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公爵の異変

前半エミリー視点、後半ユアン視点です。





日中の茶会では泣き顔を晒すという失態を犯したエミリーだったが、エミリーはこのようなことでめげる性格ではなかった。それよりも、あんなに楽観的に考えていたことを吐露して尚寛大に許してくれたユアンに対する尊敬の念ばかりが募る。不謹慎だと分かってはいるのだが、やはりあの傷も含め、ユアンの全てが美しいというエミリーの考えに変わりはない。

過去つらい思いをしていながらこのようにエミリーに、他人に優しく出来るようなユアン。そんなユアンの妻に選ばれるように。少しでも楽しいと思ってもらえるように。

エミリーは茶会後すぐ目を冷やし、ユアンが好む作家の本を読み始めた。楽しい会話の糸口になるのではないかと思ったから。

そうして取り入れた知識を早速、夕食の場で惜しげもなく披露しているのだが。


「――という過去作の内容から見ても、この一文はこのような考察が出来るのではないかと思うのですけれど、ユアン様はどうお思いになられます?」

「ああ、そうだな…」

「…ユアン様?」


肝心のユアンが、ずっとぼーっとしているのである。何を話しても「ああ」「そうだな」と気のない返事ばかり。

エミリーの話の仕方が悪いのかと思い表現を変えて話してみても反応はまったく変わらず、それではとまったく違う意味の言葉を話しても同様の返事しか返ってこない。出会った当初も返事が少なかった時期があったが、それでも内容は聞いた上で言葉数の少ない返事をしていた筈だ。

それが今は、本当に何の考えもなく言葉だけを口から溢しているだけで。


「…ユアン様、間違いなく私のお話は聞いておりますよね?」

「ああ…」

「それとも全く聞いておりませんの?」

「そうだな…」


(――駄目ですわね、これは…)


結局実のある話をすることは諦め、エミリーは目の前に並べられた料理を口に運んだ。こんなことは初めてなので、どうすれば良いのか分からない。いくら興味を引こうとしたって、肝心の相手が心ここにあらずでは意味がない。

今日の会話は諦めて、エミリーはまた明日のご飯のときに話をしようと心に決めた。





「ご機嫌麗しゅう、ユアン様。良い天気ですわね。気温も丁度良いですし、茶会等はいかがですか?」

「そうだな」

「茶葉はどのようなものがお好きですか?」

「ああ」

「………」


――結局、翌日のユアンの様子も変わらず心ここにあらずであった。朝食でも、昼食でも、そしてメイを引き連れてユアンの部屋を訪れた今も。

ユアンの隣に立っているルイスも不思議そうな顔をしているし、食事の前後位でしか会わないメイでさえも様子が可笑しいことは感じ取っているようだった。けれども、理由が分からないのだからどうしようもない。

思い当たるとすれば昨日の茶会でエミリーが大泣きするという醜態を晒したことくらいであるが、ユアンはそのとき怒っている様子はなく困りながらも笑っていた筈だ。

それとも、後から考えたら腹が立ったのだろうか。しかし、あの優しいユアンが?という思いと、それならばこうして呆けるのではなくエミリーを突き放せばよいのではないか?という考えが浮かんで、その案は即座に脳内会議で否定された。


「ええと、あの、エミリー様。茶葉は私の方で用意いたします。また後程お迎えに――…」

「いいえ、結構ですわ」


一向に色のある反応を見せない主人、ユアンの代わりに失礼のないよう対応しようと声を掛けてくれたルイスを制して、エミリーはにこりと微笑む。淑女らしい笑顔にルイスは肩をびくりと震わせたが、エミリーは特にそれに気付くことはなく。

心配そうに成り行きを見守るメイにも笑顔を向けてから、再びユアンとルイスへと向き直る。


「お誘いしたのに申し訳ありませんが、茶会はまた今度に致しましょう。ユアン様の気が向いたらお願い致しますわね。――ではユアン様、ルイス様、また夕食の際に」

「ああ…」

「も、申し訳ありません…」


未だ呆けた様子のユアンと心底申し訳なさそうにお辞儀をするルイスを背に、エミリーはユアンの私室を後にした。







 ◇ ◇







エミリーとメイが立ち去った室内で、エミリーがいないことにより幾分か呆けた頭がマシになったユアンをルイスがじっとりと責めるように視線を送った。その意図を察したユアンが、その視線から逃れるように机中央に積み上げられた書類へと目を向ける。

ぱらぱらと紙が捲られる音だけが静かな部屋に響いて、けれどもルイスからの痛い程の圧に全く内容が頭に入ってこないユアンは、仕方なしに口を開いた。


「……何か言いたいことが?」

「分かりませんか?」

「……チッ…」


不機嫌そうにした舌打ちは形だけで、ただの虚栄だ。ユアンも本当は勿論分かっている。ルイスが何を言いたいのか。責めたいのか。

ユアンも、昨日から――正しく言えば昨日の茶会の後から、自分が可笑しい自覚はあった。それが、エミリーが起因であることも。


「何があったんですか?可笑しいとは思っていましたが、まさかエミリー様と話が出来ないほどだとは思いませんでしたよ」


呆れたようなルイスの声色に、ユアンは歪む眉根を指で揉んだ。目の前の書類をひとまず端へと移動する。今朝から、仕事の進みが遅い。もっと言うと殆ど進んでいない。珈琲を一口喉に流し込むと、苦みが口内に広がって殊更に気分が重くなる。

沈む気持ちを落とすように息を吐いて、ユアンは緩々と口を開いた。


「…昨日の茶会では、この傷の……母親の話をした」


ユアンは骨ばった指で顔に痛々しく、そして禍々しく残る傷をなぞった。ざらりという感触が肌越しに伝わって、いつまでたっても気に食わないそれを搔き取ってやりたい衝動を抑える。


「ユアン様が他の方にそのお話をされるなんて、珍しいですね」

「……確かめたくなったんだと思う」

「?確かめる、とは…」


疑問符を浮かべるルイスに、嘲笑に似た笑いが出る。

今まででは考えられなかったことだ。だって、期待するまでもなく、それらはあり得ないことだったのだから。


「この傷すら、彼女は怖いと――…醜いと思わないのか。過去散々と不吉の証だの母親が愛せなかったのも当然だのと他人に言われ続けて、どこかで慣れたと思っていたのだがな。存外俺も諦めが悪いらしい」

「……エミリー様はなんと?」

「どうやら、全く違う理由を想像していたようだ。…つらい過去を想像もできなかったことが恥ずかしいと、申し訳ないと……泣きながら…」


その時のことを思い出して、ユアンは目を瞑った。

今でも鮮明に思い出すエミリーの泣き顔。あのとき言ったように、別に泣かせようとか謝らせようと思って話したわけではない。けれども確かに、泣くなという言葉とは裏腹にその涙を嬉しいと思う感情があった。エミリーの涙は、きっとユアンの境遇を想像して出たものだ。情が深いことは確かであるが、きっと色眼鏡で見れば同情や憐みとも言えるだろう。

――だが、それでも。

これまでユアンを可哀相だと思ってくれたのは、ユアンの身を憂いてくれたのは、父親とルイス以外にはいなかったのだ。同情や憐みすらも与えられず、ただ侮蔑と憎悪だけを向けられ生きてきたのだから。


「それから、彼女に会わない間もずっと彼女の泣き顔が頭から離れない。会ったら会ったで彼女の一挙一動が気にかかって正直話を聞く処ではなくなってしまう。茶会後から彼女の話していた内容を何一つ覚えていない」

「…そうでしょうね。知っていますか、さっきエミリー様はユアン様を茶会に誘って下さっていたのですよ。あまりにユアン様が話を聞いて下さらないものだから、流れてしまいましたがね」

「――なに?大して会話もできない俺を、彼女が誘う?そんなわけがない」

「誘って下さったんですよ、本当に!ユアン様がしっかりと答えさえしてくれれば……いえ、それはもう言っても仕方ありません。エミリー様とまともに話も出来ない今の状態では、茶会をしたって悪印象なだけですから」


ユアンはぐ、と息を詰めた。確かに、折角彼女が話しかけてくれてもその内容が全く入ってこないのでは意味がない。


「ユアン様が恋心を自覚なさったのは大変良い傾向ですから、今後は慣れるよう専念して頂くしかありません」

「――は?」

「え?」


ユアンのぽかんとした表情に、ルイスも首を傾げた。何を言っているのだと言わんばかりのユアンに対し、ルイスはバン!と机を両手で叩く。


「まさか、この期に及んでエミリー様のことをお好きでない等と言いませんよね!?」

「いや、別に嫌いではないが、」

「嫌いではないどころではありません!四六時中エミリー様のことを考えてしまって仕事も手に着かないし、会ってもエミリー様の可愛らしさに話が出来ないほど呆けてしまうのでしょう!?」

「そ、そんな言い方はしていないだろう!」

「同じことです!」


ユアンは身じろぎながら、ルイスの言葉を頭の中で反芻した。

そう言われれば、そうと言えないわけでもないかもしれない。――そんな風に思うことこそが、確かにルイスが言った通りという答えである。恋という言葉が無縁すぎて、全く想像すらもしていなかった。

ただ、貴族らしくない彼女が物珍しいだけだろうと、そう思っていたというのに。

けれども、彼女はユアンが初めて結婚しても良いと思った令嬢で。そればかりか彼女が自分と結婚してしまっても良いのかということすら考えた。


「――…そうか。俺は、彼女が好きなのか」


漸くもって、ユアンは自身の恋心を自覚したのであった。








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