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夜の始まりを告げる鐘―2

 女王の執務室の奥は、彼女の私室になっている。そこまで入ったことのなかった俺たちは当然、さらにその奥に小さな個室があることなんて知らなかった。

 個室へと続く唯一の扉はご丁寧にも本棚の後ろに隠されていて、そこが人目を憚る場所であることは明らかだ。ただその小部屋は、金銀財宝が山積みにされているわけでも、王家に伝わる密書が保管されているわけでもなく、狭い床一面に、意味のわからない魔法陣らしきものが一つ、描かれているだけだった。瞬間、何やらアヤシイ魔術研究をしている女王の姿を想像してしまって背筋が薄ら寒くなる。

「……これ、何です?」

 本当は聞きたくなどないのだが、部屋の入り口で立ち尽くしている俺とシルスの後ろでにこやかに笑っているだけの女王は、こちらから聞きにいかなければ動きそうにない。意を決してしかたなく尋ねると、女王はこともなげに言い放った。

「地上界への転送装置よ」

「……」

 この世界に、ワープとかそういう類のものは無かったと思ったが。そういう常識までぶち壊すのか、この女王は。




暁のカリヨン

夜の始まりを告げる鐘―2




 その後胡散臭いと騒ぐも、抵抗の間もなく魔法陣に放り込まれた俺たちは、陣から溢れる強烈な光に包まれたのち、気づけば空中から落下していた。落ちた先の地面がやわらかい土だったことが救いだ。というか下が石畳とかだったら洒落にならなかったぞコレ。

 そして話はもとの森へと戻る。


「それで、ここって地上界?」

「んー……天上にだってこんな場所ありそうだけどな」

 とは言っても、知らない場所であるのは確かだ。一通り八つ当たりも済んだので、いい加減この先のことを考えなければならない。

 ここが正しく地上界なのだと仮定して、女王はこちらに来て以降の指示をほとんど出さなかった。はっきりと言われたのはただ魔獣増加の原因究明、できればついでに解決、だけだ。ろくな情報もなく放り出すとは無責任にも程があると思うが、あいにく今はそんな文句を言える相手すらいない。

「ファルガー、か」

 代わりに、ただ一人知る名前をつぶやく。

 “あなたたちが地上に降りて、もしかすると真っ先に会うことになるかもしれない人間よ。まずはその人を探しなさい。きっと力になってくれるはず。その後のことは、あなたたちの判断に任せるわ”――唯一、女王がくれた具体的な情報だ。彼女がなぜ地上界の人間を知っているのかという疑問は湧くが、とにかく今、指標となるべきものはそれしかない。

「それって女王様が探せって言ってた人だよね? この森、確かに天上界のとは何となく空気が違うような気がする。きっとここ、本当に地上界なんだよ。だからその人のこと探そう?」

「……お前が言うなら、本当にそうなんだろうな」

 空気のにおいでも嗅ぐように、宙に向けてすんすんと鼻をひくつかせている姿はまるで犬だ。しかしシルスは空気とか気配といったものを読むことにかけては、天性の力を持っている。そのシルスが違うというのだから、違うんだろう。

 目に映る木も葉も木漏れ日も、すべて天上界で今までに見たものとまるで同じにしか見えないが、それでもどうやら俺たちは冗談抜きに地上界という場所へ来てしまったらしい。シルスにとっては多くを語る、かすかに頬を掠めてゆく風も俺には同じようにしか感じられないし、こんな森の中では実感も湧かないが、覚悟を決めるしかないようだ。ファルガー。その人物を探すしかない。

「とりあえずこの森、出るぞ」

「うん」

 つい先ほど落ちてきたあたりを振り返る。そこには天上界側にあったような魔法陣など何も無く、ただ俺たちが落ちた跡があるだけだ。ここから天上界に戻れそうな道は、見当たらなかった。そこから目を逸らして、深く続く森へと目を向ける。

「出口まではかなりありそうだな。シルス、大まかでいい、道探ってくれ」

「わかった」

 答えると、シルスの周囲で徐々に風が吹き始める。穏やかな風は俺たちを包むように舞い、シルスはその中心で目を閉じてじっと気配をうかがっていたが、そのうち何故か顔色が悪くなってきた。

「シルス?」

 怪訝に思って呼びかけると、翠色の双眸がぱちりと開く。

「ヴェ、ヴェイン、逃げよう! なんか変なの来てるよ!」

「は? 変なのってなんだ、はっきり言え。魔獣か?」

 魔獣なら倒せば済む話だ。その専門家である騎士団員が何言ってる、と続けようとしたが、既にすっかり逃げ腰のシルスに袖口を引っ張られ途中で止まってしまった。

「魔獣じゃないんだって! 殺生は必要最低限ってヴェインの方針でしょ、もう僕たち気づかれてるよ!」

 ガキじゃあるまいし、何に気づかれてるのか主語くらいはっきり言えと説教したいところだが、出口探しの代わりにうっかり索敵してしまったらしいシルスは俺を連れて逃げることしか頭に無さそうだ。こうなるとこの臆病者は場所を移さない限り俺の話を聞きそうにないので、仕方なく袖口を掴む手を剥がさせて、走り出すことにした。

 それから少し行ったところで、俺もシルスの言う“変なの”の正体を知ることになる。


「野生の野良犬……狼か? あぁもうどっちでもいい。これだから群れる獣ってのは嫌だ!」

 何としてもこちらを仕留めようとする気迫すら伝わってくる気がする。森の中を全力疾走する俺たちに負けじとついてくる犬だか狼だかの群れ、その数十数頭。つまりシルスが気づいた変なのというのは、人間のにおいを嗅ぎつけた餓えた獣どもだったらしい。狙われているからといって魔獣でもない動物を無闇に殺すこともできず(むしろ縄張りに入り込んだのは俺たちの方だ)先ほどから逃げ続けているが、やはり向こうも諦めてはくれない。

「このまま追いかけっこしてても、体力消耗するだけか……」

 むしろ逃げるのに飽きた。犬にしろ狼にしろ、群れで獲物を追い時間をかけて追い詰めていく動物だったはずだ。こんな未知の場所に来て、ただの動物相手に手こずっているわけにもいかない。

「これだけ木が密生してりゃ、枝伝って移動するくらいできるよな」

 頭上に張り出す枝を見ながら隣の木との距離を測る。低めの位置にある枝は太く、人の一人や二人なら簡単に支えられそうだ。それだけで狼を撒けるとも思えないが、休憩くらいにはなるだろう。

「シルス」

「う、ん。わかった」

 木登りとか何年ぶりだろう、というシルスの不安げな呟きを無視して手ごろな木を探す。俺だって木登りなんか何年もしてないっての。

「ほら、行くぞ!」

 言うと同時に、目星をつけておいた木の幹に力一杯足をかけた。追跡者たちに飛び掛られてはたまらないので、一番下に張り出している枝まで一気に登りつめる。足元からの獰猛な唸り声を聞きながら隣の木を見ると、シルスも無事に登ったようだった。

 怒り狂った狼(と、とりあえず仮定する。どうせ犬も狼の一種だ)が後ろ足で立ち上がり、幹に足をかけているがここまで来る心配はなさそうだ。すっかり怯えているシルスがいる枝に飛び移ると、シルスは俺の体重によって揺れた枝に悲鳴を上げた。

「ビビるほどのことじゃねぇだろ。それより出口まであとどれくらいだ?」

「怖いものは怖いよ! 出口は、えーと……」

 不平を漏らしながらも大人しくまた風に耳を澄ます。

 シルスだけに感じ取れる風の流れは、森の外と内のように、空気の変わり目をはっきりと伝えるらしい。それだけでなく、風に乗ってやってくる生き物の気配や多くの事象を、シルスは敏感に感じ取る。見知らぬ場所を歩くには、これ以上ないほど重宝する能力だ。ひょっとして女王は、このためにシルスを選んだんだろうか。

 そんなことを考えているうちに、シルスはいつの間にかこちらを向いていた。

「直線で順調に行けば、あと1,2時間てとこだと思う」

「そうか。途中に水場は?」

「少し道逸れれば」

「オーケー。じゃ、目くらましした後にそこ通ってあいつら撒くぞ。姿もにおいも消しちまえば追ってこれねぇだろ」

「目くらましは土を巻き上げればいいかな。もう少し水場に近付いてからの方がいいね」

「あぁ。タイミングは任せる」

 枝伝いに移動しながら狼どもの動きを観察し、俺たち二人が同じ木にいれば連中は一匹の漏れなく幹の周囲に群れることを確認する。

 ずいぶんと餓えているらしく、アバラがくっきりと浮き出ているようなのもいるが、俺たちだって食われるわけにもいかない。しかしこうして騒いでいるとはいえ、他の野生動物の姿を一度も見かけないのは気になった。聞こえてきた水の流れる音との距離を計りながら、そういえばこの森に来てからは鳥の声すら聞いていないことを思い出す。どうもここの生態系には、違和感を感じた。

「ヴェイン、そろそろかな?」

「土煙と言わず、直接ぶっかけてやれ。向こうが混乱している間に川を渡る」

「うん」

 足元の視界に小川をおさめながら、俺たちはいったん足を止める。追ってきていた狼たちが全て足元に集まるのを待って、シルスはそちらを睨みつけた。出口探しをしていた時とは違う、遥かに大きな力がシルスの周りに起こるのを感じる。そのまま下を見ていると、地面の土がさざ波のように動き出し、幾筋かのうねりになって立ち上がった。まるで土製の竜巻だ。それらはゆらゆらと狼たちの頭上まで移動していく。こちらを見上げていた連中も、異常に気づいたようだった。

「いくよ」

 シルスの予告に合わせて、いつでも飛び出せるよう足に力を込める。ふ、とシルスを覆っていた圧迫感のようなものが消えると、同時に巻き上げられていた土は、力を失って一斉に狼たちの上へと降りかかった。

 その後の経過を見届けることなく、二人そろって木から飛び降りる。不意の奇襲にすっかり統制を失っている狼の間を通り抜け、俺たちは派手な水しぶきをあげながら無事に小川の浅瀬を越えた。

「靴の中水浸し……」

「こうでもしなけりゃ匂いなんて消せねぇだろ。それより、風向きには気をつけといてくれよ」

「わかってるってばぁ」

 一歩踏み出すたびに水音を立てる足元にうんざりしながら、とにかく出口に向かって走り続ける。いま水虫を回避する方法があるとすればあれだ、一刻も早く森を出て、靴を乾かすことだけだ。


 出口が近付いた安心感もあって、消耗した体力を回復すべく転がっていた岩に腰を下ろした。なんで地上界に来て早々、狼どもと耐久レースしなきゃならないんだ。

 ひとまず上がっていた息が整うのを待って、重い腰を上げる。気分的にはもう少し休みたいところだが、この森に長居することでメリットがあるとは思えなかった。

「えー、もう行くの?」

 シルスのうんざりした顔。こっちがしたいところだ。

「仕方ねぇだろ。また狼に見つかるのは御免だ」

「それは確かに……」

 首だけはがっくりとうな垂れたままシルスものろのろと立ち上がり、そう遠くはないだろう出口へ向けて歩き出す。再び嫌な気配を感じたのは、それから少し経ってからだった。

「……」

「……」

「こういうの、厄日って言うんだろうな」

 正確には、女王に地上界行きを告げられた瞬間から俺の厄日ははじまっていた気もするが。責任をすべて女王に押し付けて現実逃避したくなってきたが、先ほどから繰り返し思っている通り、餌になって死ぬなんて勘弁してほしい。奴らの執念深さには恐れ入る。

「シルス、さっきのもう一回。こっからはもう出口まで走り抜けるぞ」

「うん……」

 もう帰りたい、とありありと顔に書いてあるシルスが土を巻き上げると、俺たちは再び狼たちから逃げるため全速力で走り始めた。


 ずっと薄暗かった視界の先が明るく開けてきたことに、思わず胸を撫で下ろす。ようやく出口にたどり着いたようだ。森を出たからといって狼たちの追跡が無くなるわけではない、というよりむしろこちらの逃げ場が減る可能性がある、という現実的かつ嫌すぎる考えが頭に浮かんでいたが、とりえあず蓋をすることにした。

 日ごろ鍛えているはずがかなり疲弊した足を引きずって森の切れ目から飛び出す。途端目の前に広がったのは、果てのない青々とした草原だった。少し離れたあたりには森から草原に向けて、草が払われただけのような剥き出しの街道が伸び(この森の中に道が通っているとは思えないが)その先には地平線の向こうまで遮るもののない景色が広がっている。遠く所々には民家らしき低い影が見えているので、とりあえず人間に会うことは出来そうだ。

 ……これで、狼がいなくなってくれたら完璧なんだが。そんな都合の良いことは起こらず、背後にへばりついた気配への対処法を改めて真剣に思案していたときだった。

「お前ら、そのまま走り続けろ!」

 鋭い男の声が響く。俺たちの正面から、こちらに向けて駆けてくる人影があった。

 シルスとそろって呆気に取られている中、男が腕を振りかぶる。俺たちの頭上を越えて狼の群れの中に投げ込まれた何かは、地面につくと同時に盛大な煙を巻き上げた。

「な、何だこれ……」

 強烈な悪臭が鼻をつき、思わず息を止める。鼻が曲がりそうだが、これに怖気づいたのか狼たちの気配が離れていくのを感じた。立ち込める煙幕の中、とにかくシルスの傍へ寄る。そろってその場に立ち尽くしていると、咽かえりかけているシルスと俺の腕を引っつかみ、突如現れた男は街道の先へと歩き始めた。


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