魔法史
あの鬼教師が従順に振る舞う様を見てクラスメイトらが改めて色めき立つ。
「スゲェ……やっぱり本物の魔女なんだッ!」
「母ちゃんに伝えねえと。俺マジもんの魔女に出会ったって!」
一応、名門と呼ばれるだけあって金持ちのエリートが多く通う学校だが、俺のクラスは推薦枠で入学した一般層しかいないので騒ぎたい時は素直に騒いじゃうタイプが多いのだ。
ドリウス言うところの『鴉』のバッジを持つ者達である。ちなみに俺は更に落ちこぼれの『竜』だ。
以前は『天馬』だったんだけど、成績の低下が著しかったので『鴉』を突き抜けて『竜』まで一気に格下げだ。
まあ、そんなランクは大したものじゃないとこのクラスにいれば嫌でも思い知らされるのだが……。
フランと目が合いウィンクされる。やめてくれよ、マジで何しに来たんだよ。
まさか俺のお世話をしに来たんじゃないだろうな。どんだけ過保護なんだ。
それとも一刻も早く魔力を補給したいだけか。
「……では授業を始める」
睡魔と格闘する予定だった魔法史の授業は、フランの登場により激変した。
彼女が笑顔で教室を見て回る度に何か妙な事をしでかすんじゃないかと不安になる。
眠りもしないが集中もできない。他のみんなも魔女が自分の近くを横切る度にソワソワしている。
言ってしまえば歴史の登場人物が同じ空間にいるようなものだ。あるいは有名な童話に出てくる張本人と例えた方が的確だろうか。
敬意。畏怖。崇拝。様々な感情がクラスメイトの瞳に渦巻いていた。とても十七歳の男子生徒を赤ちゃん扱いする変人だとは思うまい。
「ね、ねえアレン。一体アンタ何をしたの?」
「何が?」
「だって伝説の魔女がアンタのベビーシッターって、あり得ないでしょ。どんなミラクルを引いたらそんな状況に立つのよ」
「なんか母さんの知り合いとか何とか……」
「……ま、まあアレンのお母様なら、なくはない話、なのかな……」
割と優等生寄りのリリアですら授業より魔女の件で頭がいっぱいのようだった。寧ろいつもの授業から脱線しないマージェス先生の方が異常なのではと思えてくる。
「つまりこの『雷神風神の戦い』がだな。あれだ、すごいあれだった訳だな」
いや違う。メチャメチャ調子狂ってる。しどろもどろだしチョークの文字がブレブレで何書いてるか読めん。あんな動揺した先生初めてだ。
そうしている間にフランは生徒達の板書を見守りつつ、少しずつこちらの席に近づいてくる。頼むから俺に話しかけるなよ。フリじゃないからな。
教卓の方向から歩いてきたフランがリリアの席を横切る。そのまま俺を素通りして後ろへ進んでいく。
「……何だよ。話しかけてこないのか」
意外だ。てっきり俺を見守るためかと思ったが、もしかすると本当にセブンヘッヅの授業風景を見てみたかっただけなのか。
何せ自分が創設した学校に百年振りに訪れたのだ。そうなる方が自然と言えよう。
俺から離れていくフランの背中を静かに盗み見る。何だかほんの少し、胸の奥がチクりとした。何だろう、この感じ。寂しい……のか?
いやそんな訳がない。好き勝手に俺の学生生活に踏み込んでくるあいつにイライラしているだけだ。
そう思い込み、ノートの続きを取ろうと黒板を見る。
「話しかけてほしかったの?」
「うわっ!?」
俺の正面にフランがいた。瞬間移動でもしたのかと咄嗟に振り返るが、何と後方では他の生徒の観察を続けるフランがいる。
前と後ろを交互に見やり、見間違いでない事を悟る。
「は? え、フランが二人?」
「分身魔法よ。魔力が半分向こうに持っていかれるのが傷だけどね」
フランは何ともない顔で俺と同じ目線までしゃがみ込む。
クラス中はもちろん、リリアも大層目を丸くして身を乗り出していた。
「す、すごいわ……。分身魔法の使い手って、マージェス先生とアレンのお母様くらいしか見た事ないのに」
「あら、逆にその二人を褒め称えるべきね。余程の魔力がない限り普通の人間にはまず使えない魔法だから」
「母さんも使えるのか……」
「アンタ今知ったの? 私は目の前で見せてもらったし、何なら伝記にも書いてあったわ」
そう言われても知らないものは知らないのだ。何で息子の俺に教えてくれなかったんだよ。まあ幼い頃から火炎魔法ばかりに興味持ってた俺の問題ではありそうだが。
「アレンくん、今難しそうな顔してたわよね。何かわからない所でもあった?」
「お前の事がわからん」
「ふふふ。一緒に暮らしてるんだからその内わかってくるわよ」
ブッ。とクラスメイトが一斉に吹き出した。特にリリアは口をぱくぱく開閉させ俺の肩を爪が食い込む勢いで掴んでくる。
「あ、ああああアンタ! 魔女と同棲してるの!?」
「へ、変な言い方すんな。ベビーシッターって言ってただろ!」
「それもそれで変でしょ! アンタ一体いつから道を踏み外した!?」
「道の方が勝手に逸れていったんだよ!」
マージェス先生の咳払いが響き、俺とリリアは慌てて口を閉じる。
ほんわかベビーシッターとツンツン幼馴染のせいで先生の説明を聞きそびれた。
黒板のチョークはガタガタだし読解不能。お手上げだ。
両手を後頭部に回して椅子にもたれかかると、眠気が一気に襲い掛かって来た。欠伸をしたタイミングでフランからほっぺを軽くつねられる。
「何だよ」
「『王衛騎士団』の成り立ちについて」
「は?」
「アレンくんがわからなかった所ってそこでしょ? ノートもそこから先が空白だし」
「だったら何だよ」
「わかりやすいように教えてあげる」
フランが指で俺のノートを突くと、白紙だった部分に文字が浮かび上がり文章を形成していった。
全体がビッシリ埋まると次のページがめくられ、再びスラスラと俺より読みやすい文字列が流れ出す。
「『王衛騎士団』っていうのはね、この国の王様を守るために構成された魔戦士の戦闘部隊の事よ。直接王を守れるように王宮の近くで贅沢な暮らしをする団員もいれば、国民を見守れるよう民家に暮らす団員もいる。あなたのお母さんがそうだったわね」
「それは知ってる。そこを目指して俺はここにいるんだから」
「そうね。アレンくんが苦手なのはあくまで魔法史だものね」
フランが指を振ると、ノートのキーワードに赤線が引かれていく。見事に俺の苦手な所ばかりで苦笑いが出る。ここまで見透かされているといっそ清々しい。
流石は千年を生きる伝説の魔女、と言ったところか。
感心したのも束の間。フランが虚空から竜と魔女をデフォルメしたハンドパペットを出現させた。子ども向け教育芝居とかでよく見るヤツだ。
数刻後に目撃するであろう地獄を予感し、俺は苦笑すら浮かべられなくなる。
「『王衛騎士団』は今でこそ王様を守る部隊。だけど最初の成り立ちは違ったの」
「おい何だよそれ。何で両手にはめてんだ。おいまさかそんな幼稚な事をこの名門で——」
フランの声色が若干低めに調整され、右手の魔女が動く。
『そう。騎士団は元々、魔女を守るためにあったのじゃ』
「勘弁してくれ」
今度は高めの声と共に、左手の竜が元気そうに揺れる。
『え、俺そんなの知らない。もっと教えてくれよ~』
『いいじゃろう。がぶがぶドラゴンくんは若いのに偉いのお』
「そんでお前が例の人気キャラなのかよ」
周りの反応はいちいち見なくてもわかる。
唖然。
何の前振りもなく開始された赤ちゃんプレイに誰も付いて来られるはずがない。
『セブンヘッヅが元々魔女を護衛するための魔戦士を育て上げる場所だった、というのはわかるかの?』
『それは知ってるぜ。でも途中で王様を守るために変わったんだよな』
『そう。理由は単純。魔女が滅多に顔を見せないからじゃな。我々のような魔女は日々忙しいし、政治に関わっていく気もない。そんな状態じゃあ、たまにふらっと現れる魔女よりいつも国を統治してる王様を守る方が有意義に決まっておるんじゃ』
『だから「王衛騎士団」も魔女から王様専用の部隊に変わっていったんだな』
『そうじゃ。魔女からすれば、まあ仕方ないし別にいいけど一番偉いのはこっちだって事忘れないでもらえるかな、って感じの気持ちなんじゃなあ』
こいつそんな風に考えてたのかよ。千年生きてる癖に意外と心が狭いな。
『だから百年に一回は顔を出すようにしてるんじゃ。忘れられたら悲しいからの』
『魔女への敬意は忘れちゃダメなんだな。ここ多分学校の試験には出ないけど、人生の試験問題対策として死ぬまで覚えとかなきゃいけないとこだから要注意だぞ』
「お前の私情に『がぶがぶドラゴンくん』を利用すんじゃねえよ」
大きく顎を開いた竜のパペットが俺の頭部をがじがじ噛んできた。
所詮は綿の集合体なので痛くも何ともないはずだが、パペット越しに伝わる指先の感触がやたらと力んでいて肝を冷やさずにはいられなかった。
「あの、質問してもいいですか?」
リリアが挙手し、魔女のパペットがコクンと頷く(一瞬マージェス先生が自分への質問と勘違いして振り向き、慌てて黒板に顔を戻した姿が可愛かったのは内緒だ)。
「そもそもどうして『七人の魔女』は護衛を必要としたんでしょう? 文献や伝説通りの実力なら誰の助けもいらないはずでは」
『いい質問だぜ嬢ちゃん!』
竜パペットの口から天井へと炎が噴き出した。俺とリリアは同時に仰け反り、偶然重なったリアクションに気恥ずかしさを覚える。
どうでもいいタイミングで器用に魔法を使いやがったフランは、魔女と竜に扮した掛け合いを続ける。
『俺も気になってたんだ。魔女の婆さん、教えてくれよ』
『ふむふむ。お嬢さん、まず魔女が人間と違って周囲の魔力を吸い取る事ができるという特性はご存知かの?』
「はい、聞いた事あります」
『魔女が護衛を求める理由はそこにある。魔力に秀でた強者ばかりを侍らせて、魔力供給を最大限活用したいという腹積もりじゃな。つまり必要なのは護衛ではなく魔力の源泉なのじゃ』
「では護衛というのは建前なのですか?」
『そういう事になるの。そう考えると、今の王を守るための制度はある意味一番正しい形な気がするのう』
初耳だ。ていうか学校側も敢えて伏せていた情報なのではなかろうか。
地方の影響で科学の発展が当たり前になってきた現代でも、未だに王都に住む人々は誇りや名誉といった目に見えない称号を重視している。王に仕えるという名誉が、セブンヘッヅの入学率を上げているのだ。
それが元はただの魔女の魔力源集めだなんて、夢もへったくれもない。
授業を続けるマージェス先生が事あるごとにこちらをチラチラ見てくる。彼女は真実を知っていたのだろうか。
『では実際に当時の事を魔女の一人に聞いてみるかの。フラン、よろしく頼むぞ』
「あ、わ、私ですか?」
「もういいよその自作自演。自分でやってて恥ずかしくないのか」
「あら、酷い言い方。アレンくんの苦手分野を頭に入れやすくする配慮だったのに」
余計なお世話だ。
まあ実際、普通に授業聞いてるよりは取っつきやすくて記憶に残ってはいる。
教え方が上手いというより、教室で赤ちゃん扱いされてる事への異様さと紐づけされているだけの感じはするが……。