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ヴィオラ

主に「怒りの侍女ビルケ」と「消えた王国」に絡んでいます。


時間軸としては、「ロズフェード王立騎士団」でミケーレたちが西の国へ遠征し、帰国した後となります。


 

「早くなさい、ヴィオラ。あちらの柵まで、今日中に終わりませんよ」


「はい、シスター」


 小さく頷いた少女は、むしった草を籠に放り込んだ。

 広大な敷地を見通すと、雑草の果ては見えない。今日はあの柵まで、と言うが、歩いても数分はかかる先に柵はある。


 ため息をついても終わらない。

 ヴィオラは手を動かした。

 今日言いつけられた仕事は雑草抜きだけではないのである。


 粗末な服にエプロンを着けただけの少女は、黙々と草をむしる。


 それを見届けたシスターがその場を後にした。

 シスターはシスターでやらなければならないことがあるのである。


 ヴィオラがこの修道院に来て四年が経っていた。


 生まれた国の隣国の修道院に「行儀見習い」でやって来たヴィオラは、魔力の全てを封じられている。

 このままでは魔力で流れる水洗便所の水を流すことすら出来ないため、はずすことが許されない封印の腕輪の魔石に他人が魔力を注入し、それを使用することが認められている。


 魔術で草を刈ればあっという間なのに、シスターはあえて大がかりな魔術を編めないヴィオラにやらせた。


 十歳の時にこの修道院にやってきたヴィオラは、とんでもなく我儘(わがまま)で、無知だった。


 担当シスターの教育方針は、一から十まで自分のことは自分ですること、任される仕事も全て自分の手で行うことを徹底させることだった。


 シスターはヴィオラを一目見て、甘やかされるだけ甘やかされ、きちんと育ててもらえなかった子どもであると見た。

 それは、ある意味虐待の被害者で、こういう子どもは自分のことを客観的に俯瞰(ふかん)して見る視点が皆無であり、そのためか他人の心を(おもんぱか)ることが出来ないことを経験上知っていた。

 そして、その視点を得るのには時間が必要であることも。


 ここは、事情がある女性を預かり教育し、もしくは隠すことに()けた院で、右を向いても左を向いても、事情のない女性はいない場所である。

 預けられる事情は修道院の中でも一部のシスターにしか知らされていない。

 女性たちの中には貴族の子女も多く、院から出ると身分があるため、醜聞や余計な厄介ごとに巻き込まれるのを防ぐためでもある。


 預けられた当初、ヴィオラは一日に何度も癇癪(かんしゃく)を起こして暴れた。

 自分が望むことが叶えられないと癇癪を起こし、自分が物事の中心にいないと癇癪を起こし、自分が一番大事に扱われないと癇癪を起こした。


 修道院に預けられることになったのも、これが原因である。

 生家の伯爵家唯一の子となり、厳しい教育が課されたヴィオラは、数日で音を上げた。


 ヴィオラとその婚約者が婚姻して伯爵を継ぐまでの中継ぎ当主となったのは、筆頭分家の当主である。

 王命であるため断ることも出来ず、次期当主として領民を守っていたアリーチェのために、現当主は歯を食いしばって働いていた。ヴィオラの教育も当主としての責務の一つだった。


 しかし、そもそも、長子であるアリーチェを蔑ろにしてきた前伯爵夫妻とヴィオラに良い感情など持っているはずもなく、姉の婚約者を奪った妹と、伯爵の座に目が眩んで十年も婚約していたアリーチェを一瞬で捨てた男に伯爵位を引き継ぐため、それだけのために苦労を背負わされている現当主の心労は大きかった。


 その心労に加え、ヴィオラの癇癪は耐えられるものではなかった。

 どんな家庭教師を招いても、数時間も保たない。

 懇々(こんこん)と話して聞かせても、物事を自分に良いようにねじ曲げ、すぐに他人の所為(せい)にし、話が進まない。

 そしてすぐに泣き叫び、暴れ出すのである。


 王にありのままに奏上し、生家で教育することは不可能として、事情のある貴族の子女、有り体に言えば、誰もが手を焼く我儘娘の教育に定評のある修道院に預けたいと申し出た。


 そうでなければ、伯爵位は一旦王家へ返上したいと願った。


 事実上の降参である。


 王はその奏上を受け入れ、ヴィオラを南の国の修道院に預けることを了承した。

 王領とするよりも、現在の統治のまま、領民の生活安定を優先としたのである。


 ヴィオラが修道院に預けられ、現当主が領地経営に専念できたため、領主一家の醜聞と失望から荒れていた領内は、格段に落ち着いた。


 前伯爵夫妻と家令をはじめとする伯爵家に仕えていた使用人たちは、長い魅了の影響から精神を病み、それぞれ療養を余儀なくされ伯爵家を離れている。


 完治の見込みはないと、全員が宣告されていた。


 現当主は、ヴィオラにこのことをきちんと説明した。

 お父様、お母様とヴィオラが泣き叫ぶ度に、何度も説明した。

 しかし、ヴィオラがこのことを理解することはなかった。

 認められないと言った方が正しいのかもしれない。


 ヴィオラはついに、父や母に会うことなく、修道院にやって来たのである。


 シスターは、どんなにヴィオラが暴れても、教育方針を曲げることはなかった。

 やり方を教えることはしても、一切手伝うことはなかった。

 与えられた仕事をせずに食事が与えられなくても。

 洗濯もせず身体も清めず垢にまみれても。

 ヴィオラが意地を張って栄養失調で昏睡すれば必要最低限の治療のみを施した。

 不潔にしたため肌がただれても、命に関わらなければ放っておいた。


 ヴィオラ自身が「やらない」という選択をしたことを尊重した。


 シスターの心も知らず、ヴィオラは一月経っても三月経っても、ただ癇癪を起こしていた。





 その日、ヴィオラはパンを焼く担当だった。やったこともないのに、ただの気分で自ら志願したのである。

 当然のようにやる気もなく、適当にこね、適当に焼き、それは食べ物とは言えないものだった。


 シスターは失敗を責めない。

 しかし、仕事に手を抜いたこと、食べ物をあえて粗末にしたことで、ヴィオラは懲罰房に入れられた。

 与えられる食事は自分の作ったパンもどきと水のみ。作った全てを完食するまで房から出ることは許されなかった。


 横暴だと騒いだところで、地下の牢獄のような部屋にはヴィオラが一人きり。

 誰も反応しない、はずだった。


「騒がしいわ。黙らっしゃい」


 部屋の奥から凜とした声が響いた。


 一人だと思っていた薄暗い懲罰房の奥に目を凝らすと、鉄格子が見えた。


「……ひっ」


 ヴィオラは声にならなかった。

 鉄格子の向こうには女性がいた。

 首と腕と足首に輪を着けた女性が、椅子に座ってヴィオラを見ていた。

 暗くて顔まではよく見えない。


 ヴィオラは女性の腕輪に見覚えがあった。

 今、自分が着けられている物と文様が似ている。よく見ると首輪も足輪も同じ文様が刻まれていた。


 魔力を封じる魔道具。


 通常一つ着けるだけで魔力は封じられるものを、女性は五つも着けられ、鉄格子の中にいた。


 異様である。


 ここは懲罰房である。

 懲罰中の者が入れられる場所であるはずなのに、その女性はまるで支配者のように座っていた。


 ヴィオラは目が慣れてきて、段々とその女性の姿が見えるようになっていった。

 頬はやつれ、唇は乾き、伸ばしっぱなしで手入れがされていない痛んだ髪、初老のようなその姿から、先ほどの鋭い声が出たとは思えない。

 しかし目が違った。獲物を狩るかのような熱量のあるギラついた目で、女性はヴィオラを見ていた。


 ヴィオラがこの院に来て数ヶ月。見たことのない女性だった。


「だ、誰?」


「無礼者が。許しもなくこの私に対して口を開くなど……今すぐ舌を噛んで死ね」


 ヴィオラは言われたか理解できなかった。

 ここに来て叱られることはあっても、死ねと言われたことはなかった。


「……なん、なんなの?」


「まだ口を開くか。……子どもではないか。なるほど、学もなく育ちの悪い平民の子どもか」


「平民じゃない! 私は伯爵家の娘よ!」


「嘘を吐くでない。まともな伯爵家ならばお前のような恥知らずに育つはずもない。礼儀も知らず所作に美しさの欠片もないではないか。目上に対する言葉も知らず、感情的になるなど……伯爵令嬢を(かた)るなら多少は取り繕うが良い。笑わせる」


 笑うと言いながら一切目が笑っていない得体の知れなさに、ヴィオラは自分が震えていることに気が付いた。


 まともではない生き物がいる。

 言葉を話すが、コレは、同じ人間ではない。

 ヴィオラの本能が、恐怖を訴えていた。

 近寄ってはいけない、と。


「まあよい。私は寛容である。私は東の国のベルガード公爵の長子、ウルカ。……ここは変化がなくてつまらない。名乗りを許す。側へ」


 突然柔らかい声で言われ、ヴィオラは困惑した。

 命じることに慣れた口調は、拒否することを許さない力があった。


 おずおずと鉄格子に近づき、改めてウルカと名乗った女性を見た。

 ヴィオラは東の国の詳しいことは分からない。しかし、どの国でも公爵というのは貴族の頂点であること位は知っていた。

 そして貴族の女性は、未婚の場合は家名と何番目かの子の後に名を乗ること、既婚の場合は家名に夫人と名乗ることも知っていた。


 つまりは、この初老の女性は「未婚の公爵令嬢」だという自己紹介をしたのである。


「……ヴィオラ」


 女性がスッと目を細めた。

 それだけで、女性が怒っているのが分かって更に震えが大きくなった。


 出身国も家名も言わず、名前だけ名乗ったのは、修道院の規則でもあった。正しく、ヴィオラはここではただのヴィオラでしかない。

 しかし、それ以上に、この女性に自分についての情報を与えてはならないと、本能で危機を察していたのである。


「名乗り方も知らず、よくも貴族を騙ったものよ。まあ良い」


 そう言うと、女性は話を始めた。


 ベルガード家がどれほど優れた一族であるか。

 大陸の中でも東の国の素晴らしさ、尊い貴族の血脈の価値がいかに高いか。

 政敵であるファーレンハイト家の卑劣さと愚かさと悪行について。

 その政敵一族の中でも、嫡男だけはまともであり、自分の運命の人であったのに、悪女に(そそのか)され(だま)されて陥落してしまったこと。

 政敵の陥穽(かんせい)に落ち、この修道院に蟄居を余儀なくされている我が身の不運。

 しかし、必ずや心ある者が自分を救おうとしているはずであり、それに時間がかかっていることを許している自分はいかに寛大で尊いかということ。

 ベルガード公爵家の力によって、我が身に宿った神秘の力を妬んだ王家によって魔力を封じられている恨み。

 魔力封じさえなければ、大陸の覇者、神の一族にすらなれる力を持つ自分の尊さについて。


 女性はそれらの話をひたすらヴィオラに話して聞かせた。


 ヴィオラの反応など欲していない。

 共感も意見も反論も何も受け付けていない。

 ただ一方的に殴りつけてくるような言葉の氾濫に、ヴィオラは恐怖で動けず、生まれて初めて心の底から「ごめんなさい」と謝り、ここから助けて欲しいと房の扉を叩いた。


 扉が開くことはなかった。

 ヴィオラは震えて泣きながら、自分の作ったパンもどきを必死に口に入れ、飲み込んだ。

 早くここから出なければ、おかしくなってしまう。


 鉄格子の向こうは魔術が編まれており、定時になれば机に食事が転移し、女性は黙々と食事をした。その間は喋らないので、ヴィオラも一息つくことが出来た。

 朝には部屋の清掃と女性の清拭も魔術が発動していた。


 つまりは普段、この女性は完全に一人でここにいるということだ。


 ヴィオラは自分だったら耐えられないと寒気がした。

 一体この女性は何をしてこの懲罰房に入れられているのか、滔々(とうとう)と垂れ流す恨み(つら)(そね)みと自己愛の話からは窺えない。

 こんな様子だから鉄格子の向こうにいるのか、ここに入れられ、孤独に耐えられずにこうなってしまったのか、ヴィオラには分からなかった。


 ただただ、早くここから逃れたかった。


 懲罰房に入れられて三日目の朝、ヴィオラは何回か吐き戻しながら、パンもどきを完食し、出ることを許された。


 懲罰房を出て行く間際、女性の「また来るが良い」という(いびつ)な笑顔が脳に焼き付き、この先ずっと心の傷として抱えていくことになるなんて、ヴィオラは思ってもいなかった。


 この日から一週間、食中(しょくあた)りで寝込んだ後、ヴィオラは少しずつ変わっていくこととなる。





 途轍(とてつ)もない理不尽な話に(さら)されたためか、ヴィオラはシスターの言うことが至極真っ当に聞こえた。


 今までは、自分を蔑ろにする「敵」だったシスター。

 ヴィオラは初めてきちんとシスターの顔を見て、シスターの言葉に耳を傾けた。


 顔を洗う時の水の使い方、歯の磨き方、服の着方、洗濯の仕方、干し方、畳み方、火の使い方、食材の切り方、料理の基本、食器の洗い方、しまい方、風呂の沸かし方、使い方、髪の乾かし方、整え方、雑巾の縫い方、掃き掃除や拭き掃除の仕方、雑草の見分け方と抜き方……。


 何一つ間違ったことは言っていない。

 ただ、ヴィオラは、それをなぜ自分がやらなければならないのか、それが心底分からなかったのである。


「あなたがやらねば、誰がやるのですか?」


「侍女やメイドがやることだわ」


「この修道院にはいません」


「雇えば良いじゃない」


「給金はあなたが払うのですか?」


「なんで私が払うのよ!」


「あなたの世話をし、あなたがやらなければならない仕事を代わりにする人を雇うのに、なぜあなたが払わないのですか?」


「お父様が払うわ」


「療養中の父親に金の無心をするのですか?」


「じゃあ、お母様か家令に……」


「母親も療養中と聞いておりますが。家令に、家臣に金を無心すると?」


「違うわよ! 伯爵家のお金を出せば良いじゃない!」


「伯爵家の財産は現当主の管理下にあるでしょう。そもそも、領民の税金でなぜあなたの世話をしなくてはならないのですか?」


「私は領主の娘よ!」


「領民が税金を領主に納めるのは、その庇護下にある代償とも言えます。あなたは領民のお金を使って生きてきて、何か領民に返しましたか? これから使うと言い張るお金の分、何を返すつもりですか?」


「……税金を払うのは当たり前のことだわ!」


「では、貴族とは、あなたのように(わめ)き散らして何もせずにお金を要求するのが当たり前なのですか?」


 ヴィオラは言葉が返せなかった。

 領民を守るだとか、何かを返すだとか、考えたこともなかった上に、「何もしていない」に反論しようにも、している「何か」が、何も思い浮かばなかったのである。


「あなたのような貴族を平民がなんて呼ぶか知っていますか?」


 シスターは淡々と続けた。


「寄生虫、と呼ぶのだそうですよ」


 ヴィオラは衝撃で呆然とした。

 貴族に対して、領主一族に対して、不敬にも程がある。

 そして、更に続けられたシスターの言葉に、ヴィオラは気を失うことになる。


「あなたは懲罰房の()の人に考え方がとても似ています。貴族であることを前面に出すのに、貴族としての責務については自分のものとは一切考えられない。何か自分に都合の悪いことが起こると全てを周りの所為として憎しみを向ける。自分の希望が事実だと疑うこともしない。……彼の人は、あなたの未来の姿かもしれませんね。二十代であのような姿になっても尚、自分が誰よりも尊いと信じて疑わないその姿を見て、あなたは何を感じましたか?」





 ヴィオラは(うな)された。


 時間になれば食事が出され、掃除され、身体も綺麗にされる鉄格子の向こうに、あの女性と二人きりでずっと過ごす未来がすぐそこにあることを、ようやく理解したのである。


 そして、気が付いた。


 鉄格子には扉がなかった。


 あの人を入れた後から鉄格子を()めたのだろうか。

 つまりは、出入りする予定がない。出すつもりのない部屋なのだと。


 ヴィオラは目が覚めても、恐怖で震えた。


 ヴィオラはシスターの言葉を受け止め、少しずつ自分のことは自分でするようになった。劇的には変われなかったが、他人の言葉を聞くようになっていった。


 不満が渦巻き、暴れ出したくなる衝動を抑えられない時もあった。

 その度、あの懲罰房に入れられる恐怖が不満に(まさ)った。


 そうやって、恐る恐る一歩一歩毎日を生きて、ヴィオラは十四歳になっていた。





 珍しく手紙が来た。

 いや、珍しいどころかヴィオラが修道院に来て初めての手紙だった。


「婚約……解消」


 手紙を読み進めたヴィオラがポツリと呟いた。


 それは伯爵家の現当主からの報告だった。

 ヴィオラとミケーレの婚約が王命により解消されたと、簡潔に書かれていた。


 ヴィオラはミケーレの顔をもう覚えていない。

 太陽みたいな、大型犬みたいな人だった印象だけ覚えていた。

 あれだけ熱烈に望み、姉を押しのけて手に入れた人と地位なのに、婚約解消の文字にヴィオラはどこかホッとしていた。


 この頃になって、ようやくと言えばようやくだが、ヴィオラは自分のしてきたことと立場を冷静に見ることが出来るようになっていた。


 無意識とはいえ、自分の魅了の天恵で精神を壊してしまった父と母、家令や侍女たち、姉とその婚約者の人生を壊した。


 これ以上ない程、ぶち壊した。


 自覚した時、どう償えば良いか分からず途方に暮れ、自分を殺すことを望んだ。


 それすらも、自分自身を一番に考え、逃げて、なかったことにして終わりにしたいだけだとシスターに言われ、断念した。


 生きて苦しめ。


 苦しめた分以上に苦しめ。


 苦しむ自分を見て、少しでもお姉様は溜飲が下がるだろうか。

 お姉様を失ったミケーレは、気が済むだろうか。


 このままミケーレと婚姻しても、幸せな家庭など築けるはずもない。

 どのような経緯でまた王命が下ったかは手紙には書いていなかったが、ヴィオラは婚約解消を救いのように感じた。


 そう考えて、ヴィオラは気が付いた。


 父と母と家令たちの療養の様子はどうなっているのか。


 姉が家を出て行ってからどうしているのか。


 婚約者が今どうしているのか。


 ヴィオラは、何も知らないのである。

 自分のことだけ気にして考えて、知ろうとしたことがなかったことに、気が付いた。


「……私は、どこまで……」


 ヴィオラは泣き崩れた。

 自分の傲慢さが恐ろしくて堪らなかった。


 彼の人は、あなたの未来の姿かもしれませんね。


 そうシスターは言った。


「違う……未来じゃない。ずっと、そうだったんだ……」


 お姉様にとって、自分は「話の通じない得体の知れない恐怖」だった。お父様たちには、それを魅了で無理矢理ねじ曲げて受け入れさせていただけだった。


 ヴィオラは部屋で独り嗚咽をあげて泣き続けた。

 それをシスターがずっと廊下で見守っていたことを、ヴィオラは知らない。





 ヴィオラは十五歳で成人したら、伯爵家に戻る手筈となっていた。

 そのため、自身の身の回りのことに加え、修道院の仕事の他に、シスターから礼儀作法や様々な知識を学ぶ時間が多くとられることになった。


 生きる意味も目指すものも分からなくなったヴィオラにとって、それは大変な苦痛だった。

 癇癪を起こしかけては、懲罰房の奥の鉄格子越しに「恐怖」が手を伸ばし笑いかけてくるので、ヴィオラは冷静になれた。


 伯爵家に戻ったところで幽閉か放逐のどちらかだとヴィオラは考えていた。ならば、礼儀作法や勉強など必要ないという思いが(くすぶ)って消えてくれなかったのである。


 ヴィオラは泣きはらし浮腫(むく)んだ顔を隠しもせず、無言で草をむしった。

 しばらくして、凝り固まった腰を伸ばし、目を周囲に向けて、ふと気が付いた。


 晴れた空と渡る鳥と風に揺れる木々と草と飛び回る蝶々と咲き誇るアガパンサスと。


「……綺麗ね」


 素直に美しいと思った。

 そして、伯爵家の庭にも同じ花が咲いていたことを思い出した。

 今も昔も、美しい中に、醜い自分がいて、居たたまれなくなった。

 また黙々と草をむしり始める。静かに泣きながら、黙々と。


「人を(すく)い上げる人になりなさい」


 ヴィオラの背中にシスターが声をかけた。

 ヴィオラは振り向かず、手も止めない。


「良いことも悪いことも巡る。巡り巡って自分へと(かえ)ってくる。その道筋の途中には、あなたが傷付けた人をも通るでしょう。あなたの善行はあなた自身のためではなく、もう謝ることも出来ない人たちのために積みなさい。そのために学ぶのです」


「……お姉様たちのためになる、の?」


「ええ、きっと。どんな形になっても巡っていき、助けとなるでしょう」


「……本当?」


「私はそう信じています」


「……私、」


 もう会うことも出来ないけれど、人生をめちゃくちゃにした皆に、少しでも、ほんの少しでも、何かを届けられるとしたら。


 信じたい。


 この日から、ヴィオラは寝る間も惜しんで勉強に打ち込んだ。

 乾いた大地が水を吸い込むように、ヴィオラは(とど)まるところを知らずに知識を吸収していった。


 十五歳になり、伯爵家へ戻ったヴィオラは、ただひたすらに「他人のため」に生きた。


 療養中の父母と家令たちには、魔力を封じているとはいえ影響を恐れて会うことは出来なかったが、頻繁に手紙を送った。

 時々震えた字で返事をもらうと、心の底から喜びが湧き上がった。


 姉は平民となり、冒険者と婚姻し、西の国にいると知らされた。連絡を取ることは出来ないが息災にしていると、叔母のフラヴィアからの手紙で知った。

 会ったことのない叔母が、定期的に修道院へ支援をし、自分の近況を尋ねる手紙を度々院長に送り、シスターがありのままに回答していたことも知った。


 婚約者だったミケーレは、東の国の従騎士となっていた。黒の森から魔物たちが溢れた西の国へと遠征し、見事武勲を立てて騎士に叙勲され、東の国に移住したことで国王によりヴィオラとの婚約が解消されたことも知った。

 ミケーレとの婚姻を強請(ねだ)ったあの日から、一度も会うことはなく、お互い手紙もなかった。


 以前の王命を覆し、中継ぎの当主だった現当主が国王から正式な伯爵に指名された。

 現当主の堅実な領地経営により、ほとんど混乱も反対もなく伯爵家は交代することになり、後継ぎには、その長男が指名された。

 長男には既に子が三人おり、いずれも聡明で、家の存続には懸念がない。


 ヴィオラは伯爵家の庇護下に入り、生涯、領地のために生きた。


 その行動の一つ一つは小さなことだったが、小さな花が群れで咲き、一つの大輪の花のように見えるアガパンサスのように、積み重ねていった行動は成果となって領民のためとなっていった。


 ヴィオラはどんなに風当たりが強くても、しなやかに全てを受け止め、自分の足で立ち上がった。


 魔力を封じられて無力ながらも、泣いても、叫んでも、(うずくま)っても、立ち上がった。

 苦しくて辛くて寂しくて挫けそうな出来事や言葉をかけられても、ヴィオラは立ち上がることが出来た。


 立ち上がらなければ、鉄格子の奥から手が伸びてくる。

 ヴィオラを連れて行こうと、手が伸びてくるのだから。


 それから逃げようとすると、自然と生きることに立ち向かわなければならなかった。

 立ち向かった後は、まるで神の祝福のように心が光で満ちて、喜びに涙が出た。


 ヴィオラは生きる。

 恐怖に支えられ、心に光を持ち、生きて一つでも善いことを行う。

 それが人生を壊した人たちへの贖罪と信じて。





「寂しいですか?」


「院長……ええ、そうですね。あの子は中々に手のかかる子でしたから。伯爵家に帰って、少々手持ち無沙汰といいますか……」


「担当としてご苦労様でした。あなたが見事導き、あの子は『魔女』にならずに済みましたね」


「はい、何よりです」


「ところで、次を担当する前に、一度国に帰りなさいな。()とは時間の感じ方が違うとはいえ、もう三十年位帰っていないでしょう。種族は違えど、あなたは我が国の民でもあるのですから」


「……懲罰房の方がいますから」


「出て来られないのですから、しばらく大丈夫でしょう」


「いえ、目を離したくありませんから」


「あなたは真面目なんだから。……彼女は、心が闇に染まって『魔女』となり、魔物を率いて()の国に襲いかかったあなたの妹姫ではないのですよ?」


「その力の一部を宿しています」


「魔女を復活させようとして、中途半端に力をもぎ取るとは……本当に、人とは愚かね。……けれども、黒の森を解き放ったのも、またその『人』であるわね」


「はい」


「まあ、いいわ。好きになさい。ウルカという人の子の寿命など、神と妖精からしたら瞬きのようなものね」


「ありがとうございます」


「もう何人面倒を見てきたのかしらね? もう二度と『魔女』を生み出さないよう、闇に染まりかけた子たちを集められるように、人の国にこの修道院を開いてから」


「数えきれぬ程、でございます。院長の導きにより、心に闇を抱えていても魔女となるまでの者は出ておりません」


「あなたのおかげです。……妹姫を導けなかった贖罪をあなたが負う必要などないというのに。あなたのおかげで、皆、健やかになりこの院を出て行くのです」


「……ウルカは、一生ここから出ることは叶わないでしょう」


「あの子は自業自得です。自ら望んで闇の中に揺蕩(たゆた)っているのです。そういう性質なのでしょう。いくら私が神の一族でも、あなたが妖精の末裔でも、望んで闇に染まる意志はどうにも出来ませんよ」


「……はい」


「さあ、休みなさい。人に身を(やつ)している以上、身体は人と同じです。休息が必要ですよ」


 シスターが退室すると、院長はため息をついた。


 本当に真面目だこと。

 正直、もう良いのにと思うのだが。

 長い長い時が経ち、人の国では、魔女や消えた王国のことなど伝承に残すのみで、とっくに忘れ去られているというのに。

 きっと寿命が尽きるまで、闇に染まらないように女性たちを導いていくのでしょう。

 まあ、暇だし、付き合いますけど。


 それにしてもヴィオラは良い働きをしました。

 ……消えた王国の王子は何度生まれ変わっても魂は何も引き継がなかったのに、ここにきて「魅了」体質を引き継ぐとは。……神の一族と言っても、世界から見ればただの一種族に過ぎないことは承知していますが、誰かの掌で踊らされている感が気に入らないですね。

 ですがまあ、まるで花が咲き誇るように()()け方をしたヴィオラを見て、あの子が随分と報われたことは事実。


 父を諫められず妹を止められなかったことを「罪」として長い生を鬱々と生きる子。その憂いを少しでも晴らしてくれたお礼に、ヴィオラにはこっそり加護を付けておきましょうかね。


 神の一族たる我が名において。

 ヴィオラ、あなたが自ら苦難に立ち向かうのならば、その心に光あらんことを。




読んでくださり、ありがとうございました。


ヴィオラの行いが、巡り巡って、アリーチェを始め色々な人の助けになることでしょう。きっと。



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