二話 夏休みにて
気が付くと、僕は公園で突っ立っていた。さっきまでは公園の外にいたはずなのに。しかもなんだか公園の荒れ具合がさっきよりも酷い気がする。
そこまで考えたところで自分の体に違和感を覚えた。妙に力が漲っているし、服を着ている感覚がない。いや、全裸というわけではなくて、何かに全身を覆われている感じだ。窮屈な感じがするけど動きに支障はない。両手を目の前まで持ち上げてみる。
僕は目を疑った。そこには赤黒い液体に塗れた黒い籠手のようなものがあった。ハッとして視線を下に落とすと、案の定全身が同じような鎧に包まれていた。ゲームとかアニメに出てきそうな見た目で、何かの鱗や甲殻みたいな物でできている。全身刺々しくて、これで撫でるだけでも肉が削げ落とせそうな鋭さをしている。視界は明瞭だけど何かに覆われている感じがするから、多分兜か何か被っているのだろう。あとは所々に鎖が巻かれているのが少し気になる。
気になると言ったらまず目を引くのが赤い液体だ。正面からバケツをぶちまけられたように僕の全身から滴っている。よくよく臭いを嗅いでみると生臭くて鉄のにおいがする。信じられないけれど多分血だ。鼻血が出た時と似たような鼻につく臭いだ。
意識し出したからだろう。そこまでわかると血の匂いが急に濃くなっって吐き気……が、こみ上げない。意外と大丈夫だ。
なんとなく右を見る。ギョッとした。態度には出てないと思うけど驚いた。
さっきのクラゲのビーストだろう。無残な姿で倒れ伏している。魔法少女に巻き付いていた白い触手は根こそぎ千切り取られ、肩から上を覆い光を反射していた白い傘部分は引き裂かれて中の顔が丸見えだ。その顔も原型がわからないほどグチャグチャになっている。ほかにも右足が逆に折れていたり、腹の中から色々飛び出しているし、腕は触手のようにグニャグニャしている。悲惨な状態だけど、驚いたことにまだ息はあるらしい。胸が微かに上下していて、耳を澄ますと掠れたような呼吸音が聞こえてくる。
誰がこんなことを? そう不思議に思ったけど、瞬時に思い当たった。僕だ。
魔法少女がこんなことをしているところを見たことがないし、全身に纏わり付いた赤いのもコイツの返り血だと考えれば納得もできる。こうなった原因は夏休みの一件のせいだと思うけど、怒りでこんな残酷なことをしたのかと思うと、自分のことが怖くなってくる。でも不思議だ。コイツのこんな無残な姿を見ていると、その怖さもどこかへ行ってしまう。
早くコイツの息の根を止めないと。
足を一歩、二歩と進めたところで、背中に風船のようなものをぶつけられた感じがした。気にせずに三歩、四歩と歩くと今度は二回。どうやら気のせいではなさそう。この調子でやられるとさすがに無視できない。仕方なく後ろを振り返る。
逃げてなかったのかという驚きと、夢じゃなかったんだという焦燥感を抱く。そして彼女の目を見た瞬間、ビーストに向けていた怒りの感情は完全に霧散した。
魔法少女、櫻井深月さんは腰が引けた状態で、震えた手で杖を構え、怯えた目で無理やり僕を睨んでいる。
「なにをしてるっぴ! あいては”でびりっと”かそれにちかいそんざいだっぴ! いまのじつりょくじゃころされるっぴ!」
「そ、そんなこと分かってるよ! でも、わたしが逃げたらあの人殺されちゃう……」
そうだよ、人だよ。ビーストは人なんだ。怒りのあまり忘れていたけど、ビーストはもともと人なんだ。ビーストになる原因はわからないけど、治せないわけじゃない。魔法少女ならそれができる。
また自分が怖くなった。僕は人を一人殺そうとしたんだ。この手で。しかも好きな人の目の前でだ。
さっきクラゲビーストに向けた殺意も鮮明に思い出せる。
彼女に正体がバレるのも時間の問題だろう。僕が正気から戻ったせいか、黒鎧が少しずつ砂のように崩れてきている。
すぐにでも逃げたいけど、クラゲビーストをこのまま人に戻しても死にそうな気がする。どうにか治せないか、使えるものが何かないか公園を見渡すが、何もない。あるのは水飲み場だけ。
……一か八かやってみるか、これしかないしクラゲは水(海)の生き物だし。
突然動き出した僕にビクッとする一人と一匹(?)。ビーストの方に向かっていると分かった瞬間、魔法を放ってきた。さっきは大丈夫だったけど、今は鎧が脆くなっているからあまり当たりたくないなと思っていると、スッと避けた。というか避けれた。なんか動画で見るより魔法が遅い気がする。櫻井さんも驚いて数を増やすけど、その全てを避けてビーストのもとへ辿り着くと、ビーストの首根っこを無造作に掴む。コイツを助けるのはやっぱり癪だから、扱いは自然と雑になってしまう。
ビーストを引きずりながら水飲み場まで向かう間も攻撃は続いている。遠距離攻撃では無理だと悟ったのか、杖に赤っぽいエネルギーをまとわせて決死の表情で殴りかかってくるけど、それも普通に避ける。
水飲み場についた時には櫻井さんは肩で息をしながら不思議そうな顔で僕を見ていた。
僕は特に変わりなし。強いて言えば鎧がそろそろやばいくらいだ。
ビーストを蛇口の近くに雑に放り投げ、蛇口を捻る。ひね……、なんか触ったらハンドルが取れた。まあいっか、と思いながら水飲み場を蹴り壊す。櫻井さんを横目で見るとハテナがたくさん飛んでいそうな顔をしていた。水が出てきたのを確認するとビーストを蹴って水を浴びさせる。少し距離をとってからじっくり見ると、さっきよりも治癒速度が三倍くらいに上がっている。取り敢えずは助かりそうだ。
「え?」
櫻井さんも驚いている様子。彼女の意識がそっちに向いているうちに、僕は音もなく逃げるようにその場を離れた。というか逃げた。
家に着く頃には鎧は完全に消え去っていた。扉を開けて、靴を脱ぎ散らかして、過去最速で自分の部屋に入る。途中、妹の声が聞こえた気がしたけど気にする余裕はなかった。
制服のまま布団にくるまりながらさっきのことを思い出していると、いつの間にか眠りに落ちていた。まどろみの中思った。あ、鞄忘れた。
夏休み、八月に入ってすぐのことだった。
夜に自分の部屋で寝る準備をしてると、ドンッと何かが窓にぶつかる音が聞こえた。妹とホラー映画を見たばかりだったからちょっと怖かったけど、好奇心には負けた。丸めた教科書をもって恐る恐るカーテンを開ける。
ほっと息をつく。何もいない。鳥か何かだったんだろう。そう思ってカーテンを戻そうとしたときに気付いた。窓の下の隅に何かいる。手のひらサイズの黒っぽい色をした毛玉のようなものが窓にへばり付いている。犬みたいな耳もある。そこまでまじまじと見て、ソイツが呼吸していることに気付いた。なにかの動物だろうか、どうやってここまで来たのかはわからないけど、もしかしたら下に降りられないのかもしれない。ずっとここに居られても気になって寝れないし、それくらいなら助けてやろうと思って窓を開けた。
開けたんだけど、ソイツはそのままこちらにコテンと倒れてきた。またまた驚いた。そいつの背中には黒い鱗で覆われたちっちゃな尻尾と一対の翼がついていた。
見た事もない生き物を見て少しパニックになっている間も、ソイツはグッタリとしたまま動かなかった。教科書でつついても反応はなし。意を決して仰向けに倒す。
「うわぁ」
思わず声が出てしまった。部屋の明かりに照らされたソイツの体には無数の傷がついていて、所々に血もついていた。よく見ると翼も破れた部分があり、尻尾も先端がない。
その声に気付いたのか、ゆっくりと目が開く。襲い掛かられては堪らんと思い、咄嗟に教科書を構える。
その目は暫くの間ボーっと天井の方を見つめた後、ゆっくりと僕の方に焦点を当ててきた
。
「ヒトノコヨ」
うわしゃべった。
「うわしゃべった」
声に出ちゃったよ。喋れると思ってなかったし。しかも、見た目にそぐわずダンディーな声。何だコイツこわいこわいこわい。妖怪か何かか?
「ワレハイカリノエモリット、レジット。モウ、ナガクハナイ」
急に自己紹介されて今の状態も説明してきた。確かに今にも死にそうな感じだ。
驚いたけど話も通じるみたいだし、このまま無視するのもなんだかなぁと思った。
ここで会話しようと思った僕は眠気とかでどうかしてたんだろう。
「えっと、大上暮人です。高二です」
とりあえずこっちも自己紹介してみたけど、これでよかったのか、レジット? の口が少し笑ったように見えた。
「スコシ、ワレノサイゴニツキアッテクレヌカ?」
今は夏休みで、明日は特に予定はない。少しくらい夜更かししても良いだろうと思って、ちょっとだけ付き合う事にした。眠たかったけど断れる雰囲気ではなかったし。
それからレジットは色々話してくれた。本当に死にかけているのか疑問に思うくらいに話した。
彼(性別はないけど男っぽいから)はレジットという名前でエモリットという種族の一人、所謂精霊みたいなもので、人が持っている感情と同じ数のエモリットがいるらしく、それぞれが別々の感情を司っているらしい。ちなみにレジットは怒りを司っている。
そんな彼らがどこで生活しているかというと、この世界とは違う空間というか次元というか、こちらからは干渉できないところにあるエモリットだけの王国で穏やかに暮らしていたそうだが、ある日突然反乱がおきた。
主犯は負の感情を司る七人の力あるエモリット、通称イヴィットたちでそのうちの一人がレジットだった。彼らは配下を引き連れ、自分たちが気持ちよく暮らせるために女王に反旗を翻した。反乱は成功し、豊かだった国はすぐさま荒廃し、世紀末のような世界に変貌を遂げた。
ある日レジットは我に返った。反乱を起こす前、常にイライラしていた自分に優しくしてくれたエモリットたちが悲しげな表情をしているのを見て、自分が取り返しのつかないことをしてしまったことに気付いたのだ。
エモリットたちは程度の差こそあれ、常に自分たちが司る感情に振り回されている。それを権能で抑えてくれていたのがエモリットの女王だったが、レジットは気が付くと原因不明な怒りに支配されており、その怒りを発散するかのように反乱を起こした。恐らく、ほかのイヴィットたちも同じだろう。
自分のしたことに気付き後悔したレジットは、ほかのイヴィットたちを元に戻そうと奮闘するが数の暴力に押され、瀕死の重傷を負い、人間界まで逃げてきたという。
ここまででもうお腹一杯って感じだけど、彼はそんなことは露知らずこう言った。
「ワレハモウスグシヌ。ダガ、コノママデハニンゲンノイカリノカンジョウマデキエテシマウ。クレトヨ、ワレノイカリヲウケトッテクレ。イカリヲケスワケニハイカン」
「えっ?」
いやいや、何言ってんのレジットさん。怒りに振り回された人が言うセリフじゃないでしょ。そんなの無くなったほうがいいに決まってるじゃん。争いも起きなくなるし。
そうやって拒否する間もなく彼は、
「タノンダ。フリマワサレルコトモアルトオモウガ、ツカイカタヲマチガエナケレバクレトノチカラニナルダロウ……」
と言って力尽きた。
「え、ちょっと待って」
彼の体が輝きはじめ、少しづつ光の粒子に変化して僕の方に向かってくる。教科書を広げて防ごうとするけど、光の粒子は何もないかのように教科書を通り抜けてきて僕の体の中に入ってきた。痛くも痒くもない。いやちょっとくすぐったいかも。
急に眠気が襲ってきた。ワケの分からない話をされて、変なものを押し付けられて、もう何も考えたくなかった僕はその睡魔に身を委ねた。
”ジリリリリリリリリリリリリ”
目覚まし時計のアツいモーニングコールで目が覚める。
でも、昨日寝るのが遅くなったせいでまだ眠たいし、夏休みだしと思って二度寝に入ろうとする。
が、それを邪魔する目覚まし時計。一向に止む気配はない。仕方なしに右手を伸ばし、時計の息の根を止めにかかる。
”ガシャン!”
音が止まった。奇妙な手応えを感じつつも安心して二度寝に入る。
zzz
「お兄ちゃーん! いつまで寝てるのー? ご飯冷めちゃうよー?」
妹の声がドア越しに聞こえる。
あともうちょっとだけ寝かせて。
「入るよー」
妹の声とともにドアの開く音。
「もうっ、夏休みだからっていつまでも寝てたらダメなんだからね。って、どうしたのそれ!? 時計壊れてるじゃん!」
あーもう、うるさい。寝かせてくれよ。イライラする。
タオルケットにくるまったまま、枕をつかんで妹に向かって思いっきり投げる。
”ドオオン”
すっごい音がして思わず目を開ける。
へ? 自分の目を疑った。瞼をこすり、上体を起こしてもう一度よく見る。
投げた枕は、部屋の半ばまで来ていた妹の横をすり抜けてドア横の壁にあたったのだろうが、その壁がおかしい。穴が開いて壁の中が丸見えになっている。その下にはさっきまで僕の頭の下にあった枕がボロボロになって横たわっている。眠気なんて吹っ飛んでしまった。
訳がわからない。恐らくそれは妹も同じだろう。人よりも目付きが悪いのを気にしている僕の自慢の可愛い妹は、数秒間僕と同じように壁の方を向いていた。妹はゆっくりとこっちを振り返り、今まで見たことがないような間抜けな顔で僕を見る。多分僕も同じような間抜け面で妹を見る。たっぷり5秒程見つめ合ってから、
「「え?」」
僕たちは最高に困惑していた。
あの後、何事かと母さんがすっとんで来て僕らと同じような顔をしたら、
「とりあえず朝ご飯を食べなさい」
と言って尻を叩かれた。
結局、たまたまあの部分が脆くなっていたんだろうという結果になったんだけど、明らかにそんな感じではなかった。でも、それ以外にどんな原因があるのかと言われると言葉に詰まるから、それを受け入れることしかできなかった。
それからその日はずっと調子がおかしかった。例えば、アイスを買いに行こうと思って出た外の暑さに怒ってアスファルトに罅を入れたり、飲み物を買おうと寄った自販機の下に小銭を落とし、取ろうとして気付いたら自販機を持ち上げていた。
おかしすぎる。小さなことでキレすぎだし、キレた時に物を壊したり持ち上げたり、怪力になりすぎる。
インターネットで調べても案の定成果はなし。思いつくことといえば昨夜のこと。瀕死の妖精みたいなやつが僕の体の中に入ってきて、しかもソイツは怒りの感情を司っているらしい。どうやらあれは夢じゃなかったみたいだ。おかげでこの有様だ。
怒りっぽくて、力が増す。どっかのヒーローみたいだ。体がでかくなったり、緑色になったりしないのはよかったけど、ゲーム機も破壊してしまったし。はあ……、どうしよ。
毎年お盆になると田舎の祖父母のところへ遊びに行くんだけど、無理を言って今年は僕だけ早めに行って夏休みが終わるまで祖父母のところにいることにした。田舎なら壊すものもそんなにないだろうと思ったからだ。自然に囲まれているとリラックスできると思うし。それに、この怒りが人に向くかもしれない。壁に当たったから無事だったものの、実際に妹に向かって枕を投げたわけだし、あれが顔とかに当たっていたらと思うとゾッとする。
というわけで夏休みはずっと田舎で特訓した。おかげで多少なら感情を抑えることができるようになった。
けど、宿題のことを忘れていた。完全に。それに気付いたのは家に帰ってからの夏休み最終日だ。
俺は怒りに支配された。
ほとんど触っていない大量の宿題は、気付いたら全部終わっていた。時計を見ると夜の十二時。だいたい五時間くらい意識を飛ばしていたことになる。目を疑ったけど、疲れがドッと押し寄せてきたので何も考えず寝ることにした。