嵐の前触れ
メイ視点です。
「昨日からずっとご機嫌ですね、エミリー様」
メイの言葉に、満面の笑みを浮かべたエミリーは勢いよく頷いた。
言葉にしなくても伝わるその雰囲気から、昨日のユアンとのデートがとても良いものだっただろうことがメイにも伝わっている。
エミリーの朝支度をしていたメイは、自分のことのように嬉しそうにエミリーの髪を梳いた。
「本当は昨日お話を伺いたかったのですが、エミリー様もお疲れだろうと思いまして」
「ふふ、気を遣ってくれてありがとう。確かに、昨日ははしゃぎすぎてしまったかもしれないわ」
そう言って笑うエミリーの顔に、疲労の色はない。
メイはふわふわの髪に香油をつけてから、手持ちの鏡で後ろ姿をエミリーに示した。
「ありがとう、メイ」
基本的に自分のことは自分で行うエミリーであるが、髪の手入れだけはその限りではない。
出来ないこともないのだが、己の美醜に最低限以上のこだわりを持たないエミリーは髪を疎かにしがちだ。
エミリー自身は、ユアンのようなさらさらでまっすぐな髪への憧れが強いようであるが、メイはエミリーのふんわりとして柔らかく、蜂蜜を溶かしたような髪が大層お気に入りだ。
だからこそ、エミリーが不要と言うのを押しのけて、甲斐甲斐しく手入れをしている。
そんなメイを見たエミリーは「変わっているわね」と笑うのだが、そもそも自分の手伝いをさせようとしない貴族令嬢の方が「変わっている」ことは言わずもがな、だ。
「あのね、メイ。この前相談していたハンカチ、昨日無事にお渡しできたのよ。ユアン様、綺麗だと言って下さったの。刺繍したものをお渡しするのも、それを喜んでもらえるのも、初めてだわ。デートだって初めてだし、勿論贈り物を頂くのだって。こんなに幸せで、罰が当たらないかしら?」
「エミリー様はこれまで多くのことを強いられてきたのです。人より多少幸せを得ようが、罰なんて当たる筈がありません」
「もう、メイったら。強いられてきただなんて」
エミリーが、とても可笑しなことを聞いたように笑う。
メイがこの手の話をするとき、エミリーはいつもこんな反応だった。
メイの意図は、思いは、エミリーにも分かっている筈だ。けれども、エミリーの人柄故かそれを肯定されたことはない。
メイは一瞬言葉に詰まってから、握り拳を作ってエミリーに向き直る。
「……我慢しなくてはならない生活を強いられてきたではありませんか!豪華な食事も、美しい宝石も、流行りのドレスや香水も、同世代の方との交流も、周りの人間も、何もかも奪われて!エミリー様に残ったのは、…」
「メイ」
エミリーの普段と変わらない優しい声が、メイの昂った感情を宥める。
メイはゆっくりと深呼吸をしてから、すみません、と小さく声を漏らした。
「前から言っているけれど、我慢なんてしていないのよ。食事は十分食べてきたし、宝石やドレスや香水はそれほど大切なものではないわ。友達や従者がいなくても、貴女がいたもの。私は何一つ奪われていないし、大切なものはきちんと手元に残っているのよ。例えば貴女とか、ね。それにこれからはユアン様達だって」
「エミリー様…」
「それに、家で残り物を食べてきたから、ここでの食事は毎日ご馳走で感動するわ。ユアン様は華美な格好や香りの強いものはお好きではないから、そういうものに慣れていなくて寧ろ良かったの。パーティーの時間を勉強に使っていたから、博識なユアン様とも楽しく話ができるのよ。今までのことは全て、今の幸せに繋がってる。そうでしょう?」
エミリーは柔らかく微笑む。まるで太陽みたいに。
メイだって分かっている。
この底抜けに前向きで明るい主人には、家族を、妹を恨もうなどという気は毛頭ないことは。
けれども、普通の少女が多感期に得られるはずの楽しみを奪われ続けたというメイの想いが消えることはない。
エミリーが寛容であればあるだけ、メイは辛い気持ちになる。それはまさに、エミリーが我慢せざるを得ない状況に居続けた証だと思っているから。
「エミリー様。私は、ずっとエミリー様と共にありますから」
「…ふふ。ありがとう、メイ。でも貴女もいつか結婚するのよ。きっと良い人を見つけましょうね」
二人が笑い合っていたところに、いつもより少し強いノックの音が響いた。
常と違う様子に急いで扉を開けたメイの目の前に、焦った表情をした使用人が立っている。
――確か、庭師だったか。
どうしたかと問えば、使用人は少し上擦った声で。
「ルイスさんが、急いでお二人をお呼びするようにと!大変なんです、とにかく来てください!」
随分と切羽詰まった様子の庭師に、エミリーとメイは互いの顔を見合わせ。
ゆっくりと頷いてから、二人は庭師に案内されるまま部屋を後にした。




