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第6話 やはり最後は温泉です


 三ノ宮でレンタカーを返した一行は、電車を乗り継いで有馬温泉へ向かうことにした。

 汽車に揺られて有馬温泉、と言うのも一興だろう(ん? 汽車?)




 淡路島からの帰り、椿の運転する車の中で、何かを取り戻すように寝ていた3人だが、最初にシュウが、次に冬里が目を覚ます。

 そして高速を降りる頃には、最後まで寝ていた夏樹も起き出してきた。

「う~、ふわあ、よく寝た~。あれ? もう着いたんすかあ」

「もうすぐレンタカー屋だよ」

「おお、早かったんだな」

「知らないくせに、偉そうに」

 椿がバックミラー越しに笑いながら夏樹を見て言う。

 そのままハンドルを切って道からそれると目的地だ。レンタカー屋の店員が「お帰りなさいませ~」と店から出て来るのが見えた。



 有馬温泉に行くにはいろんな方法があるが、彼らが選んだのは、まず、市営地下鉄で谷上まで行く。そこから神戸電鉄〈地元の人は神鉄しんてつと呼ぶこともある〉で有馬口まで行って同じ神鉄に乗り換えれば一駅で有馬温泉だ。

 有馬温泉は起伏に富んだ山あいにあるが、コンパクトに見所が集まっているので、観光するにはとても便利だ。

 連絡を入れてあったので、ホテルからのお迎えが待っていた。

 チェックインの時間は過ぎているので、とりあえずホテルに荷物を置いて一休みしてから、あたりを観光しようと話が決まる。


 今回の部屋は5人同室と聞いている。

 修学旅行のように一部屋に雑魚寝か、まあそれも楽し、と思っていた由利香と椿は、案内された部屋へ入ってビックリ。

 なんと冬里が予約していたのは、超豪華な特別室だった。

「なにこの部屋! いったい何坪あるのよ! 何平米あるのよ! いくつ部屋があるのよ! 和室、洋室、お部屋に露天風呂と内風呂? お庭に、キッチンまである、信じられなーい!」

 由利香が叫ぶが、冬里はどこ吹く風だ。

「知らないよ、5人で泊まりたいって言ったら、ここになっちゃったんだもん」

 しれっと言うので、由利香はため息をつくしかない。

「なっちゃったんだもん、って、どういう予約の仕方をしたら、こんな部屋になるのかしら?」

 とは言え、広い部屋に泊まれるのは嬉しいらしく、すべての部屋を探検しつつ扉や引き戸を開けてまわっている。その他の探検隊員は椿と、もちろん夏樹もだ。

「うおー」

「わあー」

「へえー」

 移動しながら聞こえてくる3人の声に、和室のひとつに用意されていたお茶菓子とお茶を楽しみながら、シュウは苦笑し、冬里はいつものごとくニッコリ笑っている。

「楽しかったあ。……あ、ずるい、2人でいい物食べてる」

 ひととおり部屋を探検した由利香隊長が、まったりしている2人を見つけて自分も座椅子に腰を下ろした。

 と、その目の前に、

「どうぞ」

 の声とともに出て来たのは一服のお茶。

 そろそろ帰ってくるかな、と、シュウが用意していたお茶は飲み頃だ。すっと差し出される美しい所作と、これまた美しい湯飲みに、由利香は思わず笑顔になる。

 けれどそれはそれ、これはこれ。

「ありがとうございますわ、本当にいつもいつもそつがないこと」

「いえいえ、少しでも遅れると、たいへんご機嫌を損ねられますので」

 お互いに微笑みながらちょこっと嫌み合戦も健在だ。


 だが、いつもならここで合いの手を入れる夏樹が、なぜか帰ってこない。しばらくして苦笑した椿のあとに、元気のない夏樹が戻ってくる。

「どうしたの夏樹」

 由利香が聞くと、本人ではなく椿が説明する。

「キッチンがあるのに、夜も朝も食事がついてるから、腕を振るえなくて残念なんだそうです」

 可笑しそうに丁寧に説明する椿に、冬里が説明の説明を始める。

「ああ、あれね。予約の時に言っておけば、あのキッチンに料理人が来てくれて、その場で作ってくれるんだって。いつでも出来たて作りたて、ってね」

「え、そうなんすか? うわあ、だったら部屋食にしてもらって、料理人はいらないって言うのもできるんじゃないっすかあ? ああ、知ってれば絶対にしたのに~」

「いや、夏樹。いくらなんでもそこまでするか?」

 残念そうに言う夏樹に、椿がとんでもなくあきれている。

 そんな夏樹を納得させるのはやはりシュウだ。

「それだと家にいるのと同じだよ、夏樹。他人が作る料理をたまには味わってみないと。味や盛り付けが自分の感性とどう違うか、なぜ違うかを考えるのもまた勉強の1つだよ。特にこういう旅館には優れた料理人がたくさんいるからね」

 シュウの言葉にハッと気が付いたようになる夏樹。

「ああ、そうっすね、そうでした。うーっし、だったら今日の晩飯と明日の朝飯、うんと勉強してやるっす」

 拳を握りしめて言う夏樹に、

「まあほどほどにしろよ、それでなくても料理を見るときのお前の目、すごく怖いんだから」

 椿がなだめるように言う。

「そ、何事もほどほどにね。さあーて、じゃあその晩飯を美味しく頂くために、運動がてら観光にでも行きますか」

 冬里がうーんと伸びをしながら立ち上がろうとしたのだが、夏樹が「待って下さい、せっかくのお茶を飲んでから」と、いつの間にか出ていた2つのお茶を指さす。

「ほら、椿も。せっかくシュウさんが入れてくれたんだぜ」

「ああ。頂きます」

 2人が慌てて座椅子に腰掛けたそばから、冬里がシュウに文句を言っている。

「もう、早く出かけたかったのになあ、シュウがいらぬお節介するもんだから」

「ムグ、……す、すみません……。とっとと食べ……、む、グググ」

 お茶菓子に出ていた饅頭をいっきに口に放り込んで、喉に詰まらせそうになる夏樹。

「おい、大丈夫か? ほら、お茶!」

 椿が慌てて湯飲みを差し出す。

 ムグムグ言いながらそれを受け取り、何とかお茶で流し込んで事なきを得た。

「お待たせしましたあ、さあ、どこ行きますか?」

「まったく、世話の焼ける奴」

「テヘヘ」

 すると冬里が今度こそ本当に立ち上がりながら言う。

「いっぱい歩かなきゃね~。えーと、まずは……」



「ゼエ、ハア、やっぱりここも階段、……」

 また由利香が息を切らしつつ、階段を一歩ずつ踏みしめている。

 到着した先は。

「まずは温泉の神さまにご挨拶」

 冬里が言うように、やってきたのは有馬の温泉神社だ。

「なぜ神社というのはこう急な階段の上にあるのだろう、なんて思ってる? 由利香」

「ハア、全国のすべての神社が、……ゼエ、必ずしも階段の上って訳じゃ、ないわよ」

「ほほう、柔軟な思考が持てるようになったねえ」

「なによ!」

 はたこうとした手をひょいとかわして、冬里は足取り軽く残りの階段を上っていく。

「悔しい~」

「はいはい、あと少しだから頑張れ」

 椿が姉と弟の喧嘩を取りなしつつ、手を差し伸べる。

「ありがとう、やっぱり椿はいい男だねえ」

 婆さんのような言い方と仕草でその手を取る由利香。

「なにを今さら」

 可笑しそうに返す椿。

 そんな仲良し夫婦に、なんともほっこりする弟たちだった。


 神社に参拝したあとは、これぞ観光地! と言うように点在する店舗を見てまわる。夕飯を美味しく食べるために、と言う趣旨の散策なのだから、由利香も食べ歩きは我慢している。

「あ! ちょっとここに寄ってくれる?」

 そんな由利香が足を止めたのは、炭酸煎餅の店。

「これこれ、これだけは絶対に買おうと思ってたの」

 有馬と言えば炭酸煎餅と言われるほど、昔からの土産物だ。薄くて軽くてパリパリサクサク、甘さもほどよくていくらでも食べられる。

 お目当てを手に入れたところで、そろそろ夕飯の時間だ。

 お腹もほどよくすいてきた。

「さあーて、じゃあ美味しい夕飯食べに帰りましょ」

 由利香の言葉に「うす!」と、ひとりのイケメンが瞳に炎を燃え上がらせていた。


 夕飯は、部屋ではなくレストランの個室で振る舞われることになっている。

 一行がホテル前の道を歩いていると、「え?」と言う声がしたが、誰も気にせず正面玄関へと向かう。

 ロビーで「おかえりなさいませ」と言う従業員に礼を返しつつエレベーターに向かおうとしたところで、椿が冬里がいないことに気が付いた。

「あれ? 冬里がいないよ」

「え? あれ、ホントだ。トイレかな」

 すると、シュウが窓の外に目をやりながら言う。

「知り合いがいたみたいだね」

 見ると、1人の若者が冬里と話しをしている。若者は何やらとても嬉しそうだ。

「へえ、さすがに顔の広い冬里ね」

 しばらくして、丁寧に頭を下げた若者が冬里のそばを離れて行くと、ようやく彼は玄関を入って来た。

「今の人、だれ?」

「知り合いっすか? さすがは顔の広い冬里だって話してたんすよ」

 けれどそこは冬里、

「んー、知り合い?」

 などとまたはぐらかすようなことを言う。

「もう、もったいぶらないの!」

「知り合いって程じゃないんだよねえ」

「じゃあなによ」

 食い下がる由利香に、冬里が説明し始める。

「玄関前で声かけられたんだよね。でさ、どこかで見た事があるなあって思ってたら~」

 由利香、椿、夏樹の3人は興味津々で頷いている。

「彼、ここの板前なんだけど、以前京都で修行してたんだって。で、僕が何かの折りに彼のいた店で彼の自信満々の料理を食べて、きっつーい言葉をかけたんだって」

「え? でも彼、とっても楽しそうだったわよ? 普通はきついこと言われたら怒るはずよね?」

 由利香が驚いて言うと、冬里は首をかしげる。

「なんで? 僕、本当のことしか言わないもん、それで怒るのってちょっと違うんじゃない?」

「ああ……」

 すると夏樹がため息とともに声を出した後、感慨深げに言う。

「きっとあの人、そのとき天狗になってたんすよ。昔の俺みたいに」

「かもね。言われた直後はカチンと来てたみたいだけど」


――貴方の言葉で目が覚めました。今の俺がいるのは、貴方のおかげです――

 去り際に、少し面はゆそうに彼が言った言葉だ。

 そのあとに、今日は早上がりの日だからもう帰るけれど、知っていれば交代してもらったのに。今の自分の料理を食べてもらいたかった。と、とても残念そうに言っていたらしい。

「だからさ、また来るよって言っといた」

「喜んだんじゃない? 彼」

「うーん、でも、いつになるかなあ。百年後かもしれないなあ~」

「また!」

 からかう冬里に由利香が、パシンと腕を軽くはたく。


 けれど冬里のことだから、ある日突然「行って来たよ」と事もなげに言うのだろう。それを聞いた由利香と夏樹が、何で連れて行ってくれなかったんだー! と大騒ぎするのだ、きっと。

 そんな情景を思い浮かべていたシュウを興味深げに見ながら冬里が聞く。

「なーにー、シュウ。何か面白い事あった?」

「いいや、何もないよ。荷物を置いたら夕食へ行こうか」

 本当に、この人は。

 いつまでたってもつかみ所のない長年の友人に、苦笑を浮かべるしかないシュウだった。


 さて、夕食は。

 力が入りすぎて無言になる夏樹と、わあ~、すごーい、美しい~、美味しい~、と、ひとつひとつ感嘆符を入れながら堪能する由利香と、そんな由利香を嬉しそうに眺めつつ料理を味わう椿と。

 後の2人はいつもと同じ、ニッコリ、と、ポーカーフェイスと。

 どの料理も本当に美しく美味しいものだった。

 和食に関して言えばまだ進化途中の夏樹には、ずいぶん良い刺激になった事だろう。今後の和風ランチにどのくらい影響するのか、楽しみがまたひとつ増えたと思える夕食は無事に終えることができた。


 夕食後のお楽しみと言えば、そう、温泉。

 有馬温泉の湯は、金の湯と銀の湯。

 赤銅色に濁った金泉は保湿保温、殺菌効果にすぐれている。無色透明の銀泉は二酸化炭素が溶け込んでいて、全身の血行を促進してくれるようだ。

 有馬温泉は日本神話にも登場するほど太古の昔からある温泉なので、ヤオヨロズをはじめとした神さまたちも、きっと幾度か訪れたことだろう。

 ここのホテルには、大浴場と貸し切りの露天風呂がいくつかある。さて、シュウはいったい何度入りに行ったのか、それは冬里にすらわかり得ないことである。

 社員旅行最後の夜も、こうして穏やかに更けていった。




 翌日。

 1人のイケメンがしかめつらしい顔で正座をしている。

 また何かしてシュウに怒られたのかって?

 いえいえ、周りをよく見ると、そこは厳かな雰囲気の茶室だ。

 第1日目に約束したとおり、彼らは《てんじん》が主催するお茶会に招かれていた。お手前に指名されたのが夏樹と椿だ。今は椿と交代した夏樹がお道具を持って座ったところだった。

 緊張の中にも嬉しさを隠せない様子で、夏樹はお手前を披露していく。

「うむ、なかなかに慣れたご様子ですな。お抹茶も美味、美味」

「いえいえ、お茶自体が良いお茶なんすよ」

「僕の指導のおかげじゃないの?」

「え? あ、そ、それはもちろん!」

「ほほう、冬里がお師匠さんか、それはさぞかしきつい事よのう」

 《てんじん》の言葉に思わず頷きかけて、ハタと動きを止める夏樹。それを見ながら、椿が心の中で「えらいぞ!」と思わずガッツポーズをした。

 彼らの社員旅行は、やはり一筋縄では終わらないらしい。


 今日も兵庫県南部のお天気は晴れ、帰りの行程も滞りなく順調そうだ。






さて、やはり最後は温泉で締めくくりです。

有馬温泉は本当に古くからある温泉なので、もし機会があれば1度、話の種に訪れてみて下さい。炭酸煎餅、美味しいですよお、筆者は大好きです。



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