またいつか
旅行から帰宅後の日曜日。カンカンカン、カンカンカンカンと7時の鐘の音で起きた。ロイはまだ眠っているのでこっそり頬にキスして起床。
使わなかった自分の布団を畳んで押し入れにしまう。最近冬は布団を2つ敷く必要がない気がしてきた。
着替えて1階へ降りて台所から炊けたお米の匂いがするなあ、と思いながら庭側の廊下へ移動。真冬だから寒いけどよく晴れている。
雨戸がもう開いていたので庭に出て洗濯の準備。桶に水よし。ムクジ実よし。泡立ったので先に踏み洗いする洗濯物を全部入れる。
「リルさん、おはようございます。自分が洗います」
ロイも庭へ降りてきた。
「おはようございます旦那様」
「洗いますの前にお湯を持ってきます。まさかリルさん毎日氷のような水で洗濯してないですよね」
「いえ。前にお義母さんに風邪をひくからやめなさいと言われたのでもうしていません」
「前はしていたんですね」
「はい」
話していたら義母がやってきた。
「2人とも思ったより早起きですね」
「おはようございます母上」
「お義母さん、おはようございます」
お辞儀後に義母に手招きされた。
「起きたのなら先に朝食にしましょう。冷めても良いものと思っていたけど変更します。お父さんも起きています」
「母上、水汲みなどあれば自分がします」
「お義母さん手伝います」
「お父さんが手伝ってくれるから座ってなさい」
義父母が働いて自分達が座っていると落ち着かないのでロイと共にお手伝い。
朝食後、ロイはまず洗い物で私は洗濯物。ロイにいつもより多いお湯の量を渡されて「いくら丈夫でも体を気遣って下さい」と軽く怒られた。
義母にも「健康はお金では買えませんよ」と軽く額を指で弾かれた。
(健康はお金では買えない……。お義母さんの手足は完治しない、このままが続くか悪くなるって聞いてる。そうか……)
お湯を減らした結果病気になって病院や薬代がかかる方がかえってお金がかかるかもしれない。
(また勉強だ)
踏み洗いを終えて洗い場で濯ごうとしていたらロイが来てくれた。
「あなたは雑で生地が傷むと怒られるので、手洗いはリルさんお願いします。自分がこれを濯ぎます」
「はい。お願いします」
2人で洗濯すると早い。なので気になっていた着物やどてらの部分洗いも敢行。途中、義父母をお見送り。黙々と続けて全部干し終わった。
手足も体も冷えるのでロイと2人で居間へ移動。火鉢の前に立膝で、ロイは私の後ろといういつもの体勢。
「変な感じですね。昨日は牛車に乗っていた時間です」
「はい。旦那様、外食しないで平鍋を注文するのはええと思いますか?」
「平鍋をいくらで注文出来るか確認。自分の職場へのお土産を買う。高くない昼食……憧れの握り飯……おむすび屋にしますか? それで少しぷらぷらして、食材の買い物。最後はリルさんのお土産配りをして帰宅」
「温いお蕎麦にして、憧れの具材を半分個がええです。海鮮かき揚げをお願いします」
「おっ、リルさんの遠慮が少し減りましたね。旅行をして良かったです」
「私は食費をしっかりやり繰りします。外食費は旦那様に任せます」
しばらくロイとぬくぬく。その後お出掛け準備をして出発。
「帰ったら手紙を書きましょう。アデルさん、ユアンさん達、ヴィトニルさん達に」
「はい。セレヌさんが先に書いてくれると言っていましたけどお礼のお手紙を受け取る前に煌国から去ってしまうかもしれないので送りたいです」
まだ嫁いで約半年だけど見慣れた景色。新しい世界に慣れてないようで慣れ始めているんだなと感じた。
昨日まで違う土地にいたなんて信じられない。
「こうしていつもの道を歩いていると旅行が夢だったみたいです」
「私も同じことを考えていました」
鎮守社の前を通った時、私達はどちらともなく歩く方向を変えて鳥居をくぐった。
まずお地蔵様に手を合わせる。次は社へ手を合わせた。それで再び街中へ向かう。
途中、家の前の掃除中のご近所さん達に会って会釈。
町内会に1番近い公園を横切ると今風手繋ぎの合図。ソワソワしていたらロイがそっと手を握ってくれた。
「贅沢三昧しましたね。楽しく過ごして怪我なく帰宅出来たのは土地神様のおかげでしょう」
「はい。半年後から掃除当番に加わるのでピカピカに掃除します」
「そっか。リルさんは年末の大掃除と同じで春の大掃除もまだ参加しませんね」
「はい。その間家の大掃除をします」
「いつもの日常へ戻りましたけど、リルさんの実家やかめ屋のことなど新しい生活が待っていますね」
「旦那様のお仕事も今後変わっていきますか?」
よく晴れていて空が綺麗だなと見上げていたけど、ロイからの返事がないので顔の向きを変えた。
ロイは複雑そうな顔で俯いている。
「旦那様?」
「仕事か……。いつわしも……。まあそういう気分です。朝から晩まで2人だけなんて次はいつかなあ」
そう口にするとロイは空を見上げた。私も釣られて顔を上げる。先程眺めていた青空よりも美しく感じるのはロイがギュッと手を繋いでくれたからかな。
いつはしも恋ひぬ時とはあらねども夕かたまけて恋ふはすべなし。
朝昼晩あなたのことが恋しくない時はないけれど、とりわけ夕暮れ時になると恋心はどうしようもないほどになります。
「また文字の練習をしてから贈ります」
「ちはやぶるも練習してくれました? 魔を除けし幸照らす青鬼灯は練習したと言うてましたけど」
「はい。少しでも旦那様みたいな綺麗な字で贈りたくて練習しました」
「気持ちが変わってなければ来年もお願いしようかなあ。字の違いを楽しめます」
「きっと変わっている気がします。毎日少しずつ変わっていきます。淵です」
ロイはまだギュッと手に力を入れてくれた。らぶゆだけでは足りない気持ちを伝えるのに龍歌って便利。勉強は大切。
百取り……の前に有名な古典恋歌くらいは頭に入れておきたい。
「淵か。そのうち海になるかもしれないです。リルさん、青鬼灯お揃いですね」
ロイの帯に飾られた青鬼灯の根付けが揺れる。私の髪に飾った青鬼灯の簪も揺れているだろう。と、思ったらロイに軽く触られた。シャラっと音が鳴る。
「魔除けや幸福もですけどお揃いはええなと思いました」
「リルさん、空が綺麗ですね」
「……。旦那様、空はなくなりません。ずっとあります」
この空が綺麗ですねは月が綺麗ですねと同じ気がするのでこう言ってみた。
「リルさん、明日の仕事を乗り越えるために温泉卵をお願いしたいです。たまごの在庫がなければ買いましょう」
伝わらなかったかも。
「ちび醤油入れがまだないので、最初からお醤油混ぜご飯はどうでしょう? 昆布の佃煮かかつお節のふりかけを混ぜておくとか」
ふと思いついたので問いかけた。夕食はプクイカの煮付けの予定。
1度塩茹でした後に焼いて食べるのもあり、らしいのでお弁当には竹串に刺したプクイカを入れようかと思っている。
茹でて味噌漬けにして焼くと美味しいと華やぎ屋の料理長から聞いた。
「かつお節……昆布……。悩むので任せます。手間でなければ白米もお願いします。朝食時や今のお腹の空き具合だとしばらくお腹が旅行状態な気がするので」
今日、ロイは私が知る限りでは初めてご飯を朝から2膳食べた。義母が「高等校の時みたいですね」と驚いていたので珍しいこと。
まだまだ私の知らないロイがいる。逆もきっとそうだ。私や家族が知っている私も、私が知らない私もロイは月日をかけて知っていく。
変わっていく2人を思い出の中に閉じ込めながら生きていく。そうしてその思い出を「懐かしいですね」と義父母のように振り返る。私の両親もきっと同じ。そうなりたい。
「いつものお弁当箱ではなくて他のもので上手く分けて詰めてみます。お義父さんは温泉たまごもどきは好みかわかりますか?」
「温泉たまごを食べたことがありますかね? 夕食の時に話題にしてみましょうか」
「はい。たまごの在庫はなかったので買います。かりんとうよりたまごがええです。私も明日温泉たまごもどきご飯にしたいです」
「と、なると母のお昼も温泉たまごもどきご飯になりますね。お菓子よりもたまご。母にそう言うんですよ」
言えるかな、と思いながら大きく頷く。
「リルさんはこの歌は知っていますか? 二人の手千夜に八千代に」
「千夜に八千代にはロメルとジュリーの冊子に載っていた龍歌がどういう意味か私に教える際に使ってくれた言葉です」
2人の手は今の私達の手のことだろうか。
「ええ。冊子はこうです。天の原踏み轟かし鳴る神も思う仲をば裂くるものかは。誰かに聞いて調べました?」
「はい。エイラさんに聞きました。それで千夜に八千代にも調べました。千年万年はそのままだと思ったので調べていません。千夜は千の夜。八千代は八千年です」
天の原は永遠に誰も2人を引き裂けない、というような意味。
二人の手千夜に八千代には続きを知らなくても、今の状況とここまでて良い意味だと分かる。
繋いでいる二人の手がうんと長く続きますように、みたいな龍歌のはず。
「続きはさざれ石の巌をとなりて苔のむすまで」
「苔がむすまでは分かります」
「その前は細かい小石が塊って遂には大きな岩となる、です」
千の夜、八千年、さらには小石が岩になって苔までつしてとなると……永遠?
そう解釈したいからそう思っておこう。
「その歌を知っていたらちはやぶると迷いました。淵というわしもと悩んで、エイラさんがそういうのを三つ巴と言うてました。うーん、でもやはり季節の歌には季節の歌です」
「それはよかです。知っていますか? と聞きましたけど考えました。正確には千夜に八千代にとリルさんに口にした時から考えていました」
口にした時、ロメルとジュリーのお芝居を観た日から、去年から私のために考えてくれていたということ。うんと嬉しい。
私は喜びが伝わるようにと手に力を込めた。ロイの親指が私の手をくすぐる。
「朝焼けのエドゥアール温泉街でリルさんが贈ってくれた龍歌への返事です。2つ口にしてくれたので2つ」
「旦那様も書いて贈ってくれますか?」
「ええ。リルさんから贈られた後に」
ロイは無表情というか少し眉間にしわ。それで目を細めて微笑んでいる。目が潤んでキラキラして見える。耳が赤いのは寒さではないだろう。
私も似たような顔をしているに違いない。
「リルさん、空がいつもより綺麗ですね。天気はコロコロ変わりますけど雷雨がきても晴れます」
「旦那様、年が明ける時に人生は山あり谷あり。旦那様と荒波を乗り越えていきたいなあと思いました」
同じ事を考えているのかな? とまたしても嬉しくなる。
「リルさん、うんと色々あった旅行は2人で乗り越えられました」
「はい。旦那様、今日から続く日々も乗り越えていきましょう」
私は再度ロイの帯に飾られている根付けを見た。魔を除けし幸照らす青鬼灯。
一生に一度かもしれない遠くへの旅が幸福な時間で大きな厄災も無かったように、どうかお揃いの青鬼灯が私達を守ってくれますように。
【しばらく後。どこかの空】
「エリニス、小型金貨をまた返すよりこの毒消しを贈るのはどうかしら?」
「えっ。譲ってくれたのかよ。俺が頼んだら余ってないって言われたのに」
「遊ばないって怒っていたわよ。そのせいね。よかった。あの臭いはペラギウス胞子毒な気がしていたの」
「ペラギウス胞子? ロイさんの骨とか筋肉が少し変な音というか気になっていたけどそれなのか」
「ここら辺だと多いというか、親から子へ続いていったりするらしいわ。調べても調べてもこの毒消しって作れないのよね」
「セレーネ、井戸って書くと良い。2人にではなくて集落へ。そのように親切なら色々な者とそれなりに交流するだろう。それなら彼等から譲られた貴重品の使い方として相応しい」
「はい、お父さん」
さらにしばらく後——……。
「この小瓶の金平糖1粒はなんですか?」
「えーっと、井戸に入れるようにと。この実を井戸に入れるのは西の国の魔除けらしいです。地域によって名前が違うけど、彼等は星の実と呼んでいるそうです」
「星の実。西の国では金平糖は星糖と呼ばれているかもしれませんね。セレヌさんに聞いてみます」
☆★何事も縁☆★
旅行編はこれで終わりです。お付き合いありがとうございました。
他のおまけは特に思いついていないので1度完結に変更します。
(正確にはルルのお見合い、ヨハネの話、ベイリーの婚約者とリルの小話、エイラ達嫁友達との料理教室など色々思いついたけどまとまらないです)




