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第2話 さて、その行き先は


バアーン!


『はるぶすと』2階リビングの扉が勢いよく開く。

 満面の笑みでそこに立っていたのは、なんと由利香だった。


「由利香さん? え? 思いついたって、社員旅行の行き先ですか?」

「なあに? 夏樹、そうよ。今言ったじゃない」

 すると夏樹は、ゴクッとつばを飲み込んで心持ち嬉しそうに聞く。

「それって、もしかして……」

 うん、と頷く由利香と、うん、と嬉しそうに頷く夏樹が同時に叫んでいた。


「富士山よ!

「神戸っすか?!」


「え?」

「え?」

 またまたかぶる2人の声。


「「ええー?!」」

 お互いがお互いを指さしながら、由利香と夏樹は恒例の叫び声を上げていた。


 きょとんとして「なになに?」と言う由利香と、落ち込んだようにソファに沈み込む夏樹を見て、ニッコリ微笑む冬里。

「なんで神戸なの? ねえ、教えなさい、冬里!」

 その冬里は、ふうんと言う顔のあと、

「へえ、富士山ね。由利香その発想はどこから来たの? でもこの際だから、木花咲耶姫このはなさくやひめに会いに行くのもいいかもね」

 などといつものごとく返答になっていない。

 由利香はキィーとなりながらも矛先を長男へと変える。

「もう、何なのよ。鞍馬くん! 教えてよ!」

 そのシュウは静かに微笑みながら、うずくまる夏樹の隣にいる由利香の前に、入れ立ての紅茶を置いた。

「どうぞ」

「ありがと、ってちょっと鞍馬くんまではぐらかさないでよもう」

 とか言いながらもちゃんとソファに座って、とりあえず紅茶に口をつける。

「え?」

 その途端、由利香はまじまじと紅茶を眺めていた。

 隣では、ガックリ肩を落とした夏樹が、仕方がないと言うようにつぶやいている。

「富士山っすかあ、……、でも由利香さんがそう言うなら、……しょうがないっすよね」

「ふうん、なるほど、そういうこと。……あ、神戸でいいわよ夏樹」

「神戸はこの次の機会に、って、ええ?!」

 思いも寄らない由利香の台詞を聞いて、驚きながら顔を上げる夏樹に、冬里が不思議そうにシュウの方を向く。

「へえ? シュウの本気って、人の気持ちまで変えられるんだ? 初めて知った」

「え? シュウさんが本気で? ホントっすかそれ!」

 するとシュウは苦笑いをしながら言う。

「さすがにそこまでは」

「じゃあなんで?」

 食い下がる夏樹と由利香の間から声が聞こえた。

「今回は俺がまじないをかけたんだよ」

「うわっ」

「きゃっ」

 なんとそこには、冬里に負けず劣らずのニッコリ顔で微笑む《すさのおのみこと》が座っていた。


「なるほど。それでその神戸の《てんじん》さまが、私たち夫婦にどうしても会いたいっておっしゃってるのね」

「ん? まあそう言うことだ」

《すさのお》から事情を聞いた由利香は、念押しのように聞いてから、嬉しそうに頷いた。

「そんな事情なら、もう絶対に行かなくっちゃ! ねえ、夏樹」

「はい!」

《すさのお》の向こう側から顔を覗かせる由利香に、夏樹も嬉しそうに答え、そのあと小声で聞いている。

「ついでに神戸の、……バーとかにも行けないっすかね」

「はあ? バー?」

「いえ、何でもないっす」

 すごすごと引き下がる夏樹に、シュウが可笑しそうにうつむきながら《すさのお》のために新たに紅茶を入れ始めた。

 冬里はそんなシュウを眺めながら、また過保護するんだろうなと踏んでいた。




 それから幾日かあとの日曜日。

『はるぶすと』2階リビングでは、従業員が真剣に顔をつきあわせて何か話をしている。


 と、そこへ。

バアン!

 いきなり、今日はこの間より心持ち控えめな勢いで2階リビングの扉が開かれた。

「いらっしゃい、由利香さん、椿くんも」

 入ってきた2人に特に驚いた様子もなく声をかけるのはシュウだ。

「はーい、お邪魔しまーす」

「お邪魔します。おう、元気か夏樹」

 由利香のあとから入ってきた椿は、夏樹と恒例の片手ハイタッチをして、あとの2名には軽く会釈をする。

 その間にシュウは飲み物を用意するためだろう、立ち上がってキッチンへと向かい、夏樹が慌ててそのあとを追うのも恒例の風景だ。

「ところで、今日は何しに来たの?」

 ソファの向かい側に仲良く腰掛けた2人に、冬里が面白そうに聞く。

「決まってるじゃない、社員旅行の打ち合わせよ」

「連絡入れてからにすれば、と言ったんですけど」

「実家に来るのにいちいち連絡しなくても良いでしょ! と、お姉様が言ったんだよねえ」

 冬里が由利香の口調を真似て言うと、椿は吹き出して肯定する。

「ブッ……、失礼しました。まあ、そんなとこです」

「なによ! 私は正論を言ってるだけよ」

 勢い込んで言う由利香に、冬里が聞く。

「ふうん、でもさあ、いきなり来ても僕たちが留守してるって場合もあるよ? そしたらどうするの?」

「え? 私に黙ってどこかへ行くつもり? そんなの許さないわよ」

「ええ~? 横暴だあ」

 言葉とは裏腹に、楽しそうに言う冬里。

「大丈夫っすよ。留守にするときは椿に連絡入れますから」

 そのあとに紅茶を運んできた夏樹が、済まし顔で言う。

「なによそれ」

「なるほど、椿に連絡しておけば安心だもんね」

 冬里が珍しく素直な感想を言う。

「なんなのよ」

「椿くんなら任せて安心ですね」

「鞍馬くん! あなたまで!」

 最後はやはりお決まりのフレーズで終わるようだ。


 だがなぜか、その由利香の目線が、シュウの手元に釘付けになっている。

「鞍馬くん、それって……」

 なんと、キッチンから出て来たシュウが持ってきたのは3段のケーキスタンド。英国のアフタヌーンティーに使われるものだ。しかもセットされたプレートには、下の段から、サンドイッチ、スコーン、ケーキの数々が美しく盛り付けられている。

「これこそ、なんなのよ、だな」

 椿が由利香を真似て言うと、その由利香も思わず頷いている。

「ホントだわ。なんなのよこれ。まさか私たちが来るの、知ってたの?」

「はい」

「「ええっ?!」」

 驚く2人に、珍しくいたずらっぽい微笑みでシュウが説明をする。

「と言うのは冗談で、実は志水さんからリクエストを頂きまして」

「ディナーだとあやねちゃんが参加しづらいし、ちょっと変わったところでアフタヌーンティなんてどう? ってね」

 シュウのあとを引き継いで説明する冬里に、由利香と椿はスキー旅行の最後に交わした約束を思い出した。

「そうなんだ、あのときの約束覚えててくれたのね。でも、ランチじゃありきたりだもんね。さすが志水さん」

「それで、とりあえず試験的に作ってみたって訳です。アフタヌーンティのプレートも作るの久しぶりなんで」

 どうやら製作はすべて夏樹が担ったようだ。

「僕たちで試食しようと思ってたら、誰かが良い匂いを嗅ぎつけてやってきたって訳だよね~」

「! 失礼ね、そんなの知らなかったわよ!」

 また遊ぶ冬里をギッと睨んだかと思うと、由利香は次に夢見るような表情になる。

「でもこれ、本当に素敵~。夢の国のスイーツみたい。ねえ、いただいて良いのかしら」

「お褒めにあずかり光栄っす。で、どのみち由利香さんと椿にも感想聞きたかったんで、ちょうど良かったって所かな。とりあえず食べてみて率直な感想をもらえるとありがたいです」

「今日は地獄じゃなくて、試食天国だな」

 可笑しそうに言う椿の言葉のあとに、本日の試食天国が始まった。


「んん~、大満足~」

 和やかな試食会のあと、由利香が夢見るような笑顔で残りの紅茶を飲み干す。

「ああ、……本当に美味しかった」

 椿も満足げに頷いている。

「で? で? お味の方は? なんかコメントないっすか?」

 夏樹は2人がティカップを置くのを待ちかねたように聞いている。

「どれも美味しかったとしか、言いようがないわねえ」

「ええー? そこをなんとか」

「無理言わないでよ」

 いつものごとく、語彙少なく褒める由利香に食い下がる夏樹。そんな2人を笑って見ている椿に気づいた夏樹が、「何笑ってんだよ椿、だったらお前に聞く!」と、矛先を椿に変えたところで、

「夏樹」

 と、声がした。

 向かいの席で同じように試食をしていたシュウだ。

「はい、すんません」

「あれ? なんで謝るの?」

 冬里が可笑しそうに聞くと、夏樹が頭を掻いて言う。

「だっていつも俺、無理矢理感想を聞き出そうとするから。シュウさんはそれをたしなめようとしてくれたんすよね」

 へへっと笑って言う夏樹に、シュウが答えた。

「違うよ」

「へ?」

「この、最上段のこれ」

 と、シュウは一口食べただけで残してあったケーキを示す。

「もうほんの少し工夫すれば、もっと味に深みが出ると思うのだけど」

 しばしぽかんとしてその言葉を聞いていた夏樹の口元が緩んでいき、最後にはまぶしいほどのキラキラ笑顔になる。

「はい!」

「ちょっと来てくれる?」

 ケーキスタンドを持ってキッチンへ行くシュウのあとを、振り切れるほどの勢いで尻尾を振った子犬〈夏樹のことだ〉が嬉しそうについて行く。

「ええ? あのケーキ、すごく美味しかったわよ。ホントに、鞍馬くんは夏樹の作るものに容赦ないんだから」

「それを指摘されて嬉しそうな夏樹も夏樹だけど」

「まあ今回は、料理っていうかスイーツのことだから、過保護はなしにしてあげよう」

「3人とも、とても良く聞こえていますよ」

 たしなめるシュウに、夏樹は待ちきれない様子だ。

「シュウさん! そんなことよりどこをどうすれば」

「ああ、ごめんね夏樹……、」

 そのあと、リビングに人がいることなど忘れたように、2人は真剣にスイーツ改良の相談を始める。

 そんな2人を眺めつつ、くだんのリビングでは、1人は肩をすくめ、1人は苦笑いし、最後の1人はニーッコリと微笑むのだった。


「さあーて、じゃあ置いてけぼりの僕たち3人で、社員旅行の案でも練りますか」

 そう言うと、冬里はタブレットを持ち出してきた。

「さすが冬里。良いこと言うじゃない。はいはい、早く出してよ神戸の情報」

「さすが由利香。相変わらず人使いが荒いね」

 可笑しそうに言いつつも、タブレットを操作する冬里。

「あ、でもね、もうホテルは決めてあるの」

「? どういうこと?」

 首をかしげつつ、由利香の次のセリフに、冬里がやっぱりねと思ったかどうか。

「何かね、椿が、ホテルのバーなんか行ったことがないから、どうしても行ってみた~いって言うの。だから、バーのあるこのホテルにしようって決めちゃったのよ、ダメかしら」

 冬里が椿の方を見ると、心持ち困ったように微笑んでいる。

 その表情を見た途端、すべて心得てるよ~と、どんな言葉よりも雄弁に物語るような笑顔を見せた冬里に、今度は引きつった微笑みを返す椿だった。

「うん、いいね。神戸のいわば老舗ホテルじゃない。きっと夏樹が喜ぶよお」

 またニッコリ。

「は、……はい」

 最早、蛇に睨まれたカエル、冬里に微笑まれた夏樹、ならぬ、冬里に微笑まれた椿、なのであった。


「どうしたの? 椿」

 思わず額の汗を拭う椿を、いぶかしげに見る由利香。

「いや、なんでもないよ。え、えーと、ホテルが決まったことだし。次は……」

「観光するところね! まかっせなさい! あ、でも今回は一番大切な用事があったわ。《てんじん》さんに会いに行かなきゃ」

「へえ、由利香、偉いじゃない」

「あたりまえよ」

 冬里に褒められて、えっへんとふんぞり返ったあと、北野天満神社の場所を確認し始める由利香だった。

 そのあと、バーのあるホテルに泊まれると聞いた夏樹が、泣くほど喜んだのは言うまでもない。


「それでは行き先が決まったところで、今回も社員旅行が開催されることに、カンパーイ」

 場を取り仕切る元気ハツラツのお姉様に、

「はいはい、乾杯」

 と、優しく微笑む好男子。

「とりあえず乾杯」

 と、ニッコリ微笑む癒やし系。

「カンパーイ!」

 と、こちらも元気ハツラツの超イケメン。

 苦笑しつつ無言でグラスを持ち上げる、最後の約1名。

 そんなこんなで和やかに夕食が始まったところで、また冬里が含むような笑顔を見せる。

「で~もさ~」

「なに? 冬里。なんか文句ある?」

「ううん、行き先その他については、何も問題ないよ」

「じゃあ、なによ」

「うーん、なんだかんだ理由をつけて、結局晩餐までむさぼっていくこの厚かましい夫妻について考えてるだけ~」

「また! 冬里は!」


 結局、ああでもない、こうでもない、と社員旅行の打ち合わせに時間を費やし、気づけばもうすでに夕刻。

 晩ご飯どうしよう~と騒ぐ由利香に、それではうちでご一緒にと言ってくれるのは、やはりシュウ。

「2人なんだし、何か買って帰れば……」

 と遠慮する椿に救いの手を差し伸べるのも、やはりシュウ。

「今日は、この間椿くんが覚えたいと言っていた、米粉を使ったパンを焼こうかと思っているんですよ。よろしければお手伝い願えますか?」

「え? 本当ですか? はい、ぜひぜひ教えてください!」

 大喜びの椿の後ろから、懇願するような視線を投げかけてくる夏樹を救うのも、やっぱりシュウだ。

「もちろん、夏樹も手伝ってくれるよね」

「あの、あの……、え? は、はい! もちろんっす!」

 嬉しそうにグータッチをする2人を引き連れて、シュウはキッチンへと向かうのだった。


 いろんな事がありますが、『はるぶすと』の休日はこんな風に更けていきました。

 あ、明日はもちろん、通常通り営業致します。






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