ウチのマッチョ
高校卒業と共に上京した。
仕事をするなら東京。ずっと前からそう決めていた。田舎に籠ってちゃ体験できないようなことが待っている。そんな気がしたからだ。人が多い。つまり競争率が高い。つまり、商売も、人も、モノも、より洗練されているということだ。
女の身一つで上京する私に、両親は一つだけプレゼントをくれた。住居?違う。家電?違う。衣類でも、食べ物でもない。
そう。マッチョだ。
マッチョを一人私にくれた。まったく、どれだけ心配性なんだか。でも、うれしい。大切にするよ、マッチョ。
「ねぇ聞いてよ! うちのマッチョね、今日の朝、ダンベル抱いて寝てたの!」
「えぇ、かわい~!」
「でしょ~? これがその写真なんだけどね」
デザイン事務所で働くOL3人。その昼休憩は大抵マッチョトークで盛り上がる。
2つ上の先輩、優子さんが自分ちのマッチョの写真を見せびらかす。
「これは……かわいい、ですね」
「ね!そうでしょ~?」
「あ、じゃあうちも! 今日の夜中にマッチョ一人でトイレ行ってたんだけど、よ~く耳すませたら、フンっ、フンっ、って聞えてきたのよ! もうどんだけ気張ってんのって感じで~!」
「まってそれ、可愛すぎ!」
「でしょ~? 多分一昨日腹筋追い込んだのが利いてるのよ~」
「え~!愛おしすぎ!尊すぎるわそれは!」
「と、とってもお茶目さんなんですね……」
1つ上のアリサさんのマッチョトークはいつもコアだ。
別にマッチョのうんち事情聞きたくない……。可愛いのかそれは……?
マッチョは凄い。その筋肉でなんでもしてくれる。洗濯してくれるし、料理も、掃除もしてくれる。靴下に穴が開いたらお裁縫もしてくれる。突然の雨に困ったときは、傘を持ってきてくれる。マッチョは凄い。
でも、うちのマッチョはちっとも可愛くなかった。
喋らないのだ。寡黙で、無愛想で、むすっとしている。せっかくお父さんとお母さんが買ってくれたマッチョなのに、全然可愛げがない。プロテインをあげても、むすっとした顔で飲み干す。ゆで卵をあげても、無言でぺりぺり殻を剥いで食べる。ブロッコリーは渋い顔して食べる。
大切にしようとは思っているが、どうにも慣れない。溝が埋まらない。だから、先輩たちとのトークに、いまいち情熱をもって望めないのだった。
「理沙ちゃんとこのマッチョはどうなの?」
ほら。私がこんなだから先輩に気を使わせてしまった。
「ええっと……ウチのマッチョは……そうですね。ご飯のとき、なぜか筋肉がぴくぴくしてます……」
「えぇ~かわいい~! きっと筋肉が喜んでいるのね!」
優子さんが悶絶し始めた。
かわいいのだろうか……?その感性が分からないな……。
ポーン ポーン
予鈴が鳴った。昼休憩が終わる合図だ。
「よっし、午後も頑張りますか!」
先輩が気合を入れなおすが、どうにも、憂鬱な気分は晴れない。
「ただいま~」
ワンルームのアパートに帰ってきた。女の一人暮らしにはいい場所だ。
セキュリティもしっかりしている。
が、今日は様子がおかしい。
どういうことだろう?
いつもなら、私が帰ると筋トレの音がぴたりと止まって、玄関まで迎えに来てくれるはずなのに……。
「マッチョ~? ただいま~、帰ったよ~?」
靴を脱ぎながら問いかけても返事がない。
「マッチョ~? どうしたの? 元気ない?」
急に心配になる。私が留守の間になにかあったのか? 鶏肉が当たって体調を崩したのだろうか。不審者の可能性は低いだろうし……。
「マッチョー! 大丈夫―!?」
靴を揃えるのも忘れ、キッチンの脇を抜けてワンルームのドアを開けた。
そこには。
「マッチョ……?」
マッチョの姿は無かった。
「マッチョ! マッチョ! どこにいるの、マッチョ!?」
どこに行ってしまったの、私のマッチョ。
アパートを出て近所を走り回ってもいない。公園にも、駅にも、橋の下にも、高架下にもいない。
道すがら私のマッチョを見ていないか聞いたが、見ていないと言われた。大胸筋下部と大腿四頭筋がパツパツで広背筋が発展途上のマッチョは、誰も見ていないという。
家出……なのだろうか。家出の原因は思い当たらない。分からない。いつも不満があるようにも見える。でも何も不満なんてないのかもしれない。マッチョ。あなたは何を考えているの?
どうか。どうか無事でいて、マッチョ……。
40分走ったが、とうとう見つからなかった。
「どこに行っちゃったの、マッチョ……」
駅前の本屋の前で、立ち止まる。マッチョが行きそうな場所は探した。肉屋、スポーツショップ、ジム。どこにもいなかった。
警察に電話した方がいいだろうか……。
本屋の大きな窓ガラスを見る。
自分が写っている。情けない姿だ。髪はボサボサで、服は汗びっしょり。メイクも落ちている。焦りすぎてサンダルを履いてきてしまった。おかげで走りにくくて仕方がなかった。
私は、マッチョの主人失格だ。
きちんとコミュニケーションを取らずに、どうすればいいのか悩んで。悩んでばかりいて。答えが見つからないままに、マッチョに家出させてしまった。
分からないなら、本を読んだり、人に聞いたり、本人に問い詰めたり。なんだってすればよかった。
もっと出来ることはあったはずなのに。私は、私は……。
「理沙さん……?」
声がした。誰の声だ?マッチョによく似た声。うそ。マッチョの声だ。
「マッチョ!?」
声のした方を見ると、正真正銘、私のマッチョが立っていた。大胸筋下部と大腿四頭筋がパツパツで、広背筋がまだ発展途上の、私のマッチョだ。私の稼ぎが少ないせいでジムにも行かせてやれないから、スクワットと腕立て伏せばかりやっている、私のマッチョ。
私のマッチョが、そこにいた。
「どうしたんですか、こんなところで……」
「こっちのセリフよ!どこで何してたの!?」
嬉しいやら、悲しいやら、状況が読めないのも相まって感情的になってしまう。
「そ、それは……」
「お客さん! 困ります! まだそれレジ通して無いでしょう!」
本屋から店員が出てきた。
よく見れば、マッチョは本を一冊抱えている。
『誰でも友達100人出来る! 必殺コミュニケーション術』と書いてある。
「マッチョ……」
なんとなく、溜飲が下がった。
「あの、その、これは……」
「はぁ……。ふふ。店員さん! この本、私が買います!」
なんだ。なんだよ。マッチョも同じ気持ちだったのか……。よかった。本当によかった。
腰が抜けて、へたり込んでしまった。
その後、財布が家にあることを思い出してマッチョに取ってきて貰い、事なきを得て、帰路についた。
「ねぇ、せっかくだから公園で話していかない?」
「……」
マッチョはいつも通り頷くだけで答えた。
でも今はなんとなく分かる。彼は照れているのだ。
「今日は、なんであんなとこにいたの……?」
「……それは、その」
マッチョはモジモジしている。かわいい。これが、マッチョ可愛いというものか。可愛いなマッチョ。
「冗談よ。この本、読んで勉強してくれていたのね?」
「……」
マッチョは頷く。
「マッチョはさ、なんであんまり喋らないの?」
「……それは」
「それは?」
「それは、まぶしいから、です」
「まぶしい?」
「はい。自分が、元軍人だというのはご存知ですよね」
「うん。学も無い、行く手もない元軍人に家事を教え込んで、『マッチョだからなんでも出来る家政夫』ってキャッチコピーで売り出してるんだよね?」
「その通りです。そして自分は、3年前の戦争で、最前線で戦っていました」
「最前線……」
「この手で、何人も人を殺しました。自分は体格と運動能力に恵まれ、おかげで生き残ることが出来た。でも、自分が殺した人たちにも、家族が、それぞれの人生があったと考えると……。まっとうに、平和に生きているあなたと、親しくなる資格があるのだろうかと……」
「マッチョ……」
「この仕事を始めたのは、せめて人の為になることを精一杯しようと……。でも、向いてないですかね……」
私は、思わずマッチョを抱きしめた。
「ありがとう。あなたたちが命をかけてくれたお蔭で、私たちは今平和に暮らすことが出来る。ありがとう」
「……でも」
「わたしは、マッチョに出会えてうれしい。生き残ってくれてありがとう。悪いのは戦争だよ。マッチョは巻き込まれてしまったんだよ……」
「理沙さん……」
2人の間に静寂が流れる。
「そういえば、もう出会って3か月になるのに、名前を聞いてなかった。本当は教えてくれるのを待ってたんだけど……。教えて?」
「えと、前の名前は、血に汚れた名前なので……」
「名前を変えても、過去は消えない。あなたは、あなたらしく生きる。心に刺さった棘は抜いてはいけない。死者と、自分の過去とは向き合わなくちゃいけないよ」
「……そうですね。私は、一真です。服部一真。あなたのマッチョです」
「うん。改めて、これからよろしくね、カズマッチョ!」
「か、カズマッチョ……」
「いや?」
「いえ、いやじゃないです」
「いやなら、ちゃんと嫌っていうんだよ?」
「じゃあひとつだけ……」
「なに?」
「ブロッコリーは、苦手です」
「ぷっ……」
「え?」
「あはははは! なにそれ! なにそれもうー! かわいいな、カズマッチョ!」
「あはは、どうも……?」
「今週末は焼肉に行こうか、カズマッチョ!」
「え、いいんですか!?」
「いいよ! しかも食べ放題じゃない!コースが出る! 友達に教えてもらったいいところがあるんだ!」
「お、おおおお! いいんですか、本当に!?」
「もちろん! そのうちジムにも通わせてあげる! いっぱい稼げるようになるから、待っててね!」
「いや、それはいいですよ……」
「いーや! 私がそうしたいの!」
「そうですか……」
いい夜だった。違う世界の人とは、どう話していいか分からない。私だって、先輩たちとの距離感を図り損ねていた。
でも学んだ。
知らない世界を知った。明日からはきっと、優子さんとも、アリサさんとも沢山話せるだろう。
素敵なマッチョをありがとう。お父さん、お母さん。
九月の頭に執筆して、短編賞に応募していたものです。
残念ながら落選しましたが、お気に入りの作品だったので投稿しました。
楽しんでもらえたら嬉しいです。
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