第105章:ピンチ!
「!!」
サシャは、目の前に現れた女性の顔に見覚えがあった。
青い髪に漆黒の翼、そして腕には龍心会の腕章。
間違いなく、龍心会の幹部の一人、「スピカ」だ。
「(まずい…こんな場所で別の幹部と出くわすとは)」
リュウは瞬時に警戒の色を強め、いつでも動けるように構えを取った。
張り詰めた空気が流れる中、アリアが意を決したように口を開く。
「あの…旅の途中で、仲間がモンスターから攻撃を受けちゃったんだよ…」
アリアは悲しそうな表情をスピカに向け、瞳を潤ませる。
「あらあら…それなら、私に任せて」
するとスピカは、にこやかな笑みを浮かべながらサシャの近くにゆっくりと歩み寄る。
そして、しゃがみ込むと、サシャの腕の怪我を優しく確かめた。
「結構な深傷ね…カーネルガルーダにでもやられた感じかな?」
スピカは傷口を観察しながら、冷静に怪我の原因を推測した。
「あ、あぁ…道中にカーネルガルーダの縄張りに入ってしまってな」
リュウは、スピカの言葉に乗じるように必死に弁明する。
「それはお気の毒様ね。…蜜魔法-琥珀雫-」
そう呟くと、スピカはサシャの傷に、ドロッとした琥珀色の液体を優しくかけた。
途端、傷口から温かい光が放たれ、見る見るうちに深い傷が塞がっていく。
「…これは?」
リュウは、その驚異的な治癒力に目を見張り、思わず呟いた。
「私の魔法よ。大丈夫。少し動かないでね」
スピカは安心させるように微笑みかけ、優雅な手つきで治療を続ける。
そして、数分が経過する頃には、サシャの深傷は完全に塞がりきった。
皮膚は元の滑らかさを取り戻し、傷跡一つ残っていない。
「痛くない…!」
サシャが傷口を恐る恐る触れるが、痛みも痒みも全く感じなかった。
「わぁ!お姉さんありがとう!!」
アリアは目を輝かせ、満面の笑みでスピカに感謝の言葉を伝えた。
「いいのよ。龍心会だからって怪我をしている人間を放っておくのは、私のモットーに反するからね!」
スピカは再び柔らかな笑みを浮かべると、懐から色とりどりの棒つき飴を三本取り出した。
「はいこれ!美味しいから食べな」
スピカは、まるで子供に接するように、サシャたちに棒つき飴を差し出した。
「あ、ありがとうございます…」
サシャたちは、警戒しつつも、その飴を受け取った。
「じゃ、私は爆発現場の様子を見にいくから。気を付けて旅をするんだよ」
スピカはそう告げると、先ほどサシャたちがミモザと戦った場所へと、軽やかな足取りで向かって行った。
「…アリア、助かったよ」
スピカの姿が見えなくなると、サシャはホッと息をつき、アリアに心から感謝の言葉を伝えた。
「ううん!うまく、ごまかせてよかったよぉ!」
アリアは無邪気に笑いながら、自分の機転を誇らしげに語る。
「それにしても、強力な治癒魔法だな」
リュウはサシャの完璧に塞がった傷口を凝視しながら、感嘆の声を漏らした。
「ラジアンさんの話は本当だったんだ」
サシャはアジトでラジアンから聞いた話を思い出し、改めてその情報の正確さに驚いていた。
「この飴美味しいよぉ」
アリアは、スピカから貰った棒つき飴を口に含み、幸せそうに頬張っていた。
「とりあえず、ここは場所が悪い。急いでズイを出発しよう」
サシャの提案に、リュウとアリアは迷うことなく頷いた。
こうして、サシャたちはズイの村を足早に後にした。
その頃、先ほどの爆発現場には、スピカが到着していた。
現場は、多くの野次馬でごった返している。
「ダメだ死んでいる」
「龍心会の人はいないの?」
「これはひどいな…」
野次馬たちが騒ぎ立てる中、スピカが静かに現場へと足を踏み入れる。
「随分と派手にやったね」
スピカは、近くにいたドラゴニアの兵士に優しく話しかける。
彼はどうやら工場の門番らしかった。
「ス、スピカ様?なぜこんなところに?」
ドラゴニアの兵士は、突然のスピカの登場に驚き、目を丸くした。
「ちょっと、パトロールしていたら爆発音がしたから寄ってみたんだよ」
スピカがそう話していると、一人の男がスピカの元に駆け寄る。
「あぁ、スピカ様!」
それは、武器工場の責任者の男だった。
男は額に汗を滲ませながら、深く頭を下げる。
「おぉ、ご苦労。あれ?今日はミモザが視察に来ていたはずだが?」
スピカが男に尋ねた。
「はい。ミモザ様は1時間ほど前に戻られました」
男は震える声で呟いた。
「(おかしい…それなら私と道中で合流しているはずだが)」
スピカは首を傾げつつ、口を開いた。
「分かった。お前は工場に戻るんだ。私はミモザに、この爆発の件を伝えておく」
スピカは男にそう告げると、毅然とした態度で指示を出した。
「他の作業員はすぐに持ち場に戻って。他の人も危ないから、ここから立ち去ってもらう。ここからは龍心会が対応する」
スピカは、その場の全員に聞こえるように明確な指示を出し、野次馬をどかせた。
作業員たちは工場へ、そして見物に来ていたズイの住民らもズイの村へと戻っていった。
そして、静かになった現場で、スピカは倒れている兵士の方へと向かう。
しゃがみ込み、脈を測る。
「(死んでいるか…確かミモザについていった護衛は4人)」
スピカは鋭い眼光で周囲を見渡す。
だが、そこには死体が三つしかなかった。
「(死体が三つしかない?おかしい…)」
スピカは首をかしげ、何か違和感を覚える。
すると、スピカは爆発の現場の地面に、微かに光る何かを見つけた。
「…あれは」
スピカはおもむろにそちらに向かって歩き、地面に落ちた光る物体を拾い上げた。
それは、砕けた眼鏡のフレームだった。
「(これはミモザの眼鏡のフレーム。さらに、この火薬の臭いはミモザが独自に配合していたもの。そして、この爆発の威力)」
スピカは、それらの情報から瞬時に全てを察した。
「ミモザ…そうか。あなたらしいといえば、あなたらしいね…」
スピカの表情が、一瞬だけ暗くなる。
そして、眼鏡のフレームを手に取ると、懐から伝書梟を取り出した。
「D班へ…せめて、兵士の死体の回収をさせよう。」
そう呟くと、短いメッセージを脚にくくりつけ、伝書梟を空へと力強く放った。
「…それにしても、一体誰が」
スピカは、ミモザをそこまで追い詰めた存在について、深く一考する。
だが、この場では明確な答えは出なかった。
「…まずは、アルちゃんに報告だね」
スピカはそう呟くと、力強く翼を羽ばたかせ、勢いよく空へと飛び立っていった。
その頃、サシャたちはカベルタウンに向かって歩いていた。
「うん!この飴、おいしい!」
サシャもまた、スピカから貰った飴を口に含み、その甘さに安堵していた。
「確かに…甘さがしつこくなくて後味がいいな」
リュウも飴を舐めながら、その上品な甘さに感心していた。
「ねぇねぇ、これからどうするの?」
アリアが、次の目的地を尋ねるようにサシャを見上げた。
「今日中にシュリツァに戻るのは難しいだろう。カベルタウンの宿に泊まろう」
サシャが、現実的な提案をした。
「宿泊税が痛いが、仕方ないな」
リュウはため息をつきつつも、その提案に頷いた。
こうして、サシャたちはカベルタウンへの道を歩き続けた。
歩き始めてからおよそ4時間が経過した頃、夕暮れの空の下に、カベルタウンの街並みが姿を現した。
「ふぅ…色々あったけど無事に戻ってこれた」
サシャが、心底からの安堵の息を吐き出す。
「本当だな。一時期はどうなるかと思ったが…」
リュウもまた、安堵の表情を浮かべ、遠くに見える街を見つめていた。
「僕、お腹ペコペコだよぉ」
アリアは、そんな二人の様子とは裏腹に、空腹を訴えるように頬を膨らませた。
こうしてサシャたちは、前回も利用した宿へと足を踏み入れた。
「カランカラン」
宿屋の玄関で、軽快な呼び鈴の音が鳴り響いた。
「あ!おかえりなさいませ!」
カウンターの奥から顔を出した看板娘が、サシャたちを見るなり満面の笑みで出迎えた。
その声は、心からの歓迎を告げているようだ。
「もうすっかり常連だな!」
横で鍋をかき混ぜていた店主のドラゴニアも、豪快な笑みを見せる。
「はは…またお世話になります」
サシャは少し照れ臭そうに頭を下げて呟いた。
「僕、鴨そばが食べたいよぉ!あ、シナモンフィッシュのから揚げも!!」
アリアは元気よく、目を輝かせながら注文を告げる。
「俺は牛そば…」
リュウは、いつものように静かに注文した。
「じ、じゃあ僕は鳥そばで!」
サシャも続いて注文を告げる。
「よし!とびっきり美味しいのを作ってやる!」
店主は力強く宣言すると、勢いよく厨房の奥へと向かっていった。
「お父さんったら、あんなに張り切って…あ、席でお待ちくださいね。すぐに出来あがると思いますので」
看板娘が、にこやかにサシャたちを席へと促す。
そして、サシャたちは前回も座った奥の席へと腰を下ろした。
「お嬢さん、会計を」
すると、隣の席に座っていた龍心会の腕章をつけた二人組のドラゴニアが、食事を終え、立ち上がった。
「はい!お会計はこちらです!」
看板娘が、慣れた手つきで伝票を持ってくる。
「これで」
ドラゴニアの一人が、迷うことなく銀貨を一枚差し出した。
「はい、お釣りを持ってきますので少しお待ちください」
看板娘は、そう告げると小走りでカウンターの方へ向かった。
「…」
その間、二人のドラゴニアは、サシャたちの方をじっと見つめていた。
「な、なんでしょうか?」
サシャは、その視線に気づき、思わず尋ねた。
「いや、人間風情がのんきなものだなって」
ドラゴニアは、ぶっきらぼうに応え、フンと鼻を鳴らした。
「はい!お釣り200ゴールドです!」
すると、看板娘が戻ってきて、お釣りを手渡した。
「ありがとさん」
ドラゴニアたちは、サシャたちを再びじっと見つめた後、無言で店を出ていった。
「…なんだろう?」
アリアが首をかしげ、不思議そうに呟く。
「俺たちが気に食わないだけだろう…気にするな」
リュウは、特に気にする様子もなく淡々と答えた。
しかし、その瞳の奥には、わずかな警戒の色が宿っていた。
しばらくすると、サシャたちの席に、湯気を立てる牛そば、鴨そば、鳥そば、そして香ばしいシナモンフィッシュのから揚げが運ばれてきた。
「いただきます!!」
サシャたちは、待ちかねたように食事を始めた。
三人は、これまでの戦闘で体力を消耗していたためか、あっという間に目の前の料理を平らげた。
そして、満腹になったサシャたちは、二階にある部屋に入り、深い眠りについた。
深夜。
カベルタウンの街並みは、しんと静まり返っていた。
しかし、サシャたちが泊まる宿屋に、不穏な影が忍び寄っていた。
「ここが例の冒険者がいると目撃があった宿屋か」
宿屋の前に、数人のドラゴニアが立っていた。
彼らの纏う雰囲気は、明らかに敵意に満ちている。
先頭には、右目に眼帯をつけた強面のドラゴニアが、腕を組みながら立っていた。
「…すやすや」
そんな危機に気が付かず、サシャたちは、すやすやと穏やかな寝息を立てて眠っていた。
「失礼する」
眼帯のドラゴニアが低い声で命じると、龍心会のメンバーがぞろぞろと宿屋に入り込んできた。
「な、なんですか!?」
朝食の仕込みをしていた店主が、突然の侵入者に目を見開いた。
「この宿に龍心会に対して妨害活動をしている冒険者の一団がいるとの情報が入った。申し訳ないが、部屋を調べさせてらもう」
眼帯をつけたドラゴニアは、店主を睥睨するように堂々と言い放つ。
「そ、そんな他のお客様もいるのですよ!」
店主は、怯えながらも必死に抗議した。
「おい。我々は龍心会だ。我々に逆らうなら、営業の取り消しも視野に入れねばならんな…」
別のドラゴニアが、冷たい声で脅すように呟く。
「…」
その言葉に、店主は何も言えなくなり、ただ黙り込むしかなかった。
そして、龍心会のメンバーは、容赦なく階段を登ると、片っ端から部屋の扉を乱暴に開けていった。
「うわ!なんだ!?」
宿泊していた商人らしき男が、驚いてベッドから飛び上がる。
「きゃあ!いきなりなに!?」
別の冒険者も、突然の事に目を丸くする。
「いませんね…となると一番奥の部屋ですかね」
次々と部屋は開けられ、残ったのは廊下の一番奥にあるサシャたちの部屋のみとなった。
「こそこそと…しやがって!!」
眼帯のドラゴニアは、苛立ちを隠さずに一番奥の部屋の扉を乱雑に開け放った。
「…」
三つのベッドには、それぞれサシャ、リュウ、アリアが、すやすやと寝息を立てて眠っているように見えた。
「ふん、この騒ぎで眠っていられるとは太てぇ奴らだ」
眼帯のドラゴニアは、不敵な笑みを浮かべ、強引にサシャのベッドのシーツを剥ぎ取った。
「なにぃ!?」
次の瞬間、眼帯のドラゴニアは驚きを隠せない。
そこにあったのは、丸められた毛布だったからだ。
さらに…
「隊長!こちらも偽物です…」
別の隊員が、リュウとアリアのいるベッドをめくるが、そこにも丸められた毛布が置かれているだけだった。
「おのれ…小癪な。どこから逃げたんだ?」
眼帯のドラゴニアは、怒りに顔を歪ませ、周囲をギロリと見渡す。
すると、わずかに開いている窓が目に入った。
どうやら窓は屋根に続いているようだった。
「あそこからか!!」
彼らはすぐにその意図を察した。
「追いますか?」
部下の一人が、眼帯のドラゴニアに尋ねる。
「当り前だ!!まだカベルタウンの中にいるかもしれん!草の根をかきわけてでも探し出せ!!」
眼帯のドラゴニアは一喝した。
そして、龍心会のメンバーは一斉にカベルタウン中を、サシャたちを探し始めた。
一方、サシャたちはカベルタウンの北側を、街の明かりを頼りに走っていた。
「ふぁぁぁ…リュウ、もう少し寝たかったよぉ」
「リュウ奴らが追ってきてるって本当?」
夜風が肌を撫でる中、そこにはサシャ、リュウ、アリアの三人の姿があった。
「あぁ、俺たちが食事をとる前にいた龍心会の奴ら。なんだか引っかかったんだ。だから、俺は二人が寝た後、屋根の上から外の様子を監視していた。そしたら、遠目に龍心会の奴らがぞろぞろと…」
リュウは、申し訳なさそうにしながらも、事の顛末をサシャとアリアに説明した。
ことは30分前。
「おい…サシャ。起きろ」
リュウが、静かにサシャを起こした。
「なんだよ…まだ夜中だよ…」
眠そうに目を擦りながら、サシャは目を覚ます。
「この宿から逃げるぞ。龍心会の奴らが動き出した」
リュウは、小声でサシャに告げた。
「どういう?」
サシャは尋ねようとするが、それよりも早くリュウはアリアを起こしていた。
「むにゃ…まだ、夜だよぉ…」
アリアもまた、眠そうにしている。
「二人とも急いで支度するんだ。そして、部屋にある毛布をまるめてシーツの下に置いておくんだ」
リュウが、素早く指示を出す。
「わ、分かった!」
サシャは慌ててベッドから飛び起き、言われた通りに毛布を丸めて、その上にシーツをかぶせた。
「むにゃむにゃ…こう?」
アリアもまた、眠い目を擦りながら同じようにする。
「それでいい…さぁ、屋根を伝って逃げるぞ」
こうして、サシャたちは宿屋の窓から屋根へと忍び出て、カベルタウンからの脱出を図ったのだった。
ちなみに、宿泊代と食事代は、部屋に入る前に先払いで済ませていた。
そして、現在。
「とにかく逃げるぞ。奴らがそろそろ追ってくる頃あいだ」
リュウが警戒をする。
すると、空から一人のドラゴニアが、勢いよくサシャたちの元に降りてきた。
彼は、周囲を偵察していた龍心会の索敵班の一員だろう。
「あ!こいつらが隊長の言っていた例の冒険者じゃ?」
降りてきたドラゴニアは、サシャたちの姿を認め、目を丸くして指を差した。
「あの?何の用ですか?」
サシャは、勇気を振り絞り、ドラゴニアに尋ねる。
「用って、ベガ様から通達があったんだよ。緑マント、オレンジ色のポンチョ、紫色の肩当をつけた冒険者集団がいたら捕まえろって」
ドラゴニアは、不思議そうな顔をして、任務の内容を話した。
「(もう僕たちのことがバレて…)」
サシャは、双剣に手をかけようとした。
戦闘もやむなしか、そう覚悟した時だった。
「いやけど、ベガ様は緑マントの奴は銀髪だって言ってた…」
ドラゴニアは、サシャたちの姿をまじまじと見つめる。
そして、大きく頷いた。
「こいつらじゃないな」
ドラゴニアは、そう呟くと翼を広げた。
「すまなかったな。夜道気を付けて歩くんだぞ」
そう告げると、彼はサシャたちの前から飛び去っていった。
「助かった…?」
サシャは、呆然と立ち尽くす。
恐らく、トルティヤの姿になっている時の情報が、龍心会に伝わっていたのだろう。
「とにかく、カベルタウンから出よう。危険だがカリカリの森へ入るぞ」
リュウが、素早く次の指示を出した。
こうして、サシャたちはカベルタウンから脱出し、夜のカリカリの森へと足を踏み入れた。




