02.立場
「…ところで、ここはどこですか?」
「家があった場所だよ」
カディオの目線を追ってみると目線の高さには何もなかったが、地面にはあからさまな境界線があった。
緑が途切れた先に広がっている茶色い地面は広大で、その大きさには心当たりがある。
「今度からは大きな魔力使うなら場所選べよ」
「はい、すみません」
そもそも使えると思わなかったんです。
と心の中で付け加えておく。
そういえばあの本はどこにいったんだろう。
辺りを見渡すと、少し離れた大きな岩の上に置かれているのが見えた。
少し安堵した気持ちで駆け寄り、手を伸ばしたとき、
「アル様いけません!」
ランスの鋭い声に驚いて振り向くと、そこには藍色の髪に同色の目をした綺麗な少年がいた。
アルは目を見開き、見てはいけないものを見たような気になって視線を外した。
「誰ですか?…まさか」
「アル様のランスですよ」
にっこり微笑まれてアルは言葉を失う。
外見的要素でいうなら殆ど変わっていないはずなのに、どこか寂しさを覚えた。
別人だと否定してほしかったのに、彼の口から発せられた声と少し重めの返しに期待が絶望に変わる。
「これで漸くアル様の前でも堂々とできます」
穏やかに笑うランスとは対照的に、アルの心はざわめきだす。
もしや、給仕の際に手が震えていたのは女装の自分を恥じていたからなのだろうか。
そうなると彼女もとい彼は最初からアルに対して恐怖心を抱いていなかったことになる。
己の自意識過剰ぶりに赤くなりながらランスに向き合う。
「ランス様、すみません。今までずっと勘違いをしていて酷い態度を…」
「いえ、とても可愛かったのでむしろありがとうございます。あと、私のことはどうか呼び捨ててください」
「しょ、精進します」
「その敬語もやめろ。俺の子だっていう自覚をもて」
いつの間にかカディオがアルの背後に立っていたらしい。
驚いて一瞬身体が硬直したアルの髪をくしゃくしゃっとしながら、笑いを堪えたような声を漏らす。
からかわれているのが分かって拗ねた風にすると、カディオは声を上げて笑った。
「ところで、これはお前のものか?」
暫くして笑いが治まったらしいカディオが目で示したのはあの革表紙の本だ。
正直に魔王の私物と言っていいのだろうか。
ほぼ確実に没収されるだろうが、なんとなく後悔しそうな気がした。
視線を感じて顔を上げると、碧い瞳が無感情にこちらを見下ろしていた。
彼の目はどこまでも冷たくて、さっきまでの優しい色が嘘のように消えている。
心臓を握りつぶされているような錯覚に陥った。
「どうした」
声音はとても優しかったが、それがかえってアルの中の恐怖心を煽った。
早く答えなくてはと口を開くが、声が出る気配はなかった。
唇が、指先が、身体中が震える。
「ご、めんなさい、…るして、おねが、ごめんな、さ、」
圧倒的な圧力に押しつぶされそうになる感覚には覚えがあった。
城での日々が次々と思い出されて、次第に何も考えられなくなる。
暫くして頭上から小さな溜め息が聞こえた。
「悪かったな」
そう言う声は最初の調子と全く同じで、アルに対する敵意は全く感じられない。
じきに彼が遠ざかっていく後ろ姿をぼんやりと眺めた。