第102章:武器工場
カベルタウンの賑やかな宿屋。
昼食時で活気に満ちたその場所で、サシャたちは遅めの昼食をとっていた。
厨房からは香ばしい出汁の匂いが漂い、テーブルには湯気を立てる温かいそばが並んでいた。
「結局…もぐもぐ…魔具は見つからなかったね」
アリアは、目の前の鴨そばを夢中ですすりながら、口いっぱいに頬張ったまま呟いた。
「そうだね…情報らしい情報もなかったし、どうしたものか」
サシャは鶏そばの麺をゆっくりと手繰り寄せながら、今後の行動に思案を巡らせる。
「情報もそうだが、気になったのは、あの二人だ…大した戦闘力だった」
リュウは牛そばの汁をすすりながら、先日遺跡で戦ったユーとリンチーのことを思い出していた。
「確かに強かった。今回はアリアに助けられたけど、次も同じようにはいかないかもしれない…もぐもぐ」
サシャもその意見に同意した。
「すやすや」
精神世界では、トルティヤが幸せそうな寝息を立てていた。
幸いにも、今、トルティヤは眠っているので、サシャは久々の鳥そばを心ゆくまで堪能していたのだ。
「それにしても、よく一撃をお見舞いできたな…もしかしてアレを使ったのか?」
リュウはアリアの左袖に視線を向けた。
「うん!ラウ老師が教えてくれた…これ!」
すると、アリアは自慢げにポンチョの中から左腕を差し出した。
そこを見ると、左袖の内側に小さな仕込み矢が巧妙にセットされていた。
アリアはラウ老師に師事していた時に、近接戦を主体に学んでいた。
その際に、懐に入り込んできた相手に対抗するため、瞬時に放てる小型の矢を仕込んでいたのだ。
「それで、女の方を負傷させた訳なんだ」
サシャは深く納得するように頷いた。
その時、店内にいた他の客たちの会話が、不意にサシャたちの耳に届いた。
龍心会のメンバーと思われる男女が、優雅に紅茶を飲み、パイを頬張りながら、ささやき合うように話している。
「そういえば「ズイ」の武器工場あるだろ?なんか、明日ミモザさんが視察に来るとか言っていたぜ」
「あら。幹部が直々に視察だなんて…力を入れているみたいね」
彼らの会話は、静かな店内で妙に鮮明に聞こえた。
「…ミモザって確か」
その話を聞いたサシャは、思わず小声でリュウとアリアに話しかける。
「あぁ。確か幹部の一人だな…」
リュウも同様に小声で囁き返した。
ミモザ。
ラジアンが名を挙げた龍心会の幹部の一人だった。
そんな彼女が「ズイ」という街に来るとのことだった。
「「ズイ」は確かカベルタウンから東にいった場所…黎英の国境沿いの近くにある村だ」
リュウは持っていた地図を広げ、指で「ズイ」の位置を正確に示した。
「よし、そうと決まれば早速出発だ」
サシャは器に残っていた、そばのスープを一気に飲み干した。
「あぁ。百聞は一見に如かず。行ってみよう」
リュウも残りのスープを飲み干し、決然とした表情で頷いた。
「うん!」
アリアも元気いっぱいに大きく頷く。
そして、三人は席を立った。
「お会計は600ゴールドです!」
明るい声で、看板娘が笑顔で値段を告げる。
「はい!」
サシャは白貨を6枚差し出す。
「ありがとうございます!また寄ってくださいね」
看板娘が笑顔で手を振り、彼らを見送った。
「カランカラン」
扉を開けると、小気味いいベルの音が店内に響き渡る。
「さて…「ズイ」までは大体歩いて3時間ちょっとと言ったところだ…行こう」
リュウは東の方角を指さし、先導するように歩き出した。
「それにしても、どこもかしこも龍心会の配下だね…」
サシャは周囲を見渡す。
街並みは昨日、遺跡に発った時と変わらなかったが、心なしか龍心会のポスターや旗が増えている気がした。
もはや、国の隅々まで、その影響が及んでいることを肌で感じた。
そんなことを思いながら、サシャたちは東の村「ズイ」へと向かった。
何もない広大な草原を進み、やがて視界に「カリカリの森」の一部が現れる。
「わぁ!ギンナンコロガシがいるよぉ!これ、美味しいんだよ!」
その道中、アリアが一本の木に駆け寄り、幹にしがみつく黄土色の甲殻を持った虫を、迷うことなく捕まえた。
「え?」
サシャとリュウは目を丸くし、思わず立ち止まる。
「この甲殻を取って…」
アリアはそう呟くと、慣れた手つきで甲殻を器用に外す。
そして、内部がむき出しになった虫を、躊躇うことなくそのまま口に放り込んだ。
「…」
サシャとリュウは、その光景に言葉を失い、ただ目を点にするしかなかった。
「うーん!美味しい!豆にも似た、爽やかな風味だよ!」
アリアは満面の笑みで、満足そうに感想を述べた。
「そ、それ食べられるんだね…」
サシャはアリアに恐る恐る尋ねた。
アリアの昆虫食への耐性には見慣れたものの、自分が食べる側となると話は全く違ってくる。
「うん!まだいるかもしれないから採ってこようか?」
アリアがニコニコしながら、無邪気に提案する。
「あ、いや、大丈夫!そばを食べてお腹いっぱいだから!」
サシャは全力で遠慮し、両手を振った。
「お、俺も大丈夫だ!」
リュウも全力で首を横に振る。
二人の顔には、引きつった笑顔が浮かんでいた。
「分かった!食べたくなったら教えてね!」
アリアは屈託のない笑顔でそう呟いた。
こうして、サシャたちはさらに道を進む。
そして、3時間ほど歩いた頃、遠方にいくつかの家屋が集まった村らしき集落、そしてその奥から黒煙をあげる巨大な建物を発見した。
「あれが「ズイ」だな…」
リュウが地図と実際の場所を照らし合わせて確認する。
「なんか、黒い煙が空に昇っているよぉ?」
アリアはその様子を見て、不思議そうに首を傾げた。
「とにかく、行って話を聞いてみよう」
サシャがそう提案し、彼らは「ズイ」へと歩みを進めた。
ズイの村は「穏やかな村」といったイメージだった。
小さな家がぽつんといくつか立ち並び、豊かな緑の中に畑がところどころに点在していた。
店も小さな商店と、小さな宿だけが、どこか寂しげにひっそりと立っているだけだった。
「…静かな村だ」
サシャたちは村の中をゆっくりと歩く。
すると、畑仕事の手を休めた村人らしき老いたドラゴニアが、彼らに気づき、穏やかな笑みを浮かべながら話しかけてくる。
「おやまぁ、こんなところに冒険者なんて珍しいねぇ」
老いたドラゴニアは、顔の皺を深く刻んで微笑んだ。
「どうも、こんにちは。この村の方ですか?」
サシャは老ドラゴニアに丁寧に尋ねる。
「そうじゃよ。なんもない村だけど、ゆっくりしていっておくれ」
老ドラゴニアは、彼らを歓迎するように大きく頷いた。
「あの、一つお伺いしたいのだが…。村の奥にある建物。あれは一体?」
リュウは、村の奥から黒煙をあげていた巨大な建物に視線を向け、尋ねた。
「あぁ、あれは武器工場じゃよ。少し前は操業を辞めておったが、新政権になってから稼働を再開させたらしくてね。腕章を着けた人らが出入りしているよ」
老ドラゴニアは巨大な建物について、淀みない口調で語った。
「なるほど…ありがとうございます」
リュウは老ドラゴニアに深々と頭を下げて礼を言う。
「(やっぱり武器工場…だったんだ)」
サシャは外から見た黒煙を上げた巨大な建物の正体を知り、内心で納得した。
「いえいえ。あ、この村に泊まるなら名物の「梅菜っ葉ご飯」を食べていきなさい。美味しいし栄養抜群だからねぇ」
老ドラゴニアはそう付け加えると、再び畑仕事に戻るかのように、ゆったりとした足取りでどこかへと去って行った。
「…武器工場の話は本当だったようだね」
サシャがリュウに確認するように言った。
「あぁ。少し詳しく調べる必要がありそうだ」
「ねぇ、工場ってなに?」
サシャとリュウが話しているところに、アリアが不思議そうな顔をして尋ねてきた。
「工場ってのは、簡単に言うと武器屋を大きくした建物だな。一度にたくさんの武器を作れる」
リュウが、アリアにも分かりやすいように丁寧に説明する。
「へー!そんな場所があるんだ!行ってみよう!なんか面白そうだし!」
アリアは目を輝かせ、無邪気な好奇心に駆られている。
「よし、そうと決まれば行動開始だ」
サシャは決意を新たにし、リュウとアリアの顔を見合わせた。
そうして、サシャたちは、黒煙を上げる工場のある区画へと向かった。
サシャたちは工場のある区画へと向かっていた。
「うわぁ…なんか大きい建物があるよぉ」
遠目にそびえる巨大な工場をアリアが指差し、驚きの声を上げる。
「少し空気が悪い気がするな…黒煙のせいか?」
リュウが鼻を鳴らしながら呟く。
「言われてみれば…」
サシャもわずかに空気の違いを感じ取った。
確かにリュウの言う通り、この村は全体的に空気がどんよりしているようだった。
そうして道を進んでいると、やがて工場区画に辿り着く。
近くで見ると工場は想像よりもはるかに大きく、サシャたちは思わず目を丸くした。
その奥には、従業員たちの居住区らしき建物もいくつか見えた。
「これが武器工場…」
サシャが呆然と呟く。
「思ったよりも大きいな」
リュウもその規模に感嘆の声を漏らした。
「なんか、厳つい感じがするよぉ…」
アリアは、工場を囲む高い塀と、立ち並ぶ煙突を見上げて、どこか恐る恐る言った。
工場の周囲は堅固な塀が巡らされ、外から内部の様子をうかがい知ることはできない。
「中の様子は見れないのか…」
サシャは周囲を見渡すが、目に入るのは巨大な工場棟と、黒煙を吐き出す煙突、そして高い塀だけだった。
「…潜入するか?」
すると、リュウが静かに提案した。
「いい考えかもしれない。どんな武器を量産しているのか、調査しておいた方がいいかもしれない」
サシャはリュウの提案に賛同の意を示した。
「だが、今は時間帯が悪い。作戦を遂行するなら夜がいいな」
リュウは潜入を夜に行うことを提案し、その理由を簡潔に述べた。
「夜なら確かにバレにくそうだもんね!」
アリアも元気よく頷く。
「じゃあ、夜になったら改めてここに来ようか」
サシャがそう言って踵を返そうとした、その時だった。
精神世界からトルティヤの声が響いた。
「ほうほう。潜入とは随分と面白そうなことをするのぉ」
「トルティヤ、起きてたんだ」
サシャは不意の声に驚きながらも、トルティヤに話しかけた。
「うむ。お主達が工場に向かった頃にのぉ。して、工場に潜入するとな。面白そうじゃから、今回はワシが出てやろうかのぉ」
トルティヤは、何かを企んでいるかのような表情を思い浮かべているのがサシャには分かった。
「え、いいの?」
サシャはトルティヤの意外な返答に目を丸くした。
普段はめんどくさがり屋のトルティヤが、自ら申し出るのは珍しいことだったからだ。
「ワシがそう言っているから、ワシに任せておけばいいのじゃ!」
トルティヤは自信満々に言い放った。
「そこまで言うなら…わかった!」
サシャはトルティヤの言葉に頷いた。
「その前にじゃ…」
すると、トルティヤはサシャの肩を軽く叩いた。
「うわ!」
サシャの短い悲鳴と共に、二人の意識が入れ替わった。
「…腹ごしらえじゃ。ほれ、宿屋に行くぞ」
トルティヤはそう呟くと、我先にと村の中心部へと続く道を歩き始めた。
その足取りは軽快で、どこか楽しげだ。
「相変わらずマイペースなことだ…」
そんなトルティヤの様子に、リュウは少し呆れつつも、アリアと共にその後を追った。
やがて、サシャ達はズイの中心部に戻ってきた。
村の小さな商店と並ぶようにして建つ、木造の小さな宿の前に立つ。
「ギィィィィ…」
古い木製の扉が、軋むような音を立てて開かれる。
「いらっしゃいませ」
出迎えたのは、白髪の年老いたドラゴニアの老夫婦だった。
レストラン内部は古めかしく、テーブルや椅子は木製で使い込まれた風合いを醸し出していた。
壁には依頼板らしきものがかかっているが、今は何も依頼が貼られていない。
「3名じゃ。部屋と食事じゃ」
トルティヤは簡潔に老夫婦に告げる。
「はいよ。席は適当なところにかけておくれ…」
老婦人が優しい声で促した。
「…ここにしよう」
リュウは奥の窓際の席を選び、腰を下ろす。
「さて…豚そばはあるのかのぉ…」
トルティヤは壁に貼られているメニュー表に目を向け、真剣な表情で吟味し始めた。
「そういえば、来た時におばあちゃんが「梅菜っ葉ご飯」がいいとか言ってたよね!」
アリアは、ズイに来た時に話しかけてきた老ドラゴニアの言葉を思い出し、メニュー表を指差した。
そこには「名物!!梅菜っ葉ご飯!栄養満点!」と書かれている。
「ふむ…俺はそれにしよう」
リュウが頷き、梅菜っ葉ご飯を注文することにした。
「じゃあ、僕もそれにする!!」
アリアも元気よく続く。
「ワシは豚そばにするのじゃ…」
トルティヤは迷うことなく豚そばを選んだ。 すると、老婆が注文を取りにやってきた。
「決まったかい?」
「梅菜っ葉ご飯を二つと、豚そば一つで!」
アリアが元気よく注文を告げる。
「はいよ…少し待ってておくれ」
老婆は注文を受けると、ゆっくりとした足取りで厨房へと消えて行った。
「それにしても、俺たち以外、誰もいないとは…」
リュウがレストラン内をぐるりと見渡す。
客はサシャたち以外誰もいなかった。
「場所が場所だからじゃのぉ。工場で働いている人らは、居住地区に食堂とかがあるのじゃろう」
トルティヤは納得したように呟いた。
「お待ちどうさま」
しばらくすると、香ばしい匂いと共に、三つの器がテーブルに運ばれてきた。
「うほぉ!久々の豚そばじゃ!」
トルティヤの表情が、思わず喜びでほころんだ。
目の前に置かれた器の中には、厚めに切られた豚肉がドンと一枚。
その上に、緑鮮やかなネギが散らされ、温泉卵の代わりに天かすが添えられている。
湯気から漂う出汁の香りが食欲をそそる。
「これが、梅菜っ葉ご飯か…」
リュウが自分の器を見つめながら呟いた。
リュウとアリアの器には、深緑色した細かく刻まれた葉野菜と、同じく細かく刻まれた真っ赤な熟した梅が、これでもかとばかりに乗せられていた。
彩りも豊かで、見た目にも美味しそうだ。
「鍵はこちらです。部屋は宿の外にある階段を登った先にありますので。それと、ここは前払い制なので先にお会計をお願いします」
老婆はそう告げると、紙の注文票をサシャたちに見せた。
そこには、食事代が1,000ゴールド。
宿泊代が6,000ゴールド、そして宿泊税が15,000ゴールドと記載されていた。
合計22,000ゴールドという金額に、サシャとリュウは内心少し驚いた。
「ほれ。これでよかろう」
トルティヤは懐から金貨2枚と銀貨を2枚を迷うことなく手渡した。
「ありがとうございます。では、ごゆっくりおくつろぎください…」
老婆は金貨と銀貨を受け取ると、安心したように頷き、店の奥へと消えて行った。
「さ、食べるのじゃ!」
トルティヤは箸を手にすると、勢いよく麺をすする。
「これは…多分、かき混ぜて食べるのだろう」
リュウはスプーンで器用にどんぶりの中の菜っ葉と梅と米を混ぜていく。
「僕はこのまま食べてみるよぉ」
アリアはスプーンを手にすると、混ぜずにそのまま梅菜っ葉ご飯を口に放り込んだ。
「うーん!なんか酸っぱいよぉ!」
アリアは梅の酸っぱさに、思わず顔をしかめた。
「梅はそういう食べ物だ。魏膳では薬効効果がある食べ物としても有名だ」
一方でリュウは食べ慣れているのか、平然とした顔で食べ進める。
「ここの豚そばは、昆布とヨゲバニシンで出汁をとっておるのぉ…」
トルティヤは、そばの出汁の原料を推測しながら、じっくりと味わうように食べ進んでいった。
そして、サシャたちは食事の時間をゆったりと過ごした。
それぞれの味覚を堪能し、会話を弾ませる。
やがて外は漆黒の闇に包まれ、静寂が訪れた。
「…さて、腹ごしらえもしたし、そろそろ動くかのぉ」
トルティヤは外の様子を窓から見て、満足げに席を立ちあがった。
「あぁ…時間もよさげだしな」
リュウも同意し、頷く。
「うん!ご飯も食べたから元気だよぉ!」
アリアも満面の笑顔で応えた。
「…トルティヤ、本当に大丈夫なの?」
一方で、サシャの意識はまだトルティヤの行動に少し心配の色を浮かべていた。
「大丈夫じゃと言っておろう。少しはワシを信頼せぬか」
トルティヤはそう言うと、自信に満ちた足取りで宿屋の扉へと向かった。
そして、サシャたち一行は、夜の帳が降りた工場区画へと、再び足を踏み入れた。




