第1話 神さまからのご依頼
今年の社員旅行は、神戸方面へ行くことになった。
当然、秋渡夫妻も参加している。と言うか、オーナーの由利香さまの一声で決まったようなものだ。
とは言え、今回は由利香のわがままではなく、なんとあの《すさのおのみこと》からの提案であった。
「今年もどこか行くんだろ、お前たち」
久しぶりに遊びに来い、と言われて、例の梅林近くにある神社、兼、《すさのお》の自宅へ招かれたのが少し前のこと。
そこでお茶をご馳走になりながら言われたのが、それだった。
「ええっと、どこか行くって? どこへ?」
唐突に聞かれたので、訳がわからないというように夏樹が聞く。
「社員旅行ってやつだよ」
「へえ、《すさのお》も行きたいってこと?」
それを聞いた冬里が、面白そうに聞いている。
「そんな訳ないだろ、何が面白くて乗り物なんかに乗ってちんたら移動しなくちゃならないんだ」
「だよねえ」
当然と言うように答える冬里にちよっと目をやってから、《すさのお》はシュウに向き直る。それに倣うようにシュウもまた《すさのお》を正面に見据え、静かに姿勢を整えた。
「何かご提案があるのですか? 良ければできうる限りの努力はさせて頂きますが」
改まった言い方でくそ真面目に言うシュウに、少し鼻白んだ《すさのお》だったが、そこはやはり神さま。ガハハと笑いで場を和ませる。
「相変わらずくっそ真面目なやつ」
「恐れ入ります」
「ちょっとな、行ってもらいたい方面があるんだ」
「へえ~。僕たちに是が非でも行ってもらいたいって、いったいどんなすごい所なんだろうね~」
シュウではなく冬里が面白そうに聞いている。
「相変わらず自分本位に解釈する奴だな。是が非でもなんて言ってねえよ」
「そう? でもさ、今日は、わざわざ、それを言うためにお招きしてくれたんだよね?」
「う、まあ、……、そう、なんだが」
「ふふん」
さすがの神さまも冬里にかかるとグッと言葉に詰まってしまう。
「冬里、その辺で。……ところで《すさのお》さん、行ってもらいたい方面とは?」
救世主はいつもシュウだ。
《すさのお》は、シュウの問いに、待ってましたとばかり顔をほころばせて答えた。
「神戸だよ」
「神戸?」
訳を聞こうとしたシュウより早く、夏樹が嬉しそうに言う。
「神戸って、あの、百万ドル、いや今は一千万ドルの夜景があるっていう、あの神戸っすよね! 行きたいっす!」
「おう! そうか! やっぱり夏樹は話のわかる奴だぜ」
答えて言う《すさのお》も嬉しそうだ。
「それに、神戸はバー発祥の地とも言われてるみたいっすから」
「はあ? バー?」
「はい!」
どうにも要領を得ない《すさのお》がシュウの方を見ると、また違う方向から答えが聞こえてきた。
「なんかさ、この間から夏樹、カクテルに凝ってるんだよねえ」
「カクテル?」
「はい! ちょっと前に椿と飲みに行ったんすけどね。そこのカクテルがめちゃくちゃ美味くて。感激してお店の人に美味いって言ったら話がはずんで。でね、その人が言うには~」
「バーテンダーの力量は、ジントニックで決まる! ……だよね?」
「あー! それ今、俺が言おうと思ってたのにい」
「ふふん」
また冬里においしい所を持って行かれた夏樹だが、あまり不満を言うとあとでどんな恐ろしい目に遭うかわからないので、ぷうっと膨れるにとどまる。
だがさすがは超ポジティブの夏樹。すぐに気を取り直して言う。
「えーと、なので、神戸に行くならバーも行ってみたいんすよね」
「そんな時間あるかなあ。お姉様も一緒なんだよお。きっと秒単位のスケジュール組んで来るはずだよお」
また茶化されて、うっと詰まる夏樹を見てひとつため息をついたシュウが、
「冬里、もうその辺で」
と言ったあと、
「夏樹、とりあえず椿くんに事情を話してバーの時間も組み込んでもらったら? 確約は出来ないけど、それが一番確率が高いはずだから」
夏樹を慰めるように言う。
とは言え、シュウの力を持ってしても、由利香に逆らうのは相当困難であるようだ。
「そうか! はい、椿に頼んでみます。うっし、頑張るぞお」
気合いの入ったガッツポーズを決める夏樹を苦笑してみたあと、シュウはまた《すさのお》に向き直る。
「話がそれてしまい、失礼しました。それで何故神戸なのですか?」
「うん? ああ、そうだったな。お前さん、神戸に北野があるのは知ってるよな」
「はい」
頷いたシュウに変わって説明すると、神戸の北野とは、神戸港開港後に来た外国人の住まいがあった地で、今も多くの異人館が立ち並ぶ異国情緒あふれる観光地のひとつだ。
「まあ、お前さんたち人の子は、異人館だグルメだとお忙しいことだが、そこに、北野天満神社があることは、まあ、あまり知られていないんだっけかな」
「ええー? 知ってますよ、神戸の《てんじん》さん」
珍しく夏樹が知っていたようだ。
「ほう、そうか。さすがは千年人だぜ。で、今回はその《てんじん》の奴が俺に頼んで来やがったんだよ」
そこまで言って一息ついた《すさのお》が、ちょっぴり苦笑交じりであとを続けた。
「お前さんたち、と言うか、あの夫婦を連れてきてくれってな」
「はあ?」
「ふうん」
「……」
思ったような三者三様の反応に、《すさのお》はガハハとまた大笑いをするのだった。
☆北野天満神社とのやりとり
京都にある北野天満宮は、全国に一万二千あると言われている天満宮・天神社、いわゆる《てんじん》さんの総本宮だ。
その総本社から勧請されて祀られたのが、神戸にある北野天満神社だ。
京都と同じく菅原道真公をご祭神とし、学問の神さまとして親しまれている。
急な階段を上りきると、拝殿の前から風見鶏の館の尖塔の向こうに神戸の街が一望できる。小さいながらも梅林もあり、さすがは北野と名がつく神社だと思わせる。
そんな天満神社から《てんじん》が《すさのお》の家へやってきた。
「おう、《てんじん》じゃねえか。えーと、お前は……、神戸の《てんじん》だな。どうしたんだ?」
「さすがは《すさのお》、わしが神戸のだとよくわかったな」
「はあ? あったり前よ。だって」
「だって?」
そう言うと2人はニヤリと口元を引き上げ、同時に言葉を発する。
「神さまだもの」
「神さまだもーん」
そして顔を見合わせ、手を打って大いに笑い合っている。
ひとしきり笑ったあと、《すさのお》があらためて《てんじん》に訳を尋ねることになった。
「で? なんか用か? 用があるから来たんだろうけどよ」
「うん、あのね……」
急に声を潜めた《てんじん》は、《すさのお》のそばでささやくように言う。
「春夏秋冬を知る百年人って知ってるよね?」
「ああ、この間も遊びに来たぜえ」
「……う、そうか。………で、その子って神戸に来たりしないかなあって思って」
何故か内緒話をするように、けれどちょっとすねた感じでここまで打ち明けられた《すさのお》は、わかってしまった。
「ははあ、お前さん、あの夫婦が京都には行ったのに、自分の所に来ないのがご不満なのかい? まあ、詰まるところ京都の天満宮が羨ましいんだろ」
「う」
《すさのお》に言われて、グッと詰まる《てんじん》。
どうやら図星だったようだ。
(ははあ、コイツは何かというと京都と張り合うからな)
そう思ってほくそ笑んだ《すさのお》は、神戸の《てんじん》が、勧進されたときのことを思い出す。
神戸北野天満神社は、平清盛によって総本社より勧進された。
当時、この《てんじん》は、山の上にあってはるか海の向こう、淡路や大阪や和歌山まで見渡せるような雄大で風光明媚な地にもかかわらず、どうにもこの場所になじめないでいたのだった。
まあ、他の地に行った《てんじん》も同じようなものだったが。
誰でも住み慣れた地を離れるというのはそれはそれは寂しいことだろう。
ましてや海のない京都の市中からいきなりこんな開けたところへ越さされた《てんじん》は、四方を山に囲まれた京都が恋しくて恋しくて仕方がなかったらしい。
「京都に帰りたい~」
と、よく《すさのお》だけでなく、他の神さまにもこぼしていた。
その思いが、いつの間にか京都への対抗心に変わって行ったのは仕方がないこと。
とは言え、そんな《てんじん》も、長くこの地にいるうちに、ここの土地柄や人柄の良さがだんだんわかってきて、今では大いに神戸愛に浸っている。
さっきも、
「そういえば《すさのお》、ハーバーランドにある、BE KOBEって知っとお?」
と、神戸言葉丸出しで、「大人気のフォトスポットなんやでえ」などと、神戸観光大使のような説明をする始末だ。
《すさのお》に図星をつかれた《てんじん》は、しばらく唇をとがらせたまますねていたが、ようやく渋々ながら口を開く。
「ふん、そうだよ。羨ましいんだよ。ああ、京都が羨ましい~。あ、けどね、もう帰りたいとは思わんな。神戸は良いとこやもーん」
「ふふ、そりゃあ良かったな」
「なあ、そやからお前さんから頼んでよ」
「自分で頼め」
「わしってこう見えてとっても奥ゆかしいの。そんな厚かましいこと言えるかいな」
「なーにが」
などと、ああ言えばこう言うやり取りをしていた2人の神さまだが、結局、
《すさのお》が折れる形になって今に至ったわけだ。
「まったく。ほーんと神さまって、なんでこうわがままなのばっかなんだろうね」
あのあと、「頼んだぜえー」などと軽く言ってくれる《すさのお》宅から帰ってきた冬里が、リビングのソファでくつろぎながら、何故か言葉とは裏腹に面白そうに言う。
「でも、行き先は神戸っすよ、神戸。どのみちそろそろ社員旅行の時期ですし、うるさいお姉様が今にもバアーンと裏玄関へ続く扉を開けて……」
バアーン!
夏樹がそこまで言った途端、本当にリビングのドアが勢いよく開かれた。
「ねえねえ聞いて! なんだか急に、社員旅行の行き先を思いついたの!」
そこには、満面の笑みで両手を腰に当てたうるさいお姉様、もとい、由利香が立っていたのだった。
始まりました、『はるぶすと』第21弾です。
今回は恒例の社員旅行。さてはてどんな珍道中になることやら。
今回は取材しながらの更新になっていくと思いますので、更新はかなり遅めになると思います。とは言え、このお話はフィクションです。実際とは違う事があってもどうぞご了承を。
それでは、彼らとともに、神戸の旅を満喫なさってください。