ」
すると、精神世界のトルティヤが、愉快そうな声でサシャに話しかけてきた。
「トルティヤ、起きてたんだ」
サシャは、眠気が完全に覚めきらない声で、トルティヤに問いかける。
「ワシが寝とる間に色々とあったようじゃのぉ」
トルティヤは、昨夜の出来事を全て把握しているかのように呟いた。
「うん。龍心会に追われてね…けど、どうして僕らを追っているんだろう?」
サシャは、昨夜の疑問をトルティヤに尋ねた。
「知るか。じゃが、おおかたあの遺跡で戦った双子の刺客が奴らに告げたんじゃろう」
トルティヤが、冷静に推論を述べる。
「うっ…じゃあ、僕らはお尋ね者ということ?」
サシャは、思わず眉をひそめた。
「いや、プライドの高い奴らのことじゃ。だから、お尋ね者にせず、自分たちでなんとかしようとするじゃろう」
トルティヤは、龍心会の思考パターンを見透かすように呟いた。
「そうか。お尋ね者にしたら、賞金稼ぎとかに横取りされる可能性もあるもんね。賞金も払わないとならないし」
サシャは、トルティヤの言葉に納得したように頷く。
「奴らはプライドが高い。同じドラゴニアならまだしも、人間に賞金を渡すような真似はせぬじゃろう」
トルティヤが、さらに追い打ちをかけるように呟く。
すると、その会話を聞いていたのか、リュウとアリアが目をこすりながらゆっくりと起き上がった。
「さて、ワシはもうひと眠りする。邪魔をするでないぞ」
トルティヤはそう呟くと、再び精神世界で横になった。
「はいはい」
サシャは、その言葉にくすっと笑みを浮かべた。
「おはよう。奴らは来てないな?」
目を覚ましたリュウが、まず周囲を警戒しながらサシャに尋ねる。
「おはよう。龍心会の姿はないね」
サシャが、安堵したように答えた。
「んにゃあ…まだ眠いよぉ」
アリアは、まだ睡魔に抗うように目をこすっていた。
「まだ朝方だ。早いところシュリツァに戻ろう」
サシャが立ち上がり、二人に促した。
「そうだな…アジトに戻って色々と報告しなきゃな」
リュウもゆっくりと立ち上がり、体を伸ばす。
「ふぁぁ…」
アリアは、大きなあくびをしながらも、なんとか立ち上がった。
こうしてサシャたちは、カリカリの森を進み、広大な高原を歩いた。
3時間程度歩いた頃だろうか、目の前に懐かしいシュリツァの街並みが見えてきた。
「帰ってきたね…」
サシャは、心底からの安堵の息を吐き出した。
「なんとかな」
リュウも、安心したような表情を見せ、街を見つめる。
そして、シュリツァの門にたどり着いたその時、見張りのドラゴニアがこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
その腕には、見慣れた龍心会の腕章が巻かれている。
「ようこそシュリツァへ。入都料は一人1万ゴールドだ」
ドラゴニアは、サシャたちをじっと見つめながら、有無を言わさぬ口調でそう呟いた。
「に、入都料?」
突然のことに、サシャは目を丸くした。
「ここは神聖なるドラゴニア王国の首都である。人間如きが足を踏み入れるだなんて本来は恐れ多きこと…そのため、アルタイル国王は新たにドラゴニア以外の他種族に対して「入都料」をシュリツァに課したのだ」
ドラゴニアは、高圧的に、しかし堂々と言い放った。
「そんな話は聞いていないぞ」
リュウが、冷静に抗議する。
「昨日、追加で制定されたのだ。いいか人間共。お前らの存在がこの国の癌なのだ。その癌であるお前らを神聖なる首都に1万ゴールドで入れてやるといっている…嫌ならシュリツァへの入都はお断りだ」
ドラゴニアは、吐き捨てるように呟いた。
「仕方ないここは…」
サシャは、状況を理解し、懐から金貨を3枚取り出した。
「これでいいですか?」
サシャが、ドラゴニアに金貨を手渡す。
「へへへ…毎度あり。ほれ、さっさと入りやがれ」
ドラゴニアは、金貨を受け取ると、にやけた表情を見せた。
その顔には、金銭への欲望が露骨に現れている。
「(なんかおかしい…)」
サシャは、妙な違和感を覚えつつも、リュウとアリアと共にシュリツァへと入った。
朝のシュリツァは、比較的穏やかだった。
人々が朝の支度を始め、家々からは煙が立ち上っている。
街中では、ドラゴニアの商人が野菜や牛乳を売っている様子が見られた。
「にしても、シュリツァもすっかりドラゴニアばかりだな」
サシャが周囲を見渡す。
入都料の影響か、ドラゴニア以外の種族の姿はほとんど見かけなかった。
以前はもっと多種多様な人々が行き交っていただけに驚きを隠せない。
「あぁ。ここまで他種族がいないとは…驚きだ」
リュウも、その光景に驚いているようだった。
そして、サシャたちは、彼らのアジトでもあるヘレンの店へと向かった。
店先では、ヘレンの孫であるヒュウナが、店の開店準備をしていた。
「あ!お兄ちゃんたち!おかえり!」
サシャたちに気が付いたヒュウナが、元気な声で出迎えた。
「ただいま」
サシャは、ヒュウナの笑顔に、疲れた顔にわずかな笑みを浮かべた。
「ラジアンさんと、おばあちゃんは中にいるよ!」
ヒュウナは、明るく教えてくれた。
「ありがとう!」
サシャはヒュウナに礼を言うと、店の奥にある廊下へ向かった。
「…確か」
サシャは廊下の突き当りにある絵画の前に立つ。
そして、「コン、コココン、コン、コン、コン、ココン」というリズムで絵画をノックした。
すると…
「ゴゴゴゴゴゴゴ…」
絵画は、重厚な音を立ててゆっくりと横にスライドし、隠された階段が現れた。
「さて、ラジアンさんとヘレンさん、ラウ老師に報告だね」
そして、サシャ達は階段をゆっくりと降りて行った。
アジト内に戻ると、そこにはラウ老師、ラジアン、そしてヘレンの三人が、サシャたちの帰りを待っていた。
「戻りました!」
サシャが、疲労を滲ませながらも、元気よく三人に告げた。
「おぉ!三人とも無事だったか!」
ラジアンが、心底安心したように笑みを見せる。
「よくぞ戻ってきた」
ラウ老師も、静かに、しかし温かい眼差しでサシャたちを出迎えた。
「して、何か情報はあったか?」
ラジアンが、本題に入るようにサシャたちに尋ねる。
「実は…」
サシャは、東部の調査での出来事を、一つ一つ丁寧に話し始めた。遺跡には財宝以外何もなかったこと、そこで双子の刺客に襲われたこと、ズイに武器工場があって飛行船を製造していること、ミモザとの激しい戦闘、そして、スピカとの予期せぬ遭遇と、カベルタウンでの夜襲を受けたことまで、詳細に報告した。
「なるほど…お前達よくやった」
ラウ老師が、静かに、しかし深い感銘を受けたようにサシャたちを褒めた。
「しかし、敵の幹部を一人撃破したのはおおきいねぇ」
ヘレンが、感嘆の声を漏らす。
「そうですね。だが、三人の素性は龍心会に伝わっているだろう。サシャ君の言う通り、ここは服装を変えて行動した方がいい」
ラジアンが、今後の危険を考慮し、冷静に提案した。
「それなら、私に任せてくれ。三人とも、私についてきな」
そう言うとヘレンが、椅子から軽やかに腰を上げ、アジトの奥へと歩き出した。
「え?うん」
サシャたちは、戸惑いつつもヘレンの後を追う。
「ガチャ…」
ヘレンは、アジト内にある一つの扉を開いた。
そこからは、微かに古着の匂いが漂ってくる。
「…これは?」
リュウが、目の前の光景に目を見張り、ヘレンに尋ねた。
「昔の遺産さ。色々な場所に潜入できるように私が用意したものだよ」
ヘレンが扉を開けた先には、所狭しと多くの衣装が保管されていた。
ドラゴニア王国の軍服から、メイド服、貴族が着そうな豪華な服、さらには、露出の高い黒いスパイスーツまで、多種多様な服が並んでいる。
「…これ全てヘレンさんの?」
サシャが、呆れたように呟く。その膨大なコレクションに、思わず言葉を失う。
すると、アリアが我先にと部屋の中へ駆け込んだ。
「わぁ!この服かわいい!!」
アリアが手に取ったのは、白と黒を基調とした、フリルがたっぷりのメイド服だった。
「アリア…僕たちは冒険者なんだから…」
サシャは、呆れつつも半笑いをしながら、アリアを宥めようとする。
「まぁまぁ、いいじゃないか。試しに着てみな」
ヘレンは、クスッと笑みを浮かべると、アリアに優しく促した。
「うん!着てみる!」
アリアは、嬉しそうにメイド服を抱きしめる。
「ほら!男子共!後ろを向いてな!見るんじゃないよ!」
ヘレンが、サシャとリュウに声をかける。
「分かってますよ」
サシャは、そう呟くと素直に後ろを向いた。
「やれやれだ…」
リュウも、ため息をつきつつ同じく後ろを向く。
「わぁ…結構、着にくいよぉ」
「この場所をこうしてじゃな…」
後ろからは、アリアとヘレンの楽しそうな声だけが聞こえてくる。
「よし!これでいい!男子共!こっちを向きな!」
ヘレンの声が響き、二人は振り返った。
「…えへへ、どうかな?」
そこにいたのは、メイド服に身を包んだアリアだった。
普段の可愛らしさに、どこか新鮮な魅力が加わっている。
「に…」
「似合っている」
サシャとリュウは、その姿に思わず目を丸くした 。
「やったー!」
アリアは、子供のようにはしゃぎ、くるくると回ってみせた。
「けど、やっぱり冒険者らしい服装じゃないとね」
サシャが、苦笑いをしながら呟く。
「ま、確かにな…」
リュウも同意し、納得するように頷いた。
「むぅ…ま、けど確かに少し動きにくいかも」
アリアは、少し不満げな表情をしていたが、実際にメイド服が冒険には不向きであることに気が付いたようだ。
「それなら…」
こうして、ヘレンがサシャたちのコーディネートを監修することになった。
そして、30分後。
「よし。これで怪しまれない。立派な冒険者だよ」
ヘレンは、満足そうに頷いた。
「悪くない。動きやすいしな…」
リュウは、新しい服装を確かめるように体を動かし、その機能性に納得した。
「意外と悪くないけど、いつものマントがないのが落ち着かないなぁ」
サシャは、少し慣れない様子で自分の服装を見つめる。
「わぁ。涼しいよぉ」
アリアは、新しい服装の快適さに、嬉しそうな声を上げた。
三人は、いつもと異なる服装に身を包んでいた。
リュウは、紫色の着物に赤いスカーフという、どこか異国情緒を感じさせる服装。
サシャは、茶色のマントに紺色を基調とした、落ち着いた色合いの服装。
そして、アリアは、緑色のシャツに黒色のショートパンツとブーツという、軽快で動きやすそうな服装だった。
「これで恐らくバレなくなるだろう。あ、あんたらの服は私が預かって洗濯しといてやるよ」
ヘレンが、三人の着ていた元の服やマントを回収していく。
「少し慣れるのが大変だけど、まぁいいか」
サシャは頷くと、ラジアンとラウ老師の元へと戻った。
「お!着替えたか…似合っているではないか」
ラウ老師が、優しい眼差しで頷く 。
「心機一転だな」
ラジアンが、感慨深げに呟いた。
「あの…ラジアンさんやラウ老師は何か情報は?」
サシャが、二人に新たな情報を求めた。
「そうじゃな。話の途中じゃったの。実は、わしも龍心会の刺客に襲われたわい」
ラウ老師の口から飛び出したのは、サシャたちにとって衝撃的な言葉だった。
「え!?」
そのことに、サシャたちは目を丸くした。
ラウ老師のような人物を襲う者がいるとは、にわかには信じられなかった。
「俺の部下が援軍に入り、事なきを得ましたが…なんでも、剣技を使う者だったと?」
ラジアンが、ラウ老師に確認するように尋ねる。
「あぁ…あいつの名前はカーン。後継戦争の時にワシと互角に戦った奴じゃ」
ラウ老師が、その刺客の素性を明かした。
「ラウ老師と互角!?そんな猛者がいたなんて…」
ラジアンは驚きを隠せない。
「カーン…あいつは後継戦争で負けた後、隠遁したと聞いていた。にしても、どうして今さら」
ヘレンは、首をかしげ、その背景に疑問を抱いた。
「なんでも、アルタイルはザクトゥス第一王子の崇高な思想を継ぐ者とか何とかと言っておったわ」
ラウ老師が、カーンの言葉を思い出すように呟いた。
「そんな強い人が敵側にいるなんて…」
サシャは、思わず息を呑んだ。
「俺の方もいくつか情報を手に入れました」
そして、ラジアンは、今度は自分が得た情報について話し始めた。
「まず、ドラゴニア王国軍は明後日から徴兵を本格的に開始するようです。そして、その徴兵現場にアルタイルがスピーチのために登壇すると聞きました」
ラジアンから告げられた情報は、今後の作戦に大きく関わるものだった。
「そして、次の情報ですが…アルタイルはレグルスをメイラ神聖国との同盟を行う使者に任命にして近々、メイラ神聖へ派遣するとのことでした。ただ、具体的にそれがいつなのかまでは分かりません…。俺が得た情報は以上です」
ラジアンは、そう言うと口を閉じた。
「なるほど。アルタイルが登壇するというのはチャンスではないか?」
リュウが、その情報に食いつくように尋ねた。
「…トルティヤはどう思う?」
サシャは、精神世界のトルティヤに意見を求めた。
「確かに小僧の言う通り、チャンスじゃと思うのぉ。奴がスピーチしている時を狙って一気に叩く。そして、捕まえて極天のランプの在処を吐かせるとしようかのぉ」
トルティヤの目は、獲物を狙うかのようにやる気に満ちていた。
「リーダーが公衆の面前に現れるんだ。奇襲ならば勝機はあるかもしれない。それに、乱戦になっても徴兵に反対する人らが手を貸してくれるかもしれないし」
リュウも、トルティヤの意見に賛同し、作戦の可能性を探る。
「うん!僕がびしっと狙い撃ちしちゃうよぉ」
アリアも、その作戦に納得したように大きく頷いた。
「けど、メイラ神聖国?に使者を派遣して同盟を結ばれたら厄介なことになるじゃ?」
サシャが、別の懸念を口にする。
メイラ神聖国との同盟は、龍心会の勢力をさらに強大にするだろう。
すると、ラジアンが口を開いた。
「…レグルスは俺がなんとかする」
その声には、強い決意が込められていた。
「ラジアン。お前らのことはよく知っている。だから、断言する。お前ではレグルスには勝てん」
すると、ラウ老師が、静かに、しかし力強く忠告した。
「いいえ。ラウ老師。ここは俺にやらせてください。旧友であった俺があいつを止めないと…」
ラジアンが、懇願するように呟いた。
「ラジアンさん…」
サシャも、心配そうな視線をラジアンに送る。
だが、ラウ老師はため息をつくと、観念したように口を開いた。
「分かった…そこまで言うならレグルスはお前に任せよう。ただし、無理はせぬように…」
ラウ老師の言葉には、ラジアンへの信頼と、わずかな不安が混じっていた。
「ご理解くださりありがとうございます…」
ラジアンは、深く頭を下げた。
「では、ワシもサシャ達と襲撃に参加しよう。弟子の不始末はワシがつけねばらなぬ」
ラウ老師が、不敵な笑みを見せた。
「では、ラウ老とサシャさん達は徴兵現場に潜入してアルタイルを捕縛してください。方法はお任せします。俺はレグルスを追います」
ラジアンが、きりっとした表情で、それぞれの役割をまとめた。
「分かりました!」
サシャは、力強く頷いた。
「早速、王手じゃな。アルタイルとやらを捕まえて、極天のランプの場所を吐かせてしまうのじゃ」
トルティヤが、高揚した声で呟いた。
こうして、サシャたちの次の目的が明確に決まったのだった。




