威厳神話崩壊
朝礼には何とか間に合った。
長ったらしい校長先生の話と、不愛想なマージェス先生の説教を聞き流し、教室へと戻る。
クラスメイトが興味本位で尋ねてくるベビーカーの件をはぐらかしつつ、俺はいつもの隅っこに座り魔法史の教科書を枕にしていた。
魔法の実技が壊滅的な分、座学で点数を稼ごうと日々努力しているのだがどうにも魔法史だけは頭に入らない。
辛うじてわかるのは、幼少期に絵本で知った『七人の魔女』の逸話くらいのものだ。
隣からはリリアの呆れ果てた溜め息が聞こえてくる。
「寝てたらしばくから」
「優しく起こしてくれよ」
扉が開き、マージェス先生が入室する。普段は決闘の授業を受け持っているが、魔法史担当の教師が仮病を使ってサボりがちなのでよく代行しているのだ。
慣れすぎて大人としてどうなんだとツッコむ気すら起きない。
「とうに授業の鐘は鳴った。全員大人しく席に着け」
教卓に立ってもいつもの杖は手放さない。硬い足元を小突き、三十人ほど集まった教室に水を打ったような静寂が訪れる。
特に余談もなく淡々と進めていくのがマージェス先生の授業スタイルなんだけど、正直いつもの先生より眠気に拍車をかけてくるので困る。その上怒るとおっかないから厄介だ。
「授業を始める前に一つ。貴様らに言っておく事がある」
「いちいち威圧的で怖いんだよな……」
「しっ」
マージェス先生の眼光がこちらを射抜いた気がしたが、幸い雷魔法の粛清が飛んでくる事はなかった。
「突然だが、本日あるお方がこのクラスの授業を見学したいとセブンヘッヅに足を運ばれた。いや正確には視察に来たと言うべきか」
視察、だって?
クラス全体に無言の動揺が走る。急な見学者が来訪した事に対してではない。
あの威厳溢れる最強教師・マージェス先生が言葉を選んでいたのだ。校長先生にさえ威圧的な態度を貫く彼女がだ。
つまり、それほどの相手。マージェス先生が襟を正すレベルの強者。
なんかこの時点で嫌な予感がビンビンした。
「では入っていただこう」
扉の開く音に全員が固唾を飲んだ。俺は別の意味で身構えていた。
そう。軽やかな靴音を響かせ躍り出たのは、やはり例のあいつだった。
長い金髪に漆黒のマント、大きなトンガリ帽子が見えた瞬間に俺の脳内警鐘と周囲のヒソヒソ声がボリュームを上げる。
マージェス先生は隣に並び立った魔女から一歩引き下がって告げた。
「紹介しよう。我らがセブンヘッヅ魔戦士学校の創設者にして、伝説の『七人の魔女』が一人。フラン様だ」
「気軽にフラン先生って呼んでね」
来やがった。ヤツは百点満点の笑顔を浮かべ、遠慮なしに俺のテリトリーに踏み込んできたのだ。横に座るリリアはフランを見つめたまま俺の袖を小刻みに引っ張ってくる。
「ね、ねえ。アンタといたあのベビーシッター、『七人の魔女』とか言ってるけど……っ」
「言ってますね、はい」
「じょ、冗談よね? 本当に、本当にあれが正真正銘伝説の魔女フランなの!?」
「声大きいぞ」
「だってっ、この学校どころか世界中に多大な影響を与えた伝説の住人なのよッ!? それがこんないきなりっ。変身魔法を使った偽物って考えた方がまだ納得できるわ!」
「口を慎め愚か者!」
マージェス先生の一喝にリリアの肩が跳ねる。
「変身魔法だと。そんな小細工でこの私の目を騙せるものか。このお方は本物の魔女だ。何よりセブンヘッヅには部外者を退ける仕組みが山のように備えられている。それが一つも機能しなかった時点で正体が——」
「こらマージェスちゃんっ。喧嘩はよくありません」
人差し指を突き付けられ、マージェス先生の口が止まる。あのベビーシッター、ベテランの教師相手にも幼児扱いとか感性が異次元すぎるだろ。
「授業中に大きな声を出したリリアちゃんも悪いけど、必要以上に怒鳴っちゃったマージェスちゃんも反省しないとね。お互いちゃんと謝りなさい」
「しかしフラン様。『七人の魔女』ともあろうお方にあの失礼な発言は……」
「伝説とか魔女とか関係ないわ。大事なのは、お互い素直な誠意を持って接する事よ。という訳で謝りなさい。悪口言っちゃってごめんなさいって」
「しかしそれは——」
「めっ!」
必殺の『めっ』をもろに食らい、マージェス先生は完全に固まってしまった。前代未聞の光景に誰もが息を飲んで見守る。
やがてマージェス先生はのっそりとした動きでリリアの方に向き直ると、小さく頭を下げた。
「すまなかった、リリア」
彼女の態度にまだ不足があるのか、フランがわざとらしく咳払いする。
マージェス先生は頭を垂れたまま短く嘆息すると、再び口を開く。
「……リリア、悪口言っちゃってごめんなさい」
「こ、こちらこそ授業中騒いですみませんでした……」
マージェス先生の威厳神話が崩れ落ちた瞬間であった。