2・子育て宣言
外が騒がしくなってきたときには、時刻は午前2時を指していた。いつもより控えめではあるが、松明が騎士隊の帰りを知らせている。
「……ようやく、この日が来たわね」
上着を手に取り、玄関先へと向かう。わざわざ窓を確認せずとも、外で何が起きているかなんて承知の上だ。
「お、奥様……! 起きてらっしゃったのですか!」
真っ先に私を見つけた執事長が驚きの声を上げる。
「毎回主人を出迎えろと言ったのは、貴方達でしょう」
「し、しかし今宵は……」
焦っている顔が隠せていない。当然だろう、この先にある光景は私にとって気分の良いものではないから。
私は止めにかかる執事長をスルーして、数人の側近らが取り巻くラウル様の元へ向かった。
「おかえりなさいませ、ラウル様」
声をかけると、私をみた2人の側近が執事と同じようにギョッとした顔をする。そして、ラウル様を庇うように私の正面に立った。
「せ、セレナ様……今晩は冷え込みが激しいですから……どうぞお屋敷にお戻りください」
「そ、そうっスよ! 体調でも崩されたら、俺たちも悲しいというかなんというか……」
あたふたと、側近が言葉を紡ぐ。頑張って笑みを作っているようだけど、額から流れる汗は松明によってしっかり照らされてるわよ。
「下がりなさい、ジアン、コニー。私はラウル様と話がしたいの」
すらりと背が高く、一つ結びの青髪も相まって、女性と見間違うほどの美形男子であるジアン。少し訛った話し方だけど、ふわふわとした赤髪で、人懐っこさを感じる顔立ちのコニー。
赤と青って、今更ながら覚えやすいなあ。と、内心思う。
二人は私の言葉を聞くなり、驚愕した表情で互いに顔を合わせた。
「い、いま俺たちの名前を……お、お、覚えてくださっていたんっスか……!」
「馬鹿、コニー! そうじゃなくて! 奥様がラウル様との会話を希望されるなんて……!」
「あ、あ、明日は空から槍が降るっスか!?」
「かもしれない」
何が不思議なのだろう。
確かに一度目の人生は覚えていなかったけれど、今回は覚えておく必要があったから、最初に辺境伯領に関わる人間の名前はすべて覚えただけなのに。
コニーとジアンがあたふたとしていれば、二人の背後から少し低い声色が聞こえた。
「いい。俺も君と話したいと思っていたところだ」
その声を聞いた途端、二人はさっと道を開ける。
私に向かって歩いてきたのは……ラウル様だった。
ジアンよりも背が高く、軍人らしくがっちりとした体形。短めに切ってある黒髪は、彼の無骨さをよく体現している。
私が見上げれば、パチッと目が合う。
そっか……そういえばこの時に、結婚以来となる目が合ったのよね。
はっきりとした目鼻立ちに、あれだけ外で活動しているというのに日焼けしない肌。
髪色と同じ黒い瞳は、私の黄色の瞳と違って真面目さを感じる。
あまりにも私をまっすぐに見つめるものだから、つい目をそらしてしまった。
思えばこの人、王都でも壮絶な人気を誇る美形なのよね。
顔だけはいいんだから。本当に。
耳が少し熱くなった気がしたけれど、気を取り直してもう一度ラウル様の方を見る。
「こ、今回も無事で何よりです」
「驚いた。君からそんな言葉が聞ける日が来るとは思わなかった」
4年ぶりとなる会話だけれど、つい余計な言葉を述べてしまった。
不審な言動をして怪しまれないようにしなければ。
「そ、それで。私に言うことがあるんじゃないですか。晩餐会をキャンセルしてまで優先するべきことでもあったんですか」
「察しがいいな」
か、会話って難しい……!
前回の人生を知っているからこそ、どうにも調子が狂ってしまって、気を張れば張るほど変な方向に転がってしまう気がする。
落ち着きなさい、セレナ。今は目の前の事態に集中よ。
ラウル様の腕の中には、黒い布で包まれた塊があった。よくみると、僅かに上下している。
あえて知らないふりをしなければ。
「……なんですか、それは」
「ああ……実は……」
私に促され、ラウル様はそっと黒い布をずらしていく。
すでに事の事情は知っているのだろう、横目に映る執事長と側近らは祈るように手を組んで緊張した表情をしていた。
「貰ってきた」
ただそう一言述べて、ラウル様は腕の中のものを私に見せてくる。
そこにいたのは……生まれて数カ月程度であろう赤子だった。
そう。晩餐会をキャンセルした今日この日は、クレイトン家に養子が来る日でもあるのだ。
「……驚かないんだな。君は相変わらず腹が据わっている」
指摘されて、慌てて予定していた演技を続ける。
「な、なんですかこの子は! 貰ってきたって……一体どこから!」
ラウル様の実弟の子だ。
事情によって家から出ており、同盟国で暮らしていたという。
といっても、私もそこまでしか知らない。
前回は確か……これ見よがしに私と子供を作る気がないと言われた気がして、ムカついて言葉さえ交わさずに部屋に戻ったんだった。
次の日には乳母が来て、結局私の目に付かないようにするためか屋敷の離れで暮らしていた。
でも、今回も同じように。とはいかない。未来のためには知る必要がある。
「俺の弟……ヒューゴの子だ。今回の防衛戦は同盟国との共同だったが……そこで死んだ」
「え……」
てっきり、クレイトン家の世継ぎのために奪ってきたのかと思っていた。
想定外の理由に、少し動揺する。
そっか……そうよね。戦だもの。
ここの前領主だってそうだったじゃない。
軍人であれば毎日が死と隣り合わせ。分かっているはずなのに、心臓の音が激しくなる。
「ヒューゴの妻は気が弱かったらしく。訃報を伝えた数時間後には後追いをしたらしい」
「……子供を残してですか」
「彼女の性格を知っていたのなら、もっと早くに向かっていたさ」
どう声をかければいいか分からない。
私には、愛と命が繋がる理由が理解できない。
「元々家を勘当されて出ていった奴だ。子供も孤児院に送る手はずになっていた」
「ですが、貴方が引き取ったと?」
「……丁度いいだろう」
その言葉に、複雑な感情が混ざっていた心が一瞬で怒りに変わる。
「……丁度いいですって?」
ああ、この人が優しいのではと思った自分が間違いだった。
一瞬でも、事情に寄り添おうとするべきではなかった。
「やっぱり、私とは子供を作る気がないのですね」
「何?」
「何が丁度いいんですか。勘当されても同盟国に居座る目の上のたんこぶだった弟が死んで、丁度いいということですか。それに伴ってクレイトン家にあと腐れのない跡継ぎができたことが丁度いいんですか。それで……私を一生抱かなくていい口実ができて丁度いいんですか!」
「抱っ……」
ラウル様はいつもよりずっと大きく目を開いた。
あ、初めてみる焦った顔。頬まで赤くしちゃって。
ということは、図星で間違いなさそうね。
「そんな貴方の私情に巻き込まれるこの子の気持ちを考えたことはありますか! 子供は大人の事情を丁度良くする道具ではありませんよ!! 一体、どんな覚悟で貰い受けてきたというのですか!」
予定していなかった捲し立てだったけれど、自分の気持ちを全部伝えてしまえば少しすっきりとした気がした。
「……俺の言いたいことはそういうことじゃ……いや。今は何を言っても誤解を生むだろう」
「私に伺いを立てたいのなら、もう少しまともな口実をもってきてください」
「……精進する」
私の勝ち。
フンっと鼻を鳴らせば、すっかりラウル様は黙ってしまった。
コニーが「あのラウル様が押し負けてるっス……」と呟いた声が聞こえる。
「……君の怒りに触れないよう、この子は離れで乳母に育てさせる。年頃になったら王都の全寮制の学園もあるだろう。君への最大限の配慮をしようと思っている」
「別に、娼婦との間に出来た子供だと言われても恨みも妬みもしませんわ」
何よ、その言い方は。
……まるで前回の人生でこの子が独りぼっちで育てられたのは、私のせいだとでも言われている気分だ。
前回は知らなかったことを知ると、こうも心がかき乱されるものなのだろうか。
落ち着いて深呼吸をし、私は冷静な口調を保つ。
「それに、勝手に決めないでください。その子は……私が育てます!」
できるだけはっきりと聞こえるように言ったつもりだけれど、その場は一瞬にして静まり返ってしまった。
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