第5話 子供たちの王国
人それぞれで愛のカタチが違っていると語る人がいます。
しかし、バラバラな愛のカタチという考え方は、私たちが誰ともつながれないという事を意味していないでしょうか。
正当な鍵とはカタチの違う鍵が、鍵穴に上手くハマる事が無いように、カタチが合わないものは組み合わさることが無いと思えます。
特別な関係性はそこには無くて、それぞれがバラバラに存在しているだけ。同じカタチを共有していないとは、そういう事になると私は思っています。
少年らしい少年はいなくて、少女らしい少女もいないのだとすれば、両者が組み合わさる理由を思いつけない。
色々なカタチがあると知ったことで、夢見た愛のカタチは本当はどこにも無くて、私たちはバラバラに生きているだけだと気付かされている。
ありふれたラブ・ストーリーは成立しないと思いしらされる事は、正直、とても寂しい。
だけども、そういう寂しさを共有することで、人は分かり合える事があると思います。寂しさを共有しようとする時に人は語り合う。その関係性こそが奇跡ではないでしょうか。
私たちの気持ちは言葉によって構成されているのだと仮定しましょう。
その構成は、語り合うことによって生まれ変わるのだと思います。
今まで抱えていた気持ちに対し、暗喩や換喩が加えられ、心はカタチを変えていくでしょう。
変化する前と変化した後、そのどちらがホンモノの心であるかを問うことは、あまり意味を為さない……。
風は、見えないほど高い場所から遠い果てまで吹き抜けていく。
その旅路の途中で、風向きや吹き抜けるチカラ、そこに含まれる温度を変えるでしょう。
だけど、いずれの状態の時がホンモノの風であるかと言う話にはならないと思います。
それと同じことで、変化していく私たちの気持ちの、どの時点がホンモノであるのかを問うてみても、意味を為さないと私は考えているのです。
風は今も吹いていて、その風は、少年と少女の間を吹き抜けていった。
これは少年と少女の物語なのだ。彼らがこの先に進むためには、これまでの関係をお互いに語り合う必要があるのでしょう。
過去は過ぎ去った時間の中に在るのではなくて、今この時に紡がれている。
物語としての過去。それは語り合う二人の元で生成され、再構成が行われていく。
さて、少年にまつわる話なのか、少女にまつわる話なのか、そのどちらだったでしょうか。
それを問いただしてみても意味の無いことなのかもしれません。
彼らの語り合いの中で決まっていくこともあるでしょう。
とにかく、子ノ山キノと竹里ナオヒトは、二人の関係性を変える事を選んだ。そのための語り合いが、彼らをどう変えていくのかを、この場所に立って見つめましょう。
「ごめんね、変なこと言って」
子ノ山キノがそう告げてきた時、竹里ナオヒトは奇妙な納得を覚えた。
彼女が変だと感じている考え方は、自分自身もずっと抱えてきたものだったからだ。
何に対するのかも分からない、ごめんなさいの気持ち。
それは、周りが期待しているような、ありふれた関係になる事を、自分とキノが否定している事から生まれている感情だった。
今になって分かる事もあると竹里少年は思う。
僕たちは、僕たちを取り巻く人々の望みを理解していた。
そして戸惑っている。社会が期待しているのは分かりやすい関係性だ。それを受け入れたい気持ちと、受け入れたくない気持ちの中で、葛藤している。
そのどちらを選ぶのか誤魔化せない所に来てしまったんだろう。そう考えながら、竹里少年は、
「別にいいよ。僕もよく、変なことを考えてるから」
と答えた。
風が吹き抜けていった。少し肌寒いはずのそれは、二人の間では暖かさが含まれている気がする。
素直になってその暖かさを感じれば、透き通った気持ちが生まれる予感がした。
結晶のように綺麗な感情。それが生まれる予感を信じて、竹里少年はキノに伝えるべき言葉を言った。
「僕はきっと、キノと一緒に居られる理由を探していたんだ」
これで彼女に僕の気持ちが伝わるだろうかと、竹里少年は考えた。
あるいは、同じ感情を持てなかったとしても良いのかもしれない。
気持ちの受け取り方は彼女の自由だからだ。
どうか自由であって欲しい。そう願いながら、竹里少年は自らの中に生まれた、結晶のようにシンプルで複層的な気持ちを放った。
「今気づいたよ。僕はキノと同じ場所に立って話をしていたいんだ」
その先に続く結論に対して、自分自身で戸惑いを覚えながら、竹里少年は言う。
「恋人みたいな特別な事が出来なくても、いいんだ」
竹里少年は、まっすぐキノを見つめた。
目をそらすための理由を思いつけなかったからだ。
戸惑った様子のキノ。その後ろに海と夜空が広がり、まだ明るい水平線の上には星が見えている。
キノは、竹里少年に向かってたどたどしい口調で言う。
「でも、そんなの変だよ」
その声には戸惑いの感情が含まれていた。
彼女の感じる戸惑いは、自分のものでもあると竹里少年は思った。
竹里少年もこれから先、どうしたら良いのか分からないのだ。
そんな気持ちを素直に口にする。
「だよね。だから困ってる。どうしよっか?」
一番簡単な方法は、周りが思うような、恋人らしい関係を演じることだった。
分かりやすい関係性を提示すれば、二人が一緒にいることが受け入れられるだろう。
それは、竹里少年と少女キノの二人が、彼らの周囲にいる人々の考え方を受け入れる姿勢とも言えた。
それが上手く出来ないから二人は困っているのだ。キノは、答えを探すために語りだす。
「恋人とかに、なれると考えた時期が私にはあった」
そう、キノは告白した。
竹里少年は、頭突きのようなキスをされた時のことを思い出して、それは無理じゃないかなぁと思う。
だけど口には出さない。
そういう場面では無かった。続きの言葉を待つ竹里少年に対し、キノは言った。
「キスしたりとか、手をつないだりとか……。みんながやってることを、私たちも出来ると思ってた」
でも、と前置きしてから、キノは言葉を続ける。
「そういうのは違う気がした。周りのみんなと同じことをしようとして、気持ちを無理に作ってる気がした」
そういうもんだと思うよと、竹里少年は返す。
それは彼自身も抱えていた想いだった。
竹里少年は思う。きっと僕らは、僕らの周りが思い描いているようなカタチでの、恋愛のカタチを再現できないんだろう。
だから周りをイラつかせる。それは、竹里少年とキノの在り方が、皆が信じている関係性を否定してしまう要素を含んでいるからだ。
竹里少年とキノとの間にある、子供たちのルールで作られた王国。
それは、大人たちの社会にとっては目ざわりで、許しがたい存在なのだ。
これから大人になろうとしている人々、僕らの周りの友人たちにとっても、それは同じことなのだろうと竹里少年は思う。
幼さゆえに許されていた子供たちの王国が、いよいよ許されなくなっていく場所に立っているのだと、竹里少年は自覚した。
大人たちは子供を大人にしたがる。それは大人が子供と分かり合いたいからだ。
子供たちの心のカタチを作り変えて、いずれ大人たちの社会に加わってくれる事を期待している。
子供の心を大人の心に変えて、同じカタチを共有することで、寂しさを分かち合いたいのだろう。
竹里少年は思う。僕らは、大人たちの想いを否定したいわけじゃない。拒絶したいわけじゃないんだ。それでも譲れない思いを胸にして、竹里少年は言った。
「僕らには、僕らのやり方があると思うんだ」
竹里少年は、自らが何かを選び取ったことを感じていた。
彼は想う。例え僕たちの周りの人達が信じている何かを、否定する事になったとしても、いつか分かり合うことが出来るだろう。
……たぶん。きっと。そうなったらいいなぁ。
分かり合えなかったら、その時は誤魔化してしまおう。
時には妥協することも大切だと考えながら、竹里少年は、彼の目の前に立つキノとの関係性に思いを馳せる。
ただの友達とは呼べない。親友という言葉もしっくり来ない。恋人と呼ぶには思考が闇鍋すぎる。それでも、無くてはならない存在なのだ。
竹里少年は思う。キノの事が好きだと言えたら楽になれただろう。僕の気持ちを、ただ単純に、愛していると言う言葉に換えられたなら。
だけどそれは嘘になる。嘘を吐けば、僕たちの関係は無意味なモノになるだろうと予感していた。
私から言わせれば、彼らの間にあるのは共生関係だった。
つまり竹里少年と少女キノは、より良く生きるためにお互いの存在が必要なのだ。
そこには世間一般で語られているような、ロマンチックな予感は存在しないのかもしれない。
せっかく会話の中に水分と塩味を足したのに、途中でシカとかクマの話をぶち込んだのがよくなかったのか、ラブコメとは言い難いものが出来上がりつつあった。
ラブコメの波動くんが迷子になって、ここはどこなのと、泣きわめいている姿を幻想する。
ここはどこだろう。私にもよく分からない。しかし分かっている事もあった。
それは、少年と少女が選んだ答えは、結晶のように美しい感情だという事だ。
今は道に迷っていると感じているラブコメの波動くんも、いずれは彼が立っている場所を自分で選んだと考えるようになるのかもしれない。
竹里少年と少女キノの関係性は、ピタリとハマって離れないような、特別な組み合わせでは無いのだろう。
それは寂しい事なのかもしれない。いつか訪れる別れを予感させるからだ。
しかし二人が求める限り、少年と少女は同じ場所に立って語り合うだろう。
それが二人の関係性における希望なのだと私は思う。
あなたにも、希望に感じられたと言って欲しい。
ダメですかね? いや、希望になれる! なれるハズなのだ!
無理を通せば道理が引っ込むと言うし、希望を押し通せば、いつか来る別れに耐えられるはずなのだ。
そうこうしている内に、竹里少年が少女キノに向かって提案した。
「僕たちがさ、29歳までどっちも独身だったらさ、その時に結婚でもしない?」
突拍子もない提案に対して、色々と言いたい事があったキノだったけど、とりあえず一番気になる事を口にした。
「なんで29歳?」
「だらだらと生きてる人でも、結婚を決めるのがおかしく無い年齢だから」
適当なこと言うなよ、と思いつつも、キノは言った。
「それじゃ私は、29歳まで独身で居ればいいのかな?」
それはつまるところ、妥協案だった。
結婚と言うカタチで大人の社会のやり方を守りつつ、実際のところは彼らだけに分かるルールで動こうとしているのだ。
その代償として、遠い未来の約束としていた。
今から15年近く、キノと竹里少年のどちらもが、彼らのルールを守った時にだけ、この約束は果たされる。
少女キノはそのルールを受け入れるつもりだった。
少なくとも今は。
見上げた夜空には星が輝き、それは緑色に光って見えた。
甘く懐かしい香り。それを感じている少女キノに対し、竹里少年は言った。
「今の僕って、まるでプロポーズしてるみたいじゃない?」
「似たようなものじゃないの?」
「だいぶ違うと思うけどなぁ」
それよりも学ラン返してよ、と迫ってくる竹里少年の手から身を翻すと、キノはそのまま自宅の方に向かって歩き出す。
彼らの関係性は変わり、この場所に居るべき理由は無くなった。
その代わりに一つの約束が生まれ、今度はそれについて語り合う時が来るのやもしれない。
砂浜から遠ざかっていくキノ。その後を追うようにして、竹里少年も歩き出した。
これにて、ひとまず竹里少年と少女キノに関する話は終わりだ。
彼ら彼女らがこの後どう生きるのかは、これから先の物語になるだろう。
出来るだけ幸せな結末を想像してあげて欲しい。
あなたが誰かの幸せを願う時、誰かがあなたの幸せを祈り返してくれるように。