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人員も少ないことだし、最初から大層なことは命じられまい、とミレイアは予想しながら書類を読み進めていった。
すると予想通り、というか予想以下の、つまらない仕事であった。しかし命じられた以上、やらないわけにはいかないし、やるとなったら手抜きはできない。だが全力を尽くして完璧に成功させたところで、やはり大した仕事ではないのだ。
「うーん。何とかして、命じられたこと以上の成果を挙げる。というのができるかな、これ」
わざとらしく大きめの声で言って、ちらりと掃除のお姉さんを見たが、聞こえていないフリをしている。そして書類棚を拭いている。
一体、何を考えておられるのか? 直々に監視? それにしてはマヌケというか、だから一体なんでこんなこと? とミレイアが混乱を深めていると、
「おーい事務長。一人で読んで一人で納得……はしてないっぽい顔だが、とりあえず俺にも教えてくれよ」
「あ、ごめんなさい。えっとね、」
ミレイアはクラウディオに、書類の内容を説明した。
場所はここから少し離れた山間の村、リフシダ。いたって平和な、のどかな村である。
だがいつからか、奇妙な目撃談が相次いでいるという。曰く、尋常ではない大きさの動物たち、狼や熊、猿や兎などが、山をうろついているとのこと。
今のところ人的被害は出ておらず、目撃談もそう頻繁なものではない。それ故に騎士団も本腰を入れての調査などはしておらず、最初の目撃からはもう何年も経過している。
その間も、今現在も、人的被害は全くない。村に何人かいる狩人たちから、普通の動物の数が減った、というような異変が報告されたりもしていない。ただ「異常な大きさの動物の目撃談」だけが時々出る、という状態が何年も続いている。
「妙な話だな」
クラウディオが感想を述べた。
「普通とは明らかに違う大きい獣が、ある時期から突然発生して、それなりの数、且つ何種類もいるってのか? だったらそいつらだけが増え、普通の獣たちは生存競争に負け、駆逐されるはずだ。そうはならず、といって大きい獣たちの方も死滅してはおらず、普通の獣たちと共存できているだと?」
「そうね。弱肉強食の摂理からして、そんな状態で何年も何事もないというのは、明らかに不自然。その大きい動物ってのが、自然の中での突然変異であれ、どこかの魔術師の実験か何かであれ……あ」
ぽん、とミレイアは手を打った。
「そっか、何か覚えがあると思ったら。リフシダの山といえば、【失恋のエルージア】ね」
「なんだそれ」
「昔読んだ本に書いてあったの。エルージアっていう魔術師が、ある妄執的な研究を続けた末に没した地というのが、リフシダ近くの山中だと言われててね」
「そこに研究所を構えて、死ぬまで研究に励んでいたってのか?」
「そうらしいわ」
「で、それが今回の事件に関係あると?」
ミレイアは首を振った。
「ううん。エルージアの研究内容は、動物なんかとは無縁のものだから。多分、関係ないわ。ごめんね、ただ地名から思いだしただけなの」
「いやいや、とーんでもない」
セルシオーネが、窓を拭きながら言った。
「案外、そういうところから手がかりが見つかるかも、ですよ。実際、エルージアなんて名前、騎士団の中でも、王宮魔術師の研究チームの中でも、聞いたことないですし。それにしても、流石はミレイアさんですね。多くの本から得られたという豊富な知識、噂に違わず……って、女王様が言ってました。はい」
セルシオーネは窓を拭く。
ミレイアは咳払いをひとつして、話を続けた。
「エルージアの研究施設の跡でも見つかれば、何らかの収穫にはなるだろうけど。そんなの、あるかどうかもわからないし」
「ふむ。とりあえずその、謎の巨大動物の調査が俺らの初任務なんだな」
「噂話の調査、ね。そう、初任務は噂話の調査……それも山奥の動物の……か。わたしたち、あんまり期待されてないのかな」
肩を落とすミレイアに、クラウディオは明るく言った。
「そう言うなよ。たった二人しかいない新設部隊の俺らまで、凶悪犯罪対策に駆り出さなくちゃならない程に、この国の治安は危機的状態、ではないってことだろ?」
「それはそうだけど」
「逆に、案外この件が、凶悪で大がかりな犯罪に繋がっていたりしたらどうだ? それをぶっ潰すことで、俺らは初任務からいきなり大手柄だ」
ぐっ、とクラウディオは握り拳をつくって、ミレイアの目の前に突き出した。誇張でなく、ミレイアの頭蓋骨に近い大きさがある拳だ。
「そう考えりゃ、燃えもするだろ? やってやろうぜ、事務長さんよ」
大男の、大きな大きな拳を鼻先に突きつけられて。
その拳は、自分を力強く励ましてくれているもので。
ミレイアは、
「……うん。そうね、頑張りましょ」
こつん、と小さな拳を打ち合わせた。
そんな二人を、掃除のおねーさんが見つめていた。優しく微笑んで……いるのかどうかは、顔を隠しているので判らない。
リフシダまでは、徒歩で二日ほどの旅になる。予算のない今、節約せねばならぬ今、馬車などは論外! との事務長ミレイア様の指示により、遊撃小隊の総勢二名は、王都ガルバンを歩いて出発した。
初任務であり初出発である。冒険者として旅慣れているクラウディオと違い、ミレイアは当初、かなり緊張していた。が、巨大な槍を肩に担いだクラウディオの超巨体を見て、襲ってくるような山賊など、まずいない。旅は何事もなく順調に進み、ミレイアの緊張も徐々にほぐれていった。
あの日の牛の様子から考えるに、人間だけではなく獣だって、クラウディオの迫力には恐れて近づかないのかも、とミレイアは思った。もちろんそれは、ミレイアにとっては頼もしいことである。人手不足の今、事務長の自分もこうして、現場に出なければならないのだから。
緊張が解けるに従って、ミレイアの心にも余裕ができてきた。
『いつの日か、事務長らしくデスクワークだけになる日を夢見て、今はガマンね』
女王陛下より直々に賜った、事務長という身分に誇りを持っているミレイアには、出世欲とはまた別の拘りもある。だから今も、胸には燦然と「長」クラスの証明であるバッジが輝いており、蒼く折り目まっすぐで丈の短い、事務員制服のまま旅に出ている。
しかし、それはそれとして。バッジ輝くミレイアの胸には、また別の思いもあった。
『なんだか、クラウディオみたいな戦士と旅をしてると、ちょっとだけ……ね。ちょっと、大魔王と戦う英雄チームの一人、美少女魔術師になったみたいな気分もするわね。ふふっ』
「どうした事務長、ニヤニヤして」
「え? あ、なんでもないっ」
そんなやりとりをしつつ、予定通り二日で、ミレイアとクラウディオはリフシダの村に到着した。