突然の来訪
メイ視点です。
エミリーとメイが公爵家を訪れてから、数日が経った。
屋敷の使用人たちが、ルイスも含めて皆エミリーと主人であるユアンの婚姻を望んでくれているということは、彼らの対応から侍女として付き添うメイも感じ取っていた。
日々丁寧にフルコースで美味しい料理を出す料理長へエミリーが食事のお礼を言いに行けば、「奥様の好みに合わせ毎日の料理をご用意する準備は既に出来ております」と頭を下げられ。美しい花々で飾られた庭園についてエミリーが庭師に尋ねれば、「今後は奥様のお好きな花を多くお育てします」と様々な花を見せられ。廊下ですれ違ったメイドにエミリーが笑顔で挨拶をすれば、「奥様の身の回りのお世話を早くしとうございます」と笑顔で返され。
まだ奥様と呼ばれる立場ではないエミリーに対し、皆揃ってそう呼ぶものだから、エミリーは戸惑っているようだった。
――エミリーは今も尚、ユアンに顔合わせの合否を聞いていない。
「…やっぱり私じゃお役に立てないから駄目かしら?」
「そんなことは…。エミリー様はその辺のご令嬢よりも、いえ、ご令息よりも優秀でいらっしゃいます」
「勉強しかしてこなかったから、社交面の不足をご心配なさっているのかもしれないわ。顔合わせをしてから数日経っているし、流石に私の顔が耐えられないほどお嫌いということはないと思うのだけれど…」
「エミリー様はマナーの先生からもお褒め頂く程優秀でいらっしゃいましたわ。それに大変お美しいお顔をなさっておりますから、そちらも問題ないかと存じます」
メイの言葉に、エミリーはふふっと小さく笑った。昔から、メイはエミリーに随分と甘い。メイ自身にもその自覚はある。エミリーはメイに評価されることをありがたいと思いながらも、かといってそれが世間一般の意見だとは考えていない。そのことを、メイは理解している。
――実際にはメイはそう世間から離れている考え方をしているわけではない。
勉学ばかりしてきたために地味な令嬢と認識されているとはいえ、エミリーは元より整った顔立ちをしているから、きっと化粧をして着飾ればすぐに社交界の華となるだろう。女でありながら次期伯爵を継いでも良いくらい才覚があるし、興奮すると話し過ぎてしまう癖を除けば社交性も問題ない。性格も明るく前向きで、花のような笑顔はきっと誰からも好かれるものだ。
けれど、エミリーはあまり社交界に縁がなかった故に一般向けする身の飾り方には興味がないし、自分がどう思われるのかを判断するための材料もない。そのため、自己評価が本来のそれよりも低くなってしまっているのだ。それに、自分への好意や悪意に驚く程鈍い。
「エミリー様はどうなさりたいのでしょう?」
「どう、とはどういう意味かしら?」
「言い方を変えますね。公爵様と結婚したいと思っているんですか?」
メイの問いに、エミリーは少し首を傾げた。メイ自身も、可笑しなことを聞いていると分かっている。伯爵家の娘であるエミリーには、今回の公爵との縁談に際して意向を主張する権利はない。
それを言えば今まで顔合わせをしてきた侯爵家の令嬢たちもその権利はなかった筈だが、それは単に顔合わせ途中で逃げ帰る令嬢をユアンが広い心で許したか、ユアンが縁談をとりやめたかのどちらかであっただけの話だ。本来なら、爵位が下の令嬢から婚約したいだのやめたいだのを言うことは許されることではない。
――けれども、メイはそれを重々承知した上で、エミリーの不幸になるのであれば反対しようと考えていた。
孤児で教養もなかったメイを侍女として雇い、衣食住だけでなく十分な教育を受けさせてくれたエミリーのためであれば、メイは自分の首さえも捧げる覚悟である。勿論、貴族の婚姻が侍女ひとりの首をかけてどうにかなるものではないことは分かっているのだが。
「私は公爵様のように素晴らしい方と結婚できるのであれば幸せだと思うわ。私の悪癖を咎めないお優しい方だし、博識で人としても尊敬に値する方だもの。一緒に同じ部屋で食事をするだけで心が甘くときめいて、とっても嬉しい気持ちになるわ。公爵様となら、きっと幸せな家庭を築けるって、そう思うのよ」
「エミリー様……ふふっ、私の心配など無用でしたね」
メイはエミリーが公爵を語るその表情を見て、漸く安堵の息を吐いた。頬を赤く染めながら話すエミリーは、メイからして見ればまるで恋する女の子で。エミリーには自覚はないが、実際にそうなのだろう。
これまで異性とあまり関わらず、色恋沙汰とは無縁に生きることとなってしまったエミリーがこうして好意を持つ男性と婚約者候補として会えたことは、貴族社会で生きる令嬢として大変幸福なことだ。
「私のことを心配してくれて嬉しいわ、メイ。…けれど、いくら私がそう思っていても、公爵様に選んで頂けなければ仕方ないものね」
エミリーは小さく溜め息を吐いた。メイが激励のために声を掛けようとしたそのとき、扉をノックする音が響く。まだ夕食には随分と早い時間のため首を傾げながら、メイは扉を開けた。
そこには、ユアンとその従者であるルイスが立っていた。相変わらず二人きりのとき以外は顔を見せようとしないユアンは、外套のフードを深々と被ったままである。エミリーが散々と美しいと話したユアンの顔を、メイは未だ一度も見たことはなかった。
「ご機嫌麗しゅう、公爵様、ルイス様。お二人揃ってこちらにいらっしゃるなんて、如何なさいましたの?」
「突然の来訪をお許しください。エミリー様、メイ様」
ルイスは深々と礼をした。この屋敷の人間は、ただの使用人であるメイに対しても客人と同じように丁寧な対応をしてくれる。
「ユアン様より、エミリー様に大事なお話がありお邪魔したのです」
「公爵様から私に、大事なお話……ですか?」
エミリーとメイはごくりと息をのんだ。敢えて食事中ではなくこうして訪れての大事な話というのは、二人の中でただひとつしか思い当たらない。
――顔合わせの結果。
メイがエミリーからの話を聞く限りでは、ユアンがエミリーのことを嫌いではないだろうことは想像がついた。けれども、それはエミリー視点のものである。
実際に話しているところはあまり見かけないし、食事以外での交流はない。いくら屋敷の使用人から好かれていようと、ユアンが認めないのであれば意味はない。正直なところ、メイにはユアンのこれから話すだろう結果がどちらに転ぶかは分からない。けれど、エミリーが望むように、できれば婚約と相成って欲しい。
祈るような気持ちで、メイはユアンの唯一見える口元を見つめた。
「…っ、君は、俺の名を知らないのか」
「え?」
(――…は?)
メイは顔に出さないながら、意味が分からず思わず心の中で悪態を吐いた。エミリーも覚悟していた中での唐突な問いに驚いたようで、丸い目を更に見開いている。
これはどういうことかとルイスを見遣ると、ルイスは首を横に振りながら手を頭に添えていた。
(……ルイス様も想像していなかった言葉のようね)
再度ユアンの方へと視線を送ると、ユアンは小さく舌打ちをした。どうやら、一向に返事をしないエミリーに痺れを切らしたらしい。
「…おい。君は俺の名を知らないのかと、そう聞いたんだ」
「勿論存じ上げておりますわ、ユアン・メルヴェルナ公爵様…」
「別にフルネームで言えとは言っていない」
「…ええと、ユアン公爵様……」
「堅苦しい肩書も結構」
「………ユアン、様……?」
「…ふん。それでいい」
(……これって、もしかして……ただ、名前を呼ばれたかっただけ?)
戸惑うエミリーを余所に、一連のやりとりを客観的に見ていたメイは驚きを通り越して呆れ果てた。別に数時間もすれば二人きりでの夕食があるのだから、そのときでも済む話だ。それを大事な話があるからと部屋にまで訪れて。
わざわざルイスとメイ――第三者に聞かせなくてはいけない話ではない。きっと、一緒に来たルイスの思惑はそうではなかっただろう。証人となる第三者のいる場でする大事な話といえば、やはり顔合わせの結果かそれに準ずる内容であるはずだ。
思ったより面倒そうなユアンに、メイは心底ルイスとエミリーに同情したのだった。