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第1章:魔具を巡る旅の始まり

「ここが、魔具が眠るっていう噂の館か……」

魔具ハンターとして各地を旅している少年、サシャは、息を潜めながら古びた館を見上げた。


ひび割れた石壁を蔦が這い、壁は長年の風雨に晒され、ところどころ崩れ、夕焼け空に黒い影を落としている。足を踏み入れる前から、湿った土と朽ちた木材の匂いが鼻をついた。


魔具は文字通り「魔力を素材に作られた道具」のことで、その種類は多岐にわたり、数百を超えると言われている。

中には、その特殊な力に魅せられ、生涯をかけて収集する冒険者もいるほどだ。

サシャもまた、ある目的のために魔具を集める旅をしていた。


「よし…誰もいない」

サシャは周囲の気配を慎重に探り、軋む音を立てる門扉を静かに押し開けた。


「うわ…これは…」

館の中は、外観以上に荒廃が進んでいた。

天井からは太い蜘蛛の巣が幾重にも垂れ下がり、足元の床には、踏みしめるたびに細かい埃が舞い上がる。壁の装飾は色褪せ、剥がれ落ちた壁紙の隙間から、冷たい空気が忍び込んできた。


「うーん、魔具らしきものは見当たらないな…」

一つ一つの部屋を丁寧に見て回るが、目につくのは古びた家具や、装飾が施された調度品、そして埃を被った魔導書など、かつて誰かがここで生活していた痕跡ばかりだった。


「今回もハズレかな…」

サシャの肩が、ほんの少しだけ落ちた。

これまでも、魔具の噂を頼りに各地を訪れてきたが、そのほとんどが不確かな情報だった。


「仕方ない…次の部屋で何もなければ退散しよう…」

サシャは、重く湿った空気の漂う廊下を進み、古びた木製の扉に手をかけた。


「ぎぃぃ…」

錆び付いた蝶番が悲鳴のような音を立て、扉がゆっくりと開いた。中は、壁一面に本棚が並んだ書斎のようだった。


「うーん、書斎か」

サシャは期待せずに部屋の中へと足を踏み入れた。


「なになに…『魔力と魔具の関係性』『魔具の誕生経緯について』…」

背の高い本棚から何冊か本を取り出してみる。

表紙には見慣れない文字が並んでいるが、魔具に関連する書物が多いようだ。


「うーん…見たことのない文字で書かれてて読めないな」

興味を引かれて数ページ開いてみるものの、そこに記されているのはサシャがこれまで一度も目にしたことのない奇妙な文字ばかりだった。


「ここにいてもしょうがないな」

諦めかけたサシャが書斎を出ようとした、その時だった。


「ゴゴゴゴゴ」

背後で、低い振動音が響き、壁際の本棚の一つがゆっくりと横にスライドし始めた。


「なんだ!?」

突然の出来事に、サシャは身を翻して本棚の方を見た。

そこには、隠されていたように小さな扉があり、扉の表面には複雑な模様が光る、目に見えない結界が張られていた。


「…結界か。俺の魔法でもしかしたら」

サシャは警戒しながらも、奥に何があるのかという強い好奇心に駆られ、そっと右手を結界に触れてみた。

すると、まるでガラス細工が砕けるかのように、結界は音もなく消滅した。


「…よし」

サシャは、結界の先の暗闇に続く扉を開け、その奥へと足を踏み入れた。

彼は、結界や、魔法で施された錠を外すという、珍しい魔法の持ち主だった。


「うわ…薄暗いな…」

扉の奥は、冷たい空気が漂う石造りの空間で、足元には螺旋階段が続いていた。

壁には、等間隔に小さな灯りが設置されているものの、全体的に薄暗く、先が見えない。


「(この先に魔具があるのかも…)」

期待と不安が入り混じり、サシャの胸を高鳴らせる。

彼は一歩ずつ、慎重に螺旋階段を降りていった。


そして、長い階段を下りきると、そこは祭壇のような広い部屋だった。

部屋の中央には、黒曜石でできたような祭壇があり、その上に、脈打つように赤く光る球体が置かれていた。


「まさか…あれが、噂の魔具なのか!?」

サシャは逸る気持ちを抑えきれず、祭壇へと駆け寄ろうとした。

しかし、その瞬間、赤い球体が内側から強烈な光を放ち始めた。


「うわっ!」

思わず目を瞑ったサシャの視界は、一瞬白く染まった。

そして、再び瞼を開けた時、彼の目の前には先ほどまでとは全く異なる、信じられない光景が広がっていた。


足元には、白と黒の床が広がり、頭上には、無数の星が瞬く夜空のような空間が広がっていた。

どこまでも続く静寂の中、サシャは自分がまるで、世界から切り離されたような奇妙な感覚に包まれた。

そして、その前方には、純白のローブを身に纏い、背中には夜の闇をそのまま写し取ったかのような漆黒の翼を持つ、吸い込まれるような深紅の瞳をした美しい女性が、まるで氷像のように静かに立っていた。


「あの…ここはどこですか?」

サシャは、目の前の現実離れした光景に戸惑いを隠せず、女性に問いかけた。

すると、その美貌とは裏腹に、女性は感情の欠片もない冷たい声で口を開いた。


「ここはお主の精神世界じゃ」

女性の視線は、サシャを値踏みするように冷ややかだった。


「え?精神世界…?」

サシャの思考は混乱し、状況を理解することができなかった。


「まぁそんなことはどうでもよい…貴様は選ばれたのじゃ」


「選ばれた?」

女性が発する言葉の真意が分からずにいると女性が口を開く。


「単刀直入に言う…貴様の肉体を貰い受けるのじゃ」

女性の口から発せられた衝撃的な言葉に、サシャは全身の血の気が引くような戦慄を覚えた。


「え…?何を言って…?」

サシャが言葉を失い、呆然と立ち尽くしている間に、女性は流れるような美しい声で、魔法を唱えた。


「…影魔法-影縫い(かげぬい)-」

女性の足元から伸び出した黒い影が、生き物のようにうねりながらサシャを拘束しようとする。

しかし、サシャは本能的に危険を察知し、咄嗟にその場を跳び退いた。


「っ…!なんだよいきなり!」

サシャは腰に差した二本の剣を抜き、身構えた。


「ほう。双剣とな。面白いものを使うのぉ。ほれ。曲芸を見せてみよ」

女性は、嘲弄の色を滲ませた笑みを浮かべ、サシャを挑発した。


「うるさい!」

サシャは怒りの声を上げ、双剣を構えて女性に向かって素早く斬りかかった。

しかし、女性は微動だにせず、紙一重でその攻撃をかわした。


「素人じゃな。攻撃が直線的じゃ」

女性はサシャの剣を容易く見切り、次の瞬間には右手に青白い光が集まり始めた。


「速いっ!」

サシャは迫りくる攻撃を避けようとするが、体勢が崩れて上手く動けない。


「受けよ…雷魔法-聖者の鉄槌(せいじゃのてっつい)-」

女性の手のひらから放たれた雷の拳が、目にも止まらぬ速さでサシャの無防備な体を捉えた。

鋭い電撃が全身を駆け巡り、骨の髄まで痺れるような痛みが走る。


「ぐわぁぁ」

サシャは悲鳴を上げ、激しい衝撃とともに吹き飛ばされ、床の上に叩きつけられた。


「くそっ…!」

立ち上がろうとするが、雷魔法の強烈な影響で体が痺れ、思うように力が入らない。手足が痙攣し、全身が鉛のように重い。


「分かったじゃろ?お前じゃワシには逆立ちしても敵わん。さぁ、大人しく肉体を明け渡せ」

女性はゆっくりとサシャに近づき、見下ろすように言った。

だが、サシャは彼女の言葉に強く首を横に振った。


「…断る」

苦痛に歪む顔を上げ、サシャは鋭い眼差しで女性を睨みつけた。


「(絶対に屈しない!)」

サシャは、痺れる体に力を込めて、再び立ち上がろうと歯を食いしばった。


「ほう。それが貴様の答えか。よく…分かったぞ。では、貴様の精神を殺して肉体を奪い取るまでじゃ…」

そう言い放つと、女性は右手にさらに強大な魔力を集中させ始めた。

背中に生えた漆黒の翼が、妖しい光を放ち、周囲の空気を禍々しく染め上げる。


「くそっ…体がしびれて思うように動けない。なんて強力な魔法なんだ」

サシャは、全身を襲う痺れと痛みに耐えながら、身動き一つ取れずにいた。


「これで終いじゃ。無限魔法-羅刹の炎(らせつのほのお)-」

女性が低い声で詠唱すると、黒い炎の奔流がサシャに向かって放たれた。

それは、全てを焼き尽くすような、圧倒的な熱量を持った黒炎だった。


「くそっ!こんなところで…死にたくない!」

絶体絶命の状況に、サシャは無意識のうちに右手を前に突き出した。

すると、黒炎がその手に触れた瞬間、まるで何かに吸収されたかのように、跡形もなく消え去ったのだ。


「な…なんじゃと?」

自身の放った強力な魔法が、いとも簡単に打ち消されたことに、女性は信じられないといった表情で目を見開いた。


「へ?」

一方のサシャも、一体何が起こったのか理解できずにいた。

自分の魔法は、これまで結界や魔法でできた鍵を外すことはできても、魔法による直接的な攻撃を無力化できたことなど一度もなかったからだ。


「なんで…?」

サシャは、目の前の信じがたい光景に、ただただ呆然と立ち尽くすしかなかった。


「ほう…」

女性は、驚愕の表情から一転、興味深そうな視線をサシャに向けた。


「お主。何故ワシの力の一部を…」

妖しく光っていた翼は、元の静かな黒い翼へと戻った。


「いや、分からない…けど今までこんなこと」

サシャは、突然の出来事に混乱し、言葉に詰まった。


「もしや…魔具(これ)の影響かの」

女性の手には、いつの間にか赤く光る球体の魔具が握られていた。

それは、先ほど祭壇の上に置かれていたものと同じだった。


「それは…!」


「これは魔具のひとつ「禍津球(まがつだま)」じゃ。契約者の魂と魔力の一部を封印し、自身の肉体や魔力性質に近しい人物が近づいたら反応し、近づいた者の肉体を乗っ取る魔具じゃ」

そう説明しながら、女性はゆっくりとサシャに近づき、冷たい視線を彼に向けた。


「よし。決めた。お主の体を貸せ。そして、ワシの目的達成の手伝いをせよ。そうすれば殺さずに生かしてやる」

女性は、先ほどまでの冷酷な表情から一変、にこやかな笑みを浮かべてサシャに話しかけた。


「貸す?目的?」

あまりにも唐突な提案に、サシャは頭の中が真っ白になった。


「簡単な話じゃ。お主の肉体に住まわせろってことじゃ。そして、一緒に世界中の魔具を集めるんじゃ」

女性は、満面の笑みを浮かべながら、まるで友人を誘うかのように言った。


「魔具集め?…まぁ、俺も魔具を集めてるけども…」

予想外の申し出に、サシャの思考は完全に停止していた。


「なんと!それなら話は早いのぉ!」

女性は、まるで旧知の仲であるかのように、サシャの肩を軽く叩いた。


「そう言われても…肉体を貸すって」

サシャは困惑の色を隠せないまま、必死に考えを巡らせた。

生き残るためには、彼女の提案を受け入れるしかないのかもしれないと。


「なぁに。ワシが外に出たい時に、その肉体を貸してくれるだけでよい」

女性の笑顔は明るいものの、その奥には底知れない何かを感じさせる。

だが、サシャには他に選択肢は残されていなかった。


「分かった…」

サシャは、未来への漠然とした不安を抱きながら、その奇妙な提案を受け入れた。


「よし!決まりじゃ!ワシの名はトルティヤじゃ!お主、名前は?一応聞いてやる」

トルティヤと名乗った女性は、興味なさそうな素振りでサシャに尋ねた。


「一応って…サシャだよ。魔具ハンターをしている」

疲労の色を滲ませながら、サシャは自分の名前を告げた。


「サシャじゃな。これでもワシは、かつて高名な魔導師じゃった。つまり、お主は今日から無敵じゃ。ありがたく思うんじゃな!」

つい先ほどまで自分の肉体を奪おうとしていた相手の、あまりにも身勝手な言い草に、サシャは言葉を失い、ただ呆然とするしかなかった。


「なんじゃその顔は。もっと喜ばんか!…まぁ、よい」

トルティヤがそう呟くと、周囲の景色が波紋のように揺らぎ、一瞬にして元の祭壇の部屋へと戻った。


「うわっ!」

サシャは、冷たい石の床に立っているのを感じた。

目の前にあった赤く光る魔具「禍津球(まがつだま)」は、まるで役目を終えたかのように、粉々に砕け散っていた。


「(これからどうなるんだろう)」

サシャは、トルティヤの半ば強引な提案を受け入れたものの、今後の展開に対する不安で胸がいっぱいだった。


「…結局、魔具は収穫できず…か」

古びた館を後にしたサシャは、気を取り直して近くの街である、ガイエンを目指すことにした。


夕焼けに染まる荒涼とした大地を、サシャは一人歩き続けた。

乾いた風が吹き抜け、わずかに枯れ草の匂いが鼻腔をくすぐる。


「…夜には着くかな」

そんな心細い思いを抱いていると、前方の岩陰から、数人の男たちが姿を現した。

彼らの顔つきは険しく、中には鋭い刃物を腰に差していたり、背中に弓を背負っていたりする者もいる。


「(げっ!盗賊だ…)」

サシャは、思わず足を止めて警戒した。


「おい、坊主、そのマント、なかなか良いものじゃないか。俺たちに譲ってくれ」

一人の男が、ニヤついた笑みを浮かべてサシャに言った。


「素直に渡せば、痛い目を見なくて済むぞ?」

別の男が、脅すように言葉を重ねる。


「こりゃ良いカモだ」

さらに別の男が、下卑た笑い声を上げた。

盗賊たちの目は、サシャが身につけている、深い緑色のマントに釘付けになっているようだ。


「(このマントだけはダメだ…ロイ叔父さんが残していった、大切なものだから)」

サシャは心の中で呟いた。


ロイはサシャの叔父であり、半年前まで共に魔具ハンターとして旅をしていた。

しかし、半年ほど前、このマントといくつかの道具、そして双剣を残して、姿を消してしまったのだ。


「(くっ…まずい!)」

多勢に無勢。サシャは、できるだけ争いを避け、逃げることを考えた。

しかし、その意図を察したかのように、精神世界にいるトルティヤが冷たい声で囁いた。


「賊風情が…邪魔をするなら、消せばよかろう」

その声には、人間に対する一切の情は感じられず、ただ冷酷なまでの殺意が込められていた。


「いや、けどたかが盗賊くらい…逃げればいいんじゃ?」

サシャは、人を殺すことに強い抵抗を感じ、躊躇した。

しかし、トルティヤは有無を言わさぬ強い口調で続けた。


「せっかくじゃ。わしの力を見せてやろう。ほれ、早く代われ」

トルティヤがサシャの肩を叩く。


次の瞬間、サシャの意識は深い闇に落ち、代わりにトルティヤの人格が表へと現れた。

サシャの黒髪は瞬く間に白銀に変わり、瞳の色は燃えるような赤色に染まった。

その顔つきも、どこか冷酷で自信に満ちたものへと変化した。


「おいおい!無視かよ!いい度胸だな!」


「じゃ、そのマントと有り金を置いてけ!」

盗賊たちは、サシャの人格が変わったことに全く気づくことなく、粗野な言葉を投げつけ、中には炎の魔法を放ったり、鋭い刀を振り上げたりする者もいた。


燃え盛る炎の塊がトルティヤに向かって飛来し、鋭い刃が目前に迫る。


「…哀れじゃのぉ」

トルティヤは、まるでゴミを見るかのような冷たい眼差しで盗賊たちを見下ろし、静かに言葉を紡いだ。


「水魔法-断罪の礫(だんざいのつぶて)-」

トルティヤの低い声と同時に、周囲の空気が僅かに震え、無数の水滴が凝縮し、鋭い礫となって盗賊たちに向かって放たれた。

それは、まるで高圧の水流で岩を穿つような、圧倒的な破壊力を持っていた。


「ぐぁぁぁぁ!」

水礫を受けた盗賊たちは、悲鳴を上げる間もなく、全身に無数の穴が開き、次々と地面に倒れ伏した。


「な、なんだよこいつ…」

辛うじて水礫を避けることができた数人の盗賊たちは、目の前で起こった信じられない光景に、恐怖で顔面を蒼白にした。


「ほれ。もう終わりか?」

トルティヤは、残った盗賊たちに冷たい視線を向け、嘲弄の色を浮かべた。


「ひっ…ひいっ」


「どうか…命だけは…」

生き残った盗賊たちは、震える声で命乞いを始めた。


「人に刃を向けた者の末路は…知っておろう?水魔法-断罪の礫(だんざいのつぶて)-…」

トルティヤは、彼らの懇願を無視し、再び指先から水礫を放った。

そして、残った盗賊たちの体も、先ほどと同じように無数の穴が開き、絶命した。

あたりには、血の匂いと、無残な姿を晒した盗賊たちの屍だけが残った。


「…どうだ?これが、ワシの力じゃ」

トルティヤは、まるで当然のことのようにそう言い残すと、意識は再びサシャへと戻った。髪の色と瞳の色も、元の黒色に戻る。


「…」

サシャは、今しがた目の前で繰り広げられた、トルティヤの圧倒的な力に、ただただ言葉を失い、全身が粟立つような感覚に襲われていた。


「どうした?お主を賊から守ってやったぞ?感謝せぬか」

トルティヤの声が、サシャの心に直接響いてくる。


「確かに助かったよ?けど、殺すことはなかったんじゃないのか!?」

サシャは、トルティヤの冷酷なやり方に強い嫌悪感を覚え、声を荒げた。

助けられたことへの安堵よりも、その手段への強い反発心が湧き上がってきたのだ。


「やれやれ…お主は甘いのぉ」

サシャの言葉に、トルティヤは心底呆れたようなため息をついた。


「いいか?人の命を狙うってことは、自分の命をかけるってことじゃ。だから、奴らは死んで当然じゃ。それとも、あんな賊のためにお主が命を散らすのか?」

トルティヤは、真剣な眼差しをサシャに向け、諭すように言った。

その言葉には、ある種の冷徹な正しさがあった。


「ぐぅ…確かに、理屈はそうかもしれないけど」

トルティヤの言葉に、サシャは反論することができなかった。


「じゃろ?分かったら感謝するんじゃな」


「(確かにトルティヤの言うことは間違っていない。でも、あのやり方は…)」

サシャは、複雑な思いを抱えながら深く考え込んだ。

そして、重い溜息をつき、トルティヤに話しかけた。


「…わかった。ただ、一つだけ約束してくれるか?」


「ほう?ワシに命令か?ワシはいつでもお主の肉体を乗っ取ることができるのじゃぞ」

トルティヤが冷酷な視線を向けたと思ったら、立て続けに呟く。


「…と言いたいところじゃが、久々の娑婆の空気を吸って気分が良い。聞くだけ聞いてやろう」

トルティヤは腕を組み、どこか楽しげな様子でサシャに答えた。


「なら一つ。俺に危害を加えない者の命は、奪わないでくれ」

トルティヤは、少しの間考え込むように沈黙し、やがて小さく頷いた。


「…ふむ、よかろう」

トルティヤの意外な返答に、サシャは安堵の息を漏らした。


「じゃが、代わりにワシからも一つ言っておく…」

トルティヤは、念を押すようにサシャに言った。


「ワシはお前の願いでは交代せぬ。状況を見て、ワシが交代してもいいと思った時だけ交代する。拒否権はない。いいな?」

トルティヤの言葉には、譲れない一線があった。


「あぁ、構わない」

サシャは、わずかに笑みを浮かべてそう答えた。


「では、交渉成立じゃ」

トルティヤは、満足そうにニヤリと笑った。


「ありがとう…じゃあ、ガイエンに向かおうか」

サシャは、どこか重い足取りで、再び街へと向かって歩き始めた。


「(ふん。ま、これも何かの縁じゃな…)」

トルティヤは、サシャの心の中で小さく呟き、僅かに笑みを浮かべた。


「ところで…トルティヤは意外と優しんだね」

サシャは、歩きながらトルティヤに話しかけた。


「か、勘違いするでない!お主との利害が一致したまでよ。それに「トルティヤ様」じゃ!お主と一緒にするでないわ!」

サシャにとって、トルティヤは依然として危険な存在ではあったが、同時に、圧倒的な力を持つ頼りになる存在にもなりつつあった。

こうして、サシャとトルティヤの奇妙な旅が、予期せぬ形で始まったのだった。

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