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アリーチェ


取り返せないこともある

アリーチェ編です。


アリーチェとカルロには必要なことですが、終始うじうじしています。


自ら死を望む表現が出てきます。

苦手な方は回れ右をお願いいたします。


誤字訂正しました。

誤字報告、ありがとうございます。



 

 鳥が飛んで来た。


 それを見て、アリーチェの頭は白く染まった。


 王宮から、王宮に勤める義弟(おとうと)宛に伝言を携えた魔術の鳥。


 自分も魔術で鳥を飛ばしていた。

 ずっと、ずっと、大切な人に向けて、飛ばしていた。


 美しい鳥を創造したつもりが、丸っこい糸目の小鳥で、魔術属性に引きずられてか火の鳥になってしまったけれど、アリーチェはその鳥が大好きだった。


 その鳥が預かってきて紡ぐ言葉が何より心の支えだった。


 ミケーレの言葉が、何よりも宝物だった。


 アリーチェは、今目覚めたように、その事を思い出した。


 ミケーレと初めて会った時の事。

 ミケーレと交わした言葉。

 ミケーレが鳥に託してくれた言葉。

 ミケーレが贈ってくれたたくさんの物。





 ミケーレが差し出してくれた一輪の白いバラ。





 ミケーレと共に生きることをあれだけ望んでいたのに、なぜ、忘れていたのだろうか。


 いや、忘れていたわけではない。


 ミケーレの事もミケーレとの思い出も、アリーチェは全部覚えてはいる。


 ただ、他人事(ひとごと)だった。

 遥か昔に読んだ絵本をただ覚えているかのように、遠い記憶だった。


 アリーチェが最後に覚えているのは、ミケーレがヴィオラとの婚約に頷いた姿。


 自分を要らないと、頷いたミケーレの姿。


 息が止まった。

 息をしようともがくと、我慢する間もなく、胃の中の物が全て逆流した。

 目が回り、何も考えられず、アリーチェの意識は暗転した。





「……義姉(ねえ)さんは、どう?」


 軽いノックと共に部屋に来たのは、カルロのすぐ下の弟クロノスとその下の弟ノエ、末の妹コリーネ。

 アリーチェが倒れた時に一緒にいたのがクロノスとコリーネだった。

 皆で庭でお茶をしていた時に、赤子がぐずり一人抜け二人抜け、小さなくしゃみをしたアリーチェのためにカルロが膝掛けを取りに行っていた間の出来事だった。


 休暇中でもクロノスへ事務連絡の鳥が飛んでくるのはよくあることで、他に変わったことはなかった。

 クロノスが鳥から伝言を受け取っていると、コリーネと他愛の無いことを話していたアリーチェが、急に黙り込んで、(うめ)いて吐いて倒れたのである。

 コリーネは大声で皆を呼び、クロノスはアリーチェを抱えて、苦手な治癒術をかけながらカルロの所まで連れて行った。

 以来丸一日、目を覚ましていない。


「ああ、とりあえず落ち着いてる」


 倒れて直ぐの頃は随分と(うな)されていたが、今は静かな寝息を立てている。


「スピロ兄さんが、本当に治癒術師を呼ばなくて良いのか、って」


 ノエが心配を隠さずにカルロに伝えた。

 長兄スピロがアリーチェのために治癒術師を呼ぼうとしたが、それを断ったのはカルロだった。


「ああ。ボスコンフィ領で領主夫人がきちんとアリーチェを治療している」


 アリーチェの手を握り、一時(いっとき)も目を離さず、カルロは話を続けた。


「領主夫人から言われている。アリーチェは幼い頃から身体と心を酷使して……保護した時は襤褸布(ぼろぬの)のようだったと。その上、魅了の術で心を抑制されていて、後遺症が残るかもしれないと治癒術師に言われていたと」


「……倒れたのは、その後遺症?」


「発作みたいなのか? やっぱり治癒術師を呼んだ方が良くないか? 俺、治癒は下手だし」


 コリーネはただ心配そうに黙っている。


 カルロが家を出た時はまだ子どもだった弟たちと、生まれてもいなかった妹が、こうやって心配してくれる気持ちを嬉しく思いながら、カルロは首を横に振った。


「幸い後遺症はなかった。魅了の術の影響も、もうない。……なのに、アリーチェは、元婚約者のことだけ、忘れてしまったかのように一切話をしなかったそうだ」


 ノエとコリーネには何の話かよく分からなかったが、クロノスはそういった症例をいくつか知っていた。


 魔物に襲われ生き延びた者の中には、襲われた事自体覚えていない者がいた。

 馬車の事故に遭って酷いけがをした者も、事故自体覚えていなかった。

 幼少期に虐待や貧困で(あえ)いだ者は、子ども時代そのものの記憶が曖昧な事もあった。


 心身に強い負荷がかかった時。

 覚えていると生きていけない程の体験や思いをした時。

 人間は記憶を手放す事があると言われている。


 そうまでしないと、自分を守れなかった者たち。


 忘れたままなら良い。

 その者たちを更に苦しめるのは、思い出してしまった時、もう一度、沈めた記憶を体験しなくてはならないことにある。


「義姉さんは、その婚約者とやらに虐げられてたのか?」


 痛ましげにクロノスが問うと、カルロは溜め息と共に否定した。


「……逆だ」


「逆?」


「そいつは婚約して十年、アリーチェの心の拠り所だった。アリーチェを虐げていたのは家族だ。そんな中、唯一と言って良い位、アリーチェにはそいつだけだった」


「なら、なぜ……」


「そいつはアリーチェとの婚姻の打ち合わせの日に、アリーチェの妹の魅了の術にかかって、婚約を破棄した。そして妹と婚約して、アリーチェを捨てたんだ。アリーチェは廃嫡されてその身一つで家を出た。……心が折れちまったんだ」


 ミケーレを心の奥底に沈めて、感情ごと忘れなければ正気でいられない程、アリーチェは傷付いたのだ。


「え、じゃあ、それを思い出しちゃったってこと? 何で急に?」


 ノエがようやく事態を理解して聞いた。


「さあな。領主夫人は、何がきっかけで思い出すかは分からないし、一生思い出さないかもしれないと言っていたな。だから、コリーネは気にしなくて良い」


 最後に話をしていたのはコリーネで、何か言ってはいけないことを言ってしまったのではないかと気に病んでいた。


「でも、じゃあ、どうすれば……」


「どうもしない。側にいるだけだ」


 カルロはアリーチェの手を両手で包んで言い切った。


 けれども。

 アリーチェがあいつのことを思い出して、あいつの魅了が解けたのならば戻りたいと言ったら?


 それでも、離してなどやらない。

 離してなど、やれない。





 アリーチェは程なくして目を覚ましたが、日に日に憔悴していった。

 何か思い悩んでいるのは明らかだった。

 傍らには甲斐甲斐しく世話を焼くカルロが常に控えており、それを見た周りからは「犬だ、番犬がいる」とからかわれる程で、カルロは吠えて蹴散らしていた。


 そうやって兄をからかっていた弟たちも、カルロに会うために取った休暇が終わり、それぞれの家族と帰っていった。

 全寮制の学校に通っているコリーネも、後ろ髪を引かれながら寮へ戻って行った。


 本来は、カルロたちも目的地であるアシューミ領に向けて出発する予定だったが、アリーチェの調子が戻るまで静養することになった。


 一族が集まり賑やかだった家が、いつもの静けさを取り戻していた。


「アリーチェ」


 触れようとすると、アリーチェの目が揺れるようになったのを、カルロはしっかりと気が付いていた。


 アリーチェの心はまさに混沌。

 晴れていたのに突然雨が降るかのように、悲しみ、怒り、妬み、恨み、諦め、色々な感情が心に一気に降り注ぎ、爆発して叫んで暴れ出してしまいそうだった。

 何度も何度も。


 その度に、温かい大きな手がアリーチェの冷えた指先を包んだ。


「アリーチェ」


 寸での所でアリーチェの心は壊れずに踏み止まり、深く息を吐いて強張った身体をカルロに預け、浅い眠りに落ちるのを繰り返した。


 ミケーレ。


 と、呼びながら。





「会わせてみたらどうかしら」


 言ったのはカルロの母だった。


「ずっと共に生きると思っていた人と、きちんとお別れもせずに離れてしまったのでしょう? 気持ちの整理が出来なくて苦しんでいるのよ」


 カルロは眠るアリーチェの側で座ったまま俯いた。


 アリーチェがカルロの手を取った時、他の選択肢を見せずに半ば強制した自覚がカルロにはあった。

 ここで、アリーチェが元の鞘に収まる選択肢に気が付いたら、今からでもそちらを選ぶ可能性は十分にある。


「あらあら、カルロは自信がないのね」


 ふわりと母がカルロの頭を抱いた。


「ねえ、カルロ。あなた、アリーチェさんの気持ちを聞かなくていいの? アリーチェさんがどんなにその人のことを大切にしていたのかを、きちんと聞きなさいな」


 嫌だ。そんなこと聞きたくない。

 もう自分の妻だ。何で聞かなくちゃならないのか。


「正確にはね、吐き出させるのよ」


 どれだけ大切にしていたと思ってんだ、バカヤロー! と。


 茶目っ気たっぷりに言った母は、カルロのつむじにキスを落とし、「アリーチェさんは、もう既に()を自分で選んでいると思うけどね」と言い残して部屋を出ていった。


「……俺を、選んだのは、俺しか、いなかったから、だ」


 手を握り名を呼び側にいる。

 それしか出来ない。


 自分では、アリーチェの心の傷を治してやることが出来ない。

 かといって離れることも論外で、元の婚約者と会わせるなど到底承服出来ない。

 吐き出させると言っても、吐き出したものが無くなるわけはない。

 もし、無くなるならば、自分の心はもっと綺麗な筈だ。

 ずっと汚い(もの)を吐き出して垂れ流しているのだから。


「……また、泣いてる」


「アリーチェ、目が覚めたか?」


「泣かせたのは、私、ですよね」


「泣いてなどいない。ほら」


 カルロはアリーチェを抱き起こし、吸い飲みで湯冷ましを飲ませてやる。

 素直に介護され、アリーチェは息を吐いた。


「あのですね、カルロ」


「却下だ」


「まだ何も、カルロ」


「ダメだ」


 アリーチェと目も合わさず返事をするカルロに、アリーチェは吹き出した。

 カルロの甥たちが喧嘩して怒られて不貞腐れている様子とそっくりである。


「……(あん)だよ?」


「カルロはお義兄様たちとはあまり似ていないのに、甥っ子たちがあなたと似ているなんて、不思議だなぁ、と」


「ああ、俺は母方の爺さん似らしい。そっちの血が出たんだろ」


「私たちにも授かると良いですね」


 あなたに似た子が。


 言外にアリーチェがそう言ったのに気が付いて、カルロは目を剥いてアリーチェを見てから、溜め息をついてガシガシと頭を掻いた。


「聞いていたのか」


「はい。起きるタイミングを逃しまして」


 先程の母親との会話を聞かれていたことで、カルロは逃げられないことを悟った。


「……会いたいか?」


 元婚約者(ミケーレ)に。とは、言えなかった。


 アリーチェは、カルロがあまりに「この世の終わり」な顔をして聞くものだから、また吹き出してしまった。


「真面目に、」


「会いたいですよ」


 食い気味で答えたアリーチェは、まっすぐカルロを見つめた。


「会って、ミケーレに伝えたいことがあります。何を言いたいか……うまく言えないかもしれないけど、カルロ、私の話に付き合ってくれますか?」





 長い夜になった。





 アリーチェは、アリーチェの人生の記憶のあるところから話を始めた。


 幼い頃、父も母も自分を本当に大事にしてくれ、愛され光り輝いていた日々。


 五歳の頃から始まった教育もただ楽しくて、分からないことが分かったり出来たりすると、皆が褒めてくれて嬉しかった。


 アリーチェの領地は黒の森の南西の国の西側にあり、南側にトゥルンガ王国との国境(くにさかい)を抱え、隣合うトゥルンガ王国の侯爵家の三女とは手紙のやり取りをする友人であること。

 その一つ歳上の友人が、南西の国の東側に領地がある伯爵家の嫡男と婚約したこと。


 その縁で、その家の次男が婿入りする形で自分との縁談がまとまった。


 それがミケーレだった。


 初めて会った時、ミケーレは五歳で、顔を真っ赤にして雄叫びのような挨拶をしてくれ、驚いたけれど、ミケーレの手が震えていたのに気が付いて、緊張しながらも、目を逸らさずに挨拶してくれたことにとても好感を持った。


 一生を共にするのがこの人で良かった。

 そう、思った。


 婚約が整い、後継ぎ教育が本格化して、段々とついて行くのが出来なくなっていった。


 苦しい中、母の懐妊が分かり、もしも弟だったら後継ぎから解放されると本当は期待した。


 でも、弟でも妹でも、伯爵を継ぐのは自分だと父から指名されたことで、歯を食いしばって勉強するしかなくなり、逃げ場を失った。


 勉強の合間の僅かな休憩時間にコツコツと魔術を編み、一月に一回程度、ミケーレに「鳥」を飛ばした。


 国の西と東を横断する長距離の魔術は難しくて、最初は本当に一言だけしか鳥に託せなかった。


 鳥が預かってきた、ミケーレからの最初の言葉にボロボロ泣いてしまった。


『アリーチェ』


 母のお腹が大きくなった頃から勉強に追われ、一日に一度も父母と会わない日が増え、自分の名を呼ばれることがなくなっていった。


 妹が生まれると、それがもっと増え、寂しくて寂しくて堪らなかった。


 それでも、ヴィオラ()が生まれた時、本当に可愛くて嬉しかった。


 鳥が預かるミケーレの言葉と、年に数回の王都でのお茶会が、それだけが心の支えになっていった。


 数年経ち、妹に自我が目覚めると、妹は自分の部屋にやって来て「ずるい」と言って、何でも欲しがって持って行った。

 年々、それは酷くなっていった。


 ミケーレが気を利かせて日用品から嗜好品まであらゆる物を贈ってくれたが、ほとんどが妹に持って行かれ、泣く泣くミケーレにもう贈らなくて良いと伝えた。


 父は、後継ぎを自分から変更することはなく、ミケーレが成人したら自分の婚姻と共に隠居し、()()()()で穏やかに暮らしたいと言ってきた。

 それがトドメとなり、心の中で家族の縁を切った。


 家令は完全に妹側なので、執事の一人を味方に付け、家庭教師も従順な態度で勉強に励んでいる限り、味方になった。


 領地を継ぐのであれば、誰よりも領地を知らなければならない。


 家庭教師を説得し、現地学習として視察に出た。


 父の領地経営は不可なく順調だったが、主に富裕層向けの経営で、貧困層など「(なん)」がある者は息を潜める傾向があった。


 一朝一夕(いっちょういっせき)ではどうにもならない現実に挫けそうな時も、将来は隣にミケーレがいてくれると思うと踏み止まった。


 外に出るようになり、困ったのが服だ。

 どうしても外せない茶会や会合に着ていく服が無かった。


 母に言うと、「また作るのか」と(たしな)められた。

 成長期で着る物がないと訴えても、自分が以前定期的に仕立てた事実は確かにあるので、取り合ってもらえなかった。

 全て妹に持って行かれた上、最近は仕立ててもらっていないのに。


 仕方なく、妹のクローゼットから元々自分の服だった物を数着拝借し、見た目とサイズを変えるため、身頃(みごろ)(ほぐ)して布をあて、どうにか手直しして着るようになった。

 侍女はやってくれず、自分でやるしかなかった。お陰で、裁縫がとても得意になった。


 その手直しした服も、妹に見つかれば持って行かれた。

 妹はそれが既に持って行った服だと気が付かなかった。あれだけ物に執着しているのに、妹は物を大事にしない。とても矛盾した行動をしていた。


 理解できない言動。

 父も母も妹も家令も侍女たちも理解できない。

 自分を完全に排除するわけでもない。しかし、存在は空気よりも稀薄で、とても次期当主の扱いではなかった。


 十四歳の時。

 ミケーレに会うために母と王都へ行った。

 王都の屋敷には多少服がまだ残っていた筈で、油断してしまった。


 屋敷の自分の部屋は、妹の部屋になっていた。

 家令の指示で、屋敷の執事が行っていた。


 部屋がないのは別にいい。どこでも寝れる。

 それよりも服がない。

 今着ているのは装飾も何もない、ただの白い布の服。少しでも飾りがあると持って行かれるため、囚人のような服を着ていた。

 さすがに困って服を探したが、六歳の妹のドレスしかない。

 囚人服か子ども服か。


 もう囚人服で良いやと開き直ったら、執事から着替えるように言われた。

 自分の服は処分されて残っていないことを告げると、執事は目を剥いて驚いていた。領地から持って来るとの連絡で、全て処分していたからだ。


 母から「ドレス」との指示。

 悪意しかないが、本人たちは「悪意がない」と思っているらしい。

 ここまで来ると乾いた笑いしか出てこない。


 領地から持ってきているのは、あとは寝間着と肌着、レースの肩掛け(ストール)だけ。


 仕方なく妹のドレスを多少直して無理やり着た。膝が出てしまうので肩掛けで何とか隠した。


 とても恥ずかしかった。

 こんな扱いを受けるしかない自分の無力さに涙が出そうだった。


 自分を見たミケーレは、口をあんぐり開けた後、明らかな怒りを持って母を見た。

 お義母様が、母に苦言を呈してくれた。


 久しぶりに母と目が合った。

 母は自分を見て「ぎょっ」として、自分を引っ張り退室した。


 今更である。

 それよりも、ミケーレとお義母様を置いてきてしまい、失礼をしたことが辛かった。


 母は悲鳴のような叱責をした後、今はヴィオラの部屋になっている部屋のクローゼットまで腕を引っ張り連れて行き、更に叱責してきた。


 こんなに着るドレスがあるのに何を考えているのか、と。

 これが、本気だから、自分はもう匙を投げたのだ。


 反論しても何も変わらない。何も好転もしない。


 見かねた執事が母に家令の指示を説明するが、ドレスを持ってこなかったのが悪い、恥知らず、と母は言った。


 以後、「教育不足の恥ずかしい娘」として、領地から出してもらえなくなった。


 十五歳の誕生日。

 一般的な貴族は成人の披露目を兼ねて盛大に行う。


 当然のように何もなかった。


 後継ぎの披露目をしないということが、世間からどう見られるのか。もう、父にも母にも常識を問うてくれる者は、離れていって久しかった。


 ミケーレから、自分の誕生日の夜、ミケーレ宛に鳥を飛ばして欲しいと、手紙が来ていた。

 陽が落ちて星が瞬いた頃、鳥を飛ばした。火をまとう小鳥が、いつもとは違う方向に飛んで行ったので不思議に思っていると、鳥が直ぐに戻ってきた。

 術に失敗したかと思ったが、鳥はミケーレから「窓を開けて」と伝言を預かってきた。急いで窓を開けると、庭の木に隠れるようにミケーレがいた。


 会いに来てくれた。

 誕生日を祝いに、会いに来てくれた。


 真っ赤な顔で「ん」と差し出された白いバラ。


 それは東の国の騎士が愛を捧げる儀式。

 ミケーレは騎士ではないけれど、剣術も体術も才能を開花させ、本当は領主となるお兄様のための騎士になりたかったことを自分は知っていた。


 ミケーレ。

 早く成人して欲しい。

 早く私の側に来て。


 待っている。

 ミケーレの額にキスをすると、真っ赤な顔で固まってしまい、お付きの人に回収されていった。


 それからは相変わらずの日々でうんざりしたが、ミケーレとの婚約が、何よりの支えになった。


 そしてミケーレが成人した。

 婚姻式はミケーレの成人の披露目を兼ねるので、日取りや内容を決める打ち合わせには、ミケーレだけではなくお義父様とお義母様も遥々領地まで来てくれることになった。


 そのまま婿入りしてくれてもいいのにと思った。


 ミケーレたちを待つ応接室に妹がいた。

 とても嫌な予感がした。


 結果。

 妹がミケーレと伯爵位をねだり、父はそれを了承した。

 ミケーレもお義父様も最初は拒絶していたが、父がヴィオラと婚姻した者を後継ぎにすると言うと、妹との婚約に頷いた。


 ミケーレが、頷いた。


 ……あなたも、か。

 心が真っ黒に染まった。


 父は婚姻せずに一生を領地のために生きろと言った。

 そうでなければ、出て行けと。


 妹を選んだミケーレの側に一生居ろと。


 自分は出て行くことを選んだ。

 まともに生きていくことなど難しいなんて分かっていた。

 寧ろ、終わり()はとても甘美なものに思えた。


 町を彷徨っていたら、叔母に保護された。

 十年以上会っていなかったけれど、とても似ている火の魔力に酷く安心した。


 そこからは正直、今でも記憶があまりない。


 ふと。

 晴れた空と渡る鳥と風に揺れる木々と草と蝶々を追いかける猫と咲き誇るリシアンサスと。


 世界が美しいことに気が付いた。


 もう、ミケーレのことも家のことも、遠い昔の「誰か」の出来事のようだった、


 そして、あの泉であなたに出会った。


 心があなたで満ちて、初めて自分が乾ききっていたことに気が付いた。


 フラヴィア叔母様から、妹が天恵(スキル)として無意識に魅了の術をかけ続けていたと聞いた。


 自分の境遇は、そのせいだと。


 自分も魅了をかけられていた。

 ……妹に全てを奪われても、唯々諾々と従っていたのは、そのせいだと。

 あまり一緒にいなかったのが幸いし、今は既に影響はないと。


 ミケーレやお義父様とお義母様も魅了にかけられ、治療中だという。

 あの、たった一日の、たった数十分会っただけで、魅了の術にかけられた。


 魅了の術は、迎合したり隙をつかれたりしなければ、深く浸透しない。


 そういうこと、なのだろう。


 クロノスの元にやって来た魔術の鳥を見て、自分も鳥を飛ばしていたと思ったら、遠かった記憶が急に鮮明になった。


 自分は要らなかった。

 その事実(記憶)が苦しくて苦しくて。


 でも、あなたの家族と会えて、「家族」とはこういうことだと知った。

 スピロお義兄様、クロノス、ノエ、コリーネ。「兄弟」とはこういうことだと知った。

 だからこそ、魅了を差し引いても、自分たちの関係はとても(いびつ)だったと思えた。


 自分は悪くないのだと、思えた。


 それは、冷えきった指先を包んで温めてくれる手があったから。

 自分の名を呼んでくれる人がいたから。


「カルロ」


「……」


「泣き虫さんね」


「……あいつは、アリーチェとよりを戻すつもりだ」


「ミケーレは私を選ばなかった。私はあなたを選んだ。……もう、離れてあげないと言ったでしょう?」


「しかし、お前はまだ」


「私がミケーレとの未来を夢見て愛おしく思っていたのは本当だわ。だから、ちゃんと言いたいの。ずっと、ミケーレが心の支えだったこと、ありがとうって。……その前に、手伝って? カルロ」


「何を、だ」


「私の中で、きちんとミケーレへの気持ちを(とむら)いたいの」


「弔う?」


「ええ。ミケーレに会ったら……」


「会ったら?」


「殴るわ」


「……」


「ボコボコに殴るわ」


「お、おう。俺も殴ればいいのか?」


「いいえ。カルロはちゃんと見てて。私がミケーレをボッコボコにするところをちゃんと見てて。……愛してるの、カルロを」


 カルロは溜まらずアリーチェを抱き締めた。


「アリーチェ、俺を選ぶか」


「……あなた話聞いてた?」


「アリーチェ、俺は、俺の手は、血塗れだ。随分と汚い仕事もしてきた。本当はお前から離れてやった方がいいと分かっていても、それでもお前に手を伸ばしてしまう。……愛しているんだ、アリーチェ」


「ようやく、ちゃんと私に言ってくれたわね。あなた、ちっとも言ってくれないんだもの。……ねぇカルロ。まずはアシューミ領へ行きましょう。黒の森から魔物たちが溢れたらたくさんの人が命を落とすわ。カルロ、あなたはたくさんの人を助けるの。……そして、生き残るの。生き残って、私たち、たくさん子どもを作りましょう。喧嘩しても離れても、繋がって孤独(ひとり)じゃないように」


「アリーチェ」


「おばあちゃんになっても名前を呼んで、カルロ」


「……ああ!」


「あと、浮気したら下の毛燃やすから」





 微妙な顔して泣き笑いで「しねぇよ」と呟くカルロを抱き締めながら、アリーチェは白ずんだ空を窓越しに見ていた。


 抱き締める温かさが、ミケーレだった未来があったかもしれない。


 けれども、自分を温めてくれたのは、大事な人のためにどこまでも自分を削り取ってしまう、強くて弱い人。


 私の愛しい人。


 アリーチェは、心の奥底に穴を掘って、ミケーレへの気持ちを埋めた。

 深く、深く。


 過去には戻れない。

 もう、取り返せないのだから。




読んでくださり、ありがとうございました。



アリーチェはカルロ兄弟がわちゃわちゃイチャイチャしているのを見てるのが好き。



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よろしくお願いいたします。



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