序章 魔法の離乳食はもういやだ
俺には両親がいない。
父さんは俺が生まれる前に死んで、最強の魔戦士だった母さんは四年前の任務で命を落とした。王を護衛する『王衛騎士団』の一員として国中に名を馳せていたのに、突如王国を襲った大災害を止めるために体を張りすぎたんだと。
結果、俺は一人暮らしになった。母さんから受け継いだ魔法の才能も、ある時を境に使いこなせなくなった。魔戦士学校に通うのだって苦痛だ。
自室のベッドくらいしか優しく俺を受け入れてくれるものはない。そう思っていたのだが……。
「アレンく~ん、ご飯できたわよ~」
優しく部屋の扉を叩く音が鳴る。奴が来た。ベビーシッターの魔女が。
俺はベッドで横になったまま叫ぶ。
「ご飯ってどうせ魔法の離乳食だろ! いつまでも俺を赤ちゃん扱いしてんじゃねえよ!」
「あら、イヤイヤ期ね。しょうがない子なんだから」
クソ、母さんのヤツ何で死ぬ前にあんなベビーシッター雇ったんだ。おかげで毎日託児所にいる気分になる。気が狂いそうだ。
嫌な現実を忘れようと寝返りを打った矢先、突然扉が外側から吹き飛ばされた。
「うおっ!?」
粉砕された扉の破片が部屋の壁に突き刺さり、床に転がった残骸からは奇妙な白煙が立ち上っている。
「フランっ、テメェまた扉ぶっ壊しやがったな!」
「わがままな坊やを躾けるためよ」
綺麗に切り抜かれた矩形の奥には、黒いマントとスカートに身を包んだ、長い金髪の女が立っていた。頭に被った巨大な魔女の帽子を傾け、穏やかな眼差しを向けてくる。
「離乳食飽きちゃったの?」
「十七歳が食べるもんじゃねえ」
「もう。言ったでしょう? あれを食べ続ければ魔力の制御が上達するって。アレンくんのために作ってるのよ?」
「いいから出てけ!」
ベッドから起き上がって威嚇するも、フランは手を口元に当てて上品に笑うだけだった。
何とかギャフンと言わせられないか。そう思考を巡らす間に、フランの人差し指が相手を誘うようにクイッと折り曲がる。不意に俺の体がベッドから浮かび、フラン目掛けて突っ込んでいく。
「ちょっ、うおっ!?」
「きゃっち!」
フランの柔らかい胸元で優しく受け止められた。両手で抱き締められ、花のように甘い香りに浸かる。顔が赤くなる。こんな所見られたくない。俺は必死に抜け出そうと藻掻いた。
「ちょっ、離せって!」
「こらこら暴れないの。そんなに離乳食が嫌なら別の物にしましょうね~」
嫌な予感がした。恐る恐る頭上を見上げれば、無数の哺乳瓶が廊下の天井を埋め尽くしていた。当然その全ては空ではない。飲ませるべき液体がたっぷり詰まっている。
「う、嘘だろ……」
その矛先は、子どもから大人の世界へ踏み出そうと意気込む十七歳の男が食らうには、あまりに無慈悲な破壊力を秘めていた。強制的に精神年齢を逆行させかねない禁じ手を披露し、フランは優しく微笑む。
「さあ、魔法のミルクタイムでちゅよ~。どのミルクが舌に合うかじっくり調べましょうね~」
「いやだああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
俺の悲鳴は天井から降って来た一本目の哺乳瓶に塞がれた。
ああ、どうしてこんな毎日になったのだろう。どこから道を間違えたのだろう。
全てはきっと、あの日から始まった。