無言の朝食
使用人に声を掛けられ、エミリーとメイは昨夜にも訪れた食事用の部屋へと案内された。丁度扉の前で、ユアンとルイスにばったりと出会う。
変わらず黒い外套を身に纏い深々とフードを被ったユアンよりも先に、ルイスがエミリーたちに気付いて深々と礼をした。
「おはようございます、エミリー様、メイ様。よくお休みになられましたか?」
「公爵様、ルイス様、おはようございます!お恥ずかしい話なのですが、私昨日は興奮のあまり眠れなかったのですわ」
「興奮…ですか。エミリー様のお気を立たせてしまうようなことになってしまい申し訳ありません。我が主はどうにも女性への扱いに慣れておらず…どうかお許しください」
「おい、ルイス。主人に対してその言い方は無礼が過ぎる」
エミリーの興奮で眠れなかったという言葉を、きっとユアンの対応で気を悪くさせたのだろうと理解したルイスは、再び深々と頭を下げた。ユアンの言う通り、あろうことか主人の前でこのような発言をするルイスは失礼極まりないし下手すれば解雇ものなのだが、そうならないということは、ユアンとルイスは元々お互いに信頼のある気の置けない仲ということだ。
エミリーは二人の仲の良さを微笑ましく思いながら、ふるふると頭を横に振った。
「公爵様には、これ以上ない程良くして頂いておりますわ。本当にお恥ずかしいのです。まさか昨日が幸せすぎたが故に眠れなくなるなど、まるで子どものようですもの」
「…はい?幸せすぎた?」
「ええ!慣れぬ地に来た私を気遣って本を与えて下さって、豪華な食事をご用意して頂いて、私の長ったらしく退屈な話を聞いたのに博識だと褒めて下さって、……それ程お優しいのに、容姿端麗でもいらっしゃる公爵様とこうして妻候補としてお会いできたのですもの。これ程幸福なことがあるのかと、心臓が煩くするものですからあまり眠れなかったのですわ。昨日公爵様が仰ったようにお役に立てない私が烏滸がましいとは思いますけれど、妻として選んでくださるよう精一杯務めさせて頂きますわ」
信じられない言葉の数々に、ルイスは反射的に閉口した。ルイスの隣に立つユアンも、居たたまれないのか目を逸らして床を凝視している。
ルイスは昨夜ユアンとエミリーがたまたま屋敷内で出くわしたことを、今朝ユアンから聞いていた。その際、あれ程念入りに隠していた顔を見られてしまったことも。
「彼女も怖いと言っていたが、悪意はないようだった」と話すユアンに対して、ルイスは根掘り葉掘り聞こうとしたのだが、それ以上はユアンは頑として語らなかったものだから、諦めたわけだったが。
「ああ、誤解しないでくださいませ!私は顔の美醜でその方の価値を決めようとしているのではなく、ただ純粋に公爵様が綺麗だと言いたかっただけで……いえ、それも何だか……ええと、何と言ったらよいのか……申し訳ありません、上手く感情をお伝えできる言葉が見当たらず…」
口ごもるエミリーに、今度は彼女の侍女であるメイが驚きに目を見開いた。
好きなものを語ることに関して、エミリーが言葉を止めるのはただ話過ぎたと気付いたときだけだ。言葉が出てこなかったり、こうして口ごもったりすることはほとんどなかったのである。
◇ ◇
「……あまりそう見るな、食べにくい」
「あっ!…私ったら、つい見惚れてしまって……お気分を害されたことでしょう。お詫び申し上げます」
「…別に、害されたわけではないが」
昨夜の逢瀬を経て、ユアンとエミリーの間の雰囲気は大きく変わった。初見のときのユアンの不機嫌さは殆ど見受けられないし、晩餐のときのような疑ったような視線もない。
何より、鼻近くまで覆っていた黒い外套のフード部分が、二人きりで席に座ったときからユアンの首元に留まっている。そのおかげで、エミリーは食事中手を休めることはなくも、ひたすらユアンをうっとりと見つめてしまっているのだが。
見るなと言い放ったユアンの表情は特に怒った風ではなく、どちらかと言えば単に照れているだけな様子であったため、エミリーはほっと息を吐いた。
――私の失礼な行動に対して、なんて心の広いお方なのでしょう。
エミリーは心の中でそう呟いて、目の前の料理へと手を付けた。テーブルマナーは最低限習ったが、伯爵家を支えていく勉強を中心にしており、あまり貴族同士の茶会や晩餐会、夜会等には参加してこなかった。それ故に、エミリーはあまり自身の食事の所作に自信がない。
「あの、公爵様」
「…なんだ」
「私、あまりテーブルマナーというものに自信がございませんの。もし失礼なことがございましたら、是非ご教授下さいませね」
ユアンはエミリーの言葉を聞くと、食事の手を止めた。そして手元の料理へと向けていた視線を上げ、エミリーの姿をその藍色の瞳に映す。
そして、ひととき見つめた後、ふ、と笑った。
「君は押しが強いんだか謙虚なんだか分からないな」
「…っ!」
整った眉がハの字に下がり、深い藍が柔らかく細まる。緩やかに上がる口角が、あたたかな空気を押し出した。言葉を失くす程の綺麗な笑顔に、エミリーは思わず左胸を押さえる。
心臓が破裂しそうな位に暴れ、まるで自身の中にありながら他者のものであるかのような恐ろしく苦しい感覚。切なくて、甘くて、嬉しくて、恥ずかしくて、――この複雑な思いを、どうやって表現したらよいのか分からない。蒸発してしまいそうな程の熱が顔を覆う。
「…どうした?顔が赤いが」
「あ、いえ、ただ……。ただ、公爵様の笑ったお顔があまりに……あまりに綺麗で……」
呆然と、そう言い放ったエミリーに、ユアンは言葉を発することなく顔を赤く染めた。二人の間に沈黙が流れる。
かちゃかちゃと静かにシルバーと皿がぶつかる音だけが響く空間で、二人は黙々と食事を口へと運んだ。