突然の求婚
「その…先程はすまなかった」
夕食のために食事用の部屋へと向かったエミリーとメイは、扉の前でばったりとユアンとルイスに出会った。
出会い頭すぐ、ユアンは先のように述べてから申し訳なさそうに頭を下げた。
どのような手段でユアンの気を引こうかと身構えていたエミリーは、驚きに目を見開く。驚いたのは隣のメイも同じであったようだった。
無言のエミリーが気にかかったのか頭を上げたユアンを見て、返事をしていないことに気付いたエミリーは、はっとして慌てて頭を軽く下げた。
「い、いえ!私も突然訪ねましたから…ご都合なども気に掛けず、申し訳ありません」
「いや…。今度改めて、こちらから茶会へ誘わせてくれ」
「――ええ!楽しみにしていますわ!」
エミリーは満面の笑みを浮かべてから、ユアンの両手を取った。
突然の行動にたじろぐユアンだったが、エミリーの手を振り払う素振りは全くもって見せない。
微笑ましいと思っているだろうルイスとメイの視線を感じながら、エミリーはゆっくりとユアンの手を開放した。
「…それから、これを…」
自由になった手で、ユアンは外套の中の懐から一枚の紙を取り出した。
かっちりとした材質で作られた紙には、ぱっと見でしか見えないが王家の印が押されており公的な文書であることが分かる。
エミリーに向けて差し出された紙を受け取り、内容を確認し――エミリーは思わずその紙を落としてしまった。
すかさず隣にいたメイがその紙を拾い上げる。目に入ってきた内容に、メイは勢いよく顔を上げた。
「…エミリー様、これ…!」
「こ、婚姻届…?ユアン様、これは……」
――紙に記されていたのは、ユアンの名が既に記され、公爵家の印も押された婚姻届だった。
一般的に、婚姻届を出すのは婚約関係をある程度の期間設けてからだ。
未だに婚約前の顔合わせ段階である筈のエミリーに渡されるには随分と早いものである。
理解しきれないエミリーがユアンをじっと見つめていると、ユアンが外套のフードを外した。二人きりのとき以外でフードを外したのは、これが初めてのことだった。
「――…っ」
ただ一人、ユアンの素顔を見たことのなかったメイがびくりと身体を震わせた。
元よりエミリーからユアンの外見の特徴を聞き知っていたとはいえ、エミリーと違って世間一般のことにある程度詳しいメイにとって、生まれてから刷り込まれた恐怖を取り払うことは容易ではない。
微かにではあるが滲んだ恐怖の色に、ユアンは特に気にするでもなくエミリーへと目線を向ける。
「…今すぐに返答は決めなくても構わない。たとえ君が断ることになろうとも、伯爵家には何一つ憂いが残らないように善処する。君の自由意思で決めてもらいたいんだ」
ユアンはそれだけ言って、部屋へと入っていってしまう。
エミリーは慌ててメイに婚姻届を丁寧に保管するようにお願いをすると、ユアンの後を追って室内へと続いた。
◇ ◇
食前の飲み物を口に含んでから、エミリーは同じく飲み物を口にするユアンの顔を見つめた。
最初は無表情でいたユアンの顔色が少しずつ赤く染まっていく。
アルコールが入っていたかしら?ともう一口飲んでみたが、やはりただのジュースであることが確認できただけだ。
もしかしたら先程まで外套のフードを深々と被っていたから、暑かったのかもしれないと思い直す。
それにしても、だ。
エミリーは先程扉の前で起こった出来事を思い返した。
婚姻届を渡されたこと。そして、あれ程顔を見せるのを嫌がっていたのにフードをメイの前でも外してみせたこと。
「…驚きましたわ、ユアン様」
「どちらのことだ?」
「勿論どちらもですわ」
ユアンはふ、と口元を緩めて笑った。
最初であった頃よりも、ユアンの表情は柔らかくなった。ユアンのそんな顔を見る度に、エミリーの胸は甘く締め付けられる。
ただでさえ綺麗な顔であるというのに、表情まで綺麗だと、まじまじと見つめては切なくもどかしい気持ちになってしまう。
「…君の侍女を、怖がらせてしまったな」
「初めて拝見したので驚いただけですわ。もし不快なお気持ちにさせてしまったのでしたら、主人として謝罪致します」
「いや。彼女の反応は寧ろ良い方だ。普通はもっと――…特に貴族は嫌っているからな。この髪も瞳も」
自嘲めいた笑みに、エミリーは悲しくなった。
これ程綺麗なものを持っていながら、何故ユアンはそれ程に傷付いてきたのだろう。傷付けられなくてはならなかったのだろう。
この前の母親の話も――…。
「君が当然のように綺麗だと言ってくるものだから、少し麻痺してきてしまった。君は元々暗い色の髪や瞳が怖いと思っていなかったのか?」
「元々、ですか?私はユアン様のようなお色の髪や瞳は初めて見ましたもの」
「…?まあ、ほとんどいないからな」
「どうして見てもいないのに怖いと思えるんですの?」
心底不思議に思ってエミリーが首を傾げると、ユアンはぽかんという表情をしてから、盛大に吹き出した。
「は、はは…っ!ああ、本当にそうだな…!」
「そんなに笑うことでした…?見もしないものを全て怖がっていたら、きっと日々が恐ろしくて生きていけませんわ」
ユアンはまだ笑いをこらえられない様子で深々と頷いた。どうやらエミリーの言い分には納得したらしい。
先程からずっと綺麗な笑顔ばかり見続けているエミリーは、火照る頬をなんとかしようと再びジュースを喉に流し込んだ。
「君がそうだから…、」
「え?」
「――お話し中失礼致します。前菜をお持ちしました」
ユアンが何かを言いかけたのが聞こえて、再度聞こうとしたところで最初の食事を運ぶために使用人が入室した。
結局その後は食事や蓄えてきた本の知識についての話が盛り上がり、結局何を言いかけたのかを聞くことは出来なかったが、エミリーにとっては昨日振りの楽しい食事の時間を過ごすことができたのであった。




